- Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003262238
感想・レビュー・書評
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著者について何も知らない残念なわたくし。
今の人も150年の昔の人もほぼ同じようなことに熱中したり、悩んでいたりして、人間って成長してないんだわぁ(笑)。
読後に主人公たちのことを考えてみるとじわじわと人となりが浮かび上がって来て、心の奥底を見透かしている。ゴリキーがチェーホフにリアリズムを殺しているとか言ったらしいが、読んで考えているとその意味がなんとなくわかってくる。
少し前に読んだシュトルムの宗教観に縛られた苦しい恋と比べると自分本位に宗教も自由自在してしまうチャッカリ感も窺え、それは作家の出自によるところなのか、才能なのか。
チェーホフが庶民派な階級出身だからなのかロシア人だからなのか、文豪たちの作品と違って主人公も自分の良いように世間を泳ぐような趣でとてお興味深い。
ハルキせんせいは時々、チェーホフの旅行記のことに言及してるけど、これはホントに面白いかも。ほかの作品も読んでみよう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
登場人物は、個性的なわけでも、特別な事件を経験するわけでもない。ただ、人が生きていく上で避けることのできない哀しみをたたえている。
読み終わったとき、心がすうーっと静かになる。心を静かにして、余韻を感じたいと思う。次の短編を読み出す前に、一旦本を閉じて心を沈めたくなる、そんな短編集である。
(2015.1) -
男の支えがないと生きる気力を失う女の話。
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【本の内容】
ここに収められた三篇には、晩年の沈潜期に移ろうとするチェーホフ(一八六〇―一九〇四)の精神的・肉体的な変化が微妙に影を落としている。
淡々と描かれた苦く哀しい人間の姿、しかし、その哀しみの底にもなお、ほのぼのと感じられる生のよろこびを故神西清氏の名訳は鮮やかに伝えてあますところがない。
『ヨーヌイチ』を併収。
[ 目次 ]
[ POP ]
今年はチェーホフ生誕150年。
チェーホフといえば神西(じんざい)清。数々の名訳によって日本でのチェーホフ人気を確立させた「文人翻訳者の最後の一人」(本書解説)だ。
小説や評論も手がける多才の人で、1957年に53歳で世を去った。
かわいいだけが取りえの恋愛依存症の女が、夫と死別後、家の離れを借りていた男と恋に落ちた。
2人は秘密を守ったが、自我を持たない女は、男から聞いた話を周囲に受け売りせずにはいられない。
「してみればもはや、もともと彼女は誰かに打ち込まずには一年と暮らせない女で、今やその身の新しい幸福をわが家の離れに見出(みいだ)したのだということは、語るに落ちた次第だった」(『可愛(かわい)い女(ひと)』)
端正で少し古風な言い回しは、決して意訳ではない。
原文に当たれば、驚くほど素直な直訳であることがわかる。
それでいて文章には不自然さのかけらもない。
一世を風靡した神西訳も、今や岩波文庫に2冊を残すのみ。
近年の新訳の自然な語り口は魅力だが、それでも神西訳の輝きは失われることがない。
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
味がわかるような、わからないような・・・
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どの作品だったかは忘れたのだが、チェーホフは村上春樹も小説かエッセイの中で触れていたし、先ごろ読んだ金井美恵子の『道化師の恋』にも顔を出していた。トルストイもまた熱心な読者だったそうだ。ことほどさようにチェーホフというのは玄人好みの作家なのだろうか。この短篇集は表題作2篇のほかに「イオーヌィチ」を収録する。いずれも典型的なロシア・リアリズム小説だ。それぞれの物語は短いにも関わらず、なんだかずっしりとした読み応えがあり、いくつもの人生を生きたような気分になる。篇中では、やはり「犬を連れた奥さん」がベストか。
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1940年初版。67年改版で読んだ。
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男女関係ってそうそう変わらないものですね。
『犬を連れた奥さん』を読んで不倫って一種の現実逃避なのかもな〜と思いました。