- Amazon.co.jp ・本 (218ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101315119
感想・レビュー・書評
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心温まる本☺️結末は割と見えていたけど純粋な気持ちになれる
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ストーリー性も文章表現も秀逸だった。
特に気に入った表現は、
「あいつがちょこまか動きだすと、ボールはまるで杉田の飼い犬になったみたいにその足もとから離れようとしないのだ。」
「縁側には、コスモスの花の写真が印刷された袋が、ぜんぶで五十以上もちらばっている。縁側に、ひと足早く花が咲いたようだ。」
私達が普段見ている景色や、動作、物体も、著者のユニークな感性で表現されていて、新たな刺激が味わえた。
特に、彼女の直喩法を使った表現が印象に残った。
素人が直喩法を用いて文を作るとなると、どこか不自然になったり、不恰好な文章になることが多いが、彼女の文章からは微塵も感じられない。
また、児童文学者協会新人賞、児童文芸賞を受賞したこの作品だが、児童文学とは思えないほど感動した。
児童文学や薄い本は、どうしても物語全体の重さが軽くなってしまいがちであまり好きではなかったのだが、この作品は登場人物(おじいさんと少年)と期間(小学校最後の夏休み)をある程度絞っているせいか、それらがあまり感じられなかった。
最近は高齢者と子供のふれあいが少なくなり、関係が薄くなってしまっている気がする。
老人ホームと小学校の複合施設の設置が提案されているが、実際は厚生労働省と文部科学省という行政機関が異なることから実現は難しいらしい。
少子高齢化の今だからこそ、世代を超えて手を取り合える世の中になってほしい。 -
少年と老人のひと夏の物語。小学生だからといって手加減しない、対等な付き合いができる、大人っていいなと思いました。とくに、不必要なことを教えてくれる、「悪い大人」が。大人になるのも悪くないなと思わせる大人が。
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再読。「死」というものに興味のある小学六年生3人組が、近所の老人が死ぬ瞬間を観察しようとする物語。老人と子供達は次第に交流を深めていき、老人は元気になっていく。
確かに、死に触れる機会がめっきり減ってしまった現代では、特別なものに感じるかもしれない。しかし、死を考えると同時に生も考え、そして現在を生きながら過去を知り、そして未来に想いを馳せる。それらは全て繋がっていて延長線にある。まだ見えぬ未来や死に対して人間は不安や恐怖を抱くが、それらは恐れるものではないのだとこの本を読んで感じた。
人間は自分一人だと適当になってしまうが、その意味で老人は子供達に生かされていたのだろう。そして、子供達は日常で接するどの大人とも違うこの老人に、たくさん大切なことを教えてもらう。読んでいる間、その温かさに涙が出てきてしまう程だった。私もまたこの本を読みながら子供達と一緒に少し大人になったようだ。
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「死ぬ」とはどういうことだろう。
そんな疑問を持った少年たちは、
近所の「死にそうな」老人を見張り始める。もちろん、興味本位で。
そんな興味から生まれた、心温まる話。
いつしか「友情」がはぐくまれているのか、
老人は少年たちに教え、そして教わる。
子供が興味を持つことは、いつだって不思議で、愉快である。 -
多感な年頃の3人の少年と一人暮らしのお爺さんのお話。人間は死んだらどうなるか?という疑問から、お爺さんを見張り始め、交流が始まる。少年たちとお爺さんのさりげない温かさや優しさがじんわり心に染みてくる。あとがきの作者の祖父の話もジーンとくる。
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私の中で小学生くらいの頃からすでに存在は知っていた。西の魔女が死んだ、と、似たような小説なのかな?なんて説明書きを読んで漠然と感じていて、西の魔女が死んだがあまりに良かったから読んでみたら、これもまた、よかった。当たり前に存在する死、老後に、ほんの小学生が直面したときに揺れ動く心、衝撃による動揺が、とても自然に描かれていた。それが懐かしいような、私もまだ経験したことないことを教えてもらったような曖昧な印象だったのは、自分の祖父の死を経験したのが物分りがよくて感受性が失われつつあった成人後だったからなのだろう。
いつも小説はしっかり読み込むタイプだが、今回は珍しくサラッと読み流すことができた。 -
おっぱいにはカッコいいとゆう概念があると知る。
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この本は、ぜひ、小学生に読んでほしいなぁ。夏の思い出とともに脳裏に刻まれる命の大切さ。人との関わり。好き。