誰も教えてくれない人を動かす文章術 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062880831

感想・レビュー・書評

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  • 購入日:20110221

  • 小論文対策に読みました。買って手元におきたい一冊。

  • p33:なるべくたくさんの他社の認識を自分の認識として定着させる。言い換えれば、できるだけ自分の中におくの他社を住まわせることを目標にしなければなりません。

    p157
    真夜中に送られてくる無茶ぶりのメールにも、逆に「夜中のメールありがとうございます」なんてお礼を言っちゃうくらいのいきおいでくらい付いていく。どうせ誰かがやらなければならない仕事なら「よろこんで!」と言って引き受けたほうが絶対にいい。

    p184
    凡庸さは恥だ

    p196
    例えば私たちは渋谷の雑踏を歩いていても。「あ、この人とは縁があるかもしれない」「この人とは絶対に縁がないな」と瞬間瞬間に感じ取っている。
    Aグループ:「この人となにか縁をもちたいな」
    Bグループ:「どっちでもいいかな」
    Cグループ:「絶対に縁はない」
    私たちは縁の農密度によって、知らず知らずに他人を認識している。
    こうしたランクわけには勘違いも多いけれど、勘違いも芸のうち。
    勘違いが縁を引き寄せることだってある。

  • ・書き方よりも内容
     ・エピソードから新しい認識の獲得へ
     ・新しい発見
     ・ものの見方を変える文章
     ・イメージで離れたもの同士を結びつける

    ・個性とはある種の「無理」や「歪み」

    ・メールに「!」を付けることで、「身体性」をつける

  • 書くように生活をすると、見えなかったものが見えてくる。

    書かない生活を送ると、見逃すものも多い。



    本の中に、孔子の「述べて作らず」をあげていたが

    つまり、自分は何も創作しない。たくさんの他者の認識を

    自分の認識として定着させる。できるだけ、自分の中に

    他者を住まわせる。と書いてあった。



    勝間和代が、映画を見ると、自分だけでは経験できないことが

    体験できるような感覚になる。そのような感覚をもつことが

    大事とコメントしていたことを思い出したが、良い音楽を聞く

    良いものを見る、よい映画を見る、おいしいものを食べる。

    すべての経験を自分の中で消化して、そして、新しい自分を創造していくことが

    大事なのかもしれない。

    たくさんの「他人を自分の中に住まわせる」。経験が自分を創造していくのですね

  • 2010年12月刊。
    ブログなどでよく取り上げられている、この本。
    自分もブログを書いている者の端くれとして、読んでみました。
    特に、読書感想文の書き方のところ (p.102~) は、注目して読みました。

    心を動かされたポイントは、以下の4点です。

    ・文章において、凡庸さは恥
    ・書き手にとっての発見を書く
    ・読書感想文は、上から目線で
    ・読書では、いいセリフが1つでも拾えればいい

    今回は、ちょっと多めの引用でまとめてみます。


    ■文章において、凡庸さは恥

    <---
    気をつけてほしいのは、ゴールとして定める結論を道徳的なものにしないということです。
    「これからは人に迷惑をかけないように生きていこうと思いました」
    放っておくと、ついこんな結論で終わる文章を書いてしまいがちです。しかしこれはハッキリ言って最悪です。なぜなら、道徳的な結論というのは、あまりにも「凡庸すぎる」からです。
    (p.41 最後の文章を決める)
    --->

    <---
    文章においては、凡庸さは恥です。結果としての凡庸さはある程度しかたがないとしても、せめて「凡庸さは恥」だということを肝に銘じておきたい。実は、そのことを知ってもらうことこそ、私が本書を書くにあたっての、隠されたテーマなのです。
    (p.184 文章においては、凡庸さは恥)
    --->

    突き刺さったのが、この「凡庸さは恥」という言葉。
    得てして「いい子ちゃん」っぽい文章を書こうとすると、凡庸な文章になってしまいがちです。
    どこかで聞いたことのあるような凡庸な文章では、人の心には響かないのですね。


