放浪記 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (576ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101061016

感想・レビュー・書評

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  • これも、ヤマザキマリさんの本棚にあったので読みました。
    明治36年に生まれ昭和26年まで生きた林芙美子の三部からなる日記と詩です。


    (P530より)
    死んじまいなよ。何で生きてるんだよ。
    何年生きたって同じことだよ。お前はどうだ?
    生きていたい。死にたくはござらぬぞ…。
    少しは色気も吸いたいし、飯もぞんぶんに
    食いたいのです。


    十二、三歳のころから下女、女中、カフェーの女給として働き女学校には自分の稼ぎで通い、十七、八歳のころから、義父と母に仕送りをしなければならず、毎日の食べる者にも困窮する生活を送りながら詩と日記を書いています。

    まだ、二十歳にしてはずいぶんと大人びていると思いました。大人にならざるを得なかったのでしょうね。

    いくら貧しくても本は読みたい、詩や小説は書きたいという貪欲な、向上心には撃たれました。

    私が同じ立場だったらとっくの昔に野垂れ死んでいると思いました。

    林芙美子には強靭な精神力、生きる力があったからこそ、この作品は出版され日の目をみて読み継がれているのだろうなと思いました。

    十七歳で独りイタリアに留学されたヤマザキマリさんもその姿をおそらく御自身に重ねて読まれたのだろうと思いました。


    (ページ数不明)
    私には本当は古里なんて、どこでもいいのだと思う。苦しみや楽しみの中にそだっていったところが古里なんですもの。
    だから、この『放浪記』も旅の古里をなつかしがっているところが非常に多い。

  •  故 森光子さんが2000回以上も公演を行った舞台の原作。たまたま実家の本棚で見つけ、読んでみたいと積読したまま約20年も経ってしまった。
     一頁目「放浪記以前」という章。
     「私は宿命的に放浪者である。私は古里というものを持たない。・・・故郷に入れられなかった両親を持つ私は、したがって旅が古里であった。それ故、宿命的に旅人である私は、この恋いしや古里の歌を、随分侘しい気持ちで習ったものであった。・・・今の私の父は養父である。・・・人生の半分は苦労で埋もれていた人だ。私は母の連れ子となって、この父と一緒になると、ほとんど住家というものを持たないで暮らして来た。どこへ行っても木賃宿ばかりの生活だった。・・・」
     この悲しく苦労続きだった人生を、しかし詩情豊かに書いていくこの人の文章を私は「好きだ」と思って読み始めた。
     子供のころの思い出「放浪記以前」を経て、東京に来てからの日記が始まる。もともとは愛人を追って上京し、彼の学費を稼いであげたりしたそうなのだが、卒業すると彼は尾道に帰って結婚してしまった。芙美子さんは絶望するが親元は帰る気にもなれず、下女や女中やカフェーの女給などの職を転々としたり出版社に売れない詩や童話を持っていったり、時々上京してくる両親と一緒に行商をしたりして、食べていくだけのお金を稼げたり稼げなかったりの生活を送っていた。
     第一部、第二部は貧しい生活を書きながらも情緒豊かな表現が散らばっている。

    「私は毎日セルロイドの色塗りに通っている。・・・私が色塗りをした蝶々のおさげ止めは、懐かしいスヴニールとなって、今頃は何処へ散乱して行っていることだろう・・・朝の七時から、夕方の五時まで、私達の周囲は、ゆでイカのような色をしたセルロイドの蝶々やキューピーでいっぱいだ。」 
     芙美子さんは意図していなかったかもしれないが、“スヴニール”、“セルロイド”、“おさげ止め”といった具体的な単語一つ一つでさえ、現代の読者がぼんやりとした輪郭しか知らない大正時代に色を付けていく。
     
    (自分を捨てて尾道の因島に帰った愛人を訪ねて島へ行ったとき)「牛二匹。腐れた藁屋根。レモンの丘。チャボが花のように群れた庭。一月の太陽は、こんなところにも霧のように美しい光芒を散らしていた。」

     びっくりするような波乱万丈の人生を送る女性たちが身近に何人も登場する。十二歳の時、満州にさらわれ、その後女芸者屋に売られた初ちゃん。三十歳も年上の亭主の子供を十三歳の時に産み、いつも妾を家に連れてくる亭主と養母のために働き続けている、お君さん。
    アパートの隣の部屋の住人“ベニ”は、不良パパと同居する女学生なのだが、ある日突然そのパパが詐欺横領罪で警察に連行されてしまう。似たような境遇の人達が集まってしまうのか、芙美子さんはその女性たちと姉妹のような絆を感じている。救ってあげることは出来ないが、彼女たちのことを書く時、愛情が感じられる。
    「・・・時ちゃんが自転車で出前を持っていく。べらぼうな時ちゃんの自転車乗りの姿を見ていると、涙が出るほどおかしかった。とにかく、この女は自分の美しさをよく知っているから面白い。・・・」

