- Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101006017
感想・レビュー・書評
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高校卒業の時、担任の先生に貰った。
文章から感じる若さ、人生を諦めているようで諦めてない、そんな憎らしさ詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
処女作にして「晩年」。創作であると頭に入れながらも、太宰を知るのにはまずこれを勧めます。
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ビブリア古書堂の事件手帖から
中身は短編集
お話を楽しむというより、太宰文学とは?という観点で読んでみる方が良いかもしれない
難解な作品も多いので、ネット上の様々な解説と併せて読むと、理解が深まる -
やはり、太宰の言の葉は美しい。
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太宰治の作品を読むのは「人間失格」に次いで2度目。
15篇の短編に登場する男たちそれぞれに著者自身が投影されていて、全部を読み切ってはじめて彼の人物像が浮かび上がってくる。
彼の人並外れて過剰な自意識とナルシシズムに垣間見える普遍的な人間臭さに読者は魅了されるのかもしれない。 -
今年は太宰治の生誕110周年であります。何だかつひこないだ、100周年だつたやうに感じますが、改めて時の流れは早い。時蠅矢を好む。
で、今回は『晩年』の登場であります。第一作品集なのに、ジジ臭いタイトルをつけたものです。どうやらこの作品集を上梓した後に、自殺しやうと目論んでゐたフシがありますので、遺書のつもりで書いたのでせう。
十五篇の短篇からなる一冊。『晩年』とはその総タイトルで、「晩年」といふ名の小説があるわけではございません。
トップバッタア「葉」は、よく分かりません。いきなりですが。小説といふより、アフォリズム集に近いかも。
続く「思い出」は自伝的小説ですな。紀行文『津軽』で再会を果たす「たけ」も登場します。
「魚服記」に登場する少女スワ。わたくし好みであります。津軽の民話を基にした作品らしい。スワが鮒になり、滝壺に吸い込まれてしまふのは哀れであります。
「列車」はほんの掌編ですが、読後感は悪くない。否、好いのです。確かに列車での別れは手持ち無沙汰になりますな。
「地球図」はキリシタンもの。何も悪くないシロオテが獄中で牢死させられるのは義憤を感じるのであります。
「猿ヶ島」の新参者の猿が、人間を見世物と思つてゐたら、実は自分たちが人間の見世物であつたと悟つた時の衝撃。『人間失格』で、大庭葉蔵が周囲から狂人として扱はれてゐたと知つた時のショックを思ひ出しました。
「雀こ」は津軽方言で書かれてゐて、難しいのです。あまり理解出来ませんでした。奥野健男氏の解説で少し分かりましたが、情けないのであります。
そしていよいよ「道化の華」。「思い出」と並ぶ、本短篇集の根幹をなす作品であります。後に「虚構の彷徨」の一部となりますが、『人間失格』の原形とも申せませう。主人公の名も『人間失格』と同様、大庭葉蔵であります。
「猿面冠者」は、作家が小説を書く過程そのものを小説化してゐます。小説自体のパスティーシュでせうか。しかし最後の葉書、たつた一枚にあれだけの文章が書きこめるのでせうか。
「逆行」は「蝶蝶」「盗賊」「決闘」「くろんぼ」掌編四篇から成ります。「蝶蝶」の「25歳の老人」は、『人間失格』のラストシーンを思はせます。大庭葉蔵のその後か?
「彼は昔の彼ならず」の青扇は、間違ひなく作者自身がモデルですな。あのだらしなさ、言ひ訳の下手糞さといつたら......
