茶の世界史: 緑茶の文化と紅茶の社会 (中公新書 596)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (225ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121005960

感想・レビュー・書評

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  • 期待していた内容より取りあげている範囲がやや狭かったが、明治期に日本茶を我が国の輸出産品にするために、業界が世界の市場にいかに日本茶を売り込み、それが如何にして敗北に終わったかについて知ることが出来、興味深かった。アメリカ・カナダでは一次大戦前の時期まで日本の緑茶がかなりのシェアを持っていたこと、ロシアや豪州に日本で作った紅茶を広めようとしていたこと、それらが衰退するきっかけとしてインド・セイロン紅茶に製品として負けたということの他に着色茶葉や混ぜ物といった粗悪茶の問題があったということなど、あまり知られてなさそうなことが多かった。

  • 私が社会人になった25年前と比較して、ビジネスを記録するデータの数が増えたこと、保存する領域が大きくなりそのアクセスが楽になったこと、それを分析するツールが一人一台のパソコンでできるようになったこと、によりデータ分析が誰にでもできる時代になりました。

    その中でデータをどのように加工して、プレゼンの資料に活用できるかがポイントとなります。この本では、武器としてのデータ分析力としてデータを何のために分析するのか、加工するのか、どのような方法があるのかを具体例を挙げて解説しています。

    以前は難しいデータ分析は、プログラムが組めて大容量の大型コンピュータにアクセスできる人の特権のようなものでしたが、現代では少しのやる気があれば誰にでもできるようになっています。

    時代の流れに取り残されないように、この本を活用して自分の資料作成にも活用していきたいと思いました。

    以下は気になったポイントです。

    ・この10年間の変化は、データ量の劇的な増大、分析コストの劇的な低下、の2点である(pはしがき)

    ・データ分析を効率よく行うには、1)データ、2)理論(データ活用)、3)ツール、4)目的、が大事である(p20)

    ・回帰分析は必ずしも直線で行うとは限らない、目的変数が量的データではなく、イエスノーといった2値データの場合は、ロジスティック回帰を使う(p63)

    ・データ分析の世界では、縦の並びに変数、横の並びに、個々の事象を当てはめるのが慣わしになっている(p78)

    ・区間の幅は、およそ「サンプルサイズ」の平方根に反比例する。サンプルサイズが2倍になれば、区間の幅は、1/ルート2=0.7倍となる(p90)

    ・トレンドとは、主となる全体的な傾向、ボラティリティとは、トレンドに対する個々の値のばらつき(p104)

    ・分布を調べる最も強力な方法は、ヒストグラムを描く事。分散・最頻出値・中央値は、すべて分布形状の特徴を数値化したもの(p112)

    ・相関があっても、それがそのまま原因と結果に直結するとは限らない。その理由は、1)どちらが原因かはわからない、2)隠れた原因があるかもしれない、である(p128)

    ・顧客を3つの視点によって分類するRFM分析をする、R=直近購入日、F=購入頻度、M=累積購入金額(p137)

    2014年9月7日作成

  • アッサムってかなり最近なんですね。

  • 随所に登場する謎の日本茶推しに戸惑うが、やっぱり結局はイギリスと紅茶の話に落ち着く。ということで主題は何故イギリスでは日本茶ではなく、紅茶が飲まれるようになったのか。これだけで世界史と名乗られるとやや世界が狭い。加えてその原因についても、厳密な調査が見られるわけではない。『イギリスの支配領土が中国・インド方面だったから』とか、『他のヨーロッパ諸国ではワインがあったから』というのはまぁ頷けるが、『中国・日本の茶の飲み方の礼儀作法や磁器などの洗練された文化にヨーロッパは頭を下げざるをえなかった』とか『コーヒー・チョコレートの産地には文化がなかった』とまで煽られると、イギリス以外で茶が流行らなかった理由が不足してくる。第二部の日本茶が如何にして世界市場で負けたのかの話も、とりあげられる資料は豊富だが、内容は状況と悪手による当然のように負けるべくして負ける負け戦。英雄が出現しない戦場とはこういうものかという発見はあれど、誰も活躍しないので別段面白いものではない。
    新書レベル相応で、知識として利用するには疑問が残るが、茶のみ話に使える程度には楽しめる一冊。

  • 国民的飲料としてイギリスに紅茶が定着していった経緯と、日本の緑茶が世界でシェアを獲得できなかった理由。資本主義経済の大きな渦の中で、イギリスでは同時期に伝わったコーヒーでもチョコレート(ココア)でもなく紅茶が庶民の生活に浸透していく。明治政府が緑茶の輸出に尽力していたことを初めて知った。鎖国中に発達していた資本主義経済にいきなり放り込まれて、さぞかし大変だったはず。結局紅茶との競争に負けて失敗したわけだが、それで良かった気がする。植民地での大量生産に頼る紅茶とは生産規模も違うし、お茶に砂糖やミルクを入れるヨーロッパやアメリカの食習慣は緑茶の繊細な味や香りには馴染まない。本書では日本茶の文化的な側面についてはあまり触れられていないので、そちらの分野の本も読みたい。

  • 茶道、一期一会、喫茶去…日本のお茶は単なる飲料ではなく「文化」であることを改めて気付かされた。それに対してヨーロッパにおける紅茶は嗜好品としての「商品」であって、その差は思いのほか大きい。アヘン戦争に到る前後関係も含めて、世界の貿易においてお茶は極めて重大な意味を持つものだったわけだ。岡倉天心の『茶の本』も原語で読んでみようと思う。

