大学とは何か (岩波新書)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004313182

作品紹介・あらすじ

いま、大学はかつてない困難な時代にある。その危機は何に起因しているのか。これから大学はどの方向へ踏み出すべきなのか。大学を知のメディアとして捉え、中世ヨーロッパにおける誕生から、近代国家による再生、明治日本への移植と戦後の再編という歴史のなかで位置づけなおす。大学の理念の再定義を試みる画期的論考。

感想・レビュー・書評

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  • 中世ヨーロッパで誕生した大学がどのような変遷をたどって現代の姿になっていったのかを丁寧に紐解いた1冊。
    世界の流れ、日本の流れをたどりつつ、現在の大学を取り巻く数々の問題にも言及しています。

    過去にも大学は瀕死の危機に追い込まれ、再び蘇り、今日に至っていました。
    その最初の危機は、グーテンベルグによる印刷術の発明というメディアの大革命の影響を受けており、現代の大学もまたインターネットの世界的な普及というメディアの大きな転換点に立たされています。
    歴史的な背景を知ることで、大学の現状や将来の大学像について考えるための材料を得ることができたように思います。
    大学をメディア、すなわち「知を媒介する集合的実践が構造化された場」として見る…この視点は意識しておきたいと思いました。
    消化不良の箇所もあるので、集中できる環境で再読したいです。

    図書館で借りて読んだのですが、かなりくたびれた外観だったので随分前に出版されたものだと思っていました…が、奥付を見たら2011年刊行とのこと。
    くたびれた姿は、多くの大学人が本書を手に取りタイトルの問いに向き合った証のように感じました。

  • 中世ヨーロッパからの大学の起源から、歴史的な大学の成り立ちや変遷を、その時々の時代背景や多大な影響を与えたキーマンなども含めてしっかりと述べられています。中世はさすがにイメージしづらいですが、後半の明治維新以降の帝大や私大の成り立ちやその後の臨教審・大学審議会を受けての環境変化は興味深く、そして今の大学が抱える問題は簡単なものではないことがあらためてわかりました。
    自由を基本原理として、人と人、人と知識の出会いを持続的に媒介するメディアが大学であり、自由の空間を創出し続けなければならない、と述べられています。
    大学を取り巻く状況は危機的ですが、それを乗り越えていくこともまた、大学の使命だし、大学に関わる人だけに任せるものでもないという気がしました。
    読破はかなり難解でした。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/705917

  • 世界(欧米)の大学の歴史と日本の大学の歴史。それぞれに国家や宗教,産業,民衆との関係が表れる。
    日本の学校制度(大学)も始めから今のような仕組みではない。江戸時代→明治維新→産業殖産・富国強兵→世界大戦→アメリカ占領→学生運動→人口動態に合わせた対応→グローバル(米国)スタンダードへの表面的追随→?
    本書は大学とは何かについて大学教育に関わる人が知っておくコモンセンスかも。

