理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062879484

感想・レビュー・書評

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  •  専門的な知識がなくても読めるよう、身近な例をもとに限界や矛盾について話が進められる。
     序盤の、完全に民主的な投票方式は存在しないという話や、終盤の、ゲーデルの「すべてを証明することはできない」という不完全性定理の話はなかなか面白く感じた。
     ただ、読者層を広げるためか、会話調で内容が進められるが、話がそれるのを司会者が止めるやりとりが無駄に多い。その部分にあたるたびに何か損した気になる。

     評価としては、標準を☆3つとして、内容の面白さで+1、前述の無駄な部分で-1で☆3つとしました。

  • 様々な制度、理論の限界を紹介する本。「アロウの不可能性定理」ですべての人の希望を反映した決定ができないことを、「ハイゼンベルクの不確定性原理」で量子世界の予測不可能性を、「ゲーデルの不完全性定理」ですべての論理が証明できないことを、それぞれ紹介している。
    それぞれのあんちょこ本なので、もっと掘り下げる場合はちゃんと調べる必要があるとは思う。とはいえ、専門としているわけではないためこれで十分か。
    一番の収穫は名前しか知らなかった「シュレーディンガーの猫」の内容がわかったこと。「ゲーデルの不完全性定理」は非常に理解が難しかった。
    ゲーム理論の話の中で、協調を基本とし裏切られたらしっかり仕返しする「しっぺ返し」プログラムが一番強いという話は、非常に示唆に富む話だと感じた。
    あと、ちょいちょい入るカント主義者に笑った。

  • 序章が一番面白い。
    多数決を論理的に考えると、論理的な限界に行き着く。

  • 面白いんだけど、私の知性が足りず。

    タイトルから小難しい内容かな?と思ってましたが、変なテンションの掛け合いで真面目な話題を茶化しつつ進めていきます。

    相対性理論や囚人のジレンマ、哲学、科学、宗教など、色んなテーマが盛り沢山です。

    結局、ほぼ全ての学問は、AならばBであるとか、Aの場合はBを選択すべきという公式や理論、突き詰めると真理を求めているが、それって限界あるよねってことを言ってるみたいです。

