- Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062173988
感想・レビュー・書評
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著者も書いている通り、未来の夢を描いた書物。
様々な誤解や論争を招いているような噂もwebからはうかがわれるが、
僕はよい本だと思う。
特に、熟議の限界、合理的人間像の限界には共感できる。
しかし、これをすぐに国家レベルの話にしてしまうと、「未来」だなあ、「夢」だなあとなる。
もう少し小さな組織からの実践例がたくさん出てくるとおもしろい気がする。詳細をみるコメント1件をすべて表示-
essereさんレビューにも書いたのですが、ツタヤのTカードがすでに実践している気がします。レビューにも書いたのですが、ツタヤのTカードがすでに実践している気がします。2011/12/27
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データドリブンな意思決定を!、みたいな議論を職業柄してる身としては、驚きというよりも、もう少し先にある未来じゃないかという印象を受けました。
まぁ、今の各所の意思決定の現状をみれば、なかなか苦難な道かとも思うわけですが。
筆者の言うデータベースからの一般意志の抽出方法が、まさに議論の焦点になってくるんじゃないかとおもうわけです。
そのデータのおいて何が大事なのかということが、データの抽出方法に跳ねてくるわけですが、その軸出しってのは、空中戦になる可能性が高く、その能力をどう涵養してゆくかというのは、本書が提示してないものの、課題として出てくるんじゃないかと感じました。-
>データの抽出方法に跳ねてくるわけですが、その軸出しってのは、空中戦になる可能性が高く
全く同感です。
その具体的提案に期待して読み進めた...>データの抽出方法に跳ねてくるわけですが、その軸出しってのは、空中戦になる可能性が高く
全く同感です。
その具体的提案に期待して読み進めたのですが、最後まで書いてなかったのがちょっと残念でした。2011/12/27
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一般意思の解釈として面白かったです。ビックデータ分析の先には十分描ける世界で、企業では少しずつ実現してますね。
一方で、日本には、安心と安全を同一視し、過度に安心を第三者に求める国民が多く(?声が大きく?)、その結果必要以上のコストを政治や企業が求められている。もちろんこれにも良い面はいっぱいあるんだけど。で、何が気になっているかと言うと、安心と安全を同一視してしまう国民は、一般意思を受け入れられるのだろうか? -
これまでずっと映画化は無理だ無理だと言われてきた(だれが無理だと言ったのかは知らないけれど)小説かなにかが、最先端の技術によって驚異の映像体験としてついに映画化!みたいな「てい」で語られた夢の話だと思ってすらすら読んだ。多分それくらいのスタンスで読んだらいいのだと思う。
ルソーの『社会契約論』をとっかかりにしているのだけれど、なんだかとっても耳障りのよい(だからちょっと不審にすら思えてくる)感触だったので、思わず岩波文庫の『社会契約論』買って読んでしまった。その本についてはその本のところで。
なにかしらのものをなるたけ遠くへ投げようと思ったら、ひとはなんとなく今までの経験上で自分が実際に投げることのできるあたりを想像するわけではなく、もっともっと遠いところを見定めるでしょう。そうして頭の中に浮かび上がった放物線どおりのスローイングはできないだろうけど(いやたまにうまくいくことだってあるかもしれない)、まあ最低でもこれくらいはいくんちゃうか、との間に、きっとものは着地するのではないか、と考えるのです。ぼくがあまりにも楽観的にものごとをみすぎているから、かもしれませんが。それでも、思い描くなら大きくて美しい放物線を、と思うのです。 -
大学時代にルソーの「社会契約論」を読んだが、「一般意思」という概念が今一つピンとこなかったが、本書はそれをツイッターやニコ動のコメントなどの現代の情報インフラにパラフレーズして、再解釈してくれた御蔭でようやく輪郭がはっきりしたように思う。
彼が描く未来像がどこまで実現するかは未知数だけど、「政治」の意味が彼の言うような方向に変わるならば、「ネットが政治を変える」というキャッチフレーズにも現実味が増すのではないだろうか。
