武士道 (岩波文庫 青118-1)

制作 : 矢内原忠雄訳 
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (159ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003311813

感想・レビュー・書評

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  • ”新渡戸稲造氏が今から115年前(1899年)、アメリカで発表した”Bushido, the Soul of Japan”を和訳したもの。

    異文化のなかで誤解されることも多かったであろう日本人の国民性を、騎士道と比較しながら紹介し、その本質や核となるものをなんとしても伝えようという気概を感じた。

    特に最終章の次の言葉は、未来をみすえつつ、自分を育んできた文化の本質への圧倒的な信頼感を感じる。
    「武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない。しかしその力は地上より滅びないであろう。その武勇および文徳の教訓は体系としては毀れるかも知れない。しかしその光明その栄光は、これらの廃址を越えて長く活くるであろう。その象徴とする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう。(p.166)」

    異文化を体験し、そのなかで生きることは、人の回路を目覚めさせ、情報発信への熱を呼び起こすものなのかなぁ。


    <読書メモ>
    ・この小著の直接の端緒は、私の妻が、かくかくの思想もしくは風習が日本にあまねく行われているのはいかなる理由であるかと、しばしば質問したことによるのである。(p.11:序)
     ※その前にド・ラブレー氏の質問「宗教なし!どうして道徳教育を授けるのですか」が背景にある。

    ・二十世紀の日本を理解しようと欲する者は、過去の土壌におろされたるその根を知らねばならない。今では外国人のみならず現代日本人の目にさえ見えなくなったが、思索的研究者は過去の時代に蓄えられたる精力の中に今日の結果を読み取るのである。(p.22:緒言 by ウィリアム・エリオット・グリッフィス氏)

    ★武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である。(略)それは今なお我々の間における力と美との活ける対象である。(p.25)
     ※武士道=Chivalry。

    ・厳密なる意味においての道徳的教義に関しては、孔子の教訓は武士道の豊富なる淵源であった。君子、父子、夫婦、長幼、ならびに朋友における五倫の道は、経書が中国から輸入される以前からわが民族的本能の認めていたところであって、孔子の教えはこれを確認したに過ぎない。(p.36)
     ※p.139にも関連記述あり。五倫=義、信、別、序、信。

    ・義は武士の掟中最も厳格なる教訓である。(p.41)

    ・「義しき道理」より以上もしくは以下に持ちゆかれる時、義理は驚くべき言葉の濫用となる。それはその翼のもとにあらゆる種類の詭弁と偽善とを宿した。もし鋭敏にして正しき勇気感、敢為堅忍の精神が武士道になかったならば、義理はたやすく卑怯者の巣と貸したであろう。(p.44)

    ・愛、寛容、愛情、同情、憐憫は古来最高の徳として、すなわち人の霊魂の属性中最も高きものとして認められた。それは二様の意味において王者の徳と考えられた。すなわち高貴なる精神に伴う多くの属性中王位を占むるものとして王者的であり、また特に王者の道に適わしき徳として王者的であった。(p.51)

    ・真の礼はこれに反し、他人の感情に対する同情的思いやりの外に現れたるものである。それはまた正当なる事物に対する正当なる尊敬、したがって社会的地位に対する正当なる尊敬を意味する。(p.61)
     ※これ=「単に良き趣味を害(そこな)うことを怖れてなされるに過ぎざる」時の礼儀

    ★じっさい日本人は、人生の弱さが最も酷(きび)しき試煉に会いたる時、常に笑顔を作る傾きがある。(略)我が国民の笑いは最もしばしば、逆境に寄って擾されしh時心の平衡を恢復せんとする努力を隠す幕である(p.102)
     ※あー、なんかこの感覚は分かる。

    ・真の名誉は天の命ずるところを果すにあり、これがために死を招くも決して不名誉ではない。(p.116)

    ・武士道の全教訓は自己犠牲の精神によって完全に浸潤せられており、それは女子についてのみでなく男子についても要求せられた、ということである。(p.134)

    ・我々は自分の妻を賞めるのは自分自身の一部を賞めるのだと考える、しかして我が国民の間では自己賞讃は少なくとも悪趣味だと看做されている(p.138)
     ※新渡戸さんが力説して、日本人の精神を紹介しているシーン。「キリスト教国民の間にありても同様ならんことを!」

    ★私は武士道に対内的および対外的教訓のありしことを認める。後者は社会の安寧幸福を求むる福利主義的であり、前者は徳のために徳を行うことを強調する純粋道徳であった。(p.142)
     ※ここも新渡戸さん力説ポイント。「過去の日本は武士の賜である。彼らは国民の花たるのみでなく、またその根であった」。国民のなかの少数派であったにもかかわらず、その精神性が国民全体に広がっていることはすばらしいことなのかも。

    ・「朝日に匂ふ山桜花」という語に注意せよ。
     大和魂は柔弱なる培養植物ではなくして、自然的という意味において野生の産である。(p.145)

