一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062173988

感想・レビュー・書評

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  • 一般意志。無意識の全員の望み。面白い概念だ。
    「本」に連載されたものをまとめたものなので、同じ話が何度か出てきたりで、少ししつこい感もあるが、例えとしてあげられる話もわかりやすく、面白い。読みやすい。

    70や122ページの一般意志の説明分かりやすい。

    メモ。。。
    熟議による全体意志。選良(代議士)による政治に対して、一般意志、大衆の無意識を可視化したものが牽制する。

    選良が大衆にしたがうわけでも、理性が欲望に従うわけでもなく、欲望を可視化することでむしろ理性の暴走を抑制するのが狙い。具体的なイメージとしては、民主党の事業仕分けの時のニコ動の中継。一般意志と言えるかどうかは?だが、数々のつぶやきが議論に影響を与えた。
    マスコミと2ちゃんの対照的な捕まえ。2ちゃんが正しいわけでもなく、マスコミが正しいわけでもなく、マスコミも牽制を受け始めている。
    大衆の呟きを抑制力とする。ポピュリズムとは異なる。

    大衆の無意識を徹底的に可視化し、それを熟議の暴走の抑止に使う。

  • 同世代のせいか、発想の仕方や物の感じ方、諦め方やそこからの転換の仕方などすんなり受け入れられる(時にわずかな同族嫌悪的反感も含めて)。氏の未来予想は些かアイロニカルに過ぎる気がしないでもないけれど、ともかく現時点での説得力は絶大。さて実際は…と馬券を握りしめ賭け馬を目で追うスリルの余韻で巻を閉じた。

  • 現代の情報世界で。

  • 新しい政治の在り方と関わり方の未来図。ルソー「社会契約論」を再解釈し、情報技師の代表であるグーグルと繋ぎ合わせることで一般意志2.0へと導く。論理的に整理されていて刺激に満ちた書。

  • 141129 中央図書館

    現代の<span style='color:#ff0000;'>情報技術を活用すれば、ルソーの言う「一般意志」を民主主義に実装することが可能</span>である、と提唱する。
    「一般意志」は、個人のベクトルの合成のようなものとも考えられるが、それを政治のアウトプットにデプロイする手段は今まで存在しなかった。ハンナ=アーレントやハーバーマスは、政策過程でのコミュニケーションによる価値創造を重視したが、実際には無理である。それは、現代社会があまりにも複雑で、すべてを見渡せるような視野はもはや存在せず、一流の専門家もいったん専門を離れると無能と化す。つまり選良と大衆という構図がもはやそぐわなくなっており、政策過程でのコミュニケーションも実際には成立しないことが明らかだからだ。
    しかし、最近の情報技術の発達で我々が実感するとおり、<span style='color:#ff0000;'>データベース技術を駆使して無数の個人の断片的な意思を、重層してマッピングすれば、少なくとも意志形成の制約条件を視覚化することが可能</span>となってきた、というのが中身。

    今まで人間が苦労して作り上げてきた抽象化された理論やモデルに頼らずとも、集合知が形成できる、といういささか楽観的な見方に思える。専門家が頼りないというのであれば、システム的に物事を見る「専門家」の体系を構築するほうが先決と思うのだが。

  • 大変読みやすかった。Twitterやニコ生など比較的リアルタイム性があるメディアに発される「人々の無意識」が、より感覚的にビジュアライズされたりする仕組み作りができたら面白いだろうなあ。

  • フロイトの精神分析の言葉を用いて、「一般意志」とは無意識であるとしている。そして、その無意識は、現代において、ツイッターやブログや、その他、検索したりページをたどったりした足跡なりというデータが蓄積し、浮かびあがる集合した無意識であり、それこそが「一般意志2.0」とされています。これはきっと、今でいえば、いわゆるビッグデータのことなんでしょうね。

  • もしも政府がアマゾンのようなモノで、利用者たる国民にとって、その欲求は「これを買った人は」的に一般化され、良く出来たサービスを利用した感覚しか残らないようなものに成るとしたら、という仮説が刺さる一冊。

    フランス革命前夜に書かれたジャン・ ジャック・ルソーの社会契約論に表わされ た一般意志とは、議論や合意で形成されるものではなく、意見の相違のなかで平均身長的に存在するものだという解釈から、SNSを与えられた現代において一般意志は実体を持ち得るという前提がさまざまなトライアルに臨む。

    香港もアラブの春も、プロテスタントが持ち得た実体はどこから来たかを想えば、一気に現実の色彩を帯びる。

  • 今更ながら読み終わる。
    現代ってどんな社会なのかを考えさせられる本。
    一般意志ってこういう意味だったのかあと思わされたり、色々な思想系のこともわかったつもりにさせられた。

    個人的にはとても刺激的な本だった。

  • 一般意志2.0は、民主主義を大衆意見の情報技術による可視化によって牽制しようというものであった。この前提は、行政や政治家が支持者の支持を背景に将来ビジョンを描き、政治家的な野心や独自の倫理観に基づいて役割を果たしていくということが暗黙裡に前提とされている。市民の支持を背景とする部分と、パワーゲームのプレーヤーとしての政治家の立ち居振る舞いはもちろん異なるが、ある程度のパワー(大衆的な支持でもいいし、倫理的な高潔さに基づく尊敬でもいいし、行政的な専門性でもいい)を持った政治家リーダーをイメージする。

    現在の日本の議会政治の現状は、少なくとも熟議民主主義の上に構築されているという状態ではない。

    また、政権に対する正当性は総理大臣が変わる度に失われていっている。

    要は、政治的なパワーがないがために、将来ビジョンを描くといった規模の政治的なパワーは失われているというのが実態である。現在の日本の社会では、政治がパワーを失っているのであり、暴走をしているという状態ではない。

    一般意志2.0の着想を大いに認めるとしても、日本の国政における政治社会的な文脈においては、害にもならないが、上記の日本の政治を改善することにはつながらないのではないのだろうか。一方で、県単位、たとえば、政治家たる政治家が存在する大阪の橋本市長がいる大阪では、政治プロセスをすべて公開することにより、大衆からの牽制を受けるというストーリーと整合しやすいかもしれないし、ひょっとすると、それを橋本市長は自覚的に実施しているかもしれない。

    あと、論旨は離れるが、動画に向かって感想を述べる程度のコストであっても、興味の喚起が行われておらず、集客がされていなければ、機能しない。市民側の興味・関心についても有限のリソースであり、このリソース不足によって、期待していた牽制機能は果たされない。興味を持つことも簡単に前提として認めてしまってはいけないように思う。この前提が成立するためには、それなりに市民の教育も必要だと思う。

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著者プロフィール

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』など。

「2023年 『ゲンロン15』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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