犬が星見た―ロシア旅行 (中公文庫)

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著者 : 武田百合子
  • 中央公論新社 (1982年1月10日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (340ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122008946

犬が星見た―ロシア旅行 (中公文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 『つれて行ってやるんだからな。日記をつけるのだぞ』


    ご主人が著者を子どもか妹、はたまた犬のような可愛がりかた
    珍しいチーズを知っていれば百合子がそんなことを知っているのかー!
    神妙な顔をして本を読めば、やいポチわかるか、など。
    でもちゃんと妻として寝台での酒やつまみ(チーズなのにキャラメルと間違い食べてくれなかったりしたが)を用意したりしている。
    カメラで写せ写せと写していたものがフィルム入ってなくて撮れておらず、ばかといわれるからひた隠し次の日散歩で適当に撮りに行くのが可愛らしい。
    そこでドッカーンの事故を見てしまったり。
    アクシデントでひとつ町に寄れなくなると、どうしていけないのかなぁと著者にだけ聞こえる声で主張する夫さん、子どもみたい。
    2人で別行動しようか?とゆっても却下。
    どちらが子どもでポチなのか。
    気に入った食物をあぷあぷと食べたり。

    同行した竹内さんも、銭高老人も、ご主人も、この旅以降からだを壊したりして結局そのまま最後の旅となった。
    犬が星見た、なんてほんとうにセンスがいいなあ。

  • こんなに心動く随筆は初めて。
    百合子さんの文章は憧れです。
    まだ見ぬロシアを想像して読んだ学生時代。
    今は夫婦という結びつきに思いを馳せながら読んでいます。

  • 1969年、横浜から船でロシアへ。鉄道や飛行機でロシア大陸横断の約一ヶ月の旅へ。のんびりとした、不便さも楽しむロシア旅。決してはしゃぎ過ぎず、臆することもなく、悠々と大陸を行く武田百合子。私も一緒に旅した一ヶ月、旅の終わりのセンチメンタルな気分に、あとがきがまた秀逸。

  • 武田泰淳、竹内好と共にロシア旅行に出かけた武田百合子の日記。
    帰国後、夫泰淳と竹内氏は病で、二度と3人で旅行することはない。
    犬が空を見上げるように、大きな目で見まわしているのが、眩しい。
    最近なにかと話題になったレーニンの木乃伊(本書のなかで、そう何度もいわれている)も出てきます。

  • 作家の武田百合子が、まだ海外旅行が一般的ではなかった時代に、夫と夫の友人と三人でロシアをめぐる団体旅行に参加したことを描いた旅行記だ。
    高山なおみがこの本に影響を受けて旅に出た、という旅行記を読んで、興味をもって手に取った。

    確かに面白い。
    往時の風俗がわかることもだけれど、物おじせずに世界と相対する武田百合子の愛嬌ある行動や語り口が魅力的だった。

    夫に酒を探してきてくれと言われて単身街中を歩き回り、酔っぱらった身振りで酒がほしいことをアピールするくだりや、不機嫌なガイド見習いを快く思わず去り際に日本語で堂々と悪口を伝えて「イヒヒ」と笑うちょっと意地悪なところなど、なんとも可愛げがある。
    また、同じ団体旅行に参加している大阪の大金持ちの「銭高老人」がいい味を出していて旅を面白おかしく彩っている。
    現代のツアー旅行にいたら完全に迷惑なわがまま老人なんだけれど、この時代のおおらかさというか、敬老精神というか、みんな微妙に迷惑で面倒くさそうなのに老人を愛している感じがいい。
    冒険だ、世界を見てやる、という意気込んだ旅行記(=自分記)ではなく、フラットな視点で平易に書かれた内容が、まさに「犬が星見た」というタイトルにふさわしいなと思った。

  • 1970年代にユーラシア大陸を横断した旅行記。
    著者である「百合子さん」は40代半ば。
    同行者は、夫で作家の武田泰淳さん、60代か。
    そして夫の友人の「竹内さん」。
    そして団体旅行なので何人かの日本人。


    行きたくて行った旅行では無かったようで、旅の初めの頃は、旦那さんが機嫌をうかがってくれたときにブーたれた態度を取ったりする主人公に苛立ったり(自分にも覚えがある)、序盤はちょっと頁が進まなかった。

    のだけど、不思議と徐々に面白くなってきた。
    私自身は、旅好きでも無ければ旅慣れてもいないけれど、何度かは国内外に旅行したことがある。そのうえでこの本の魅力を考えてみると、ずばり、「旅行記なのに土地に思い入れがない」ことだと思う。