     芙美子さんのような才女なら、もう少し要領良く生きればそんなに苦労しなくてもよかったのではないかと思いながら第一部、第二部を読んだ。情が深くて、少しお金を貯めると両親に仕送りしたり、本を買ったり、仕事を辞めてふらっと旅に出てしまったりして、その結果何日も食べることが出来ずにいる。

     しかし、第三部を読むと第一部・第二部は比較的きれいなところばかりの抜粋だったと分かる。なぜなら、第一部と第二部は戦前に出版され、検閲を恐れて発表しなかった部分が多く、第三部は戦後に出版され、第一部・第二部で発表しなかった部分を発表しているからだ。
    (第一部・第二部・第三部は時系列ではなく、大正11年から大正15年までの放浪時代の日記を最初に抜粋して「女人芸術」に連載したものが第一部、その後同じ時期の日記から再度抜粋して出版したのが第二部、戦後にもう一度抜粋したのが第三部である。)
     第三部ではすさまじく彼女の極貧生活、思いが吐露されている。犬のように汚い生活。(当時の)夫から振るわれた暴力の実態。第一部、第二部ではあれほど「ああ、愛しいお母さん」と書いていた母親のことを「何をしても下手な人だ」「死んでしまえばいいのに」「あんな義父と別れさえしてくれれば、母と私はまともな生活ができるのに」などと書いている。
     本当に大変だったのだなあと第三部では思った。“私生児”ということも書かれ、複雑すぎる家庭環境から「古里を持たない」ということの本当の意味も分かった(第二部の最後にも詳しく書かれているが)。
     文学に対する彼女の見解も述べられている。「・・・捨身で書くのだ。西洋の詩人きどりではいかものなり。きどりはおあずけ。食べたいときは食べたいと書き、惚れているときは惚れましたと書く。それでよいではございませんか。」
     林芙美子さんは当時の文壇のようなところからは認められなかったようだが、人のまねをせず、“捨身”で自分の生活や思いを吐露した結果、独自のスタイルを築きあげたのだと思う。
     戦前は「貧乏を売りにする作家」や「半年間のパリ滞在をネタにする作家」、戦中は「政府お抱え作家(従軍作家)」など、常にボロカスに言われてきた作家らしいが、47歳で亡くなるまで、売れっ子作家として寝る間も惜しんでフル稼働で書き続け、母親や義父や親族一同の面倒を見ていたそうである。夢がかなった後も、“放浪”と“働き続けること”は変わらなかったらしい。
     本当は自分の赤裸々な日記など誰も人目に晒したくないと思う。林芙美子さん自身も「自分の死後は『放浪記』も絶版にするように」と言っておられたそうであるが、「読まして下さって有難うございました」という気持ちである。

    • Macomi55さん
      再びのコメント有難うございます。
      自分が苦手だと思っていた作家さんの本でも他の方のレビューを読んで「そういう見方もあるのか!」と発見したり、...
      再びのコメント有難うございます。
      自分が苦手だと思っていた作家さんの本でも他の方のレビューを読んで「そういう見方もあるのか!」と発見したり、自分と同じように★5を付けている人でも感じる角度が全く異なっていたり、深くて広い発見がありますね。
      今後ともよろしくお願いいたします。
      また、地球っ子さんのレビューにもコメントさせて頂くと思います。
      2020/10/10
    • 5552さん
      Macomi55さん、おはようございます。
      フォローと拙い感想にたくさんのいいね!ありがとうございました。
      『放浪記』。前から興味があっ...
      Macomi55さん、おはようございます。
      フォローと拙い感想にたくさんのいいね!ありがとうございました。
      『放浪記』。前から興味があったのですが、Macomi55さんのレビューを拝見してますます読みたくなってきてしまいました。
      ブクログを始めて三年目に入ったくらいなのですが、前より確実に読書の幅が広がってきています。
      Macomi55さんのレビューも選書の参考にさせていただきますね。
      2020/10/17
    • Macomi55さん
      5552さん、はじめまして。
      こちらこそ、フォローと沢山の「いいね」とコメントを有難うございました。
      5552さんの本棚を拝見するのは、とて...
      5552さん、はじめまして。
      こちらこそ、フォローと沢山の「いいね」とコメントを有難うございました。
      5552さんの本棚を拝見するのは、とても楽しかったです。読みたくなる本やDVDを沢山紹介して頂き、有難うございました。
      私は最近ブクログを始めましたが、5552さんと同じで、他の読書家さんの本棚を参考にして読書の幅が広がったり、レビューを書きたいので、前より考えながら読むようになったりしました。
      今後も色々な本やDVDを紹介して下さるのをたのしみにしております。よろしくお願いいたします。
      2020/10/17
  • 「下駄で歩いた巴里」を読んだとき、林芙美子って貧乏の印象しかなかったけど流行作家になって旅行してるじゃん、と思ったんだけど、これを読んだら、ああやっぱりすごく貧乏ですごく苦労したんだね、と申しわけない気分になった。こんなふうにずっと食べるにもことかくほど貧乏で孤独でみじめな気持ちだったのかなと思うと胸が痛むくらい。

