アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150102296

感想・レビュー・書評

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  • いわずとしれた名作です。
    『ブレードランナー2049』を観て、再読しました。

    読後は、予想を上回る満足感を覚えました。
    「えっと、たしか、人間とアンドロイドの境界線の危うさを描いているんだっけな」という初読のあやふやな印象は覆され、作者はすでに50年前にそのような二分法を無化していたことに、今更ながら気づかされました。

    そういうこともあり、訳者あとがきにも満足しました。
    ディックの関心は人間とアンドロイドとの形式的な差異にはないと述べたあと、浅倉氏は次のように指摘します。

    「ディックはこの点において、昨今のサイバーパンクSFの射程をすでに超出していた。(中略)ディックの世界では、そもそも人間と機械、自然と人工といった単純な二分律は棄却されている。(中略)従って、長編『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』においても、そこに『人間』として登場する者も、『アンドロイド』として登場するものも、全て、『人間』であり、かつ『アンドロイド』でもありうる。」

    車やパソコンにも名前をつけて可愛がることができる私たち人間にとって、アンドロイドは人間に等しい存在になりえます。また、死せる存在としての人間が、その所与を乗り越えるためにアンドロイドに憧れるのも不思議ではありません。

    その他にも、動物の存在や宗教の意義などといった問題についても本書は考えさせます。映画を観ていても観ていなくても読む価値がある作品です。

  • ・SFは読みづらいので毛嫌いしていたが、やはり、名作と言われている作品は面白いものが多いと最近気づいたため、本書もなんとなしに読み始めたが、非常に面白かった
    ・最終世界大戦後、放射能の灰に侵された地球で、火星から逃亡してきたアンドロイドに莫大な懸賞金がかけられ、そのアンドロイドの狩りをしようとするハンター。それらの攻防をアンドロイドとハンター両面から描きつつ、アンドロイド(機械)と人間の差異とは何かという問題を、アンドロイドかどうかの判定装置やアンドロイドの狩り等を用いながら問いかけられる。
    ・その他の、映話装置(テレビ電話みたいなもの)、情調オルガン(気分をコントロールするもの)、共感ボックス(誰かの意識に自分の意識を飛ばすもの)、アンドロイドとのセックス、電気動物等の小道具?も面白かった
    ・本書の映画『ブレードランナー』も観ていないのでこれから観てみる(そのために読んだという面もある)

  •  紙の本を読みなよ。……ということで読みました。たった一日の出来事を取り扱っているのに、何日も経っているように感じる。あと、人間とアンドロイドだと、アンドロイドのほうが遥かに強く、人間のほうがやられる方というイメージがあるが、主人公が強すぎて、かなりあっさり賞金首らを倒している。そのあっさり感が良い。生き物と機械。その違いについての哲学がはっきり示されていて、最後は半分機械のヒキガエルを育てていこう……というところで終わるのだが、その哀しさと、でもなんとなく希望があるのが良かった。
     脳が足りないとひどい扱いを受けている男。アンドロイドの抽象的で合理的な感情。人間の生命尊重と、生命をなんとも思わない矛盾。共感する装置や、機械を使ってストレス解消していく社会。イヴの世界のような問題提起を含め、SFの全部を詰め込んだような古典名作。
     共感を得る機械(キリスト?みたいなの)とか、書き割りをあかすテレビメディア(明かしたところでキリストは死なないのが良い)の、ひたすらバラエティやってるところとか、現代文明の慣れの果てを書いてあるのだけれども、最後の蛙の場面で、人造蛙を育てていこう……というところに収束していくのはとても文学的だ。読みやすく、美女アンドロイドとエロいことしたり、ぶっ殺したりするのは、エンターテイメントだなぁ、おもしれえと血湧き肉躍ったぜ。

  • フィリップ・K・ディック氏が1968年に刊行したSF小説。

    日本では「ブレード・ランナー」という映画タイトルの方が有名だと思うが、その映画の原作となった小説である。

    ありきたりな感想だが人間とアンドロイドの違いや区別について改めて考えさせられた作品。

    幼稚かもしれないが、読後に私は日本の超国民的キャラクターの「青いネコ型ロボット」が頭に浮かんだ。

    彼は間違いなくロボットであるが、本当にただのロボットなのだろうか?

  • 世界がキップルに敗北している事を感じながら生きる中で、マーサーがどれだけ石を投げつけられようとも命を復活させようと山を登り続ける姿に共感できる事は希望だったんだろうな。
    だけどそんなマーサーが、
    「どこへ行こうと、人間はまちがったことをするめぐり合わせになる。それがーーおのれの本質にもとる行為をいやいやさせられるのが、人生の基本条件じゃ。」
    と、山を登る事を「本質にもとる行為」としているのは考え深かった。
    山を最後まで登ったところで結局死の世界(地下)に送り込まれてしまう。その永遠の循環が本当に人間の本質なのか?それでも生きるなら立ち止まって何もしないわけにはいかなくて、この先に何もないって分かってても進まなくちゃいけない。そんな矛盾こそが、「人生」なんだろうな。

    アンドロイド達はこんなに無慈悲で残酷なのに、何故かとても愛おしく感じてしまう。それはきっとリックが人間としての共感力を持った眼差しでアンドロイドを見つめているから。