  • ふむ

  • 半分が西洋の大学の歴史で、残り半分が東大中心の帝国大学の話である。教員養成大学についてはほとんど説明していないので、東大生向きの大学の説明となろう。

  • 大学の系譜的解説。実は大学も多義的なことが理解できた。かなり中身が厚いので再読の価値あり。一応世界史、メディア、リベラルアーツの軸があるらしい。
    ①中世大学
    欧州経済圏の中の自由都市に流浪の知識集団が定着したのが始まり。ボローニャに代表されるように法学(医学)が優越するが、アリストテレスのイスラム再輸入で神学(学芸諸学)のパリも発展。しかし托鉢修道会の浸透と宗教・領主による分割で大学が硬直し衰退。
    ②国民国家による再発見
    専門学校・アカデミー(実学研究)・印刷革命による出版(知識人網)産業の中、独でカントの「理性と有用性の峻別(哲学の理性の自由)」と共にフンボルトのナショナリズムを背景とした主体的国民育成の為の「研究と教育の統合(=文化)」による個人陶冶が大学を甦らせた。英国では「リベラルな知」として哲学が文学(シェイクスピア)と理学に分割され、米国は大学院(学位制度)を作った。
    ③帝国大学
    啓蒙ナショナリズムから儒学国学に代わって洋学が導入し、実学中心の官立専門学校を統合した「天皇=帝国」の大学として帝大が設立された。主導者森有礼の思想に天皇制とプロテスタンティズムの結合体のもとで国民は主体化する事があったのは面白かった。帝大が広がるにつれ、東大は管理、地方帝大は社会設計、植民地帝大はその両方の分科大学が設立された。また、福沢諭吉の流れを汲む私学や岩波中公の出版業が帝大システムと結合し、教養読者層に支えられた創造知空間(吉野作造等)を形成した。
    ④戦後大学
    南原繁は専門知と総合知の統合を目指し、旧制高校を廃止した。が、大学モラルは崩壊し、対抗運動としての学生闘争も潰えた。高度成長に伴う大学大衆化と理念の矛盾は46答申以後も規制緩和やサービス産業化に於いて継続し、公社構想や法人化、大学院の問題、「学生が大学を選ぶ」などでも噴出した。底流には大学の意義問題があった。筆者は、国家・企業社会に次ぐものは何なのか問題提起している。キーワードは国民国家の退潮とデジタル化(→空間的拘束からの解放・中世大学への再移行)、卓越性(→思想的拘束からの解放?)である。

    終章が非常に難解(特に脱指示化あたり)だった。エクセレンスとリベラル知の関係は表裏一体と感じたが、違うのだろうか。

    自分はコスモポリタニズム的な考えに懐疑的なのだが、一方で多国籍企業・大学を含めた一大市場が形成されているのは理解できる。しかし、教える側と一部の知識層はその波に乗れるだろうが、大衆はどうなるだろうか。大衆教育という役割を大学が担ってしまった以上、トップ大学とその他で分断が生じてしまわないだろうか(G型L型)。国民国家が希薄になったとして、世界規模の新階級が形成されたらそれはそれで怖い。そうしたときに中世大学の結末が気になりもう一度最初に戻り、歴史の循環性を疑うのもなかなか面白いものである。2021/1/23

    (注:その後丸山眞男の議論を読み、本書の議論の流れが丸山の議論を踏まえていることがわかった)

  • 「大学」という定義が歴史的にいかにゆらぎ、崩壊し、形を変えてきたのかを概観できる。「大学とは何か」に答えることではなく、この問いが成り立つ複数の地平の歴史的変容を捉えた本。
    あとがきでは、大学は自由を基本原理に据えたメディアだと定義。
    Keyは、「自由」やキリスト教思想、大学と出版文化の関係、にありそう。
    印象的な問いは「大学は誰のためか」。

  • 大学の歴史を俯瞰して、大学とは何か、という問いに迫る。
    大学は中世ヨーロッパに端を発し、都市を基盤にして発展する。
    しかし、16世紀以降に印刷技術が発展し、越境的な知のネットワークを構築する。大学はこれに取って代わられる。
    19世紀になると、ナショナリズムを背景に研究と教育の一致という理念をかかげた国民国家型の大学が誕生する。翻って日本では、明治維新期に分野を先導する各国の学者を呼び、ひたすらに学知を移植する。そして戦後の複線化されていた高等教育機関の大学への一元化、大学紛争の混錬、文科省の大綱化、大学院重点化、国立大学法人化の施策について触れる。
    これらを踏まえ、大学とは何かといことを考える際、筆者は1.国民国家が退潮する方向に向かっていること、2.今後数十年、数百年にわたり人類が取り組むべき重要課題は、もはやどれも国境を越えていることを指摘する。大学とは自由の意志であるが、資本主義もグローバル化も重層的な一元的でない知的運動を旋回させている中で、開発や発見だけでなくマネジメントにも注力する専門知の在り方の模索を説く。
    この本が執筆されてから10年を経ているが、コロナ禍により大学の在り方がまた大きく変容した。早いうちに『大学は何処へ』を読もう。

  • ちょいむず

  • 大学の歴史をなぞるのに役立った。大学は普遍的なようであって実はそうではなく、時代や環境の変化とともに変わっていることは大事な事実だと思う。これからの大学がどうあるべきかは過去の延長上からは定義できないことだけはハッキリしたかも。

