- Amazon.co.jp ・本 (159ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003311813
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
読んだつもりになっていましたが、「武士道と云うは死ぬことと見付けたり」の『葉隠』と勘違いしていたようです。
ルーズベルト米大統領がこの本に大変感銘を受け、日本の要請を受けて日露戦争講和に乗り出したと知ってから、内容を知りたいと思っていました。
国内よりも海外で名が知られている新渡戸稲造氏。
病気の療養中、妻の質問に答えたものをまとめたとのことで、妻は外国人なのだろうと考えます。
(調べてみたらアメリカ人でした)
つまり日本に関する知識がほとんどない外国人たちに、日本の精神を伝えようとしている本。
現在の私たち日本人にとっても非常にいいテクストとなっています。
武士道をChivalry(シヴァリー)と訳しているのが、なんとも洋風。
西洋の騎士道(ホースマンシップ)とは似て非なるものだとの定義付けが続きますが、ノーブレス・オブリージェ(身分に伴う義務)の点では共通すると明解に解説しています。
武士道は仏教と神道、そして禅や仁の教えの影響を受けていると、逐一言及しています。
仏教からは慈悲思想、運命に任すという平静な感覚、神道からは主君への忠誠、禅からは瞑想、仁思想からは道徳的教義。
さまざまな思想が土壌にあり、独自性を帯びて発展していったことに、納得がいきました。
また、神道の神学には「原罪」の教義がないと、キリスト教との根本の違いも指摘しています。
謙信が敵の信玄に塩を送った逸話や、須磨の浦の戦での敦盛と直実のエピソードも織り交ぜて語られます。
菅原道真が失墜した時、一族を根絶やしにしようとするライバルにより、彼の子供も殺されかけたところを、年格好がそっくりの少年が身代わりになり、命を落としたという話は知りませんでした。
日本の愛する桜と欧米人が愛するバラは、華麗さ、香りの強さが対照的で、正反対の花だとしています。
控えめにはかなく散っていく桜に自己を投影する日本人像を、外国の読者はどのようにとらえたのでしょうか。
著者によると、騎士道はアンリ二世が殺された1559年で廃止され、武士道は1870年の廃藩置県で終了したとのこと。
もはやどちらも、過去の美学となってしまいましたが、形を失った今でもなお、その香りは残っているという表現で、文章は締められています。
古めかしく、多少読みにくさはありますが、格調高い美麗文。
著者は英語でしたためたとのことで、原語もさぞかし美しいのだろうと思います。
日本の中で、日本人に囲まれて暮らしていると、当たり前にしか思わない考え方でも、海外の異文化に身を置いて日本を鑑みる著者のような国際人にとっては、その思想や感覚は客観的に独特であり、文章にして広く世に伝えるべきものと思えたのでしょう。
今はもう失われた武士道精神だけに、私たちにとっても過去の武家社会の思想を知るよすがとなる、貴重な資料となっています。 -
“流れ”。
僕が最近よく考えるものです。
「人は無意識に、過去からの流れに乗って、言を発しているのではないか?」という疑問を抱き
日本の過去からの流れを読み解くには、『武士道』だ。
っというわけで読み始めました。
過去の日本の常識は、“滅私奉公”だったと伺えます。これは男子であれ、女子であれ。
だから日本に“個”という意識は、新しい日本人意識なのだと思います。
昨今いろんなところでズレが生じているのは、このためだろう。
新渡戸氏は日本には、経済的利の観念が日本にはないというけど、僕は違うと思います。
滅私奉公も、当時からみれば利だったから、大方の人はその利を選び、滅私したといえないでしょうか?