    フィルが人間の見た目をしたルーバを簡単に打ち殺せるけれど飼ってるリスの事は本当に大切だったみたいに、第三次世界大戦を経た人間には「アンドロイド」的な部分と、共感力をもった「人間的」な部分の両方が備わってるんだろうな。その人間味は、装置で強制的に共感して補わないと無くなってしまうぐらい儚いもの。
    でも、そんな世界だからこそ、電気のヒキガエルに共感して大切に思う気持ちが芽生えるラストは感動的だった。本物か偽物かなんてどうでもよくて、受け取る側がどれだけ共感して受け止められるのかが人を人たらしめるんだろうな。

  • 訳が素晴らしすぎる

  • デッカードはアンドロイド狩りに狂奔しながら、次第にアンドロイドと人間の境目が分からなくなってくる。アンドロイドにもある人間的な部分がNexus6のアンドロイドの随所に描かれる一方でアンドロイド的な共感能力に乏しい人間の姿(感情をダイヤルする事も含め)も綺麗な対照をなすように描かれている。
    アンドロイドの性能が飛躍的に発展したときフォークトカンプフ試験は人間とアンドロイドを区別出来なくなるだろう。人間を人間たらしめる最大の要因が共感能力だとしてもそれをどう確かめるのか、!。

  • 読み終えた直後は、どう解釈してよいのか、戸惑いを感じた作品。「訳者あとがき」のテイラーの説明紹介を読んで、理解が深まったような気がした。人工知能が近年目覚ましく発達し、この作品のアンドロイドのような存在の出現が間近に迫ってきている現在、より身近な問題として、考えさせられる内容であった。

    (ネタバレ)
    この作品では、人間が造りだし、見掛けは人間そっくりの「アンドロイド」が重要な役割を占めている。人間とアンドロイドを見分ける手段は感情移入の有無であり、それを判断する方法が「感情移入度検査法」。
    地球が最終世界大戦の影響で放射能汚染したため、惑星植民計画が進められ、地球に残ったのは、能力が劣ると烙印を押された「特殊者」と、地球への未練を持って残った人など、わずかな人々だけ。
    主人公は、火星から脱走したお尋ね者アンドロイドを追っかけるバウンティ・ハンターのリック。次に重要な登場人物は、人間でありながら、「特殊者」の烙印を押され、"ピンボケ"と呼ばれているイジドア。
    本作品では、正常と見なされている人間、「特殊者」と烙印を押された人間、アンドロイドの三者の関係性に焦点が当てられている。
    アンドロイドのハンターでありながら、徐々にアンドロイドに共感を感じるように変化していくリック。最初から、アンドロイドに対して、偏見を持たないイジドア。
    テイラーの説明によるとおり、アンドロイドは「迫害された人間、人種的、経済的に差別された人間」のメタファーなのであろう。現代社会における、共感を持てない人間、感情移入をできない人間に対しての差別や迫害を、アンドロイドの排除になぞらえているのであろう。

    さらに、ペットの扱いにも類似点が見られる。
    リックたちは、戦争の影響で希少となった本当の生物を飼うことに強い憧れを持っている。一方で、本当の生物を模倣した電気生物が存在し、電気生物をペットとして飼っていることは隠したいと考えている。
    ラストで、砂漠で見つけたヒキガエルの正体を知った時のリックの反応に、リックの気持ちの変化を見て取ることができる。

    共感の象徴としてのマーサーの存在も、本作品では重要な意味を持っている。バスター・フレンドリーの放送の中で、マーサーの存在がイカサマであることが示される。これは、人間とアンドロイドを区別する考え方自体が誤りであることを意味しているものと考えられる。

  • 本物と偽物の違いは?
    人間とそれ以外を分かつものは?
    人間らしさとは?

    「人間」とは生物学的、法律的に定義されるものなのか?
    そうであるなら、人間が人間以外に感じる人間らしさとは何なのか。
    それは他者に共感することだろうか?
    自分という肉体の壁の中の私たちは、物質的に他者とつがなることはできない。
    それでも自分を他者の中に見出すことによって、相手の気持ちを感じとり、主観的に、精神的につがなる。

    本書のアンドロイドと人間の違いとはそこなのではないか。
    アンドロイドの多くが自分という肉体の壁の外を客観的に、単なる事象としてしか認識できない。
    だが人間は自分以外の他者、時には生命なきものに対しても主観的になることが、共感することができる。

    ただしそうあることが「人」であり、そう生きていこうとしたときには自分の意に反する道を進まなければならないことも明らかになる。
    自分として生きていくためには必ずいつか他者の中に見出した自分を殺さねばならないからだ。
    例えば親しい部下をクビにしなければならないときや、彼氏彼女に別れを切り出すときだ。
    共感することが人間たらしめ、それ故に他者のなかの自分を殺すという本質にもとる行為をさせられる。
    それこそが究極の影、呪われた運命なのではないか。

    と、長くなったがこれが私のとらえた本書のメッセージである。
    それにしてもまあ、作者はよくもまあこんな世界を、作品を思いついたものである。

  • 読後もこの世界に浸っている。

    物語の深い意味を知れば知るほど、この作品が名作といわれる理由がわかる。

    現実世界もAIと共存していくうえで、人間の尊厳、感情などはどのように変化していくのかな。

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