    ・劣等国と見下されることを忍びえずとする名誉の感覚、??これが最も強き動機であった。(p.153)

    ・我が国民の感情に過ぎ、事に激しやすき性質に対しては、我々の名誉感に責任がある。(p.154)

    ★武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない。しかしその力は地上より滅びないであろう。その武勇および文徳の教訓は体系としては毀れるかも知れない。しかしその光明その栄光は、これらの廃址を越えて長く活くるであろう。その象徴とする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう。(p.166)


    <きっかけ>
     2014年5月の人間塾課題図書。今回、塾には参加できないけど、読む。”

  • (01)
    奇妙さがあり面白い。それは不気味さといってもよいかもしれない。
    キリスト教と近世以前に由来する日本の武士を無理にでもくっつけてみるとこうなるよ、という接合面に著者の際立つ個が示されている。つまり、著者が説明する武士の徳性からすれば本書を著す必然性はないし、著者が信ずるキリスト教からすれば、敢えて武士を理解する必要もない。
    が、著者はそれを本書で見事に継ぎ合わせた。その手際の妙には明らかに近代精神(*02)が現れている。洋の東西を問わず武士道や騎士道がよって立つ中世のメンタリティや、キリスト教の古い部分だけでは、このアクロバティックは成り立たなかった。本書が国際的に読まれたとすれば、そのへんの妙な事情のエキゾチックもあってのことだろうと思う。

    (02)
    第14章は「婦人の教育および地位」である。著者の苦肉の章ともいえる。章立てとページ数をながめたとき、この章に最も多くの頁が割かれていることは看過すべきではないだろう。女子論でもあり、現代的なフェニミズムにおいて本書はどのような位置付けがなされるのか、興味ぶかいところではある。
    また、本の構成という点では、巻末の人名索引が楽しい。キリスト、孔子、シェイクスピアへの言及はもちろん多いが、従来からの指摘があるように、社会進化論のスペンサーや近代神秘主義ともとれるエマソンからの強い影響が見られることを確認しておきたい。

  • 2019年4月17日読了。現行五千円札の肖像でもある(津田梅子に取って代わられるが)著者が、キリスト教に基づく秩序を持つ欧米に対抗する日本の論理として編み出した「武士道」についての考察。武士道礼賛・日本スゲーが過ぎて「ほんまかよ」と思う部分も多いが、100年以上前の日本で欧米人向けに書いた本、と考えれば確かに名著、と思う。戦闘階級がお金を「不浄なもの」として退けて作法や名誉を重んじたことが社会に秩序をもたらしたとか、切腹を「最上級な名誉な行為」と置き、処罰としてではなく犯罪者やその家族の名誉回復の場として設定した、などの指摘は鋭く、面白いと感じた。切腹の場における3兄弟のエピソードなど、日本人だったら誰でも「いとあわれ、あっぱれな死に様よ」と感じ入ってしまうのではないか…?

  • 1

  • 孔子は「義を見てせざるは勇なきなり」と教え、孟子は「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖(いえど)も、吾往かん」と説いた。これのみを10歳までに叩き込めば教育は成功するようにも思う。孔子と正反対に位置するのが「触らぬ神に祟(たた)りなし」との俚諺(りげん)である。いじめ、セクハラ、パワハラを支える振る舞いだ。
    https://sessendo.blogspot.com/2018/12/blog-post_29.html

  • 結果至上主義になりがちですが

  • 2017.12.30 『古典力』齋藤マイ古典50選で読了していた9冊

  • う~ん。名著と言われているが、言っていることはシンプルであっさりしているし、西洋哲学・キリスト教との対比部分が分かりにくくて…。

    日本の誇る武士道をアピールしつつも、その欠点や弊害に言及している点は良かった。

  • 新渡戸稲造が、38歳の歳1899年に書いた本。

    海外に向けて日本のことを紹介する意で書いたので、この本はその英文の日本語訳になる。

    読んでいて最も驚くのは歴史上の人物名の引用の数。

    その数100名を超える。

    これだけの歴史上の人物の偉人・哲人・賢人のことに精通しており、日本の様々な事象や在りようを、世界共通の偉人達に例えて話す様は圧巻。

    世界に発言するには、これぐらいの教養は必要なのだろう。

  • 英語で書かれた武士道の翻訳版。武士道がどのようにして生まれ、影響を及ぼしてきたかを解き明かす。キリスト教の代わりに日本には武士道が道徳・倫理の柱となっていた。武士以外の日本人の支柱は何だろう?

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著者プロフィール

1862年南部藩士の子として生まれる。札幌農学校(現在の北海道大学)に学び、その後、アメリカ、ドイツで農政学等を研究。1899年、アメリカで静養中に本書を執筆。帰国後、第一高等学校校長などを歴任。1920年から26年まで国際連盟事務局次長を務め、国際平和に尽力した。辞任後は貴族院議員などを務め、33年逝去。

「2017年 『1分間武士道』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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