    何月×日、って日記風になっているけれども、年度はわからないし、とびとびで何年もあいだがあいているようだったりするし、一部~三部とあっても時代順なわけではないし、いったいどういう状況なの?と思うこともあった。作家になったいきさつなどもまったくわからない。
    で、巻末の解説を読んだり、ネットで調べたりして状況を推測したりしてるうち、林芙美子、したたかとか意地悪とかやけに評判悪いなと思ったんだけど、放浪記を読んでいるぶんにはそういうイメージはなく、もちろんたくましくはあるけれど、寂しがりやで繊細で優しいという印象をもった。文章やたくさんの詩も抒情的な感じ。どうしても森光子の舞台みたいな、でんぐり返ししているようなイメージはわかないんだけどなあ……。

    この時代、やっぱり女が職を得るのは難しかったんだろうか。カフェの女給とか女中とかしかなかったのかな。ときどき事務員とかまともそうな職についていることもあるんだけど、続かなかったらしい。地味で単調な仕事はいやになってしまうんだろうか。もし林芙美子に書く才能がなくて、これほどの気力体力、情熱もなかったら、平凡な仕事についてここまで苦労はしなかったのかもしれないなーとか思った。
    なんだかもっと林芙美子を知りたくなった。

    • 猫丸(nyancomaru)さん

      「群ようこさんが林芙美子について書いた」
      現在品切れ中みたいで残念。
      何故か群ようこは信頼出来ると思っている(著作はそれほど読んでませんが...

      「群ようこさんが林芙美子について書いた」
      現在品切れ中みたいで残念。
      何故か群ようこは信頼出来ると思っている(著作はそれほど読んでませんが)。なので図書館で借りようかと、、、他に川本三郎「林芙美子の昭和」新書館、関川夏央「女流 林芙美子と有吉佐和子」集英社文庫。この二人も信頼度が高いので、「下駄巴里」の後で借りて読みます。
      2012/08/04
    • niwatokoさん
      「飢え」はしかたなくブック○フで買いました。川本氏と関川氏のものもよさそうですね、わたしも読みたいです。
      「飢え」はしかたなくブック○フで買いました。川本氏と関川氏のものもよさそうですね、わたしも読みたいです。
      2012/08/05
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「下駄巴里」と「放浪記」購入。。。
      「ブック○フで買いました。」
      最近使い過ぎてるので、考えないといけないかなぁ~古書店利用。。。
      「下駄巴里」と「放浪記」購入。。。
      「ブック○フで買いました。」
      最近使い過ぎてるので、考えないといけないかなぁ~古書店利用。。。
      2012/08/09
  • 続けて読んだ林芙美子『放浪記』とリリー・フランキー『東京タワー』

     書かれたのは1930年と2005年、時代は半世紀以上はなれているけれどもなんと似ていることだろう!醸すもの雰囲気のことであって個性はちがうのだけども。

     作者の生い立ち、経験を文学に昇華している
     日記風
     尋常な家庭、両親ではない
     そんななかで親思いの強さがすごい
     芙美子は行商をして育ててくれた養父と実母に
     雅也(リリー・フランキーのこと)は母と母と離婚はしていないが別居している父に
     貧困なる家庭、しかしどん底ならざる文化がただよう
     芙美子は女学校(昔はそんな家庭の子は行けなかったのに)
     雅也は武蔵野美術大学(母の献身的な働きのおかげで)
     実質ひとりっこ、甘えん坊のどうしょうもないわがまま
     いったんは親を棄てたような本人達のハチャメチャな人生
     しかし、ことあるごとに篤い熱い母親への思いをあふれさす、行動する
     本人の行状を記しているようで、その底には母という1人の女性が浮かび上がる
     芙美子の母の奔放的な男遍歴とみえるも正直な情熱
     雅也の母の激しくも秘めた女性の生き方
     つまり現代の女性にとって好もしく見える姿のよう
     両方ともおいしいものがいっぱい、いいものがいっぱいでてくる
     引越し、移動がはなはだしい、多い(放浪癖)
     地方と東京(芙美子は尾道、雅也は小倉、筑豊)
     あげくに東京の魔力にはまっているよう
     東京がやたら詳しい、もの(笑)
     アンバランスな裏打ちのない文化(今の日本人がそうなのじゃないか)
     わたしとしては両方とも好きだなー

