タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
3.72
  • (116)
  • (134)
  • (189)
  • (17)
  • (7)
本棚登録 : 2053
感想 : 155
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (189ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061155053

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • これを読まずには組織は語れない、ビジネスパーソン必読の書とのことですが、そうですね。
    論理よりも感情が優先される社会、か。
    50年以上前の発行とはいえ、日本の組織、リーダーへの考えは今も参考になろうと思います。

  • 西欧の理論ではなく、日本社会を日本から眺めて分析しようという本でした。
    まず社会集団の構成要件に、「場」の共有性と「資格」の共通性の2つが挙げられています。場というのは、例えば同じ会社とか同じ学校卒とかそういうもので、資格というのは厳密なルールがあり、同じ職種(例えば旋盤工であるとか)とか、同じ父系一族であるとかというものです。
    で、日本の場合は、とにかく「場」が重視されていて、例えば「家」についても、よそに嫁いでいく娘よりも、家に入る嫁が重要であったり、独立した息子よりも番頭やお手伝いさんが一族的な立ち位置になったりと、血族という資格よりも家という場に属しているということが重視されます。で、「資格」はルールに基づいているので枠組みははっきりとしているんですが、「場」というのは枠をはっきりとさせておかなければ、曖昧になってしまうので積極的に「ウチ」と「ソト」を区別するという意識になるようです。
    そして、「場」による関係性は資格の異なる構成員を結びつけなければならず、必然的に「タテ」の関係が重視されます。一方、資格の共通性による集団は、「ヨコ」の関係が重視されます。「タテ」関係は並列でないものの関係で、親分・子分のような関係です。「ヨコ」は同じ階級同士のつながりとかそういった関係性です。例えば日本の企業は「タテ」が重視され、欧米の働き方は「ヨコ」重視なのではないでしょうか。「タテ」の関係は開放性がある(ネズミ講みたいなイメージ、ヤクザの組織形態ですね)のですが、非常に厳格な上下関係があります。一方、「ヨコ」は並列でお互いに尊重しあえますが、資格外の人を排除するような排他性があります。「タテ」の関係は、開放的ですが、親分を解してしかつながりが持てないために、親分がいなくなると崩壊してしまったり、ある一定の子分を率いて独立するということが起きます。「ヨコ」の関係は、ルールに基づいていますので、親分がいようがいまいがその関係は維持されます。ただ、階級を乗り越えて「タテ」につながることは難しい組織形態になっています。(筆者はインドのカースト制をヨコの例として挙げています。同じカースト同士は非常に結びつきやすいですが、階級を乗り越えることは容易ではありません。日本の場合は、末端同士の同じ立場で団結するというより、どの派閥に属しているかが重視されます)ところで、同期同士はつながりがあるし「タテ」だけじゃなく「ヨコ」もあるという指摘もあるようですが、あくまでも同じ会社という「場」の中の「ヨコ」関係であって、「場」を超えた「ヨコ」関係は成り立ちにくいというのが著者の主張です。

  • 日本という単一民族、閉ざされた環境で育った人達にとって、年功序列は割と理にかなった統率方法ということが理解できる一冊。

  • 固くて読みにくかったけど納得するところいっぱいだった!複数の組織に身をおいてみたからこそ今面白く読めるのかもな~

    「それはそうだけどちょっとold fashionedじゃない?

  • 名著とも言われる本書であるが、とてもそうだとは思えない。
    日本が儒教に影響されている事を知る者は、日本がタテ社会であることを、著者に改めて言われなくても理解しているであろう。
    そこから想像できる事柄を超えて、目新しい事は別に書かれていない。
    丸山眞男の『日本の思想』を読む方が、よほど有益であり、刺激に満ちた読書体験を得られるであろう。
    著者の中根千枝は、社会人類学者である。
    そして、本書で、日本社会の隠れた構造を取り出そうと試みている。
    それが、タテ社会である。
    が、例示に乏しく、あっても、通例、類書である社会学系の書であれば、ふんふんと納得する事が多いのであるが、本書で示された例示に納得する事は少ない。
    また、インド社会などの社会との比較文化論の形を取るが、そのインド社会の記述にも乏しく、あっても、著者のいる学者社会での2、3の見聞でしかなく、著者の言う日本のタテ社会の文化が世界的に珍しい社会なのかどうかの判断ができず、世界での日本文化の位置付けも定かでなく、また、日本社会の文化を浮きぼらせる事もできていない。

    全体として、着想はあったかも知れないが、それを裏付ける事実調査がなおざりにされているのは、社会人類学者として、如何なものか?