彼が言っているのは、「世の中はこうなるべきだ」という主張ではなく、「遠からずこういう未来がくることは、(条件が揃えば)必然である」というタイプの主張に近いと思う。僕自身非常に興味深く感じている。
本書は最後まで読まなければ、主張は理解できない、途中で投げ出さず
先入観を排して読むことをお勧めしたい。 -
とても面白かった。これは単なる学術書にカテゴライズするのは勿体ないですね。端的に言えば、ルソーの唱えた“一般意志”という主人公を描いたアカデミックでスペクタクルな一大叙事詩という感じ。“一般意志”がフロイトの“無意識”にリンクし、それがネットによる可視化によって具現化して新たなる世界を構築していくという流れはとても刺激的で、上級ミステリのような中毒性を帯びています。文体も丁寧に書かれているので、哲学書が未経験な人でもそれほど抵抗なく読むことができます。良書です。
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2011.11.24-
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【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/57378 -
やっと、読み終わった。
この本を読み通して閉じたときに、思わずそんな感想が漏れた。
この本は長いこと積んでいた。ここ10年は積んでいたと思う。
ちらほらページをめくって見たことはあった。ただ、何かピンとこないところがあり、読み通せなかった。
ようやっと、読んだ。
そして、思ったのだけれど、ちょっとどころでなく、楽観的に過ぎるなぁ、このテキストは。
文字通り、「夢」が書いてあるのは、よく分かった。
ただ、10年経ってその夢から醒めてみたら、どうだろう。
やっぱり、世の中は明らかに、新たなる抑圧に向かって進んでいるように思う。
何より、暴走しているのは明らかに「無意識」の方だと思う。
AIが人種差別に加担したり、加入にスマートウォッチの装着を義務付ける保険会社がバッシングされたりと、至るところで「アラ」が認識され始めている。
その一方で、政治は相変わらず不透明な密室で行われるばかりで、透明性の確保すら遅々として進まない。
政治に関心がない、そこだけはおそらくほとんど変わってない。変わってないから、一部の物好きだけが国会中継をニコ生で見る。
結局、「ユビキタスコンピューティング」とかつては言われた世界、国民の殆どがスマホを持つようになった世界がほぼ実現したとはいえ、拾える「無意識」は非常に限られていてかつ偏っていて、従って熟議の“アテ”にも、まして“暴走を止める防波堤”にすらも、ならないんじゃないか?
「無意識」は相変わらず暴走を続けるだけで、とても「一般意志」の名にふさわしい振る舞いをしていないのではないか?
何より、民衆は熟議もコミュニケーションすらもいらない、ただ感想だけつぶやいていればいいんだ、と言ったところで、それに納得できるほど、民衆は徹底的に政治に無関心だろうか?
もっとも、それならそれでいい、とこの筆者は考えるかもしれない。技術的革新がもっと進めば、政治家も考え方を変えるだろうし、いずれ日本も、一般意志2.0に従った政治2.0による統治がされる日が、いずれ、来ると。
私はそうやっていつまでも夢にうなされるのは快いとは思えない。そこについては、そろそろ別の夢でも見たらいいんでないかな、というのが率直な感想だ。
個人的には、5chやFacebookやTwitter、Instagram等々、ソーシャルメディアに書き込まれた記録を単なるデータとして、数学的存在として、モノとして処理する、というところに惹かれた。
そうだよなぁ、そう考えれば、誰も傷つかなくて済むかもなぁ、という意味でである。
どんな中傷的なメッセージを受けたとしても、「データのくせに何言ってんのよ」とサックリ無視できる気楽さをこういう視点は与えてくれるよなぁ、と。
少なくとも、データの戯言として突き放せば、ネットの反応いかんで自分の身の振り方を変えなければならない、などという強迫観念に必ずしも囚われなくていいという安心感がある。
なんにせよ、楽観的。何というオプティミズム。でも、こういうオプティミズムを曝け出せたのもまた、「SNSが被災地での生存確認に有効だった」とか何とかいってソーシャルメディアに希望を持てた、震災直前・直後のあの空気感を見事にパッケージしているなぁ、と思いましたよ。
ささ、次、次。もう寝ましょ。