    ■書き手にとっての発見を書く

    <---
    私が重視するのは、文章の書き方ではなく、その「内容」のほうです。「内容」とはすなわち、物事をどう捉えたか、発見は何であるか、ということに尽きます。
    発見というのは、なにも「人類史上初の発見」である必要はありません。書き手であるあなたにとっての発見は何なのか、ということです。
    (p.16 おしゃべりと「書く」ことの違い)
    --->

    この「人類史上初の発見である必要はなく、自分のとっての発見を書けばよい」という言葉には、救われた気がします。
    もちろん、まだ誰も書いていないことを書ければベストですが、そればかりを意識していると、書く機会を失ってしまいます。
    自分が発見したことという視点であれば、肩肘張らずに、今後も書き続けていくことができそうです。


    ■読書感想文は、上から目線で

    <---
    「書く」ということはとにかく書き手が主役なのです。読書感想文でも、主役は本ではありません。書き手であるあなたです。本のほうを主にしてしまうと、「自分」が出しにくくなります。主従関係で言うと、自分というものが従の場合、「とても面白いと思いました」「ここがすごいと思いました」という「ひれ伏し姿勢」がある。そうではないでしょう。
    「感想文」だったら、主であるあなたが書きたいように書いていい。この自由さが「書く」という行為のすばらしいところなのです。
    (p.103 読書感想文は「書く」作業のファーストステップ)
    --->

    <---
    では、読み手が主になるためにはどうしたらいいか。私はまず、読書感想文を「読書エッセイ」だと認識し直すことをお勧めします。
    「ここが面白いと思いました」というひれ伏した感じではなく、「この言葉が私をインスパイアしてくれました」という感じを出すのです。いや、もっと偉そうに「この私をここまでその気にさせてくれた」それだけに、この物語はなかなか大したものだ」とあくまで「上から目線」の姿勢で臨みましょう。
    読書エッセイを書くときには、それくらい大きな態度でいいのです。
    (p.104 「上から目線」と「生意気さ」を)
    --->

    この言葉は、読書感想文が書きにくいと感じている人に、大きな助けになってくれるはずです。
    私は読書感想文(読書ノート・読書メモ)を書くときに、あらすじをほとんど書かないようにしています。
    この部分を読んで、そのやり方は間違っていないと確信しました。


    ■読書では、いいセリフが1つでも拾えればいい

    <---
    自分の「共感アンテナ」にひっかかるセリフを見つけたら、大事にしましょう。「このセリフを核に文章を書く」とか「このセリフで勝負する」と思える決めのセリフを一つか二つ用意しておくと非常に文章は書きやすくなります。(中略)
    セリフでもいい、印象的な場面でもいい。何でもいいから一つ拾ってきて、それで原稿用紙一、二枚でも、何か書き残せたらそれだけで本を読んだ甲斐があるなと思うのです。
    (p.114 一冊の本で気の利いたセリフを一つ拾えればいい)
    --->

    <---
    書き手が何か新しい発見をしていなくても、あるいは全体の主旨がつまらなくても、キラリと光る言葉が引用され、しかも出典まで明らかになっていると、「読んで得したな」という感想を持ってもらえるのです。
    (p.190 引用と出典でおトク感を出す)
    --->

    本全体を自分で要約して読書感想文を書こうとすると、かなり大変です。
    でも、本の中の印象的な言葉をいくつか引用して、それを橋がかりにして読書感想文を書くようにすると、意外にスラスラ書けてしまったりします。

    読書感想文を書く必要があるときに、「この本の中からいいセリフが 1、2 個でも拾えれば、読書感想文が書けるな」と思いながら読めれば、少し気が楽になりますね。

    また、引用は、(書き手の)「意見」ではなく、(本に書かれている)「事実」なので、読書感想文の読み手に対して、説得力を増す効果もありそうです。


    ■まとめ

    「文章において、凡庸さは恥」という言葉に出会えたのは、ラッキーでした。
    凡庸ではない文章を書いていくためには、どうすればいいか?
    文章ではあまり「いい子ちゃん」にならないように、書き方をいろいろ模索してみます。