    ポップな語り口なので読みやすいですが、テーマによってはそもそも知識不足だったりして、手放しで面白いとはいえないかな。

    脱線やツッコミも知識が乏しいと笑えないんだよな〜。

    ただ、賢い人の知識の一端が垣間見える気がするので、読んで損はしないと思いますよ。

    まぁまぁオススメです。

  • 選択の限界、科学の限界、知識の限界、難解なことをわかりやすく面白く。十分に頭がつかれた。

  • 2015.7.19アロウの不可能性定理、ハイゼンベルクの不確定性原理、そしてゲーデルの不完全性定理と展開することで、人間の理性の限界を論じた本。わかりやすくするために数人の登場人物を仮定した擬似的シンポジウムの形で話を進めてくれていて、わかりやすく、しかも非常に知的好奇心をくすぐられ、久々に読書に没頭した。が、最後のゲーデルの不完全性定理、知識の限界の項は数学的、論理学的な話が多く、なかなか理解できなかった。選択の限界、つまり社会科学における限界についてはアロウの不可能性定理より、集団による合理性選択の不可能性、また個人を心の中に集団がいると捉えた上での、個人の合理性選択の不可能性、選択による合理性妥当性には限界があり、どのような選択の仕方によってどんなタイプの選択肢が選ばれるかが変わるだけ、そして個人と集団による合理的選択の矛盾性がわかった。科学の限界、つまり自然科学における限界については、ハイゼンベルクの不確定性原理によって測定不可能なものがあるという、科学の方法的限界と、科学の貢献性の限界及びそこに盲目的になるが故の科学の宗教化が興味深かった。特に現代は科学至上社会だが、科学で厳密に導き出せる発見や理解もあれば、科学がそもそも対象にできないこともある。学者でも人格的にどうなの?みたいな人もいるし、未開の民族でもちょー優しくて親切な人もいる。科学と非科学に優劣はなく、できることが違うだけであるにも関わらず、科学が上みたいな風潮があるのは確かにと思い、その対象範囲や限界を知らず科学を盲目的に信望するのはまるで宗教だなと思った(宗教が悪いわけではない)。最後の知識の限界、つまり形式科学における限界については、ゲーデルの不完全性定理を中心に論じられていたが中々難しかった。数学や論理=人間の理性とするなら、その理性により捉えられない矛盾や不確定性、ランダム性があるということの証明を知ることができた。日常生活でここまで理性の限界を厳密に考える機会も必要性もないけれども、科学や理性の力を盲目的に信じるのではなく、できないこと、わかりえないことがある、完璧なものではないという認識を持つことは大事だなと思ったし、特に個人的には科学が世の中のすべてではなく、科学も非科学も同列であり、人を幸せに豊かにする、また逆も然りという点で優劣はないという捉え方は私個人の一つの価値観のパラダイムシフトだったように思う。また趣旨からズレるが、世の中には理性バリバリの人もいれば感情的な人もいるわけで、それらの平均として人間の理性はどこまで働いているのか、その可能性や限界ではなく、実際現実としてどのくらいの力を発揮しているのか、ということも疑問に思った。経済学などの社会科学と、物理学などの自然科学、そして論理学などの形式科学から、選択、科学、知識において、人間の理性には何ができないのかを論じた、知的好奇心をくすぐる一冊。

  • 複数人の対話形式で進んで、リアリティにこだわり物語調なのかもしれないが、途中で脱線ぶりに疲れてしまって読み辞めてしまった。結局、理性の限界は何のか分からず…。

    「アロウの不可能性定理」「囚人のジレンマ」「シュレーディンガーの猫」などの言葉の引力に要注意!

    キーワード:シュレーディンガーの猫。興味深いと思ってた割には読まない自分。。。

  • 「読書で賢く生きる」紹介

  • 人間の理性には限界があるのか。それとも人間は全知の存在となりえるのか。

    アロウの不可能性定理は、完全に公平な合理的選択が不可能であることを示す。即ち選択結果が選択方法に依存するのである。

    ハイゼンベルクの不確定性原理は、ただ単に観測の問題だけではなく、本質的に存在(位置と運動量)が確定出来ないことを示す。量子論を否定したアインシュタインがEPR思考実験で隠れた変数系を提唱したが、それも完全に否定された。即ち、量子論が未熟であるがゆえに不確定性を示しているのではないのである。

    ゲーデルの不完全性定理は、無矛盾な論理体系には証明出来ない命題が存在することを示す。即ちそれは、神が論理学に従うとすれば、神の全知を否定するものである。
    人間理性には明らかな限界がある。ただ限界が存在し、その限界を知り得ないからこそ、人間は努力し、成長し続けるようにも思う。

  • Mon, 12 Jul 2010

    複数人の疑似シンポジウム形式ですすんでいくので
    脚本読んでるみたいで読みやすい.
    不確定性原理,不完全性定理については,
    類書がおおいが,それに並べてアロウの不決定性定理をのせているのが興味深かった.

    簡単にいうと「まったく問題ない選挙の方法は存在しない」ってところあたりだろうか?

    ちょうど参議院選挙の時に読んでいたのでタイムリーだった.
    アロウの不決定性の話は,すごく数学的に興味があるので,もうすこし調べてみたいと思った.

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著者プロフィール

國學院大學教授。1959年生まれ。ミシガン大学大学院哲学研究科修了。専門は論理学、科学哲学。著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『愛の論理学』『東大生の論理』『小林秀雄の哲学』『哲学ディベート』『ノイマン・ゲーデル・チューリング』『科学哲学のすすめ』など、多数。

「2022年 『実践・哲学ディベート』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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