  • ・読み終わって感じたこと
     中世と現代が似ている点について、人の動きやグローバル化の視点から考えるることは面白く感じた。浅い感想になってしまうが、少しずつ変わりながらも大きな流れとしては歴史が繰り返されているように思えた。
     様々な国・時代で理想とした教育や国家像があったことを知ることができた。
     人類的普遍性への意志、というものが、大学を始めとする学問の本質だと理解した。
     

    ・面白かった点
     大学という機関を軸に、中世から近代、近代から現代にかけてのヨーロッパやアメリカ、日本の歴史を知ることができ、歴史物としても面白かった。
     学生運動により、学生が真面目になったという話も面白く感じた。
     

    ・好きな文章
     大学再生の原点に位置するカントは、〜神学部、法学部、医学部の三つを上級学部、哲学部を下級学部と名付け、〜その両者の間にある緊張感ある対抗関係が存在しなくてはならず〜
     
     今後数十年、それどころか数百年にわたり人類が取り組むべき重要課題は、すでにどれも国境を越えてしまっている。〜地球史的視座からこれらの人類的課題に取り組む有効な専門的方法論を見つけ出すことや、それを実行できる専門人材を社会に提供することが、ますます大学には求められていくであろう

     次世代の専門知に求められているのは、まったく新しい発見・開発をしていくという以上に、すでに飽和しかけている知識の矛盾する諸要素を調停し、望ましき秩序に向けて総合化するマネジメントの知である。


    ・おすすめする人
     文系や理系というくくりにもやもやを感じている人
     日本の大学に疑問を持っている人

  • 「~とは何か」と問う人間にロクな人間はいない。という蓮實重彦に抗いつつ、究極の答えを追求するのではなく、定義の変遷を歴史的に解明する事を試みた力作である。
    大学の歴史とはすなわち、人類が知や教養をどのよう捉え、扱い、関わってきたかの歴史でもある。中世型(アリストテレス)→近代型(カント)→帝国型(森有礼)→アメリカ型(南原繁)と大学のあり方が変化する中で、没落・復活等々を繰り返しているのだが、これは大学が政治と宗教の間で揺れ動きながら攻防してきた歴史でもある。また、その歴史過程では科学技術(印刷革命やIT革命)が知の広がりやネットワークに大きな影響を与えてきたという事も考慮すべきである。
    著者は国民国家の退潮(資本主義の隆盛)による今後の大学のあり方を課題として上げている。しかしながら、本書出版後は、反グローバリズムに伴うナショナリズムの勃興により、国民国家が復活しつつあるように思える。また、コロナ騒動により大学の講義は全てオンライン化されるという科学技術による大きな変化や影響もある。他方、9月入学論といった、グローバルスタンダードへの準拠という流れも生じつつある。このような情勢中、大学のみならず、知や教養のあり方がどのように変容していくのかを注視していきたいとあらためて思う次第である。

  • ◆5/24 シンポジウム「自由に生きるための知性とはなにか?」と並行開催した「【立命館大学×丸善ジュンク堂書店】わたしをアップグレードする“教養知”発見フェア」でご紹介しました。
    http://www.ritsumei.ac.jp/liberalarts/symposium/
    本の詳細
    https://www.iwanami.co.jp/book/b226105.html

  • 【電子ブックへのリンク先】※スマホ・読上版です!

    https://elib.maruzen.co.jp/elib/html/BookDetail/Id/3000072885

    ※学外から利用する場合は、「学認アカウントを・・・」をクリックし、所属機関に本学を選択してキャンパスIDでログインしてください。

  • 信州大学の所蔵はこちらです☆
    https://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB0624029X

  • 大学とは何か、タイトル的に大きなテーマだと思う。11〜12世紀に大学が誕生して以来のヨーロッパでの大学の歴史、そして日本の大学の歴史を振り返る。中性的モデルの発展、印刷革命と宗教改革などの近代モデル、帝国大学モデルを説明してきた。そして、今後の大学の展望を語る。

    知識の基盤として大学教育が成り立っていた過去と違い、現在ではテクノロジーの変化もあり、大学という場所に限らず、いくらでも存在する。本当に大学とは今後どんな意味を持つのかが問われている。著者的には大学は必要だが、個人的には知識を学ぶ場所という点では大学という場所はもう古いと思う。

