カンガルー日和 (講談社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061838581

感想・レビュー・書評

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  • 自分の解釈が足りないのか
    こう言ったも類の表現も楽しめると深みとなるのか、、
    良くも悪くもフワーっと抜けてく

    僕にはまだ早かったかな

  • 18の短編集
    最後のやつは6回連載なので、便宜上23の文章ということになっている

    私が「村上春樹っぽい」と思っている要素が満載

    ~~かもしれないし、~~かもしれない。
    スモークサーモンのサンドウィッチ
    冷たいビールで流し込む
    「よくわからないな」
    やれやれ
    生野菜をバリバリ食べる描写
    スパゲティー
    独特な例え

    村上春樹ビンゴカードがあったとしたら、かなり列が揃いそうな気がする

    ただ、他作品ではやたらと目にするジャズ要素がない
    音楽に関してはビリー・ジョエルとか出てくるけど、そんなに村上春樹っぽく感じないかな




    収録作は以下の通り

    カンガルー日和
    4月のある晴れた日に100パーセントの女の子に出会うことについて
    眠い
    タクシーに乗った吸血鬼
    彼女の町と、彼女の綿羊
    あしか祭り

    1963/1982のイパネマ娘
    バート・バカラックはお好き?
    5月の海岸線
    駄目になった王国
    32歳のデイトリッパー
    とんがり焼の盛衰
    チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏
    スパゲティーの年に
    かいつぶり
    サウスベイ・ストラット――ドゥービー・ブラザーズ「サウスベイ・ストラット」のためのBGM
    図書館奇譚



    よかったのは「カンガルー日和」と「4月のある晴れた日に100パーセントの女の子に出会うことについて」

    「カンガルー日和」は雰囲気が好き
    このあたりが村上春樹っぽさを感じつつ、私が受け入れられる境界だろうか

    「4月のある晴れた日に100パーセントの女の子に出会うことについて」は気障な感じはするけど、構造が面白いし、なんとなくよく感じる不思議


    ユーモアを感じるのは「タクシーに乗った吸血鬼」「あしか祭り」「とんがり焼の盛衰」

    「タクシーに乗った吸血鬼」は発想や最後の彼女への忠告などが良質なショートショートっぽさを感じる

    「あしか祭り」はあしかが何かの暗喩になっているのかと邪推してしまう
    某公共放送、宗教団体、人権団体あたりを思い浮かべたけど、斜めに解釈し過ぎかね?

    「とんがり焼の盛衰」は現代の会社内の評価が、何とも不可解なものになっているというのを表しているんだろうか?


    「鏡」はこんなホラーテイストもあるのかという意外性があった


    「1963/1982のイパネマ娘」はイパネマという言葉にちょっとひっかかった
    まぁ、「魔法少女ちゅうかないぱねま!」を思い出しただけ
    「魔法少女ちゅうかなぱいぱい!」の後続番組ですけど、主演が島崎和歌子なんすよね(笑)

    ただ、「イパネマ」はブラジルの地名だし、「イパネマの娘」はブラジルの曲なので、何の関係もない


    「バート・バカラックはお好き?」は読んだことあるなーと思って調べてみたら、「象の消滅」に収録されてた
    しかも一部の修正と「窓」と改題されて



    総評として
    世間で高評価している人ほどは村上春樹のよさがわからなかったけれど、ちょっとだけよさがわかった気がする
    まぁ、中には今まで通りわけのわからない展開で、読後に「で?」としか思えないものもあったけど、よいと思えるものも含まれている事を知った

    あと、前から思ってたけど、江國香織と方向性が大きな括りでは似ているところもあるというのを実感

    自ら手を出そうとは思わないけど、機会があったら忌避しないくらいには印象が変わった気がする

  • ハルキニストになれる気が一向にしません…
    感性の問題なのかな、、、よくわからないまま終わった。。。。

  • 村上春樹の世界観!!!

  • ①「オスマン・トルコ収税史の日記」は古トルコ語で書かれた難解な本だったが、不思議なことにスラスラ読むことができた。おまけに読んだページというのは隅から隅まで頭に記憶された。頭が良くなるというのは実に素敵な感覚だ、理解できないことは何ひとつない。脳みそをちゅうちゅうと吸われてもいいから、たとえ一ヶ月だけでも賢くなりたいと願う人々の気持ちもわからないでもなかった。

    ②村上春樹ライブラリーに行った時、「大学卒業後、自分が勉強好きなのに気づいた」とディスプレイボードにあった。これはこの作品にもその感覚が反映されているとおもう。知識の吸収を楽しむ、喜ぶ、というのは大切なことだ。

    ③七校でかりた。村上春樹を読むのは初めてだったけど、ジャズが好きで知識がスラスラ出てくる奇妙な文章はなぜか読みやすかった。短編全てが昨日の夢みたいなのもいい、ディティールが詰まりすぎてる感じも面白い。狂ってるだけじゃなくて人間の虚無感・脱力感などの言い表せない感情がシュールにまとめられてて腑に落ちていくのが流石です!

