フラニーとゾーイー (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102057025

感想・レビュー・書評

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  • 爆笑問題の太田さんが紹介していた本。
    正直、むずかしくて噛み砕けないところもあったけれど
    もう一度再読して、理解したいなと思う作品です。
    たとえば1年後、5年後。
    またこの本にふれようと思います。

  • あとがきにも書かれていたが、簡潔な描写でもこの本に出てくる人物たちがどんな性格でどんな背景を持っているか、その生活ぶりや普段の立ち振る舞いを想像できる。

    『フラニー』では、彼氏のレーン君のインチキ臭さとか、大学生にありがちな自意識の過剰さと見栄がまざまざと描かれていて(さすがに寒いのに格好つけて薄手のバーバリーのレインコートを着て、中にあったかいウールの裏地をつけている周到さにまでは気付かなかったが)、思わずフラニーと一緒に苛立ちながら読んだ。と同時に、楽しい休暇を過ごす気満々で来たのに、どうしても相手の行動に見え隠れする自己顕示欲やナルシシズムに突っかからずにはいられない憤懣と、そういう自分の考えや衝動の正当性の揺らぎは、なんとなく私の記憶にもあるような気がしてならなかった。

    思うにフラニーは、殉教者ぶってみんなに対して孤軍奮闘したいわけではないし、レーンやタッパー教授といった人々を心から軽蔑したいわけではなかったはずだ。
    どうしても我慢ならない一部分を軽蔑し、軽蔑することが正しいと信じたいが、ゾーイーの言うように「間違っているのは彼らではなく自分達だ」という思いも否定できずに、『巡礼の道』に逃げているように思えた。
    それでも十分キリストの祈りを唱えるには不純な動機と捉えられるかもしれないが。

    差別したり横暴な態度をとらない善意に満ちたキリストを、十歳のフラニーが望んでいたことや、現在でも彼女がその「神はこうあるべき」という感情を捨てきれないでいることは、偽りの愛や美や知に対して嫌悪する心に結びついているような気がする。結局のところ、偽りのないありのままのキリストは、いろんなものを歪めている彼女が我慢ならない人たちとそっくりなのだ。

    飲まず食わずで母のベシーが作ってくれた「おいしいあったかいチキン・スープ」すら拒絶して落ち込み続けるフラニーは、世の中にまいってしまい心神喪失しているようにも見えるが、実際その行動の理由の幾分かにはそういう自分を見せたい、演じたいという隠し切れない無意識のうちの欲求が含まれている。
    そのような妹を見て、皮肉や冗談を交えながら饒舌に語り続けるゾーイーからはやはり家族愛を感じるし、それは自分と似た者や同じ道を歩いてきた者への親愛とも取れる。

    宗教のことはよくわからないが、現代になってキリスト教、というか神という存在が神聖で崇高とは呼べないものに変貌したのをなんとなく感じた。より身近で、私たちの日常の中に存在するものになった。
    それが良いか悪いかは置いておくとして、フラニーとゾーイーの中で、神は完璧で嘘偽りない絶対的な善で常に天の上にいるものではない。
    神は『太っちょのオバサマ』であり、『太っちょのオバサマ』でない人間は一人もいないということになった。そのおかげでフラニーは微笑みを取り戻し、夢もない眠りにつけたのだ。

  • 無宗教とか自称するけど、どこかで太っちょのオバサマに見られている意識を持っていたい。いつも勝手でうるさいけど、うちの兄もこうかもしれないとも思った。

  • read:Franny and Zooey(J. D. Salinger)

    サリンジャーが何作も短編として書き続けたグラース一家の話のひとつ。理想と現実のギャップに苦悩するグラース家の7人兄妹の一番末っ子のフラニーをその上の兄ゾーイが説得するという話。

    思春期の悩める若者を勇気づける作品だと思う。

    思春期でない僕にとっては、サリンジャーの宗教観に感心させられた。それと同時に自分がいかに宗教について無知であるかを感じた。

  • ゾーイーって奴の気持ちがなんだかよくわかる

  • サリンジャーの中でこの本がいちばんすきっていうの、照れるのでなかなか云えないわけなのですが、実際自分の目の前にある本棚に3冊並んだ同じ文庫の背表紙を見るに置いておかないといかんと昨日の夜ふとおもいました。(貸したり行方不明の間に増えたと思われる)
    グラース家の、おいてけぼりくった末のふたりの、導き手不在の世界との折り合いのつけかたについて。いつも、バスルームでベシーと話すゾーイーのことをおもいだして、ああこれがまごうかたなき世界だし、ゾーイーみたいに他人を追いつめたらいけないし、偏ったプライヴァシー愛好者であることをあんなふうに表に出したりせず生きていったほうがきっとまだマシには違いないわけだし(できないけど)、考え込む自分のことこんなに持て余すのに生きていかねばならないし、って途方に暮れるくらいはわたしもシーモアにおいていかれた子供(の一部)なのだと思ってる。最後の電話のシーンがほんとうにこころからすきで、すくわれる。

    青い痛みに耐える青春まっただ中に読めていたならまだ少し違ったかしらと時折空想にふけって後悔に胸を痛める一冊でもある。

  • 知識は知恵に通じるっていうくだりが好き。

  • 自分のことを書いてあるのかと思うほど、10代のわたしに寄り添ってくれた本。

  • ゾーイーのほうがまどろっこしい。のだけれども、丁寧に丁寧に読んでいくと浮かび上がる映画のワンシーンのような情景描写や登場人物たちの個性、心境にはっとする。細部までつくりこまれている小説。もう一回読む。

  • ・新潮社は村上春樹訳
    「世界の主役は、別に、自分じゃない。社会や他人は理想通りになんか進まない。そしてそんなことに拗ねるのではなく、自分にとっていちばん美しいことを目指して生きてこうな。この本はそんな、きわめて当たり前のことを説く。」
    「しっかりとその思春期のめんどくさぁい自意識に向き合ったうえで、「それだけじゃアカンで」とにっこり笑って釘を刺す。いつまでも自分が世界の主人公みたいな顔をして、自己愛ばかりこじらせてちゃアカンで、と。その釘の指し方が、ほかの青春小説よりもずっと地に足がついていて、私は嬉しくなる」
    (『人生を狂わす名著50』三宅香帆著 ライツ社 の紹介より)

    内容:
    「アメリカ東部の小さな大学町、エゴとスノッブのはびこる周囲の状況に耐えきれず、病的なまでに鋭敏になっているフラニー。傷心の彼女に理解を示しつつも、生きる喜びと人間的なつながりを回復させようと、さまざまな説得を試みる兄ゾーイー。しゃれた会話の中に心の微妙なふるえを的確に写しとって、青春の懊悩と焦燥をあざやかにえぐり出し、若者の感受性を代弁する連作二編。」

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