  • 力作と思えるのだが、そもそも大学の成立とは・・の歴史が延々と続くので力尽きた。

  • 中世のボローニア、パリ大学に始まり、イギリスのオックスブリッジ、そして19世紀のドイツでナポレオンの仏に押される中で、知の先進国としてのフンベルト大学の隆盛、そして20世紀はジョンズ・ホプキンス大学から米国の時代に。中世から近代にかけて大学が衰退し、近代知のパラダイムが浮上した時代があった!大学が学問的想像力を失い、古臭い機関に成り下がった時代があった!デカルト、パスカルスピノザなどが大学と縁があったのか!との指摘は興味深いものがある。日本の大学がドイツのフンベルト型大学をモデルに帝国大学を導入したとのこと。森有礼の理想、そして戦後は南原繁の考え方とプロテスタンティズムが日本の大学の方向性決定づけたと言うことは興味深い。市立大学の全盛から今日の市立大学の危機の時代を迎え、このように原点に立ち返って大学を考えることは重要なことだ。

  • 大学を「コミュニケーションメディア(=媒介)」の一種と捉え、大学再定義を試みる。しかし、大学は「何々である」という普遍的な定義ではない。中世の都市、活版印刷(出版)の出現、近世の国民国家の出現と共に大学の定義は揺らいできた。ネットの出現により、メディアとしての大学の位相も劇的に変化しつつある。現在の最も大きな位相の変化は「国民国家の退潮」である。そして、国民国家の中で設立された旧制大学(特に帝国大学)モデルは、大きな転換が求められている。そのキーワードは「マネジメント力」であるようだ。
    教育面でのマネジメント力の強化のキーワードは、「リベラルアーツ」である。従来の「教養」とは異なる、「リベラルアーツ」を中世のそれをモデルにして再構造化するというものある。つまり、上級学部である「神学も法学も医学も秩序の知で、様々な矛盾がひしめき合う中で、いかに秩序を保ち、その状態をマネジメントしていくかという問いに対する答えを、神の秩序と社会の秩序、そして人体の秩序の3つのレベルで提供してきた」が、ここで生じる「諸々の矛盾する要素を総合的に結びつけ、安定的な秩序を創出するマネジメントの専門知」としてのリベラルアーツに注目し、次世代の専門知として求められるのは、「すでに飽和しかけている知識の矛盾する諸要素を調停し、望ましき秩序に向けて総合化するマネジメントの知」であり、その再構造化としてのリベラルアーツの必要性を訴える。確かに中世の大学では、学生や教師の移動性や共通言語を有していた点も、現代の大学に通じる。グローバルな社会の中で、中世の大学の成功と失敗から学べる点は多い。

  • 2011年刊。著者は東京大学大学院情報学環教授。◆内容は、転換期を迎える日本の大学をキーワードに、大学の世界史的な起源、変遷、日本への移入、日本国内での変遷を分析し、大学の将来像を提示。大学が人・情報等の知のネットワークの媒介(ハブステーション?)役を果たす指摘は、興味深い。また、よき主権者となってもらうための国民教育は現代普選下では大学までの教育で賄うべき。一方、大学教育の期待が官僚・給与所得者養成にあるとはやや時代錯誤で、知の行き着く先が国内に止まらない点、研究者養成が大学機能の一部にすぎない。
    大学の現代的な機能を先のように解釈するのは、やや理想主義にも感じるところであるが、大規模講義形式の打破という意味でも納得の結論である。

  • 骨太な大学の歴史。世界と日本に大きく分けられるが、特に日本の歴史がリアルだ。自由に問いを発する大学の存在は稀有。それを制度的、財政的な、裏付けを持って、長期的な計画を立てることが必須。

