里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川新書)
- KADOKAWA (2013年7月11日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041105122
感想・レビュー・書評
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マネー資本主義の横に、お金に依存しないサブシステムを構築しておこうという主張。「マネー資本主義は全部ダメだ!廃棄しろ」というのではなく、あくまでもその中にサブシステムを構築するという主張で、極論ではないため馴染みやすかった。
心の片隅にあった「いざと言うとき、自分は何もできないのではないか?」という不安を和らげる術として使える。
NHK広島が携わっているため、中国地方の実例が多く、実際に見て回りたい気持ちになる。まずは周防大島のジャムズガーデンに行ってみたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「デフレの正体」で日本経済の現在の状態を人口ボーナスが終わったからだとし、内需の拡大を提案した藻谷浩介が、その実践例として日本各地の地方の活躍をNHKと共に書籍にまとめた一冊。
ギャンブルなマネー資本主義から小規模ながら安定した里山資本主義へ。これは夢物語でもなんでもなく、過疎化により行き詰まった地方の一部で実践されていることなのだ。
地方再生の為の必読書。 -
思えば、東日本大震災の前の年の秋くらいから、仕事以外の人のつながりが急速に発展していったのだった。
たとえばとある勉強会では、医者、政治家、経営者、クリエイター、公務員が集まっていた。
教育歴史行政、日本のあらゆることを話した。
その中で、地域経済とは結局、なんだかんだといっても、政治行政に頼らない経済作りをしないと意味がないよね。
という話にもなる。
では、どうすれば? ・・・土地のものを土地で産み出し、地域で回すシステム作り、しかないよね。
例えば、山口県の上関では、原発立地問題をもう30年近くやっている。
東日本大震災後の町長選挙では、それでも原発推進派の町長が当選する。
その裏の本音の一つは、中央とのつながりが欲しいお金が欲しいとのことなのだ。
お金とはなんぞや。経済の中に回るエネルギーだ。お金そのものに、実は罪はない。
問題点は、「それでなければダメだ」とみんなが思い込んでいる点だ。
上関問題に疑問を持つ、他の市の会議にも参加。
「結局、問題なのは、経済システムを生み出せない自分たち自身で・・・」
行政から来る補助金に、鯉のように口をあけてパクパクと食べるだけ食べるのだろう。
「住んでいる人に力がつかないと、そもそも、意味がないじゃないですか」
と私が言うと・・・あぁ、ととある地元の政治家が頭を抱えた。
私はテレビ屋だったのにテレビそのものを捨て、自分で世の中のことを考え始めた。
結果、その原発の島は、具体的には解決策は当時思いつかなったけども、私から見ると資源の宝庫に見えていたのだ。
日本全国、問題は原発だけでなく、高齢者の問題や農業などについても、同じような事が言える。
ところでこの本には、国内外の具体的な答えがすべて詰まっている。
時代はシフトする。
豊かさは多様性であり、シェア(共有)するもの。
それは人も自然も区別はない。 -
『デフレの正体』の著者の藻谷浩介氏とNHK広島取材班という奇妙なタッグだが、思いは一致している。それは田舎暮らしに回帰しよう、という単純なものではなかった。
著者たちが提言しているのは、世界を席巻してきたグローバル経済やマネー資本主義に真っ向から対立するものではなく、そのサブシステムやバックアップシステムとしてのモデル構築だ。都市部に人口が集中して電気やお金が使えなくなる不安な生活から、それらがなくても安心して快適に暮らせる生活へ徐々にシフトしたり、意識を慣れさせていこうというものだ。
中国山地の過疎の村で始まっている木質ペレットやエコストーブを使ったエネルギー革命や、脱原発を憲法に明記しているオーストリアでの林業とエネルギーの両立などがほんの一例として紹介されている。「知られざる超優良国」オーストリアの森林・エネルギー政策は、江戸幕府の森林保護政策とよく似ている。昔も今も日本はエコで先頭を走っていると思っていたが、世界にはずっと先を走っている国や地域があることを認識した。
エネルギーを含めた地産地消が進めば国全体のGDPは減るかもしれないが、その分、人や自然とのかかわりなど金銭換算できない価値のやりとりが増えて望ましい、というのが著者たちの結論だが、残念ながらタイトルで損をしている。「里山」という響きには、現代人が作り上げた”虚構”のイメージがあるので、最も読んでほしい頭のいい人たちが最初に拒絶反応を示しそうだ。 -
【読書その60】これもインフルエンザ闘病中に読んだ本。都市部の高齢化対策に関する検討会でお世話になった藻谷浩介氏の著書。様々な地域の創意工夫を生かした取組。
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読了。最初から最後まで自分が今考えてるこれからの社会の在り方、でした。感動!
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ふるさとでわいわいがやがや、ああでもなくこうでもなくと面白おかしく暮らしていきたいそう思いながら生きていて、でもそれって、ふるさとに戻っただけでは決して叶えられない夢。
でも、自分のふるさとで立派にそういう夢を叶えているパイオニアがいることをこの本が教えてくれた。ぼくは勇気づけられた。
改めて、ぼくはリーダーになって、みんなを幸せにしたいと思った。 -
NHK取材班の取材に基づく「マネー資本主義」の補完としての「里山資本主義」について書かれたルポルタージュに、藻谷氏のデータ的な裏づけ・意味づけが加えられた形の本。
頻出する「マネー資本主義」という言葉の正確な意味については、同じくNHK取材班による『マネー資本主義』(http://booklog.jp/item/1/4101283729)を参照する必要があると思われる。
中国山地を始めとした日本でも経済的衰退が激しい地域を舞台とし、お金でモノを買う、お金でお金を買う、お金だけで生きていく、といった生活と異なった生活があることを、個人単位で実例を挙げて紹介している。
人口減少地域が「日本の最先端」であることは、山崎亮『コミュニティデザインの時代』(http://booklog.jp/item/1/4121021843)などでも触れられていて、特に新しい主張ではないけれど、その最先端地域での生活モデルを具体的に紹介しているのが良い。
一方で、良い点ばかり取り上げすぎな感もある。例えば病院への通院とか、山村・島の生活で起こりそうな問題については書かれていない。
とはいえ、本書の中で「里山資本主義」的な手法により、空家を利用したデイサービス事業から、レストラン事業と保育所を自分で作ってしまい、それで雇用まで生み出したという紹介があったので、「小さな地域における社会的な課題は自分たちで解決可能」という考えがベースかもしれない。
『コミュニティデザインの時代』でも書かれていたように、将来的に日本は「行政まかせ」ではやっていけない。本書では「楽しく自分たちでやっている」事例ばかり取り上げられているけれど、「それが楽しくなくても、自分たちでやらざるを得ない状態」になることは想像しやすい。(やらなければ、財政危機でゴミ収集がストップして街中がゴミだらけになった、イタリアのナポリのようにになるだけだ)
でも「どうせやるなら、みんなで楽しくやろう」というメッセージがこの本には込められている気がする。 -
発想の転換。
アベノミクスで経済再生をし、日本「企業」は徐々に豊かさを取り戻している。しかし、日本「人」が豊かさを取り戻すには、それで大丈夫なのか。
仕事がない、生活できない、という理由で都会に出てくる若者が多い。
しかし、里山にも、隠れた資源があり、それを活用することで、十分に生活していくことはできる。
GDPを押し上げ、労働者の賃上げ、インフレ、、、とは逆行するようなことでも、人は豊かに暮らしていくことができる。