「ロマネスク」は「仙術太郎」「喧嘩次郎兵衛」「嘘の三郎」の三篇から成立してをります。三人ともハピイエンドにはならないのですが、何となく笑つてしまふ作品群です。いやあ面白い。
「玩具」もまた、作者自身の独白体なのですが、作者を装ふ小説と申せませうか。我乍ら稚拙な表現でお恥づかしい。
「陰火」も「逆行」と同じく、四篇の掌編から成ります。即ち「誕生」「紙の鶴」「水車」「尼」で、「尼」は幻想的で不思議な作品。「紙の鶴」は丘みどりさんを連想しますね。どうでもいいけど。
そして最後の「めくら草紙」。この一篇は、『晩年』初版には含まれてゐなかつたさうです。最後のフレイズが格好いいといふか面白い。精神の不安定な時期に書かれたらしいですが、十分(好い意味で)商業的な作品として通用すると存じます。
第一作品集といふことで、もつと習作時代の名残のある、未熟な作品だと思ひなさるか。否、否。既に完成された作品群だと勘考いたします。読んだ人なら、太宰治の底知れぬ才能を感じ取ることができるでせう。
http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-804.html -
太宰治が「遺書」として残すために書きまくったという初期作品集。自殺未遂事件や幼少時の記憶や執筆のことなどほぼ私小説に近いような内容から、幻想小説に近いようなものなど、幅広く太宰の萌芽を感じさせる一冊になっています。
「道化の華」
人間失格のその後か?と思いながら読んでましたが、むしろそれよりも前に書かれていたという大庭葉蔵が自殺未遂する話。
入院中の葉蔵を訪れてくる友人たちとのやりとりが妙に明るくて不思議な感じでした。
太宰本人というか作家の視点がメタ的に挿入される前衛的な構成。それをハイカラな作風であろうとここで書いちゃう自虐まで丁寧に描かれていて面白かった。
「猿面冠者」
まだ書かぬ傑作の妄想にさいなまれる青年の話。とにかく傑作を書いてとにかく名声を得たい!と妬み嫉む姿はじめじめと陰湿でありながらも、いっそ正直で清々しかった。
小説は、やはりわがままに書かねばいけないものだ。試験の答案とは違うのである。
「逆行」
このなかの『決闘』という話が良かった。他人からどう見られているかだけを気にして生きる自意識過剰な主人公。ちまちま稼いだ有り金五円を握りしめ、カフェできっちり五円分の酒をのんだあとの会計の描写が気持ち悪いぐらい緻密で笑った。全財産のくせに、余裕綽々の態度でかっこつけた主人公にこちらが恥ずかしくなる。
太宰、一体どれほど芥川賞が欲しかったことか。
これを読んでからそのことを想像するとよりいっそう味わいが深まって楽しい。
死後100年以上経ってもこうして読み継がれているんだよって、知らせてあげたい。
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数十年ぶりの再読
「葉」のお婆さんが若夫婦の部屋を覗いているのと
白系ロシアの女の子の「咲クヨウニ。」だけを強烈に覚えていた。
後は太宰の自意識小説な「道化の華」
でも太宰ってある時期に強烈にハマらないと駄目だよな…
自意識小説でいえば私は山月記の方がビンビンくる派。
猿ヶ島、ロマネスクの方が今回は良かったなぁ -
坂口安吾の「堕落論」を久々に読んで、その中に「魚服記」がおもしろいとあったので、読んでみた。
太宰治は事あるごとに読んだつもりだけれど、そういえば「晩年」は読んだことがなかった。
ああでも、数ページで放り出したくなった。
太宰治研究者には涎ものだろうが、読み物としてはちっともおもしろくない。太宰が自己の殻を破ろうと果敢に挑んでいる。それはいいけど、通勤電車なんだよこちとらは。
MCがことさら自分の出自について長々と語りだして肝心の演劇がなかなか始まらない。始まったと思ったらまたMCが出しゃばってくる。ええい、わたしは演劇が楽しみでいたのに、といった気分になる。 -
ずっと「晩年」という作品があるのだと思っていたが、そうではなくこの作品集のタイトルだということを読み終わってから知ったという。
そして晩年に書かれたわけでもなく❨本人は遺書のつもりで書いたので意図としては晩年だが❩、作品集としては最初のものだというから、そのネーミングセンスからも著者のシニカルというかそういう視点の鋭さが伺える。
作品は様々な視点や手法を用いてかかれており、小説に語り手として著者を登場させたり自分の体験をもとにした話だったりかといえば物語だったりと同一作者か?と思うほど斬新。遺書のつもりの作品集、ということで恐らく著者もこれが最後と全ての手法やらを詰め込んだのだろう。
そのような手法を取り入れることで、ともすると一般人には不可解な生活をして不可解な思いを抱えている主人公、というだけに終わりがちな話を痛烈に浮かび上がらせているように感じる(一言で言えば、ツッコミ役を設けているということか)。
個人的には道化の華がよい。お互いの距離を計りながら自尊心を傷つけあうことを避けるよう接し方に気を使い合う友人3人の様子は、私にも心当たりがありすぎてギクリとさせられる。作中ではそんな関係に対して事実として淡々と語られているだけだが、著者に批判されているというか憐みの目で見られているような気がするのは気のせいではないかもしれない。