    旅行記って、旅の、土地の、「内容」が力説されがちなのだけど(当たり前だが)、この本は旅行にまつわるいろいろなくだらない細部というか本質的ではないディティールこそに力点が置かれている。実はそういうポイントの方が、自分にとっては旅の思い出として貴重だったりする。

    また、誰かと旅行に行くときに、相手によっては「この人とずっと居て、楽しくできるかな。相手も楽しんでくれるかな」という薄い緊張感みたいなものがあったりして、でも時間と空間を共にしていくうちに「あ、私たちがタッグを組むとこういうスタイルね。私も相手も、一緒にそして各々に、楽しめているな」という感覚が掴めてくる、そういう一面もあると思うのですが、その辺を、この本の中で「百合子さん」が徐々に探って(というほど意図的だったかどうかはわからないが)、自分なりのこの旅行への距離感というか、愉しみ方というか、そういうものを確立していく感じもかなり興味深かった。

    特にモスクワ以降。
    錢高老人を帰す計画から、団体が解散して旦那・百合子・竹内の三人旅行になってからは、よりより「旅行する仲間の人間関係のドラマ」の愉快さが大きくなって、サクサクと読めてしまった。


    そんなわけで、もともと「どこどこのなになにを見るぞー!」という気負いのない百合子さんだけど、そんな彼女がまっさらな気持ちで出会った大自然や中央アジアの暮らしなどに素直に感動していると、読んでいる私もつられて感動できてしまう。

    正直に言うと、旅行そのものが自分はあまり好きではない、とまで大まかは思ってしまうのですが、そんな私にも「あ、旅行するのも良いなあ」と思わせてくれたから、それだけでも凄い本(笑)。


    多分、百合子さんにとっては「どこに行くか。何を観るか」というのはどうでもよかったんだろうなあ。「誰と行くか」という楽しみ方だったのでは。
    世界の果てを見に行くのが好きな人もいれば、百合子さんみたいなこの本みたいな旅行もあって、「旅行」「旅好き」にもいろいろあるんだなあ。

