- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062880008
感想・レビュー・書評
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やっぱり面白い、福岡伸一さん。
『生物と…』の続編とはいえど、独立して読める。
科学ミステリ風の筆致は、読み手にどんどんピースが繋がっていくような快感を与えるのだけれど、実はそれすらも相対化されるという、メタミステリ(という言い方があればだけれど)。
昔、センターの過去問で解いた評論文に「カメラは生きた世界を切断してみせる」とあったのを思い出した。内田樹先生の「物語るという欲望」や、鷲田清一先生の「身体、この遠きもの」あたりを併せ読みしたい一冊。
ただ、リン酸化反応とか化学式とかは、化学赤点だった私にはほぼ飛ばし読み箇所だった。本の内容じゃなく、自分にがっかりする。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
#構成が完璧。
-ベネチアの病、ランゲルハンス島、ヴィットーレカルパッチョの絵画、トリプトファン、空目、渡辺剛の国境写真、ガン細胞、パワーズオブテン、マップラバーとジグソーパズル、そしてスペクター事件。これらは一見無関係な個別事象として語られるが(もちろんそれぞれの個別の章だけでも面白い)、章が進むにつれ、それらが関係し合い、新しい見方、物語を紡ぎ始める。そしてこの本のタイトルの意味を否が応でも強く意識し、納得せざるを得ない。
-伏線を散りばめた、良質な小説のような読後感。
-幅広い知識と知的好奇心と教養に裏打ちされている。
-しかし結局、世界を分けようとする行為、そして統合しようとする行為の反復によってしか新しいことは分からないとも言える。 -
人の死を、脳が死ぬ時点に置くならば、人の生は、脳がその機能を開始する時点となる。脳の神経回路網が構築されるのは、受精後24-27週の出来事。
脳死が人の死を前倒ししたように、「脳始」は定義の仕方によっていくらでも変えられる。
私たちは無関係なことがらに、因果関係を付与しがちである。連続を分節し、ことさら境界を強調し、不足を補うことが、生き残るうえで有利に働くからである。
しかし、その関係の多くは妄想でしかない。それを自省するために、我々は勉強しなければならない。 -
STAP細胞のことを想わずにはいられない。
そしてSTAP細胞にも後に似たような話があったようなことを聞いたのだけど、その後どうなったのだろう。
人は見たいものを見ようとし、見たいものに現実を近づけようとする。 -
【展示用コメント】
約40年前、著名な生化学者と天才大学院生が研究の先に見たものは...
【北海道大学蔵書目録へのリンク先】
https://opac.lib.hokudai.ac.jp/opac/opac_link/bibid/2001437485 -
2019年は積みっぱなしの講談社の本たちを読む!と決めたものの、結局全部は難しそうなのでせめて講談社現代新書だけは読もうと駆け込んだ。
福岡伸一の本は『生物と無生物のあいだ』、『できそこないの男たち』以来で久しぶり。やっぱり、理系な内容なのに文学的な表現が散りばめられている。絵画やエントロピーなど、さまざまな領域の話が有機的に結びついていて、知的好奇心が刺激される。
後半はエフレイム・ラッカーとマーク・スペクターによるがん細胞の研究についてのドキュメンタリー。化学の知識が乏しい自分でも迫力が伝わってくる。そしてあの結末。数年前のSTAP問題はほとんどこれと一緒じゃないかと思った。
久しぶりにこういう科学者のドラマに触れた気がする。やっぱり独特の面白さがある。 -
一読するとバラバラのエッセイのようなエピソードがだんだんタイトルのテーマを紡ぎあげていく感じで、著者の構成力に感心。
様々な題材に対して同じ視点を意識しているのが伝わる。
決して単純な全体論ではなく、部分を調べるためにはどうしてもある程度の時間を固定・切り出さなければいけない。
その時点ですでに全体に流れている動きを理解する事が出来なくなっているという主旨。
何か不確定性原理みたい。 -
3.5