- Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062173988
感想・レビュー・書評
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【1回目読了2012.12.29 22:30】
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思想書とは、かくもスリリングで夢に満ち溢れたものだったのか?
そもそもルソーについての知識なんて「沖雅也似で『社会契約論』を書いた人」程
度しかない、そんな僕でもわくわくしながらページをめくり続けた。
本書は「社会契約論」の核となる難解な概念「一般意志」についての初歩的な解説に始まり、情報技術により可視化した「一般意志2.0」へとアップデートすることにより、民主主義の新たな可能性を(筆者は「民主主義2.0」と呼ぶ)語る。しかも、「空気を読む」ことと情報処理の扱いに長けた日本人こそが、「一般意志2.0」の実装に一番近い場所にいるかもしれないという。
世界は複雑になり過ぎ、社会は閉塞感に満ちている。「民主主義」に代わる新たな社会の仕組みを渇望していた矢先の「民主主義2.0」という概念は、否応なしに期待してしまう。
ただ、民主主義2.0の具体的なイメージがニコ生というのは、ちょっとがっかり。今なら「ビッグデータ」への展開だろうに。
これについては、「サブテクスト」と著者自身が公言する「ウェブで政治を動かす」(津田大介 著)に期待する。 -
東浩紀は未来の夢を語る。ルソーの一般意思の後に、フロイトの無意識を持ち出したのは脳科学にとっても、とても魅力的な説だ。経済や政治の世界でも脳科学的手法が取り入れられる昨今、分野を超えた横の共通言語、もっと言えば人間と動物をつなぐ共通言語を持とうとする意思(これは無意識に形成されるものでないと私は思う)。無意識の私的なつぶやきが政治や思想に影響するという東の考え方は、自分が他者との関わりから避けられない人間である限り、その事実自体を出来る限り自覚的に期待して待つという心構えを示しているように思えてならない。
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言葉のデータベースを可視化するといったいどんなことになるのだろう。
混沌とする日本の政治。
国民としてどう政治と関わるのか、考えさせられました。 -
5年後ぐらいに評価される本だと思う。
読んだ人ならわかると思うけど、実際のタイトルは
フロイト ルソー グーグル ニコ生になるべきだよね! -
ホップズ・ロックに続いて読んだので、つながりがあっておもしろかった。ルソーが述べたのは、一般意思によるコミュニケーションのない政治。ウェブ上に集積された人々の意思がデータベースとなり、人民の総意として可視化され、それによって政治が決まるわけではないけれど、政府の手綱的役割をはたすのではないかという、視点がおもしろかった。
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とりあえず、自分にとっては哲学や思想といった分野は未知です。ぶっちゃけ、小難しくてようわからんってことです(笑)
題名(一般意思2.0ルソー・フロイト・グーグル)にあるようにルソーが思想家でフロイトも聞いたこと位はあるし、グーグルは言わずと知れている検索サービスで、一般意思の2.0、Ver,UP=ネットや情報技術を取り入れることで今の社会や政治などをもっと円滑に、つまりネット選挙の全面開放などの話なのかな~っと、そこらへん帰結するのかと思って読み始めたけど、いやいや全然。深かったです。 確かに、ネットやグーグル、そしてツイッターなどのSNSの登場がなければ話は進まないとは思いましたが、それらは可視化するツールでしかなかったし、最初に抱いていたネット選挙の全面解禁といったところに留まらなかった。
ますます、難しい(汗)ただ、夢のあるフムフムっと思える箇所は多かった。政治ってなんだろうという所すら、よう分かってないから尚のとこ理解・思考に乏しいのかもと思わされもしたけど・・・。
政治が遠い、民主主義が遠い、むしろ代弁されてないし、されていても僕らの意思や要求とはかけ離れているんでないか?っと思う、今の状況を情報技術とデータ・ベース化用いることが出来るようになってきた現代、さらに進んだ可能性として、ツイッターなどで非政治的・非社会的といわれるような人も含めてすべての人の意思・要求を垂れ流しにさせて集積し、政治や市場での物事の決定を下す議論の場で多くの意思から作られたデータ・ベースから多くの人意思の総意や傾向を瞬時に可視化して表示するような場面を想像すると面白いし、決定権はないにしろ無視はできず、おのずと政治や市場での決定に影響を与えられる。オープンで透明性もあり何より自分達の意見が集約はされるもののダイレクト感がありそう。そして、双方向でもあるということが大きいな~っと。
他にも様々な、夢のようなお話が織り込まれていました!
最後に、50年後・100年後の想像が掛れていますが、それはそれでまた夢物語のようでもあるけど、グローバル化・透明性が突き詰めていくとあながちありえない世界でもないな~っと。
国家・政治・公共・個人・幸せ、客観的に物事を見る、そして妄想したり(笑)想像したりして物事を頭で回すという楽しみをさせてくれたな~(最後が一番、曖昧な感想だな。) -
20世紀政治思想の中心をなしてきた討議民主主義の時代はソーシャルメディアの登場によって変化を遂げる。代議制は非代表者(市民)の無意識によって構築されるツイッター等のソーシャルメディア(データベース)の活用によって制約を受けることにより、ルソーが「一般意志」として構想した市民全体の意志を数値的に集計し反映した民主主義が成立すると主張する。思想史的なルソー解釈の問題はあれど、ソーシャルメディアやインターネット空間の発達が民主主義に小さくない影響を与えること、またそのような仕組みが構築されるべきとした筆者の議論は今後議論されていくべきものと思う。政治の行方に制約を与えるソーシャルメディアへの参加者の問題(例えば、非有権者である未成年の意見をどのように扱うのか)等をもう少し深く聞いてみたい。
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ネットが政治をどう変えるかを、本質的に迫った好著。ネットが議論を促進するのが大事なのではなく、ネット上の集合知が「一般意志」であるとのコンセプトは出色。
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キーワードは専門家あるいは知識人と大衆。
以下3冊分の感想。
東浩紀「一般意志2.0」⇒エドワード・バーネイズ「プロパガンダ」⇒ノーム・チョムスキー「メディアコントロール」
チョムスキーさんは知識人がふがいないと嘆く時点で、知識人によって世界を動かすバーネイズのプロパガンダと表裏なんじゃないのかなーと。
チョムスキーさん読んでると、知識人や専門家が物事をよく知って見渡せた上で大衆騙すためにウソをメディアに書く、という捉え方なのかなと思うのだけど、知識人や専門家って知っているふりをしているだけでそんなにすべてを見渡せてはないのだと思う。それこそ、アメリカ合州国の民主主義という正義しか目に入らないワケで。
間違いも、あとから、ああ、あれは間違ってたね、となったり認めもしなかったりなのだけど、発言や報道時点ではまったく間違いでなく真実だという確信や信念を持っているワケで、それを攻め立てたところで、大衆を騙したというよりは単に多くを見ることができない愚か者だったというだけなんじゃないかと。
私自身がよく知った例でいうなら、日本で演劇の専門家ぶった人が日本列島の演劇を見れているワケではないという。
一方で、東さんの「一般意志2.0」は専門家とそうでない人たちが入れ替え可能ということで、専門家あるいは知識人と大衆が、騙し騙される一方通行な関係ではない。
一人の人間が処理できる情報や知識というのにも限界があるのだから、適材適所というか、できる人ができることをというか、それぞれに知っていることを言い合って共有するというか、それでいいんじゃないかと思う。