  • • P14 カント:神学部、法学部、医学部を「上級学部」/哲学部を「下級学部」
    ○ 下級学部が理性と真理にだけ従い、「みずからの教説に関して政府の命令から独立であり、命令を出す自由はもたないが、すべての命令を判定する自由をもつ
    ○ 大学が大学としてあるためには、両者の間に緊張感ある対抗関係が存在しなくてはならない
    ○ 上級学部は外部の要請に応える他律的な知/下級学部は外部から独立した自律した知
    • P50 大学の知の根源的な普遍主義
    ○ アリストテレスの哲学体系による
    ○ 水平的な普遍主義とアウグスティヌス以来のキリスト教の超越的な普遍主義の矛盾
    ○ トマス・アクィナスによるアリストテレス哲学とキリスト教進学の総合
    § 理性と信仰の絆
    • P60 オックスブリッジの瀕死状態
    ○ 貴族的な規範を選ばれた若者に教える
    • P62 都市の時代→国民国家
    • P66 つまるところ、大学は宗教によってひきさかれ、国家のなかに取り込まれることによって「自由」を失ったのであり、グーデンベルクの「銀河系」が、新たな「自由な学知」を大学以上に過激に実現していく基盤として浮上していったのだ
    • マーシャル・マクルーハン:出版が最古の資本主義 手工業が機械工業に先行
    • P71 16世紀以降、このようにして出版社に媒介される知のネットワークが、中世以来の大学をも凌ぐ知的創造性の拠点となり始めたことは、そうした創造を担う主体が、都市から都市へと遍歴する学生から、むしろ書斎や書庫で大量の本を読み比べる「読者」に変化しつつあったことと対応している
    ○ イスラム地域からのアリストテレス哲学の流入→欧州内の知識の流通と蓄積
    • プラトンの教育の場であったアカデミー
    • 自律によって判断する能力、すなわち自由に判断する能力=理性
    ○ この理性の自由故に、下級学部としての哲学部は大学にとって必須である
    ○ なぜなら理性の自由こそが大学の自律性の根本だからであり、それゆえに哲学部は、自由であることしか望まないという謙虚さから、上位の三学部にとって有用なものとなり、それらを統御するのである
    • P88 フンボルトは,知識がすでに定まった不動のものであるという考えを否定し、知識は教師と学生の対話のなかで絶えず新たに生成されていくものだと考えた
    ○ 内容としての知から方法としての知
    • 帝国大学=天皇の大学

    • 消費社会文化の傾向を強める70年代以降の大学生文化からすればはるかに真摯に大学を求めていた。少なくとも当時は、大学が企業への就職のための通過点にすぎないとは考えられてはいなかった。大学はそれ自体で何等かの価値合理性を有するべきであると信じられていた。

    • P222 大学のレジャーランド化
    ○ もはや自由な対話やエリート養成の機関とは程遠く、学歴獲得をほとんど唯一の目的に就職前の若者たちが束の間の急速を楽しむ通過点
    ○ お客様たる学生を店に誘い込む客引きとなり、彼らに教育サービスを提供する労働者になった
    • P236 大学は誰のものなのか
    ○ 人類的普遍性
    ○ 社会に適応した法人の持続可能なマネジメントと普遍的価値への奉仕、この両面を未来の大学はいかに組み合わせていくべきなのだろうか

    まとめ
    • 大学とは何か
    ○ ①キリスト教的世界と中世都市のネットワーク、それにアリストテレス革命を基盤とした大学の中世的モデルの発展
    ○ ②印刷革命と宗教革命、領邦国家から国民国家への流れのなかでの中世的モデルの衰退と国民国家を基盤とした近代的モデルの登場
    ○ ③近代日本における西洋的学知の移植とそれらを天皇のまなざしの下に統合する帝国大学モデルの構築
    ○ ④近代的モデルのヴァリエーションとして発達したアメリカの大学モデル
    • 大学の再定義する上で、根底的で持続的な位相は何か
    ○ 国民国家の退潮
    • 新たなリベラルアーツ=学問上の結合と離反が繰り返す、一種のリズム
    • 無条件的で前提を欠いたその議論の場を、何かを検討し再考するための正当な空間を見出さなくてはならないのであり、それは「この種の議論を大学や《人文学》の中に閉じ込めるためではなく、逆に、コミュニケーションや情報、アーカイブ化、知の生産をめぐる新しい技術によって変容する新たな公共空間へと接近するための最良の方法を見出すため
    • 大学とは、自由への意志である

