アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))
- 早川書房 (1977年3月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
- / ISBN・EAN: 9784150102296
感想・レビュー・書評
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◯解説にもあるとおり、人間とは何かがテーマであり、人間以外の存在によって、人間を見つめ直し、それが人間に近い存在であればあるほど、悲しい物語となる。
◯サイバーパンク、SFでは王道の内容であるだけに、面白さが詰まっていた。 -
とある漫画の一話のタイトルがこの表題で調べてみたのがきっかけで購入した一冊。もっとアンドロイドと人間のバチバチしたバトルものかと思っていたけどいい方向に裏切られた。見た目では違いがわからないアンドロイドと人間とスペシャル、エンパシー(感情移入)ボックスとマーサー教、ムードオルガンにバスターフレンドリー、キップルなど内容満載で若干整理が追い付いていないけれど、なにか考えさせられるものがあった。見た目が違わなくて、ほぼ人間と同じ心を持つレイチェルやルーバ、レッシュの葛藤からは、解説にもあるように、機械と人の違いがどうとかではなく、生き物が潜在的に持つ人間性とアンドロイド性を感じた。でも自分の感受性にひどい乏しさを感じるくらい、本著には本当はもっとたくさんの意味があると思う。
フィリップ・K・ディックに興味が出る一冊だった。 -
SFということすら知らずに読む冒頭、不慣れな空気感ながら、訳文は簡潔でなんとかこの世界に入ることができた。
読書中に0120-ダイヤルしたら機械の声がしてゾッとしないでもない。もう、そういう世界になっているんだ。
50年前に書かれた世界に追いつきつつある現代。最終戦争も始まっているのかもしれない。
終盤、リックの山を登るシーンはまるで最近読んだ漱石の坑夫の如く、死ぬつもりで出奔したが結局は生きる道を探す。感情移入する者が人間であることに加え、どんな悲惨で荒廃しきった場所でも何とか理由や意味を見つけ-しかも切実に生きると言う選択探し出す、それも人間の天然自然なのだな。
読みながらお正月に見たプレバト(俳句)で東国原英夫の詠んだ句が浮かんでくる・・・
凍蝿いてばえよ 生産性の 我にあるや
LGBTの人々に対して「生産性がない」と国会議員が述べた言葉を自分に向けた句だそうだが、最終戦争後の荒廃した世界で存在理由を探し求めるのと彼の句はおなじ感じがして、リックと一緒に「生産性の我にあるや・・・生産性の我にあるや・・・」と念じて瓦礫の山を登ったわけですよ。
あとがきには感情的じゃないみたいに書かれてたけど、現代の若者のなんちゅうか無味乾燥の暴力シーンなどに比べればぜんぜん熱い血潮を感じるわ。
イジドアのふりをして部屋を開けてというリックの描写に騙されたバカなわたし。
よくできた本だと思ったけど、SFに慣れてないので没入するほどではなかった。しかし、1968年にコレ。すごいわ。 -
映画しか観てなかったけど、原作もまた違った雰囲気で良かった。リックの苦悩にすごく共感できる。「感情移入できない」のがアンドロイドのはずなのに、リック自身も周りの人間もアンドロイドもだんだん境界が曖昧になってきて混乱する。本物の動物への異常な執着は、自分は人間だという安心を求めているのか。ラストの淡々とした絶望感が印象的だ。
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映画「ブレードランナー2049」「ブレードランナー」を見て、巷では傑作と言われているらしいのにいまいちその世界観が分からず、原作を読んでみた。
・・・電気羊のいる世界にどっぷり浸りました。
読んでみると、主人公リック・デッカードのいる街は、最終世界大戦があり、そこで使われた放射能により空は陰り、威力が弱まったとはいえ今なを死の灰がふり続いている。人間は身体検査で生殖を許される適格者と不適格者に分けられ、鉛の股袋をつけている。放射能汚染を避けるため地球外への移住か退化か、を迫られ、移住の際には一人一体のアンドロイドが貸与された。アンドロイドは初期には戦争兵器の一つであったが、今や進化を遂げ、地球外植民星から脱走し地球にやってくる者(もの?)がいる。世界各地の公警察はそれを捕まえ、バウンディー・ハンター(賞金稼ぎ)といわれるそれがリックの仕事だった。本物の動物はほとんどいなくなり、本物の動物を高価な金で買い飼育することがステイタスだった。それがかなわぬ者は機械の動物を飼っており、リックもアパートの屋上で電気羊を飼っている。
この設定が分かると、二つの映画のダークな街の設定や、殺しの場面も納得がいった。読みながら映画のダークな街やハリソン・フォードの顔が頭に浮かぶが、活字と映画と両方でこの電気羊のいる混沌世界に浸った。
