フラニーとゾーイー (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102057025

感想・レビュー・書評

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  • サリンジャーに追悼の意を表して、再読。

  • シーモアが、死んでいるからこそ不変で、決してみんなの中から消えない。

  • 【本の内容】
    名門の大学に通うグラス家の美しい末娘フラニーと俳優で五歳年上の兄ズーイ。

    物語は登場人物たちの都会的な会話に溢れ、深い隠喩に満ちている。

    エゴだらけの世界に欺瞞を覚え、小さな宗教書に魂の救済を求めるフラニー。

    ズーイは才気とユーモアに富む渾身の言葉で自分の殻に閉じこもる妹を救い出す。

    ナイーヴで優しい魂を持ったサリンジャー文学の傑作。

    [ 目次 ]


    [ POP ]
    喫茶店や電車の中など、本を読んでいる人はよく見かけるけど、何を読んでいるかというより、その人の雰囲気がぼくは気になる。

    そんな雰囲気を作り出す1冊が『フラニーとゾーイー』だ。

    フラニーは周囲の状況に過敏に反応するも何とか自分を守ろうと頑張っている。

    そして、そんなフラニーに人生の楽しさを伝えようとするゾーイー。

    フラニーもゾーイーも会話はちぐはぐだけど、そこには両者の主張がある。

    普段周りに流されがちな自分に反省し、ゾーイーのように「ぼくは自分の行くところには常に太陽を持ってゆくのさ」という台詞を言いたいがために明るくいようと前向きになる。

    そんな雰囲気を身にまとってゾーイーの洒落た台詞を口にすれば、女の子はもうメロメロ、のはず。

    「ぼくが汽車に乗るのが好きだからさ。結婚したらもう、窓際の席に座れないだろう」

    なあんて。

    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 自分の自意識にも周囲の自意識にもうんざりして何もかも嫌になる時がある。そんな時にこの本を読んでゾーイーの話の部分を読むと救われた気持ちになる。今まで読んだ本の中でとても感銘を受けた本のうちの一つ。
    ゾーイーのキリストについての解釈の部分が特に好き。サリンジャーの宗教観が反映されているのかな?



    俳優の心掛けるべきことはただ一つ、ある完璧なものをー他人がそう見るのではなく、自分が完璧だと思うものをー狙うことなんだ。

  • 主人公が精神病っぽい小説を気にいる傾向があるからか、サリンジャーの作品はとてもすきです。

    心情描写はほとんどないのだけど、動きから、台詞から、登場人物の一生懸命な様子にぐっとくる、そういう描きかたができることに感動してしまいます。

  • 『僕はかぐや姫』千田さんがサリンジャー作品であげたもの。
    ライ麦畑は青年に大きな反響を呼んだというのがどうしても信じられず、少し読むのをためらっていた。
    だが、このグラース家の人々の言動に触れると、その違和感はまったく感じられず、サリンジャーの作品として、グラース一家の作品を挙げる千田さんの気持ちがよくわかった。
    「フラニー」では、グラース家というよりも、悩み・戸惑う学生の姿が、ボーイフレンドとの不協和音の中で質素に、でもかなり重厚に描き出される。言葉にして交わせばかわすほど、隔たりが増すばかりで、読んでいく内にもどかしさが募るばかりだった。
    一方「フラニー」に続く「ゾーイー」では、同じ屋根の下で繰り広げられる家族間のやり取りに過ぎないにも関わらず、それを感じさせない広大なもののように感じられた。特に宗教についてのゾーイーのことばは、ジッド同様に、宗教から離れて、イエスそのものの言葉をきちんと理解している。その語り口は、まるで池田さんの「ソクラテス」そのものだった。年齢も大きく離れていて、住んでいる場所も遠く、兄弟のうち二人はすでに他界しており、家族全体がどこかくたびれていて、よそよそしくあるような気がしたが、それは親兄弟それぞれが、家族という血のつながりでしか関係のない、役割演技の幻想ということに気付いているからのように思う。
    ゾーイーは皮肉屋で、とても冷たいかと思っていたが、フラニーに対して投げかけることば・行動は本当にhearfulで、なんだかんだ言ってこの家族への愛を感じられて、とても魅力的に感じられた。そんなフラニーとゾーイーを導いたのが、シーモアとバディの兄たちというのが、グラース家というものを幻想として壊すものでもあり、より一層結びつけるものだと思う。
    もしもシーモアが生きていたら、ほころんだ笑顔で家族のやり取りを見守っていたと思う。バディはやっぱり電話しないで(できない)で手紙ひとつだけ出してふたりの成長を陰ながら支えているのだと思う。
    ほかの3作品も読んでみたい…

  • グラス家の話の中では一番好き。
    フラニーの戦いに心打たれて、ゾーイーの哲学に苦しくも救われた。

  • 村上春樹訳で初めて読んだこの小説ですが、最初に出た翻訳で読むとどんな感じなんだろうと思いまた読み直してみました。もっと若い時分に読んでいればよかったなあと前に感想を書きましたが、順序としてはやっぱりこちらを先に読んでおきたいと思いました。村上訳は村上さん特有の雰囲気が良くも悪くもあるのですが、こちらを読むと表現が古い部分はあるものの、さらりとした流れのように感じました。もっとも、一度読んで筋書きが頭に入っているせいもあるかと思いますが。
    それにしても、自分に失われてしまった感性をしみじみ懐かしく思い返す次第です。

  • 好きすぎる。一生読みたい。聖書の本当の意味を残しながら、これがアタシのバイブルになればいいなあ。
    不安定と評されて、だとしたら安定なんてたいした評価じゃないね。

    本当におしい人を亡くしたのはわかってるけれど、そんな悲しみを吹き飛ばすほどこんな素敵な作品を残してくれてありがとう。いつかお墓に連れてって。
    「ぼくは自分の行く所には常に太陽を持ってゆくのさ」
    「それはたまたま成ることを愛した―マーカス・アウレリウスー」

    言葉にできないほど感銘を受ける瞬間を知った本。それらしくまとまりました、か?

  • グラース一家の末っ子組、フラニーとゾーイーの一場面。サリンジャーはずっと僕らの側だったのだと痛烈な一撃をくらった。すごいな。そうやって年をとるのってどれだけ切ないのやろう。

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