- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101117188
感想・レビュー・書評
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実話を元にしたフィクションだそうだ。
中盤まではゆっくりだが、終盤から物凄い急展開で目が離せなくなる。
道理的には良くないことと言え、破船を待ち構える貧しい人々の生活や思いが丁寧にかつ淡々と描かれている。
彼らは自分たちの行いが良くないことだという認識は一切無さそうだ。
「お船様」というパワーワードが印象に残る。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
吉村文学を初めて読む。本作はノンフィクションとのことだが、妙にリアリティがある。江戸時代の寒村の貧困の淡々とした描写が本当にリアルで、臭いや感触が伝わってくるからか。
村にとっての最大のイベント「お船様」(笑)
この響き、一回聞いたら忘れられなインパクトだし、お船様に目をギラギラさせる村民の熱度が文章から伝わってくる。
何の救いもないラストもあいまって、貧困とは何の救いもない身も蓋もない現実を見せてくれる本作。大好きな作品です。 -
「お船様」と呼ばれる僻地の貧しい漁村の風習。それが幸福と災厄をもたらす。全く無駄の無い硬質な文章で読者の想像をかき立てる名著。
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羆嵐の時にも思ったが、本の残り二割からの急転直下が素晴らしい。ずっと灰色の世界を見てきたところへ現れた赤が不気味でしかたなかった。
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吉村昭と言えば史実に取材した記録文学の雄だが、これは完全なるフィクション(多分)。時代設定は江戸後期くらいか、貧困に喘ぐ漁村集落の暮らしを季節の中に描く一方で、集落に代々伝わる「お船様」と呼ばれるモノが実は座礁した船からの簒奪であることが物語も早々に明らかにされる。そしてその「お船様」によって引き起こされる凄惨な事件が、吉村昭らしい淡々とした筆で語られる。
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貧しい漁村の生活が生々しく描かれている。
自分の今の豊かさを改めて実感し忘れてはいけない。
お船様が来て少し豊かになると、気持ちが緩み怠けてしまう。豊かな時こそ貧しい時の日常生活が大切。伊作の母が言っていた「物というものは、いつかなくなる。恵まれている時にこそ気持ちをひきしめなければ、必ず泣かねばならぬようになる」
村社会の煩わしい制約や不自由さを感じる反面、貧富の差がなく、現代にはない無意識の共助からなぜか貧しさの中に温かさを感じた。 -
人は昔からウイルス感染と戦ってきたけれど、無知と貧困が悲劇を増大させる。この結末は悲しいの一語に尽きる。作者の淡々とした書きぶりに、人間の無力さを思い知らされる。
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おそらく舞台は江戸中期以降の日本海に面した寒村。米もとれず漁も存分とはいかない貧しい村では、海沿いで荒天の夜に塩焼きの火を炊く。それは塩づくりにかこつけて海をゆく船をおびき寄せ、船員は殺し積荷を奪って生活の糧にしていた。それでなければ生活が立ち行かない。口封じに船員を殺すことが常道でありながらも、船の到来を「お船様」と呼んだり船が来るよう神に祈るしきたりなどからは、半ば神の恵みとして認識していることがわかり、それって若干のご都合主義にも思えるが、生きるためにしかたないことに思える。そんな村に2年かけて2件の「お船様」が来たことで、幸せと不幸があざなわれた縄のように村人たちを翻弄する。
よそから隔絶されたある種原始的な村人たちの生き方からは、生命をつないでいくことへの思いの強さがうかがえる。力のある男、多産そうな女がもてはやされたり、親は何としても子を生かそうとし、そのために再び帰れるともわからない年季に出たりする。そうした命を何とかしてつないでいかなければという思いが、終盤の村おさの決断にもなる。
親子だったり夫と妻だったりといった目の前の愛しい人との別れを悲しくともつらくとも受け入れ、村や一族のゆく末のことを考える。子のため子孫のためには自分の身を平気で投げうつ覚悟……いや、おそらく覚悟というほどもなくそれが当たり前のことなのだろう。翻って、親のエゴのような事件で子どもが虐待されたり命を失ったりする現代。コロナ禍のなか、わが身を守ろうとしてか他者を攻撃したり確かな根拠もなく非難したり排除したりするような時代。生き方の真剣さとして比べようもないけど、何だか現代の苦さを感じてしまった。
吉村昭の書いたものは初めて読んだけど、ストーリーの面白さもだけど危なげのない筆致ですいすい読んでいける。やっぱり小説の神髄って三人称で書いてこそだと思う。本物の小説を読んだって感じのほどよい満足感。 -
世の中と隔絶した名も無き漁村を舞台に描かれる、江戸時代の極貧生活。わずか17戸の小さな貧村では、夜の岬で塩焼きという風習が行われていた。しかしその本当の目的は、遭難した船をおびき寄せ座礁させるためものであった。
口減らし、年季奉公という名の身売り、死を意味する山追いなど、一般庶民がまともに食えない時代である。遭難船は「お舟様」と呼ばれ、村にとって恵みをもたらす一大慶事であった。前年に、大量のコメを積んだ「お舟様」によって潤った村が、2年連続で新たな「お舟様」を迎えた。しかし、船には積荷はなく、20数名の乗船者は皆一様に、謎の赤い布を身に付けて死に絶えていた。村長はその着衣を村民に分配する。しかし「お舟様」は村に絶望的な厄いをもたらす事となる。 -
これは、フィクションのようだけど、過去、日本の各所の貧村で本当に起きていた話だと思わずにはいられなかった。今見ると変てこに見える風習が、伊作の村では日常生活の中に必然として行われていて違和感を持たせない。つながってない共同体で生きるのが昔は普通だった。死後、村の者として再び生まれ変わることを望む伊作を、今の我々がこの広大な空間をもてあましていることを考えると、視野が狭いとは言えない。3年間同じ繰り返しの中で人は少しずつ成長し、変化が生まれる。これが伊作の成長物語だったら良かったのに。母と弟と2人の妹を失っても、日々は繰り返されるのだろうか。父と伊作はどうなるのだろうか。