- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062880008
感想・レビュー・書評
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福岡ハカセのたくさんの著書の中で、本書は地味な部類に入ると思う。
実際、わたしがこの本を手に取ったのはもちろん著者を敬愛していることもあるけれど「新しく買った新書用カバーに収めるのため」だった。
ハカセの文才は随所で光り、いつも通りたくさんのため息をもらしながら読み進めるも
化学の経験が少なからず必用で、サイエンスコミュニケーション本としてはいささか難しいかもしれないな
と感じながらページをめくった。
でも最後のぐいぐい感!
そこからハカセの愛でる世界のほんとうについて結ばれる優しい線。
読書の醍醐味はこの、共感を超えて得られる高揚感だな
と改めて読後のぼんやりした頭で快感を噛み締めている。
ハカセが言うことはいつもセンス・オブ・ワンダーと動的平衡。
本書は動的平衡を切り取る愚かさ、にもかかわらず切り取って所蔵したいわたしたちの小ささ、その小ささ故の愛しさまで描かれている。
いつも感じる。
真摯に突き詰めた人は、本当に優しくなる。
存在の問のゴールはその方向にありそうな気がしてならない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
どこからどこまでが鼻で、どこからどこまでが口か、その明確な区別は存在しない。便宜的に「鼻」、「口」と呼んでいるそれらのものは、すっぱりと切り分けられるものではない。一対一で部分と機能は対応しているように思いこみがちだが、現実には部分というものは存在しない。体は細胞のグラデーションである。受精卵がすこしずつ色を変えながら分裂し臓器はその色の違いによって区別されるが、起源はみな同じである。一つ一つの細胞を取ってみれば、隣り合った細胞はわずかに異なっている。そして細胞さえも、部分ではない。細胞の内外では常に物質が動き回り、いまここにあったものはあちらにあったり、あるいはなくなったりしている。また新しい物質がやってきたりもする。動的平衡。この流れを無視して、ついに世界はわからない。世界は流れている。でも一方で、分けないことには何もわからない。ほんのわずか知るために、生物学者は今日も偉大な努力を重ねている。彼らが見せるなにものかがたとえ幻であろうとも、僕はワクワクせずにはいられない。世界にとってみれば矮小で、しかし僕にとってみればそれほどまでに偉大な功績を、生物学は確かに残してきたと思う。
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福岡伸一の文章はしっとりした情感があってかっこいい。タイムリーなことに今度の江戸東京博物館のヴェネツィア展にコルティジャーネ展示されるらしい、みてみたい。片割れのラグーンのハンティングは来ないのかな。
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「分かる」とは「分かつ」ことであるけれど、生物学的に「分かつ」と、よく「分からなくなる」ようだ。
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この本は読み始めたら、何処へ連れていかれるのかと思う感じにぐいぐいと引き込まれる。いくつものちりばめられたパーツが繋がっていく様子が、読みながらもどこかに怖さを感じてしまう。なんでだろうと思ったが、それは、命の本質だからなのだ。
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分けて失われるもの 情報 エネルギー
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確かにビジネスの世界では「解像度を上げよう」などと言うことがあるが、
解像度を上げるとわからなくなることあるね。 -
▼福島大学附属図書館の貸出状況
https://www.lib.fukushima-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/TB90207987
(推薦者:共生システム理工学類 小山 純正先生) -
生命現象をめぐる巡っている中で、部分を切り分けても、全体は語れないという主張。研究過程を通じて、それらを表現しようとしている。
マップラバーマインドを持ちがちな現代人への警笛か。