  • 大正時代、極貧状態にあった女性の日記。金、飯、男、家族、周囲の人間の話と、詩が主。半ば呪いめいた愚痴と、その日に何かあったかを書き連ねた内容。3つの本をまとめた内容になっているが、そのうち1巻目にあたる部分の内容は中々悲惨である。セルロイド工場で人形に永遠と色付けを行っている辺りは特に印象に残った。あまりに生々しかったためか、戦時中発禁処分になった様子。それも仕方ないように思う。金品の貸し借りや人間関係などは随分現代と違うように感じるので、その辺りは興味深かった。しかし、こんな状態でもどうにか暮らしている作者の方のバイタルは現代人には無いものだと思った。

  • 貧困、不運ななか、必死に、そして前を向いて生きる強かさ

  • 日記文学という形式の中に,自ら生計を立てていくことの自覚と,時折現れる詩情が入り混じる。本作のリアリティはいきが良い。

  • NHK百分で名著での紹介に触発され、放浪記を読み進めております(名前は良く知っていましたが、読んだことが無く)。炭鉱の多い西日本各地(門司、下関、戸畑、若松、佐世保、直方等)を転々とする小さな林芙美子(1903年生まれ)と松本清張(1909年生まれ)の小倉での苦しい暮らしが重なります。あの、海が見える、という尾道の記述には(芙美子が女学校を卒業した町でもあり)、小津監督の東京物語の冒頭の風景が重なります。大正時代に書かれた日記を基にした小説(1928年の出版)のようですが、今読んでも、新鮮でかつ様々な町の歴史等を立体的に味わえる本ですね。こんないい小説だったのね、と今更気づかされております、★四つです。

  • 前半、貧しい暮らしぶりを読むにつれ、しみったれた話だなやだやだと思っていたが、次第に引き込まれる。

    すさまじく金がなく寒いひもじいひもじいたべたい苦しい、という暮らしの中での、彼女の生きる力、伸びたい力の強さ、感性の鋭さとみずみずしさにおどろく。

    作家になりたい、書きたくて書きたくてたまらない、という夢を静かに熱く追いつづける。トルストイを読み、心のままにシンプルに書け、という教えを実践して試行錯誤。でも金にならない、私なんて才能がない、だけど書きたい書きたいと渇望。

    大正11年1922年(100年前!)から5年間の日記がベースとのこと。20歳前後。身なりは粗末であったかもしれないが、眼光はするどかっただろう。

    ○裸になると元気になる。

    ○トルストイが伯爵であったことに驚く。(略)トルストイの芸術は美しく私の胸をかきたてる。あなたは、陰ではひそかに美味いものを食っていたんでしょう?(//ふみこ、そこに嫉妬する?私だったらその知性と才能に嫉妬する。人は満たされてないところに嫉妬するのだなと)

  • 以前読んだ別の本に放浪記についての記述があり、そういえば読んだことなかったなと、図書館で借りてみました。

    メモ書きのような日記のような、雑多な書き物の寄せ集めでした。
    起承転結もなく、ストーリーを追って真面目に読むと何がどうなったのかがさっぱり分からなくて戸惑いますが、本書はそういう読み方をしてはいけません。

    極貧生活の中で、腹が減り、金を欲しがり、母が恋しく、男が欲しい。
    詩が売れず、仕事が続かず、いっそ身売りしてしまおうかとよぎる・・・
    そのくせ、なけなしの金で駄菓子を買ってみたり、家賃を滞納しながら旅行に行ったり、職を転々としたり。
    いつでも自由を謳歌する明るさと力強さが根底にあり、貧乏をユーモラスに語りきる林芙美子、奔放で正直者だなあ、という印象です。

    それに、生き方もすごいけど、文章もすごいんです。
    コトバの使い方が独特だし、時々書かれた詩も情報量がすごい。情景も心情もありありと伝わり、最後にはこの当時の日本全体がどんな感じかまで分かった気になりました。。

著者プロフィール

1903(明治36)年生まれ、1951(昭和26)年6月28日没。
詩集『蒼馬を見たり』(南宋書院、1929年)、『放浪記』『続放浪記』(改造社、1930年)など、生前の単行本170冊。

「2021年 『新選 林芙美子童話集 第3巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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