  • 斎藤孝の本を読んでいると、斎藤孝がたくさんの本を読んでいるのが分かる。会社勤めの人にとっての当たり前がよく分かった。

  • 「文章力とは、この世を生きる力である」

    最近、正にそう思う。

    自分が影響力を受ける人が影響を受けた言葉や体験談って、すごく興味深い。

    私は「この人みたいになりたい!」って思ったその人が発する言葉とか書く文章をすごく参考にしているし、有名な作家さんが書く言葉よりも心にグッと何かを感じる。

    そこから、この人はこんな生き方をしてる、だから今こんな言葉を使っているんだ、こんな言葉に感動するんだって自分で発見していく事もすごく好き。

    でも今までは、「私がやっている事って他人の受け入り?誰も使わない様な自分だけの発想って何?」と表面的な「独自な発想論」に悩んできた私にとっては、著者の言葉のおかげでそのモヤモヤ感が拭いとれた気がする。

    『現代に生きる私たちも、あっという間に消えていく情報を追うだけでは自分を深めることはできません。なるべくたくさんの他者の認識を自分の認識として定着させる。言い換えれば、できるだけ自分の中に多くの他者を住まわせることを目標にしなければなりません。』

    他人の言葉に感動したら、それを引用し自分なりに咀嚼し文章化してみる。それを1つ1つ自分の言葉や価値観にしていけばいいんですね。
    かつて孔子も「述べて作らず」、つまり「自分は創作はしない」という言葉を残したそう。

    自分自身の感覚は9割以上が過去のものの継承なんだと…だとしたら、人から受けた言葉やいいなと思った言葉は自分の言葉にして、より多くの人に世代を超えて伝えていく、そこに人と人とのつながりを感じます。

    その為にも゛書く゛ことの習慣を着けていかねば、そう読み終えた時に思った。
    もうすぐインターンが始まる…

  • 学生、もしくは新社会人が読むような本。日頃から誰かに何かを伝えて価値を生み出すような仕事をしている人にとってはたいした事は書いてないかも。
    以下インスピレーションを受けたこと。

    1. メモをまとめてエッセイにする、というトレーニング。文章だけでなく、図で残す、というのも良いのでは?ビジネスではプレゼン、という自己表現の場がたくさんある


    2. 文章というのはほとんど自分の内部に蓄積された他者の認識
    なので、情報を舐めるだけでは自分のものにならず、文章にしにくい。

    3. 文章を書くにはまずはネタ出し。プロジェクトを進めることに似ている。

  • 相性というものがある。内容の善し悪し以前に、「お前に言われたくねぇよ」という意識が、読み進めるうちに如何ともしがたい心の垣根としてでき上がってしまうのだ。役に立つか否かでいえば、頷く箇所も少なからずあった。付箋も貼った。読みたくて読みたくて手にした一冊だけれども、意義ある一節も心に響かず、褪めた思いがつのる。
    文章って実は、書いていないことのほうが、より伝わってしまうものなんじゃないだろうか――そんな読後感を強く胸に抱いた。

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著者プロフィール

1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程を経て、現在明治大学文学部教授。教育学、身体論、コミュニケーション論を専門とする。2001年刊行の『声に出して読みたい日本語』が、シリーズ260万部のベストセラーとなる。その他著書に、『質問力』『段取り力』『コメント力』『齋藤孝の速読塾』『齋藤孝の企画塾』『やる気も成績も必ず上がる家庭勉強法』『恥をかかないスピーチ力』『思考を鍛えるメモ力』『超速読力』『頭がよくなる! 要約力』『新聞力』『こども「学問のすすめ」』『定義』等がある。

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