  • ちょっと恵まれた状況にあったので、14歳くらいから18歳くらいまでだったか、よくひとりたびをしていました。
    恵まれたというのは、ひとりたびに行きたいなあ、と、いうと、祖父が5万6万といったおカネをポンとくれた、ということとか(貧乏旅行でも金はかかりますからね。道中稼ぐ能力が無い限りは)。
    それを許してくれた家族とか、駅寝や夜歩きというレベルのささやかな冒険を繰り返したけれども怖い思いをせずに済んだ、というようなありふれたことです。でもどれも実は、振り返ればラッキーなことで、お天道様や亡き祖父に感謝です。中国戦線の生き残りで、気前が良くて酒癖のやや悪い人でした。
    青春18きっぷ、という恐ろしいネーミングの、「各駅停車1日乗り放題券」があり(今でもあるのでしょうか)、それが5枚綴りなので5日間か10日間。ずーと各停。体力があった当時ならではです。例えば東北を目指して各停車内で延々と本を読み、飽きたら延々と車窓を眺め。青森について、思い立って夜中に連絡船にのり(宿代が浮くから)、また朝から各停、日が暮れて札幌につき。歩いて歩いてユースホステル。あたりのラーメン屋でサッポロラーメンとサッポロビール(ビールの味など分かる訳はなく、背伸びのカッコつけです)。
    翌朝「せっかくだから盛岡とか秋田も行きたいし」と、そそくさと札幌を去るような。(盛岡でも秋田でも同様の繰り返し)
    今思えば、なんだか勿体無い、とかつての自分に思ってしまいます。年に2~3度のペースであちこち行きました。
    ひとりたびならでは、「袖擦り合うも」で、それなりに色々とありつつ、まあでも大した事は何もなく。それでも自分としては現実から家出したような錯覚、恍惚と不安。旅先の出会いや出来事は、上手な化粧のようにすべて美しく思え、嬉し寂しく多感な思いの残るものです。
    一度か二度、友人とふたりたびも。ふたりだからってなにも変わらず。だらだらと時間を過ごしたわけですが、これまた不毛に顔を突き合わせていた時間が後になって振り返るたび、おもしろおかしく味わえました。
    と、いう何とも言えない旅の気分を思い出した一冊。「犬が星見た」。武田百合子さん。中公文庫340頁。
    #
    読書会の課題図書。毎度ながらありがたい。初読みの作家。
    旅行記です。
    旅行記なんだけど、「旅行記離れ」した面白さ。
    旅行記だろうが、身辺雑記だろうが、未来宇宙SFだろうが、「面白い本」と「そうでもない本」の2種類に分かれます(読み手それぞれにとって)。
    百合子さん、が、「武田」という旦那さんと、「竹内さん」という友人の男性と、三人仲間で団体旅行に加わって出かけます。行先は中央アジア~ロシア。その道中記。
    一行三人はどうやら皆さん若くはありません。まあ50代~60代くらいの感じなのか。特段の目的や狙いがあるわけではなく(語られるわけではなく)、物見遊山の観光旅行。日本人の団体です。
    船で津軽海峡からアジアに上陸。そこからは主に飛行機で転々と。最後はデンマーク?だったかスウェーデンだったか?飛行機で帰国。
    昔の話です。1969年のお話。
    詳しくは知りませんが、まだまだ海外旅行は高価だったでしょうし、ソビエト連邦への旅行は何かとレアで大変だったでしょう。そういう「希少価値」もかつては、この本にあったと思います。
    ですが、2017年に僕が読んでも面白かったのは、そういう「その時代のレアな旅行記」という狙いで書かれてはいない(と思う)からです。
    百合子さん御一行は、中央アジアからレニングラード、モスクワへと旅していくのですが、その土地土地の歴史への愛情や興味をもとにして思索したり旅情を味わうような要素が、ほとんどありません。いや、まったくありません。びっくりします。
     ぢゃあどこに行っても変わらないんじゃないか?とさえ思えます(笑)。(無論、それが作者の物書きとしての演出であるのかもしれません。だとしたらそれはそれで素敵なことです)
    だから、ロシアとか中央アジアへの歴史地理的な興味を持っていなくても、ゼンゼン面白い。
    #
    つまりこれは、百合子さん、武田さん、竹内さん、そして共に旅する人々や出会う人々という、ひとびとについてのお話である、と言って良いと思います。
    ただ、「ひとびとについて」であろうが「砂と土について」であろうが「主義と思想」についてであろうが、面白い本は面白い。ツマラナイ本はツマラナイ。
    「犬が星見た」が面白いのは、畢竟「語り口」にある、というのが正確な気がします。
    #
    どこの町だったか(多分モスクワ?)、ホテルの食堂かどこかで、旅行者だけでなく現地の人も交えて、各々知らぬ者同士だった人たちが、お酒の勢いもあって共に歌い、ハイになっちゃって、大変に楽しい時間を過ごします。
    そんな宴は、それまでの長い旅で一度もなく。百合子さんも武田さんも竹内さんも、常日頃自らそういうノリを求めて率先してどうこうするような人物ではないんです。
    なんだけどその夜はそうなって、みんなして楽しい思いをする。
    そんなくだりの描写が、抑えた言葉遣いでハードボイルドでとても上出来です。事実以上に価値付けて謳うことなく、それがゆえ刹那の、総毛立つようなヨロコビが伝わります。