  • 短編集。
    気軽に村上春樹的なものを味わえるのが良かった。
    「バード・バカラックはお好き?」、「駄目になった王国」、「チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏」、「かいつぶり」が好き。

  • 四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子と出会うことについて。

    「可能性が僕の心のドアを叩く」

  • 村上作品の醍醐味は何と言っても深読み!
    自分なりの解釈ができるのが魅力。
    以下、5作品目の『彼女の町と彼女の緬羊』について、ネタバレ含む深読み(隠されたお話し)を備忘録として記載する。
    是非、原文と見比べて読んでほしい。

    表の話の大きく構成は2つ。
    1部:僕と友人の話
    2部ホテルで観たローカル番組(緬羊)の話

    裏の隠された話は
    1部:僕と友人の話
    2部:僕と妻の話  と解釈した。

    1部では、僕と友人を我々と表記して話は展開。この我々という言葉で、読み手はその後も友人との話が展開していると錯覚する。しかし、友人と札幌の街で別れたのに、『何日か後には〜別の道を〜』と続くことで違和感が生じる。
    友人とは、もともと別々の道を歩んでいるから。

    そこで、友人と別れた後の『転換機がかたんと音を立てる』という言葉が効いてくる。転換というのは、友人から妻に代わると解釈。
    我々を指すのは、僕と友人ではなく僕と妻として物語を展開していくと色々な辻褄が合ってくる。
    もちろん、裏に隠されたお話だから、ストレートには表現されてない。文学に詳しくないから、正確なことは分からないが、隠喩を駆使したレトリックを読み解く必要があると思われる。

    『何日か後には我々(僕と妻)は再び別の道を歩み始める。明日になれば500キロも離れたそれぞれの街で〜』→僕と妻は(別々の道を歩む)離婚をし、500キロ(東京と神戸間:自動車道で概ねの距離)離れることから、僕は神戸へ帰る。

    次に、紺のワンピースを着た女の子が『R町をご存知ないでしょうね』に対し、『残念ながら(知らない)』と僕は言っているが、後半『僕は彼女の町の姿を想像することができた』ととても詳しくその情景について語っている。行ったこともない町をここまで思い浮かべられる?とここでまた違和感。
    この部分がまさに隠喩ではないか?彼女は紺のワンピース女の子でありながら、妻をも指す。

    R町の様子書いているが、実は妻が住む町の様子(今まで僕も住んでいた町だから)を思い浮かべられると置き換えられる。本来なら東京だから、もっとゴミゴミした描写となるが、隠喩だから北海道の寂れた町を表現。
    また、妻も作家である僕と同じ物書きで、僕と別れた後も東京の退屈な町で文章を書き続ける様子を思い浮かべているようにも感じる。
    僕と妻の人生は、一度は触れ合ったが、何かが欠けていたため、離婚という結果となったことも分かる。

    妻と別れることの不安は足元のロープで表現。頭から真っ逆さまに落ちるくらい不安だが、実際にはそんなことは起こらない。ただ、僕は僕の町で暮らす。彼女は『何かあったら助けになるかもしれないから、言ってね』とでも言ったのかもしれない。でも、僕は二度と彼女の元を訪れることはない。

    緬羊の意味ははっきりしないが、それぞれの今後の生活を表しているのかもしれない。
    刈り取られた羊毛を指し、これから色々なものに形作られるものとしてのこれまた比喩かと。
    彼女は、心機一転(消毒して)新しい生活をする。僕の生活は、暗く雪が降り続いているけど、たくさんの新しい生活(百頭の緬羊)が待っている。ただ、闇の中と表現しており、少々不穏なイメージに感じる。

    その他の深読みとメモ

    ①転換機がかたんの前の、『まあ、元気でね』『うん、そちらこそ』は僕と妻の最後の言葉。

    ② 僕の友人も、実は妻と別れてる?
    友人の息子には、6才の息子北斗くんがいる。
    定期入れにはいつも3枚の写真が入っていている。
    それもおそらく北斗くんだけか映った写真。『いつも』の部分は、いつも同じ写真が入っていると取れる。限られた写真。そして家族写真ではない。
    このことから、友人も何らかの事情で、北斗くんとは別れて暮しているのでないか?と推測できる。

    ③10月23日(金)は1981年
    →この作品が書かれた時期。
                     以上

  • 再読。ワンダーを憑依した佐々木マキの画が添えられている贅沢な短篇集。

    頬に色彩をたたえて、親密で個人的なトンネルが作中人物によって掘られる。言葉の意味と流れと呼吸、じっと作中人物の声に耳を澄ませて。うまく自然に有効に多様な姿勢で物語の中に入り、厄介な偽装だらけのなぜか知ってしまっている「知」の前で、時を刻んだ頬の時計に視線を合わせ立ち止まれるように、疑うことをやめられない大量のイメージを頭に捩じこもうとした。

    『チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏』は春の晴れた日に開くこと。ささやかな幸せに心が満たされる。

  • 時々楽しかったけど、やはり、私は村上さんの作品は長編の方が好きだな

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著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

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