一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル

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  • 講談社
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  • / ISBN・EAN: 9784062173988

感想・レビュー・書評

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  • 著者も書いている通り、未来の夢を描いた書物。
    様々な誤解や論争を招いているような噂もwebからはうかがわれるが、
    僕はよい本だと思う。

    特に、熟議の限界、合理的人間像の限界には共感できる。
    しかし、これをすぐに国家レベルの話にしてしまうと、「未来」だなあ、「夢」だなあとなる。
    もう少し小さな組織からの実践例がたくさん出てくるとおもしろい気がする。

    • essereさん
      レビューにも書いたのですが、ツタヤのTカードがすでに実践している気がします。
      レビューにも書いたのですが、ツタヤのTカードがすでに実践している気がします。
      2011/12/27
  • データドリブンな意思決定を!、みたいな議論を職業柄してる身としては、驚きというよりも、もう少し先にある未来じゃないかという印象を受けました。
    まぁ、今の各所の意思決定の現状をみれば、なかなか苦難な道かとも思うわけですが。

    筆者の言うデータベースからの一般意志の抽出方法が、まさに議論の焦点になってくるんじゃないかとおもうわけです。

    そのデータのおいて何が大事なのかということが、データの抽出方法に跳ねてくるわけですが、その軸出しってのは、空中戦になる可能性が高く、その能力をどう涵養してゆくかというのは、本書が提示してないものの、課題として出てくるんじゃないかと感じました。

    • essereさん
      >データの抽出方法に跳ねてくるわけですが、その軸出しってのは、空中戦になる可能性が高く

      全く同感です。
      その具体的提案に期待して読み進めた...
      >データの抽出方法に跳ねてくるわけですが、その軸出しってのは、空中戦になる可能性が高く

      全く同感です。
      その具体的提案に期待して読み進めたのですが、最後まで書いてなかったのがちょっと残念でした。
      2011/12/27
  • 一般意思の解釈として面白かったです。ビックデータ分析の先には十分描ける世界で、企業では少しずつ実現してますね。

    一方で、日本には、安心と安全を同一視し、過度に安心を第三者に求める国民が多く(?声が大きく?)、その結果必要以上のコストを政治や企業が求められている。もちろんこれにも良い面はいっぱいあるんだけど。で、何が気になっているかと言うと、安心と安全を同一視してしまう国民は、一般意思を受け入れられるのだろうか?

  • これまでずっと映画化は無理だ無理だと言われてきた(だれが無理だと言ったのかは知らないけれど)小説かなにかが、最先端の技術によって驚異の映像体験としてついに映画化!みたいな「てい」で語られた夢の話だと思ってすらすら読んだ。多分それくらいのスタンスで読んだらいいのだと思う。

    ルソーの『社会契約論』をとっかかりにしているのだけれど、なんだかとっても耳障りのよい(だからちょっと不審にすら思えてくる)感触だったので、思わず岩波文庫の『社会契約論』買って読んでしまった。その本についてはその本のところで。

    なにかしらのものをなるたけ遠くへ投げようと思ったら、ひとはなんとなく今までの経験上で自分が実際に投げることのできるあたりを想像するわけではなく、もっともっと遠いところを見定めるでしょう。そうして頭の中に浮かび上がった放物線どおりのスローイングはできないだろうけど(いやたまにうまくいくことだってあるかもしれない)、まあ最低でもこれくらいはいくんちゃうか、との間に、きっとものは着地するのではないか、と考えるのです。ぼくがあまりにも楽観的にものごとをみすぎているから、かもしれませんが。それでも、思い描くなら大きくて美しい放物線を、と思うのです。

  • 大学時代にルソーの「社会契約論」を読んだが、「一般意思」という概念が今一つピンとこなかったが、本書はそれをツイッターやニコ動のコメントなどの現代の情報インフラにパラフレーズして、再解釈してくれた御蔭でようやく輪郭がはっきりしたように思う。

    彼が描く未来像がどこまで実現するかは未知数だけど、「政治」の意味が彼の言うような方向に変わるならば、「ネットが政治を変える」というキャッチフレーズにも現実味が増すのではないだろうか。

    彼が言っているのは、「世の中はこうなるべきだ」という主張ではなく、「遠からずこういう未来がくることは、(条件が揃えば)必然である」というタイプの主張に近いと思う。僕自身非常に興味深く感じている。

    本書は最後まで読まなければ、主張は理解できない、途中で投げ出さず
    先入観を排して読むことをお勧めしたい。

  • とても面白かった。これは単なる学術書にカテゴライズするのは勿体ないですね。端的に言えば、ルソーの唱えた“一般意志”という主人公を描いたアカデミックでスペクタクルな一大叙事詩という感じ。“一般意志”がフロイトの“無意識”にリンクし、それがネットによる可視化によって具現化して新たなる世界を構築していくという流れはとても刺激的で、上級ミステリのような中毒性を帯びています。文体も丁寧に書かれているので、哲学書が未経験な人でもそれほど抵抗なく読むことができます。良書です。

