- Amazon.co.jp ・本 (218ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101315119
感想・レビュー・書評
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いつぶりやろ?てくらい久しぶりに読みました
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学生ぶりに読んだ気がする。
前回もすごく温かい気持ちになった記憶があって、いつか読み直したいなと思っていた。
生と死を子どもながらに疑問に思い、一人のおじいちゃんと交流が始まる話。こういう、人との繋がりってすごく温かくて、最近はなかなかないなあと感じる。
きっとこの3人は大人になった時に良き思い出としてこのひと夏のことを懐かしむだろう。そういう思い出があることって、とても素敵だな。 -
死について、どう向き合うか。
少年3人、スタンドバイミーのような感じで好き。 -
十数年ぶりの再読。大学の夏休みに白馬の駅前の書店で買った文庫本はずっと手元にあったのに、長年本棚で眠っていた。図書室に新たに買った本の中に同じ表紙を見つけて、何気なく読み始めたら、止まらなくなってしまった。
自宅へ帰って、本棚の中から自分の文庫本を探し出した。カバー表紙が今にも千切れそうなほど傷んでいて、当時、何度も何度も読み返したのだと思い出した。
「死」について、大人である自分は怖さを克服したり、諦念を持ったり、余裕ある態度でハスに考えたり…そう思っていたけど、多分一度だって真剣に向き合ったことはない。分かっているような振りをして、目を背けているだけなのだろう。
この物語は「死」を考えることを優しく促してくれる。
文章は比喩の表現が素晴らしい。遠くの火事に照らされる夜の空のような色をしたぶどう、だなんて、湯本さんはどういう言語感覚をしているの! と震えてしまいそう。
優しくて精緻な文章が長さを感じさせず読ませてくれるので、高学年の生徒にぜひ読んでみて欲しい。 -
小学生3人組が近所に住む独り身のお爺さんと友達になる話。
この物語を読んで思い出したのは、小学校時代可愛がってくれた大叔父。酒も煙草もギャンブルもやって、不摂生で不治の病に罹って病院に閉じ込められてもココスで美味いもの食って煙草吸って死んでいった。葬式で、あいつはやりたい放題だったよと親戚の方が愛情を込めて言っていたのが思い出される。
血族ゆえの愛情や責任がないからこそ生まれる、保護者とも齢の近い友達とも違う不思議な人間関係だった。あの頃に比べ、親戚付き合いというのもどんどん減っているように感じる。この小説の舞台も、何故か何十年も前の話のように聞こえてくる。この小説で起こる奇跡のような出来事は、現実でも起こりうるのだろうか。
終盤に登場するお爺さんの甥と小学生の会話に見られるように、大人の世界と子どもの世界には越えられない壁のようなものがあり、子どもは子どもの世界で完結することを余儀なくされる。甥にとっては、お爺さんの素敵な友人であっても、「こんな子ども」としか映らない。
事実、3人の家庭には三者三葉の問題があるようだが、これに対し彼らがなにかできるわけでもなく、ただ消極的に受け入れることしかできなかった。
そこに、お爺さんの登場である。近所の死にそうなジジイを観察してやろうというマジキチじみた提案は、大人であるお爺さんへのコミュニケーションのハードルを下げた。怒られたり手玉に取られたりして「なんだこいつ」と思いつつも、3人はお爺さんの友達になってゆく。
そこに存在するのは、保護者と子どもという片務的な関係ではなく、友達という双務的な関係だ。お爺さんは豊富な人生経験から3人にさまざまなことを語ってくれ、教えてくれた。3人は、お爺さんの身の回りの世話をしてあげたり、意図せずお爺さんの晩年をとても充実したものにしてくれた。そうして、3人は自分の周りの世界に働きかける術を見つけてゆく。「みんながもっとうまくいく仕組み」(p.105)を求めて、3人は動き出す。お母さんに梨を剥いてあげるシーンは特に印象的だった。
大枠と逸れるかも知れないが、田園に浮かぶ老人ホームや花火、子どもの会話の端々から漏れる切なさや痛みなどのディテールも光っており、本当にひと夏を過ごしたかのような読後感があった。この物語のように、今年の夏を素晴らしいものにすることができるだろうか。 -
木山、山下、河辺の3人の小6の少年達は、ある夏の始まりの日、町内に1人で暮らしているおじいさんの家の前で見張りをはじめる。1人でそのおじいさんがある日死んでしまったらどうなるのか?それを最初にぼくらが見つけよう…という好奇心からだった。初めの頃は不審がって少年たちを疎ましく振舞っていたおじいさんはやがて彼らに悪意がないことが分かると彼らを家に招き入れるようになり、それ以来少年たちとおじいさんの交流がはじまり、その日々は少年たちの胸にやがて熱く深く記憶されるものとなるのだった…。始終ノスタルジックな切なさと暖かさに包まれていて、少年たちの一つ一つの会話も1度聞いたら忘れられないユニークさと切なさとが伴っていました。こういう雰囲気をどこかで…と最初のころは妙な既視感にとらわれましたが、途中で「スタンド・バイ・ミー」だ!と気がつきました。そうなんです、ストーリーも舞台も違うけどあの名作に似たにおいがするんです。懐かしくも二度と戻らない少年の日への郷愁とでもいうんでしょうか。
死んでしまったら、その人とはもう会えなくなってしまう。でも死ぬことでその人の存在全てが無くなるわけでは、けして、無い…。おじいさんは永遠にこの子達の心の中に残って生き続けているんでしょう。
読後目を閉じるとおじいさんの庭に咲き誇るコスモスの花が目の前に広がってくるようです。本当に切なくも美しい物語でした。 -
身近な人の死から遠くなった現代、「死」に興味を持ち過ぎて「死体」を見てみたいと言った小学生たちと、死までの経過を観察されることになった老人の見えない絆……。
とても不謹慎な子どもたちに感情移入しつつ、おじいさんの変化を楽しんだ。もしかしたら、おじいさんは楽しかったのだ。死に際に現れた不謹慎な子どもたちに、何かを重ねていたのだ。
生きること、誰かと関わること、冒険すること、挑戦すること。
何もかも、ひと夏に詰め込まれていた。
もっと若いうちに読みたかった。
素敵な作品だった。