日本の風土・文化などから生じる、無意識から発するものは何か?という答え探しの旅は、まだまだ続きそうです。 -
本書は日本人が失いつつある、しかし日本人の意識の根底に今でもある武士道について、新渡戸稲造博士が英語で叙述したものを矢内原忠雄氏が邦訳したものである。「武士道」はしたがって元の著作は英語であり複数の邦訳が存在する。けれども、おそらくこの岩波文庫版が最も読まれているものだとおもう。
「武士道」は欧米の知識人に向かって書かれたから、その内容も自ずと格式高い。しかし、博士は古今東西の偉人哲人の著作を巧みに引用しつつ我が国の精神思想の特異さを際だたせることに成功している。キリスト教のような万人が信仰する宗教がない我が国の高い精神性はどのようにして産まれたのか、またどのようにして発展していき高められたのか、この小著は雄渾な叙述で解き明かす。
読んだその日から自分の生き方に凛としたものが纏うだろうこと疑いない。読んでみて後悔のない一冊だろう。 -
新渡戸 稲造 / 岩波書店
あまりに有名な本で、解説は不要でしょう。
一度、ちゃんと目を通しておきたかったという気持ちが以前からあって、書店で目にした「読みやすくなった」という帯につられて購入。
し、しかし。。。難解とは言わないまでも、一文節が長い文語調で読まされたのでは、どうしても集中力が維持できません。ストーリーさえ解ればいいや、といういつもの娯楽小説を読むようなわけにはいきませなんだ。
(2009/5/8) -
武士道を体系的に解説している。だいたい儒教の解説。現代でも大和魂・侍魂などと称されるものがこの武士道精神だと思う。
将来的に物質面での成功を求める功利主義と道徳はキリスト精神のみ生き残ると予想している。実際功利主義は完全に現代社会の大前提の思想となっている。キリスト教は力を徐々に失い無神論者が増えている。現代の道徳を担っているのはどこなのか自分は知らない。 -
義理の解説に納得するものです。
キリスト教文化圏の人が「愛」を動機として為すべき、と教えられ身に付けている家族や隣人への行為を、
日本人は、たとえ愛が不足している場合でも「義理」を感じて実践する事が出来る。
と、僕は理解しました。
逆に言うと、日本人に「愛」を求めるのには無理があると思いました。
例えば、「義理」として家族の看病をする日本人に、「愛」を以て看病をしろ。と求めると、少々酷なように思います。
義理として看病するにしろ、
愛情をもって看病をするにしろ、
実際のところは同じ事をしているのですから、あえて
「愛情を以て接しなさい。」
と言う必要は無いと思います。
アメリカのテレビドラマなどを観ていると、恋人同士は頻繁に言葉で愛情がある旨を発言し、確認しています。
本書を読むと、
「なるほど、キリスト教文化圏で育った人は、家族や近しい人へ接する際には、根拠として愛が必要で、それを表現する訓練をしながら育ち、平然と表現できるのだな。」
と理解出来ました。
ただし、これを日本人に求めるのは、やはり無理だと思います。
例えば、しばしば
「子供に愛情がわかず悩む」
と親の嘆きを耳にしますが、
僕はそんなときに
「日本人なら当然です。愛情が沸かずとも、義務として接してあげましょう。」
とアドバイスをするとずいぶんと楽にしてあげられるのではないかと思うのですが、いかがでしょう。
家事や、家計のための収入を得るための仕事を、
義務として為しているときに、
もし愛情の裏付けに不安を持った時には、是非とも思い出したいものです。
「愛」の裏付けを必要とするのは、キリスト教の文化で育った人の考えで、
あらかじめそのように育てられた人にしか出来ないもので、
日本人は「義務」として世話をすれば良いのだ、と。
もし、「愛」があるのか?と疑問に思ったら、それはアメリカのテレビドラマの見過ぎだ、と気づきたいものです。 -
冒頭の教授との対話の中で「宗教なくして如何にして道徳を学べるのか」という価値観の違いに、なるほど日本固有の道徳観というものが語られるのだと悟る。
昔の武士と言えば、野蛮なイメージを持たれがち(特に当時の時代背景を踏まえ、その時代の外国の方から見れば尚更)と思うのだが、弁明するでなく堂々たる文体で描かれている本書は、日本人としては一度読んでおくべきと言われても納得
新戸部博士の思慮深さもよく伝わってくる。5千円札の人物は伊達じゃなかった() -
日本人の精神の根底にあるものの一つが武士道なのかなと読んで思った。武士の生き方から武士が社会に与えた影響、今にもつながる武士道の教えが書かれていた。まだ消化しきれていないが、日本人の心の一部を改めて考えることができる本だった。
-
日本古来の武士道の精神を学ぶべく本書を手に取った。武士道は、仏教の禅の考えを基本としており、
武芸を超えた思想の領域を知るには、瞑想により達することを学んだ。
義、名誉、刀、礼などに関する考え方が武士道に通ずる項目として書かれていた。
切腹の作法も書かれており、表情を変えずに極度の冷静な死は、武士としての美しい死様のように感じた。