理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
3.98
  • (269)
  • (355)
  • (195)
  • (24)
  • (13)
本棚登録 : 3012
感想 : 319
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062879484

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 分からないということが分かった、という内容。

  • 哲学
    思索

  • [評価]
    ★★★☆☆ 星3つ

    [感想]
    架空のシンポジウム形式で話は進み、分かり易いないよとなっていた。
    普段はほとんど考えることのない『限界』についてが書かれており、選択、科学、知識と3つの限界は中々に面白い内容だった。
    選択では主に選挙における選択の限界が語られ、これを読むと完全な仕組みというものが存在せず、絶えず改善が必要であることを強く感じさせた。また、科学や知識の限界も現代社会で中心であることに限界があることを感じ、色々と考えさせられた。

  • 論理、数学、科学など人類が築き上げてきた英知の限界を描きだす。
    つまり、それは人間自体の限界なのではないか。


    アロウの不可能性定理からハイゼンベルクの不確定性原理、さらにゲーデルの不完全性定理と難解な(少なくとも評者にとっては)話が続くが、様々な思想・思考を持ったひとたちのディベート方式で進められるので読み易い。

    甲野善紀(武術家)は「運命は決まっており、そしてそこからは自由だ」と喝破しておられるが、それはラプラスの魔のように宇宙の森羅万象の動きは機械のように決まっている(かも知れない)が、そこについては人間が認識し得ないので、結局は自由なんだと言うことなのかもしれない。

    脳味噌がグツグツと煮詰めて回転させられる。

  • 315円購入2013-10-18

  • これに続く「知性の限界」を先に読み、とても感心したので読んでみた。当初、在庫切れだった、評判をよんだのか、復活して店頭に並ぶようになった。すごい。この本はこの本でとても面白かったが、個人的には本書の方が難しく感じた。とくにゲーデルのところ。それと、テューリング・マシンをめぐる話があるが、テューリング・マシンそのものの解説はないので、少し不親切な気もした。たまたま「知性の限界」方に、個人的に知りたいことが多かったため自分の中での評価が高いが、客観的には甲乙つけがたい。というか、片方読んで面白いと思った人は、是非もう片方も読んで損はないと思う。""

  • 全体、シナリオ的に進行していく。

    3つの定理、アロウの不可能性定理(選択の限界)、ハイゼンベルグの不確定性原理(科学の限界)、ゲーデルの不完全性定理(知識の限界)が下地になっている。

    アロウの不可能性定理(選択の限界)とは、完全に民主的な選択方法(完全な民主主義)は存在しないことを証明したことである。たとえば、投票方式として、A.単記投票方式、B.上位二者決戦投票方式、C.勝ち抜き決戦投票方式、D.順位評点方式、E.総当り投票方式。前者ほど、尖った人が選出されやすく(候補者が多い時には特にそうなる)、後者ほど、当たり障りのない人が選出される。

    日本の衆議院小選挙区や知事選は、A方式である。特に大都市圏の知事選は有力候補者が乱立し、票が分散するため、ファンも多いがアンチファンも多い人が当選しやすいのではないだろうか?また、2002年のフランス大統領選で極右のルペンが善戦したのも、16人という候補者が分散する中、熱狂的な支持者の票に支えられたため。また、自民党の総裁選はB方式。プロ野球のMVPはD方式。

    また、アロウの不可能性定理は、「囚人のジレンマ」としても知られている。

    ハイゼンベルグの不確定性原理(科学の限界)は、位置と運動量(質量と速度の積)は、同時に求められないというもの。原子以下のミクロな世界では不確定性は問題にならないが、現実のマクロの世界ではほとんど実感することはできない。二重スリット実験で、電子が波の性質を表すことを目に見える形で証明したのは、必見である。

    また、一般的に、「科学は客観的である」と思われているが、本書では、その時代時代の科学者集団による主観であると結んでいる。たとえば、コペルニクス以前は、天動説がそうであったし、アインシュタイン以前は、ニュートン力学(絶対空間・絶対時間)がそうであった。現在、客観的な科学的事実だと思っている事象が、後世において「あれはあの時代の主観だった」と覆される可能性は否定できない。

    ゲーデルの不完全性定理(知識の限界)は、論理学の課題である(筆者は論理学者である)。正直、本書の中で、一番分かりにくかった。一番分かりやすい例は、「私は嘘つきである。」というパラドックスである。本当に嘘つきであれば、この証言も偽なので、この証言者は嘘つきではないことが真である。嘘つきではないのならば、この証言は真であり、やっぱり証言者は嘘つきである。。。。

    本書において残念なのは、3つの定理から、学際的な提言があるのかと期待していたのだが、ほとんど3つの定理の列挙で終わってしまっている点である。しかし、本書の推敲期間は8年あったといい、そもそも別々の学問体系を「理性の限界」という切り口で1冊の本にまとめ上げた点は、筆者に賛辞を送りたい。


    目次
    序章 理性の限界とは何か

    第一章 選択の限界
    1.投票のパラドックス
    2.アロウの不可能性定理
    3.囚人のジレンマ
    4.合理的選択の限界と可能性

    第二章 科学の限界
    1.科学とは何か
    2.ハイゼンベルグの不確定性原理
    3.EPRパラドックス
    4.科学的認識の限界と可能性

    第三章 知識の限界
    1.ぬきうちテストのパラドックス
    2.ゲーデルの不完全性定理
    3.認知論理システム
    4.論理的思考の限界と可能性



  • mmsn01-

    【要約】


    【ノート】
    ・新書がベスト
    ・この著者は「限界」シリーズを出してるみたい

  • ●同じ著者の『感性の限界』が面白かったので、読んでみた。こうして哲学各論の本を読んでみて思うのは、哲学と科学というのは不可分である、ということだ。

  • 知性や理性に関する限界性を、いろいろな立場の人間がディベートを行うという設定で追求していく。科学や哲学に詳しくない人でもある程度読みやすい内容になっていると思う。

全319件中 51 - 60件を表示

著者プロフィール

國學院大學教授。1959年生まれ。ミシガン大学大学院哲学研究科修了。専門は論理学、科学哲学。著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『愛の論理学』『東大生の論理』『小林秀雄の哲学』『哲学ディベート』『ノイマン・ゲーデル・チューリング』『科学哲学のすすめ』など、多数。

「2022年 『実践・哲学ディベート』 で使われていた紹介文から引用しています。」

高橋昌一郎の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
フランツ・カフカ
J・モーティマー...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×