  • 茶、砂糖、コーヒー、綿といった商品がヨーロッパの世界進出と支配の原動力になったことがよく見えてくる。ただ、これほどの物欲が生まれた背景に何があったのかという疑問は残る。生産性の低さなのか、人口増加なのか、上流階級の存在なのか。国内で自給自足ができ、対外貿易に受動的だったインドや中国と対照的。後半は、開国後の日本が茶の海外市場の開拓に努力した歴史といった内容。

    ・アジアからは古代には絹、中世には香料、近世からは中国の茶とインドの綿布がヨーロッパへの輸出品だった。
    ・茶を意味する世界の言葉は2系に分けられる。広東語のチャは陸路でアジア各国へ広がり、福建語のテーはアモイと貿易を始めたオランダによって西欧・北欧に広がった。
    ・ポルトガル人が最初に東洋航路を開いたが、リスボンからヨーロッパ各国へ運んでいたのはオランダ船だった。1595年にリスボンから排除されると、オランダは直接東インドへ船を派遣し、ジャワ島のバンタムに拠点を築いた。
    ・オランダのアジア貿易は17世紀前半は香料だったが、後半以降は絹、綿製品、銅、茶が中心になった。
    ・オランダの繁栄期である1640〜1670年代は、日本からの銀輸出の最盛期と一致する。幕府は1668年に銀輸出を停止した。
    ・17世紀半ば以降の3回にわたる英蘭戦争に勝利して以降、イギリスがアジア貿易の支配権を拡大した。
    ・コーヒーはエチオピアが原産で、15世紀にアラブで広く飲まれるようになり、17世紀にはヨーロッパに普及した。17世紀末、オランダがジャワ島にコーヒーを移植してヨーロッパに輸出し始めると価格が低下したため、イギリスはアジア貿易の力点を中国茶の輸入に移した。
    ・イギリスの茶と砂糖の消費量は相伴って増加した。海外からの輸入に依存した紅茶文化は、西インド諸島の砂糖と中国の茶のための植民地支配を志向した帝国主義として展開していった。
    ・17世紀以降、イギリスはバルバドス島、ジャマイカ、ハイチ、キューバで砂糖生産を次々に始めた。1663年には、アフリカの奴隷を確保するために王立アフリカ冒険商人会社が設立された。
    ・中国茶の貿易の増大による銀の流出問題に対処するため、東インド会社がインドで大量にアヘンを生産して中国に輸出した。
    ・17世紀半ば以降に輸入されたインド綿布は、イギリス国内の羊毛・絹工業を危機に陥れたため、1700年にキャラコ輸入禁止法が発布された。イギリスの綿工業は、西インド諸島のプランテーションから供給された原綿によって発展した。綿製品はイギリスからインドへ逆流し、1830年頃にはインドの綿業は全滅状態となった。
    ・1756年からの7年戦争後(インドにおける植民地の帰属が再編された)、東インド会社はインドで茶を栽培し始め、アッサムでプランテーションが開発された。労働者はビルマ、中国、インドから集められた。

  • 川勝平太著「日本文明と近代西洋」の中で紹介されていたので、読んでみた。

    前半は面白かった。
    ヨーロッパ人が茶を知り、文化としてあこがれたものの、
    その後、とくにイギリスで紅茶が好まれ、
    砂糖とともに植民地支配の遠因となっていく流れが書かれていた。

    後半は、日本茶の国際的販売がうまくいかなかったという話で、
    興味外だったので、流し読み。

    イギリスの水は大陸と違って軟水で、紅茶に適していたのはうかつにも知らなかった。

    16世紀から17世紀中ごろにかけて、日本が世界有数の産銀国であり、中でもその最盛期1640-70年代が、オランダ繁栄期に一致し、日本の銀が支えていたのでは、という指摘は興味深い。

  • 面白かったです。

  • 1980年初版発行。

    紅茶文化で有名なのはイギリスだが、ヨーロッパで初めて茶を輸入したのは意外にもオランダ人、しかも日本の緑茶だったらしい。当時ヨーロッパから見たアジアは豊かな文明国であり、日本の茶と言えば「茶の湯」つまり「文化」であり上流階級にもてはやされた。ちなみに、ヨーロッパの中でもイギリスで茶が定着したのは、ワインなどの伝統的飲料に貧弱であったからとされる。
    鎖国せず貿易をつづけていれば日本茶はもっと広まっていたかもしれないが、日本に代わって中国から茶が供給されるようになる。また緑茶に代わり紅茶の香りが好まれ、茶に砂糖を入れるイギリス独特の飲み方が生まれ、近代の奴隷貿易と植民地支配(砂糖きびプランテーション)につながっていく。
    日本が開国したときすでに茶は世界市場の中で「文化」ではなく「商品」であり、日本は生糸と並んで主力製品であった茶の輸出に奔走するものの、価格や品質の面で負け、文化の壁も厚く、衰退していく。「商品」としては後退した日本茶であるが、近年、日本の茶道がふたたび文化、芸術、哲学として世界の注目を集め、新たな時代を作ろうとしている。

    日本の視点からざっとまとめるとこんな感じ。ちなみに同じ中公新書の「チョコレートの世界史」の中でも近代ヨーロッパの奴隷貿易と産業革命についてうかがい知ることができて、茶やチョコレートといったひとつの生産物を通して歴史を見ていくのがおもしろいなぁと思う。何のためにでもなく単なる興味で読んでます。「やっぱ変な子だねー」って言われた(褒め言葉!)

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