  • 2011.11.24-

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/57378

  • いやあ、これはすごい考えでした。読中もむむぅと唸りがとまりませんでした。

    なお筆者は哲学・現代思想が専門であり、本作は言わば「夢」を語ったもの、と注意書きをしています。

    どういうものかというと、、、

    「民主主義後進国から民主主義先進国への一発逆転。
    ユビキタスコンピューティングとソーシャルメディアに浸透された、まったく新しい統治制度の創出」(P.7)

    私の理解でいうと、法案審議や国会中継をニコニコ動画(風なもの)を見ながらやるべし、というなんともドラスティックな話です。

    この時点で胡散臭さ満載かもしれません。既にユビキタスとか死語ですしね(筆者も予見していましたが)。でも、日本の哲学界のエース(と私が勝手に思っている)がいうことです。騙されたと思って読み進めていただきたいです。

    ポイントは副題のある通り、ルソー、フロイト、グーグルです。

    ・・・
    ルソーの一般意志というのは東氏曰く、「つねに正しく、つねに公共の利益に向かう」ものであり、私的な利害の総和ではないという。ん?既に実現不可能な概念を突き付けられた感があります。別の言い方では、個々人の利害の総和から「相殺しあう」ものを除いたうえでのこる「差異の和」だそうです。よくわかりませんね笑
    結局、彼は一般意志を算術的なベクトルの和のようなものと措定しています。とりあえずこれはこれでおいておくとします。

    ・・・
    次にフロイト。ここでは無意識の重要性について力説し、実は一般意志は無意識(欲望)の集積であると言っているように見えます。そしてそのような無意識的欲望はツイッターなど、オープン過ぎて他者性を感じない環境に発露すると言っているようです。

    本来「正しい」一般意志がそんなSNSの欲望垂れ流しのつぶやきの和でよいのか分かりませんが、SNSが無意識的発言の集積たりえることは何となくわかります。故にか、名称は一般意志2.0、ネット時代の無意識的欲望のつぶやきの集積、といったところでしょうか。でも、まあ不思議、かつてのルソーの一般意志は全くの想像の産物でしたが、現代の情報化社会では一般意志2.0は現実に想像に難くありません。

    ・・・
    そしてグーグル。検索のサジェスト機能が示すようにグーグルは大量の検索データを集積しています。東氏はこのような大量のデータベースがキーになると考えているようです。今でいうところの所謂ビッグデータから人々の無意識的欲望を形にすることを要求しているように私は理解しました。つまり、一般意志2.0のインフラとしてグーグルが持つようなデータベース(ビッグデータ)が措定されます。

    上記をあわせると、当初に書いたニコニコ動画方式の法案審議、みたいなものをやりましょうぜ、ということを主張しているようです。イメージは審議中にモニターに意見やコメントがどわーっと流れてくるやつです。

    ・・・
    まずこの方式の良い点。これまでの定石?であった密室での決定を衆目に晒すことを可能にします。政治って年取ったおっさんがこそこそ勝手に決めているというイメージありますよね。そこにニコニコ動画式に審議の内容に対する感想が流れてくる。国民の無意識の総体ないし欲望がここで可視化されます。勿論、ビックデータから導かれる無意識的意識的欲望の数々ですから、政治家は言わば国の「理性」としてそうした欲望との対峙も要求されます。少なくとも完全無視はできません。

    またこの専門化した情報化社会で、政治参加のコストを圧倒的に下げてくれる可能性があります。市民運動とか、政治家になるとか、もう普通出来ないじゃないですか(時間も金もキャリア?も浪費する?=コストかかる)。というか、国会で何をやっているかなんて、多くの国民は分からないわけです。でも内容を説明されれば感想くらいは言えますよね。税金が上がると言われれば即刻やめてというでしょうが、将来のためと言われればちょっと考えてしまう。こうして我々が意識的・無意識的につぶやいたコメントが政治家と対峙することで、国民は無意識的に政治参加することになります。

    ・・・
    他方「衆愚」に陥る可能性は否めません。ただ、何をもって「衆愚」とするかはまた難しいところ。この専門化した社会、絶対的価値観がなくなった今、どこまで「選良」(エリート・官僚・政治家)の決断が正しいと言えましょう。何かの専門家がコメンテーターとしてワイドショーに出ていたりしますが、その筋の専門家でもほかの事では素人同然なのです(あるある)。むしろ相対的無意識的欲望こそが意思決定に叶うものかもしれません(ちょっと怖いけど)。

    また筆者はやや希望観測的に、人間の動物的共感というワードを提示します。利害は別として、苦しんでいる人がいたら、憐みの感情を「無意識」的に持ってしまう、と。

    つまりこういうことかしら。国会中継をニコニコ動画でやっていて、実際の政治家も四苦八苦しながら流れるコメントを受けた発言をする。1視聴者に過ぎない私は審議と関係あることないこと取り敢えず政治家のオッサンにネガティブになりそうな投稿を繰り返す(無意識的欲求?金満政治家に対するルサンチマン?それもまた無意識か?)。それでも必死に答弁を頑張る政治家を見ているうちに、すこし応援したくなってきて、徐々に攻撃から応援、さらに審議の内容を知りたいという欲求に転じるとか?

