- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101123028
感想・レビュー・書評
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平凡な暮らしを、出来たら人よりちょっと良い暮らしを望む、ごく普通の医学生が、戦争末期の海にのまれて、米軍捕虜の生体解剖に参加する。
良心とは。
罪とは。
罰とは。
生体解剖は、戦争という「異常」な状態だったから起きたのか?
参加者は「異常者」だったのか?
きっとそうではないんだろうな。
異常と正常の境目は常に曖昧で、日常の延長線上にそれはあって、
誰もがどこかで踏み越える可能性を抱えている。
そのラインを前に、私たちを踏み止まらせるのが良心であり、神なのかなと思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
暗いけれど、さすが名作。読みごたえ抜群。これを読んでいたらえらい暗い話読んでるねとつっこまれた。
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久しぶりに読んでみた。
生体解剖。
異常な状況の異常な事件。
命令ならやってしまう。
戦争。 -
「海と毒薬」1957年発表。遠藤周作さん。
「いつかは読もうと何十年も思っていて読んでなかった本」シリーズ。
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戦後わずか12年目の発表です。
不勉強で良く知りませんが、実際に戦中末期に、九州の医大で「米軍の捕虜を生体実験解剖をして、殺した」という事件があったそうなんです。
その事件を素にして書かれた小説だそう。
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1945年です。戦争末期です。
主人公は九州の医大に勤務する青年医師の「勝呂」。同じく青年医師の「戸田」。そしてその病院で看護婦をしている「上田」。
今と変わらぬ「白い巨塔」。医大の人間模様がまず描かれる。勢力争い。政治。そのためのオペ。
「白い巨塔」に精神的に疲弊している、純粋な勝呂医師。
ニヒルで虚無的でしたたかに見える戸田医師。
黙々と働いている上田看護婦。
軍部から降って湧いた「米軍捕虜の生体解剖実験」。それに下っ端として参加することになる勝呂と戸田。そして上田。
それぞれに、気が重く、罪悪感がありながら、当日の現場を迎える。
戸田は気持ちがダウンしてしまって、見ているだけになる。
そして、無事に解剖実験は終わる。
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それだけの話なんです。「何が起こるか」で言うと。
章ごとに、「勝呂⇒上田⇒戸田」と視点を変えながら、ひとりひとりがどういう育ちをした人で、どういう過去を背負っていて、どういう気持ちで参加したのか、ということをとてもグリグリと描いています。そこンところが実に面白い。
事件そのものではなくて、そこに巻き込まれた「ひと」と「心理」を描きます。実に小説らしい小説です。
(熊井啓監督、渡辺謙、奥田瑛二主演で映画化されました。遠い昔に観た記憶がありますが、今回読んでみて、「原作の方が圧倒的に面白かった」という感想。)
気が弱く、良心の咎めを受けながらも、流されて行く勝呂医師。
結婚に失敗し、子供と死別して、虚無的に、自暴自棄に、そして僻みに生きる中で参加する上田看護婦。
子供の頃から優等で特別扱いで、大人の要求を満たして自己実現するズルイ男、戸田。
この中で、印象に残ったのは、家族も子供も失って、淋しい極北に孤独に生きる上田看護婦。
ゆきずりに癒しを求めてくる上司に体を許してしまう。もはや、守るべきものがないのだ。
そして、自分の中にモラルが無いことを自覚している戸田医師。
どこまで、自分はずるいことをして、ひどいことをして、許されてしまうのか?