    (そういう出来事って、旅先で発生すると、なんだか「人生の美しさと人間関係の素晴らしさは全てここに詰まっている」みたいに感傷的に自己内過大評価の針が振り切れて、思想に狂信的になるかの如く絶対的な同意と肯定を周りに強制したりすることがあるんですよね。それは、普通に考えて本人以外から見ると大変に興ざめで醜悪なものです)
    #
    同じく旅の終わりころ、老年男性である(であると思われる)武田さんと竹内さんは、どうやら念願だったらしい、外国のポルノ雑誌を手に入れます。まあ、恐らく無修正だったのではないでしょうか(笑)。ふたりの男性は大変に盛り上がって喜んで大満足です。
    なんだけど、帰国が近づいてきて、「荷物に入れていたのでは空港で没収されるのではないか」「郵便で送るべきか」「いっそ写真で撮影してフィルムだけ持って帰るか」という喧々諤々の議論と身もだえする煩悶に悩まされます。
    そんな様子も、「ほらほら、こんな滑稽でしょう?笑ってください」という下卑た口調でなく、ストレートな、ポキポキする文章。抱腹絶倒。
    「詰まらなそうな顔をして面白いことを言う噺家」が、いちばん笑えますよね。柳家小三治さん。
    #
    突き放したような乾いた目線で、自分も含めた旅行の人々のことを、淡々と語るように見えて。
    旅のおりおりで感じたことをこれまたむき出しでサラリと書きつつも。
    執拗に食べた物を一覧で記述するという、データを放り出すような無愛想さに隠れて。
    なんというか、平たく言うと「人間関係の距離感」みたいなものを描いている気がします。
    百合子さんと武田さんと竹内さんは、どうやら積年の交際らしく、いちいちべたべたしたことを言わない親密さがあります。とにかくなんだか一緒にいるし、だらだら飲み食いしているし、でもそうかと思うと「疲れたから俺は午前中は寝ている」、「博物館はもう飽きたから俺はひとりで町をぶらぶらしている」みたいに、気を使わずに互いに好き勝手に時間を過ごすことも。
    こう、なんというか「いちいち仲良くしなくても良いくらいに仲が良い」ということですね。
    まあ無論それに、いちいち気を使っていられないくらい長い長い時間を共に旅していますし、外国旅行をしている以上、お互い以上に知り合いに会うことはほとんどないわけです。だから必然的に濃く顔を突き合わすことになります。
    アニメの「ルパン三世」シリーズで、ルパンと次元と五右衛門が、三人でうだうだしている場面、というのが好きなんですけれど、あの感じと似ています。
    結局、「ああ、この人たちは、いろいろしんどかったり疲れたり不平不満があっても、日常から三人で切り離されているこの時間が愛おしいんだなあ」という感じが、砂時計が時を刻むように徐々に腑に落ちてきます。それがなんだか実に読書として贅沢な。時間をかけてゆったりとフルコースを味わうような。いくら味が良くても、コスパが良くても、立ち食い寿司やらファーストフードやらではないんですね(現実日常としてはそういうのは大変に重宝なんですが)。
    ゆったりと顔を突き合わせて、何についてしゃべる、という鋭い狙いがあるわけでもなく、とにかく一緒にいる空気感を味わう。という他者との時間を愉しむための、素敵なカフェ。落ち着いた食事処。そんなシアワセ感が味わえて。そしてレコードをひっくり返すと、つまり出会いは別れの始まりよ、という惜別も包み込んだオトナな味わい。がぶ飲みするのは勿体ない珈琲の一杯。
    この三人でこうやってぐだぐだとぶらぶらと浮世から離れて過ごすのもええなあ、という。それは当たり前だけど、現実生活で滅多にないことなんです。これだけの日数で言うと、彼ら彼女らにとっても、恐らく最初で最後だったのではないでしょうか。
    (そしてあくまでも、現実の彼ら彼女らがどうだったのかは別問題なんですけれど。この本で百合子さんは、そう表現していて、この本が素敵だなあ、という以上でも以下でもないのですが)
    最後に(本文の最後だったのか、それとも「あとがき」だったのか)作者の百合子さんが書いています。ご主人の武田さんも、友人の竹内さんも、今はもう死んでしまった、と。自分だけ途中下車してしまった。
    死んだものが途中下車したんぢゃなくて、生き残った者が途中下車しちゃったんですね。
    言葉選びの素晴らしさ。
    ひたすらに延々と、深刻だったり教条的だったりという心情描写無しにページを重ねてきた最後に、そんな言葉があります。ああ、そうだったんだなあ。
    #
    受け取り方は、当たり前ですが、読み手一人一人がそれぞれのオリジナルであるべきで。採点されるべきものぢゃないので。
    この本について言うと、ここまで書いてきたのと同じような受け止め方で「百合子さんと武田さんの夫婦の物語、男女のラブストーリー」と、言うこともできると思います。
    また、旅先でカタコトで現地の人と渡り合ったり、名所旧跡で実に身も蓋も無い感想をひとりごちたり、男まさりに酒を浴びるように好み、型破りでラフで本能的な好奇心に充ち溢れた語り部百合子さんのキャラクターが面白い、と言うこともできると思います。
    僕としては、「百合子さんと武田さんと竹内さん」という「ドリカム状態」(死語?)の人間関係を描いた歳時記?のようなものとして、大変に面白かった、という印象。
    僕の舌の好みとしては、主人公の百合子さんというのは、何しろ語り部本人ですから。そして何しろ、何年も前の自分の旅行記を、売文として世に出す人ですから。どこかしらの自我の強烈さというのがあって、料理で言えばその脂身が美味しいのだけれども、ときとしてちょっと匂いが鼻につく。