  • 《すなわち、社交性とは、いろいろ異なる個々人に接した場合、如才なく振舞いうることであるが、一体感を目標としている集団内部にあっては、個人は同じ鋳型にはめられているようなもので、好むと好まざるとにかかわらず接触を余儀なくさせられ、個人は、集団の目的・意図に、よりかなっていれば社会的安定性がえられるのであり、仲間は知りつくしているのであり、社交などというものの機能的存在価値はあまりないのである。
     同様に「他流試合」の楽しさとか、きびしさもなく一生を終わってしまうというおおぜいの人間が生産される。個性とか個人とかいうものは埋没されないまでも、少なくとも、発展する可能性はきわめて低くなっている。》(p.52)

    《社会というものは、何らかの方法で人口が組織されなければならないわけで、こうした平等主義の社会が発達させた組織は、一定の方式による序列である。能力平等ということを前提とするために、その序列はむしろ個々人の能力自体と直接関係のないインディシスをとることになる。
     すなわち、それは生年とか、入社年・学歴年数ということになる。実際、日本社会において学歴が大きく取りあげられたり、また、それへの反発が異常なまでに強いということは、この根強い能力平等観に根ざしているといえよう。》(p.78)

    《日本社会において、闘争の関係に本当にたっているのは、資本家あるいは経営者と労働者ではなく、A社とB社である。競争者は上下関係にたつものではなく、むしろ隣接し併存するヨコにたつものとの関係である。闘争は対立するものとではなく、並立するものとの間に展開されているのである。》(p.96-97)

    《日本人の「話せる」とか「話ができる」という場合は、気が合っているか、一方が自分をある程度犠牲にして、相手に共鳴、あるいは同情をもつことが前提となる。すなわち、感情的合流を前提として、はじめて話ができるのであるから、お互いに相手について一定の感情的理解をもっていなければならない。したがって、初めて会った人とか、知らない人とかとは、日本人は実に会話が下手であり、つまらない内容のことしか喋ることができないという弱点をもっている。》(p.180)

    《しかし、日本社会の場合、この〔その社会の長い歴史をとおして、政治的、経済的、そしてもろもろの文化的諸要素の発展、統合によってつくられてきた、社会学的な〕条件を支えている一つの大きな特色が存する。それはいうまでもなく、社会の「単一性」である。》(p.183)

    「場」を強調し「ウチ」「ソト」を強く意識する日本的社会構造の功罪を述べる。それにしても、議論の前提となっている日本人の同質性意識に隔世の感を覚えないでもない。もちろんある程度は今も変わらないが、しかし現代人は隣人をどれほど「自分と同じ」と見なしているだろうか。経済的にも、政治的にも、自分たちが横並びであるとはとても信じられないところまできてしまってやいないか。そしてそのうえで、いまだに「初めて会った人とか、知らない人とかとは、日本人は実に会話が下手」なままではないだろうか。

  • 貸出はコチラから          https://libopac.josai.ac.jp/opac/opac_link/bibid/1000113245

  • 分かりやすさ★★⭐︎⭐︎⭐︎
    論理性★★★★⭐︎
    信憑★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
    データや実験等に基づくものではありませんでした。
    少し難しめの文章(古いものなので)ではありましたが、タテ社会・単一社会についてのメリットデメリットの書かれた読み物として参考になるし、ビジネスパーソンだけではなく、代表に立つ学生などにもオススメしたい本です!

  • 21世紀の今改めて読み直すと、確かにここで指摘されている日本社会・組織のタテを意識した情緒的繋がりに首肯する反面、なんら具体的なファクトに基づく議論になっていないと感じてしまう。多分に筆者の主観から全てが始まり、仮説検証の形になっていないのである。古き「社会学」のよろしくない側面が多分に出てしまっている感は否めない。しかしながら読み物としては示唆に富むところは多いだろう。

  • 日本人は、上からヒイキしてもらいたい…

    ・「2017/6/28出光興産の株主総会で、出光興産の創業家は、"昭和シェルとは企業文化が異なる"ことなどを理由に合併に反対の考えを示した」とのことです。

     これは、この本に示されている「成員の全面的参加、家族ぐるみの雇用関係、ウチのもの意識などタテの関係、序列意識、場を強調する日本の組織」と、ロイヤル・ダッチ・シェル(オランダとイギリスの企業)傘下の日本法人である「昭和シェル」が持っていると思われる「欧米的“ヨコ”につながる階層的な文化」との違いを危惧してのことだろうか?

    ・この本を読み終えて、感想・レビューをアップしなければ、と思っていた時に、報道されていたニュースに絡めてしまいましたが、正直、感想・レビューが書きにくい本でした。なぜならば、古い本なので仕方がないのですが、新しい発見をした驚きに乏しかったからですヾ(- -;)

    ・前書きに、遜った言葉があったり、文章が硬かったり、サンプルが少なかったり、変わった本だなあと思いながら読んでいたのですが、50年も前に書かれた本だったのですね。

     かく言う私も思い当たる節が色々とありますが、50年後の現在、上席に座っている人たちは、崩れつつある「タテ社会の人間関係」を守ることに苦労されているようにも見えます。この本が提出している世界は、私たちが普段から意識的または無意識的に順応してしまっている日本の社会でした。

    ・グローバル化が進んでいるのか、私の上司たちは、私よりも若い人たちなのですが、更に上は、年齢的にも先輩なので、タテ社会的な応対を望んでるようにも見えます。私が違和感を感じたのは、ヨコ文字職業の懇親会で、あたかもタテ社会のような空気が充満していた時でした。この本で示されているタテ社会に加えて、タテの上からヒイキしてもらって引き上げてもらいたい、という意識もあるような気がします。

全155件中 31 - 40件を表示

中根千枝の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
エーリッヒ・フロ...
フランツ・カフカ
ドストエフスキー
三島由紀夫
遠藤 周作
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×