フラニーとゾーイー (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102057025

感想・レビュー・書評

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  • あたしがアメリカ人だったらなぁと思うよ、本当に。
    イエス様だとか、イエス様をイエス様と呼ぶ文化のことだとか、
    仏教に関すること(抹香くさい、だっけ?)への認識だとか。
    なんかそーいったことのアメリカの空気を当たり前のように感じることができていたなら、随分と違った読み方が出来たんじゃないかと思った。
    端的に言えばですな、難しかったのですよ笑。
    でも、理解のできた「キャッチャー・イン・ザ・ライ」よりも、
    (私の中では)意味がふわふわしている「フラニーとゾーイー」」の方が、私は好きなのであります。

  • 新潮文庫の野崎孝訳版のみ「Zooey」の読みが「ズーイ」でも「ズーイー」でもなく「ゾーイー」になっている。最初に読んだのがこの野崎版なので、村上春樹新訳版「フラニーとズーイ」に置き換わる前に、野暮ったくも愛着のある「ゾ」の字を本棚に置いておきたくなったので購入。

  • サリンジャーの読後は決まって「ううむ」とつぶやいてしまう。作中の人物は、しゃべっていないことを伝えようとしてしゃべっているので、読者に異常な集中力を要求し、結果としてその答えはわからずじまいということになる。読者の不満を募らせるのが目的で書いているのであれば、それは作家の死後においても成功している。

  • 二点間の最短距離は直線に非ずして、その二点を通る円の弧である

  • この作品は何度も何度も読み返した私の中で希有な作品である。フラニーとゾーイーがお互いに、というか主にゾーイーが喋り続けている場面は、こんなお兄さんが欲しかったな、と稀に思わせられる。キリストについて、祈りとは、フラニーの部屋の中には死人の霊が充満している。その中でフラニーは神経衰弱に陥っている。

    最も神聖な事とは何か、エゴとエゴではない境界線とは何か。ゾーイーの言ってる髑髏ように私もなって死を迎えたい。

    結局のところ、私にはシーモアの言う"太っちょのオバサマ"についてはわからなかった。ゾーイーはキリストのことなんだよ、とフラニーの嫌う全ての人も尊敬する人も全ては"太っちょのオバサマ"なんだ、とそのようなことを語っていたが、つまりは"太っちょのオバサマ"とは大衆のことであろうか。一度高円寺の小さな公園でわかった気になったことがあるが、それも忘れてしまった。

    会話口調の多いこの作品。だからこそ私は好きだ。演説を語り終えたゾーイーは電話を切った。フラニーはこれから神の為の女優になるだろう。そう願いたい。

  • いちばん好きな本。フラニーと一緒に戦って、一緒に救われた。

  • 村上訳も読みました。
    でも私は、野崎訳の心に迫る、熱量を帯びた言葉が圧倒的に好き。

    フラニーの章は、まるで映画のように軽やかに流れる。
    ただし、その内容は軽いものでも流せるものでもありません。覚えのある痛さがチクチク。。。
    フラニーとBFレーンの会話のズレ。心のズレ。
    ちくちくする。
    存分に惹きつけられてから、ゾーイーの章へ。
    ずるいなぁ。

    (大好きな)ゾーイーの章。
    妹フラニーを助けようと兄ゾーイーが語り続ける。
    突き付けられるフラニーも辛そうだけれど、
    ゾーイの言葉は、自ら喉を傷つけて生み出した刃のようで、それを発する姿は痛々しい。
    お互い無傷では居られない、救いたい一心の行動、
    これが愛情でなくてなんなんだ!

    グラース家のお話であるこの本。
    ここに挙げていない家族の言動もやはり愛に満ちている。

    うまくまとめられないけれど、溺愛してる一冊です。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「熱量を帯びた言葉が圧倒的に好き。」
      そうだったかなぁ、、、
      村上訳を読む時に、隣に置いて気になるフレーズを参照しよう。。。
      「熱量を帯びた言葉が圧倒的に好き。」
      そうだったかなぁ、、、
      村上訳を読む時に、隣に置いて気になるフレーズを参照しよう。。。
      2014/05/15
  • 故J・D・サリンジャー氏の未発表小説5作品が出版へ 国際ニュース : AFPBB News
    http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2964374/11252905?ctm_campaign=txt_topics

    新潮社のPR
    「アメリカ東部の小さな大学町、エゴとスノッブのはびこる周囲の状況に耐えきれず、病的なまでに鋭敏になっているフラニー。傷心の彼女に理解を示しつつも、生きる喜びと人間的なつながりを回復させようと、さまざまな説得を試みる兄ゾーイー。しゃれた会話の中に心の微妙なふるえを的確に写しとって、青春の懊悩と焦燥をあざやかにえぐり出し、若者の感受性を代弁する連作二編。」

  • ナイン・ストーリーズに続いて
    サリンジャー作品二作目。

    フラニーの方は、大学生カップル二人のすれ違いが
    哀しくもどこかおかしさも感じ、
    ストーリーに入りやすかったけれど、
    ゾーイーの方は、
    なんと言ったらよいのかわからない。

    自分は彼らよりもずっとも年を
    取っていて、繊細さも失われてしまっている。
    それに天才兄妹の神うんぬんのやりとりは
    正直ついていきづらい部分もある。

    しかし、最後に兄が妹に電話をかける場面。
    母べシーのチキンスープの話、兄シーモアの
    「太っちょのオバサマ」の話にじんとした。

    フラニー、目が覚めたら、ベシーの
    おいしいあったかいチキン・スープを
    飲んでほしい。

    ゾーイーの話、中盤は少しだらけながら
    読んでしまったので、
    近いうちにもう一度読み直そうと思う。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      村上春樹訳が出るので、再読予定。。。
      村上春樹訳が出るので、再読予定。。。
      2014/02/10
  • 20歳っていうのはこんな感じだっただろうか。
    若い頃読んだ時は、
    このフラニーの"青さ"のようなものが好きになれなかった。
    同じくらいの歳だったので客観的に見られなかったんだな。
    あれから時間が経ったので、
    今は少し距離を置いて眺めることができる。

    私個人的な見解としては、
    『フラニー』は『ゾーイー』のプロローグのような感じ。
    壊れそうな、というか壊れかけている繊細な『フラニー』を
    絶対的な愛で支えるベシーやレス、何よりゾーイーが描かれる『ゾーイー』が、
    この二作の連作のメインではないかと。
    欠落しているものがあるからこその結束、も
    確かにあるとは思うけれど、
    はっきり言葉にしなくても根底にある理解や愛や信頼というものは、
    家族だからなんだよな。

    残り二作、
    『ハプワース16、一九二四』
    はどうやったら手に入るのかなあ。
    うーむ。

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