  • 大学の誕生と死、その再生と移植、増殖といった世界史的な把握により、大学とは何か、あるべき大学とはいかなるものか、を考察している。また、コミュニケーション・メディアとしての大学という場を考えるところや、リベラルアーツと専門知の関係についての新しい認識の地平を提供するところに本書の特色がある。
    大学の歴史を世界史的に振り返ることにより、本書では、「中世的大学モデル」、国民国家を基盤とした「近代的大学モデル」、「帝国大学モデル」、近代的大学モデルから派生した「アメリカの大学モデル」といった大学の理念型を抽出する。そのうえで、国民国家の退潮が進む現代においては、国境を越えた普遍性への指向を持ち、横断的な知の再構造化をはかる場としての「ポスト中世的国家モデル」が大学のあるべき姿ではないかと主張している。そして、エリート主義の「教養」ではなく、専門知をつなぐリベラルアーツが重視されるべきとしている。
    著者の考える「大学とは何か」という問いへの答えには、共感するところが多いが、その理念を、今、爆発的に増殖している大学のすべてに適用しようというのは無理があるのではないかと思う。G型大学、L型大学の議論はいきすぎとしても、今よりも数を絞った本来のあるべき姿の「大学」を目指す大学と、職業訓練に主眼を置いた大学(大学という名称を残すかどうかは検討が必要)への分化を軸に高等教育機関の再編成が必要ではないかという感想を持った。
    本論とは外れるが、本書で紹介される大学の歴史におけるエピソードには興味深いものが多かった。例えば、東京大学の前身となりうる組織には、儒学を主とした大学本校、洋学を主とした大学南校、医学を主とした大学東校があったが、本来、メインとなるはずの大学本校は、儒学派と国学派の内部抗争で自滅して、大学南校と大学東校の合同だけで東京大学が誕生したといったエピソードといったものだ。
    本書は大学について考えるうえで、なかなかの良書だと思うが、やや議論が観念的・理想論的に過ぎる気はした。本書の議論を実際の大学改革などに活かそうとすれば、もう一段階のブレイクダウンが必要だろう。

  • 今更ながらに読了。大学成立の歴史から、現代の大学に至るまでの歴史的な経緯を分かりやすくまとめている。特にメディアとしての大学という観点は、これからの大学の在り方を考える時に必須の視点ではないか。大学にかかわるすべての人に読んでもらいたい。

  • 中世ヨーロッパを起源とする大学の歴史をコンパクトに解説.全4章構成で前半2章がヨーロッパ,後半2章が日本の大学を取り上げる.
    具体的には1章が中世ヨーロッパの古典的大学モデルを提示し.2章が近代ドイツを舞台として,フンボルト理念とそれに基づく近代型大学の誕生を描く.
    一転して3章では明治維新により近代化を目指す帝国日本が,当時先進国であったヨーロッパからいかにして学術体系,いいかえると知を輸入しようとしたのかを,帝国大学の誕生から叙述する.4章では敗戦によって崩壊した帝国日本がいかにして新生民主国家として再生するのかを,その一方で大学が戦前からの連続性を維持し,結果60年代末の大学紛争において事実上の解体を迫られていたことを指摘する.

  • 著者の講演があったので予習として読むつもりだったのかな?

  • 【推薦文】
    中世から現代にかけて、各時代の大学が登場した背景と、大学の特徴、変貌ぶりが論じられており、さまざまな視座で、「大学」について考える機会を与えてくれる良書。
    「大学の第一の死」を迎えた16世紀の様子が、現在の大学が置かれている状況と似ている点が興味深い。

    【配架場所】
    大岡山: B1F-文庫・新書 081/Id/1318

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著者プロフィール

吉見 俊哉(よしみ・しゅんや):1957年生まれ。東京大学大学院情報学環教授。同大学副学長、大学総合教育研究センター長などを歴任。社会学、都市論、メディア論などを主な専門としつつ、日本におけるカルチュラル・スタディーズの発展で中心的な役割を果たす。著書に『都市のドラマトゥルギー』(河出文庫)、『大学とは何か』(岩波新書)、『知的創造の条件』(筑摩選書)、『五輪と戦後』(河出書房新社)、『東京裏返し』(集英社新書)、『東京復興ならず』(中公新書)ほか多数。

「2023年 『敗者としての東京』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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