    私の理解であっているかは分かりませんが、このような形で、動物的な無意識的欲求をベースに(ニコニコ動画式)、ガラス張りの劇場で政治家の討議・熟議が理性的に果たされる、そしていざとなれば人間の共感が発露されどうにかうまくいくのでは、という感じか。こういう形で政治を展開されてはどうでしょうという提案だと思います。

    なお作品ではほかにもアレント、ハーバーマス、ロールス、ノージックなどを援用しつつ議論をまとめてゆきます。

    ・・・
    ということで非常に刺激的な本でした。「夢を語ろうと思う」というセリフにたがわず、確かに実現するためには多くの決め事を決着する必要があります(ビッグデータからコメントを生成するアルゴリズムをどうするか、当該システム構築する企業は私企業でいいのか公社化がよいのか等)。だから今の体たらくの政治では何も決められずおよそ実現は難しそうですよね笑。

    それでも現状の政治を良しとせず、それを具体的にこう変えるべきだと語った点は非常に素晴らしいことと思いました。当初は眉唾物で読み始めましたが読後は「ありかも」という感想を抱きました。

    日本の政治を憂う方、民主主義ってどうなのと感じる方、現代思想が好きな方等々にお勧めできる作品だと思います。

  • やっと、読み終わった。
    この本を読み通して閉じたときに、思わずそんな感想が漏れた。

    この本は長いこと積んでいた。ここ10年は積んでいたと思う。
    ちらほらページをめくって見たことはあった。ただ、何かピンとこないところがあり、読み通せなかった。
    ようやっと、読んだ。

    そして、思ったのだけれど、ちょっとどころでなく、楽観的に過ぎるなぁ、このテキストは。

    文字通り、「夢」が書いてあるのは、よく分かった。
    ただ、10年経ってその夢から醒めてみたら、どうだろう。
    やっぱり、世の中は明らかに、新たなる抑圧に向かって進んでいるように思う。
    何より、暴走しているのは明らかに「無意識」の方だと思う。

    AIが人種差別に加担したり、加入にスマートウォッチの装着を義務付ける保険会社がバッシングされたりと、至るところで「アラ」が認識され始めている。
    その一方で、政治は相変わらず不透明な密室で行われるばかりで、透明性の確保すら遅々として進まない。
    政治に関心がない、そこだけはおそらくほとんど変わってない。変わってないから、一部の物好きだけが国会中継をニコ生で見る。

    結局、「ユビキタスコンピューティング」とかつては言われた世界、国民の殆どがスマホを持つようになった世界がほぼ実現したとはいえ、拾える「無意識」は非常に限られていてかつ偏っていて、従って熟議の“アテ”にも、まして“暴走を止める防波堤”にすらも、ならないんじゃないか?
    「無意識」は相変わらず暴走を続けるだけで、とても「一般意志」の名にふさわしい振る舞いをしていないのではないか?
    何より、民衆は熟議もコミュニケーションすらもいらない、ただ感想だけつぶやいていればいいんだ、と言ったところで、それに納得できるほど、民衆は徹底的に政治に無関心だろうか?

    もっとも、それならそれでいい、とこの筆者は考えるかもしれない。技術的革新がもっと進めば、政治家も考え方を変えるだろうし、いずれ日本も、一般意志2.0に従った政治2.0による統治がされる日が、いずれ、来ると。

    私はそうやっていつまでも夢にうなされるのは快いとは思えない。そこについては、そろそろ別の夢でも見たらいいんでないかな、というのが率直な感想だ。

    個人的には、5chやFacebookやTwitter、Instagram等々、ソーシャルメディアに書き込まれた記録を単なるデータとして、数学的存在として、モノとして処理する、というところに惹かれた。
    そうだよなぁ、そう考えれば、誰も傷つかなくて済むかもなぁ、という意味でである。
    どんな中傷的なメッセージを受けたとしても、「データのくせに何言ってんのよ」とサックリ無視できる気楽さをこういう視点は与えてくれるよなぁ、と。
    少なくとも、データの戯言として突き放せば、ネットの反応いかんで自分の身の振り方を変えなければならない、などという強迫観念に必ずしも囚われなくていいという安心感がある。

    なんにせよ、楽観的。何というオプティミズム。でも、こういうオプティミズムを曝け出せたのもまた、「SNSが被災地での生存確認に有効だった」とか何とかいってソーシャルメディアに希望を持てた、震災直前・直後のあの空気感を見事にパッケージしているなぁ、と思いましたよ。

    ささ、次、次。もう寝ましょ。

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著者プロフィール

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』など。

「2023年 『ゲンロン15』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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