このふたりの有りようを見つめていくことで、「心の中に、何かしらかの神を持っていない人間の、きしみ、というか。辛さというか。寂しさというか」
そういう風景が実に鮮やかに広がって行きます。
何も断罪することもなく、弁護も非難もせずに。実に小説らしい小説。名作だと思いました。
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ちなみに。
「海と毒薬」が1957年発表だそうで。
そして、山崎豊子さんの「白い巨塔」が1965年だそう。
大学病院の、権威、競争、組織、みたいな力学については、遠藤周作さんが一歩早く、小説化していたんですね。
(ふと思ったのですが、「白い巨塔」も未読でした。
唐沢寿明さん主演のテレビドラマで見ただけで。
あれはテレビドラマとして大変に傑作だったのですが、原作もこれを機会に読んでみようかなと思いました) -
なぜ、断れなかったのか。著者はすべての読者に問いかけている。
小説は何気ない日常から始まる。ふつうのまちでの、何気ない一日。我々読者が住んでいる世界と何ら変わらない。しかしこの日常は紙一重で地獄のような戦争体験とつながっている。まちの住人は戦争体験者で、人を殺した経験があるという。そして勝呂医師の過去。地獄絵図と日常は対比されながら、一方でつながり合っている。病院での登場人物もいたってふつうの感覚の持ち主である。僕は戸田の少年期の回想に共感してしまった部分もあった。(程度差はあれ、共感した人は多いのではないか)この残酷な事件を、我々読者の感覚から切り離さず、「同じ立場だったら」と考えさせる展開になっている。そして断れなかった理由を、著者は「運命」、人間の意思を超えて人間を飲み込もうとするどす黒い流れ、と呼んでいる。
ひとつは、戦時中の異常さは抜きにはできないということだ。まわりでは無数の人間が何の意味もなく死んでいく。このようななかで、多くの人の間で無気力さ、虚脱感、自分の人生を大事にできない感覚、が共有されていたのではないか。これが流れをつくっていたのではないか。しかし「戦争」という日常の対立概念をもちだして彼らの心理を説明することは著者の本意ではない。戦争下ではなくとも、このような悪い流れが存在することも、ある。 -
戦中に発生した米軍捕虜に対する生体解剖を題材にした問題作。ある事件を題材に深層心理を深く考察する作品としては『金閣寺』が有名だが、本作品の特徴は遠藤周作が得意とする日本人ならではの特性と心理描写であろう。ある者は栄達から、ある者は色情から、ある者は無策から、運命の日のオペに立ち会う。
遠藤周作は、人道的や倫理観からの勧善懲悪の二元論ではなく、日本人の持つ複雑な心理を熟知し、人間が本質的に具える残虐性が戦争というトリガーによって引き起こされ、背徳を抱きつつも生体解剖に至るまでを重層的に描き出す。冒頭の日常感が、その異常性を際立たせる。
『沈黙』同様、全体に漂う陰鬱な雰囲気はあるが、読み応えのある名作だ。 -
題名も、その主題も作者も表紙の様子も、前から気になって仕方がない作品でした、古本屋で手にいれ、自宅の未読古本置き場に置こうとすると、そこにはもうすでに同じ本が入っていました。あらら~近頃こういうことが少なくありません。ただ、表紙の様子は少し違うものでした。
人の心の中にデンと存在する「悪さ」をこれでもか!と描き続ける稀有な作家です。面白いかそうでないかと問われたら、たぶんこの作品は面白くないほうでしょう。でもこういうタイプの作品、私には絶対必要です。 -
少々ネタバレです。
私にとって二冊目の遠藤周作。
第二次世界大戦中の九州大医学部で起きた、米兵捕虜を生きたまま解剖する、というおぞましい事件を題材にした小説。
作者が、神なき日本人の罪の意識や、民族性を描き出そうとした問題作。
上記の解剖シーンと比較される目的で、他二件の臨床シーンが出てくる。ひとつの焦点は、敬虔なキリスト教信者(教授の外国人妻)が「神が怖くないのか」と正しくあろうとする姿とその行動に嫌悪・嫉妬する看護師の心の動き、もうひとつの焦点は、故意ではなく手術の失敗によりある患者を死に至らしめてしまったその際の医師群の動揺と行動。
結局日本人の罪の意識がどうだったかというと、これは個人毎の人生の経緯、価値観、感受性によって異なるようで、日本人だからこう、とは言えないように思った。何か特定の宗教を熱心に信心していたからといって、必ずしや道徳に反かずにきれいに生きられるとは限らない。戦争中なら尚更だ。(むしろ宗教がきっかけとなり始まった戦争の多いこと…。)
このテーマを、戦争中という正常でない時代の出来事に落とし込んだのは、少し残酷な気がする。
しかし、生体解剖中の傍観者たちの描写には、日本人特有の同調圧力のようなものがうまく表れているように思った。
そしてその手術が終わった後、そっと手術室に戻った二人の医師を描いた場面が秀逸。胸を締め付けられた。
すごく良い小説だった。やはり名作と名高いものには理由がある。生涯に渡り手元において何度も読み返したい。 -
戦時中の病院の様子、生活の様子がみてとれて興味深かった。何度も読み直したい。
正常と異常の境、それはわかりやすい形で手にとれるものではなく、知らぬ間に近所に潜んでいるものなのかもしれない。 -
確か実際にあった事件が題材になっていたと記憶する。
これが本当にあったと思うと,非人道的であり,嫌悪感を抱く。直接的な原因ではなくても,戦争によって人間の道徳心が崩壊されたのであれば,あまりにも酷い話である。