    そうかと思ったときに、竹内さんと武田さんというふたりに挟まれた関係になると、生姜が上手く効いてくる。臭みが気にならなくなる、いやむしろそれが旨味になってくる。そんな気がしました。
    #
    それから「銭高老人」という関西弁のご老人が一行にいらっしゃいまして。この人がどこにいってもマイペースで強情で可愛らしくて個性が際立っています。と、いうかつまり、書き手の百合子さんが書く側としてそういう愛情というか演出を、銭高老人につけています。映画ならば、助演男優賞ものです。
    と、銭高老人を褒め上げた?ところで、つまりそれは書き手としての百合子さんの勝利なんですね。
    銭高老人のキャラクター演出も含めて、作者の百合子さんが旅行記全体に、「何を描いて、何は割愛しているのか」というのが、実に高等テクニックで素晴らしい。
    人生初の海外旅行、異国、異文化、異言語、料理、トラブル、現地人との触れ合い...
    もう、書きたいことはやまほどあるでしょうし、実際には銭高老人以外にも大勢の日本人がいて、大勢の人と言葉を交わしたりしたんだと思うんです。
    また、観光についても色んな知識を望むと望まざるとに関わらず仕入れるはずです。それに、帰国後に仕入れることもできます(この本は、旅行から10年後くらいに書かれています)。
    なンだけど、かなり大ナタを振るって編集していらっしゃる。
    また、ドライ極まりない、実にサバサバしたところもある。
    そんな重ね方の末に、「盛り上がった宴の一夜」があったり、「ふっと現実の暮らしとの距離感を感じる心情描写」があったりします。
    そのあたりの文章能力、いや、能力というかセンスとか好みなのかもしれませんが、良いなあ、面白いなあ、と思いました。
    そんな味わい含め総じて。
    「読者、お客を逃がしちゃいけない」という感じの、テレビ的なというか、刹那な娯楽方法論から遠い遠い地平線にある、「ゆったり味わう文章の美味」を思い知らされた一冊。なかなか今はこういう本をメジャーで出せないのでは。昭和の大らかさ、と言えるのか。パチパチ。
    #
    作者の武田百合子さんは、1925年生まれ。富豪の両親、お嬢様育ちの文学少女が、戦後に没落してカフェの女給さん。小説家の武田泰淳さんと「客と女給」として出会い、言ってみれば愛人に。
    限界まで堕胎を繰り返した果てに、結婚、出産。母親、そして作家の妻となります。どうやら性格的にもそうとうにツワモノだったようで、独特の夫婦の仲の良さで有名で。文壇、出版社関係に多くの交流を結びます。
    竹内さんというのは当時活躍していた中国文学研究家、文芸評論家であった竹内好さん。
    この「犬が星見た」の旅行が1969年。百合子さん44歳くらいか。かなり歳が離れていらしい旦那さんが、1976年に死去。晩年の作品は口述筆記で、百合子さんが筆を持っていたそうです。
    その翌年1977年に、ご主人との生活を振り返った「富士日記」で商業作家デビュー。この「犬が星見た」が1979年。
    エッセイ、と言ってもいいような文章を中心に、寡作ながら作家生活をして、酒も大いに飲まれたそうです。1993年に肝硬変で死去。67歳。お嬢さんは写真家として活動されているそうです。
    #
    武田百合子さんの文章は女性を中心に長く根強い人気があるそうですが、ナルホドと思いました。
    やはり読んでみると、高峰秀子さんや向田邦子さんに通じる、女性ならではの?強さみたいな芯を感じる上に、極上の文章遣いと、ユーモアのセンス。
    こういう文章家にとっては、テーマはおろか、物語なんてものは、無い方がスッキリして良いのかも知れないなあ。
    #
    全然本質的ではない感想として。どうしてお酒を飲むことが好きな人っていうのはこういう文章で「自分がどれだけお酒を飲んだか」ということを語らずにはいられないのだろうか、と面白おかしく思いながら読んでいました(笑)。
    露悪的な意味も含めて、「お酒を飲んでいる自分」というのを見せずにはいられないのだろうかなあ、と。それもまた、にんげんらしい諧謔味。

  • 2016/08/04 再読
    もう何度目の再読なのか数え切れない。
    初版の分厚いのもあるのに持ち歩きたくて文庫も購入。えらいこっちゃ

  • ロシア旅行。武田泰淳氏や竹内好氏、銭高老人や現地の人々が生き生きとおもしろおかしく描かれていて、楽しめた。百合子さんのように異国を旅できたら楽しいだろうなあと思う。富士日記もそうであるように、この本も、よくぞここまでの日記を書けるもんだなと思ってしまう。すごい。

  • 夫の武田泰淳とのロシア旅行の日々が綴られている。
    読んでいて自分も旅をしている気分になるような紀行文は案外少ないと思うのだが、この本はまさにそういう紀行文だ。淡々とした日記のような文章(というか、実際に当初は日記として書いたものらしい)ながら、風景や匂い、出会った人々の息遣い、さらに旅という非日常のなかにふと訪れる倦怠感のようなものまで、気づいたら共有している自分がいる。
    また武田百合子さんという人がたいへん魅力的でかわいらしい方なのがわかる。旅の途中で出会う現地の人々との交流などは読んでいてつい顔がほころんでしまう。そしてふと漏れる心の声にはっとさせられる。

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