映画をぼーっと見ただけでは、はずかしながらこれが分からなかったのだった。リックのいる世界は1992年という設定で、現実には世界最終戦争が無く過ぎたことにほっとするばかりだが、物語世界では、戦争後、何が原因だったか、誰が勝者だったか、誰も覚えていない、とあるのがとても印象に残った。
アンドロイドは精巧で人間と見分けるのに、他者への感情移入(エンパシー)があるかどうかで見分けている。あとがきに、ディックの短編「人間らしさ」のコメントで「親切という特質が、わたしにとっては、われわれを岩や木切れや金属から区別しているものであり、」それはどんな形になろうとも変わりない、と言っているとある。人間の形をした金属のアンドロイドでも、血肉の人間でも、親切という特質があれば人間ということか。ただこの本では「人間らしさ」の対比として、アンドロイドはエンパシーが無く、不適格者と烙印を押されたうすのろのイジドアに蜘蛛にさえも感情移入があるように描かれている。 -
なんかもう別に、何でも良いんじゃないかなぁ。
人間でもアンドロイドでも。男でも女でも。
私は友達を大切にすることが難しい。私にとって今目の前にいる人と、家族だけがリアルで。
遠い昔に読んだバスティアンとアトレーユや、火村と有栖や、戯言遣いや、悪魔や、ソフィーと、同じ時期一緒に遊んだクラスメイトの違いがわからない。
会話ができるかどうか、といった点では、当時も今もちゃんと意思疎通ができているかなんて自信がない。内面の理解や、近況が入ってくるという点では物語の住人達の方が身近ですらある。
遠くに住む人間の生死も、関係があるだろうか。死ぬ、ということは二度と声が聞けなくなる、触れなくなる、ということが悲しいのである。例えば幽霊になって一緒に居られたら、遠くに住む人間であったときよりリアルではないか。
人間も物語も、まるで同じくらい大切なのだ。そうすると友達が多い人のようになって、一人一人との時間が減る、というだけの話なのだ。と、言い訳をしてみる。 -
タイトルはよくマンガとか、小説とかでアレンジされて登場するので、気にはなっていました。
映画のほうも見たことがないので、タイトル以外はほぼ前知識ゼロ。
世界観が強烈。現代をベースに、近未来要素を足し、それを退廃させる。
なるほど、これがいろんな作品に影響を及ぼしている原型というものか。
ビジュアル面が、確かにとてもいい感じ。
メインになるストーリーは、問題提起が結構強烈で、印象に残った。人とアンドロイドの境界線。「見分け方」というモチーフは、いろんな作品で見かけるけど、「共感性」というファクターは面白い。
ただ、ラストへのたたみ方がわかりにくい。というかわからん。作者はこれで一つの回答を示したんだろうけど、ごめんなさい、私には難しい。
だからこそ、いろんな考察ができる作品になっているんだろうけど……ちょっとこれは、ラスト展開の考察をする気にはなれないかなあ。
中盤の展開は、いろいろ考えるところが多かったです。
総じて、お話の展開としては未完成感が強いんだけど、その影響もあって後々まで引きずる作品。すっきりする回答を求める私の脳が、勝手にこの作品のことを考えてしまう的なところがある。
好みとしてはすっきり終わるのがいいんだけど、それはそれとして、この作品の魅力は堪能したなあ、と。 -
人間とアンドロイドの違いは一体何なのか。
逃亡中のアンドロイドを見つけ出し殺す事が仕事であるバウンティ・ハンターの主人公が、任務を遂行する過程で思い悩む姿はとても人間的であり、それを疑う要素は本来ならば無いはずなのに、それでもどこか結末まで疑心暗鬼にならざるを得ませんでした。
記憶の改竄さえも可能とされる世界で、自分の存在そのものに自信を持てない状況に陥った時、果たして自分は「人間である」と言い切れるのか。一度疑いだすと、全てが虚像に思えてくるというのは、考えるととても恐ろしいですね。どんなに科学技術が進歩しその恩恵を受けた生活がおくれるとしても、そんな世界で生きる事が幸せなのか。そもそもいま感じうる幸せという概念さえもいつの間にか欠落してしまいそうです。
リックやレイチェル、フィル・レッシュ、バスター・フレンドリー。ウィルバー・マーサーをこの中に入れるかどうかは悩むところですが、複雑に疑いの目を持ってしまうキャラクターと対照的なのが、イジドア。読み進める中で、彼だけが終始とても安心できる存在でした。"ピンボケ"で"スペシャル"な彼が、実はいちばん"人間的"であり"親切心"を持った存在であると感じたのは私だけではないと思います。例のクモのシーンはとても印象的で、人間とアンドロイドの差を明らかに感じ取る事ができる残酷さは素晴らしかった。
また、作中では生きた動物を飼う事がステータスとされています。電気羊に代表される偽物の動物を飼うことを恥と思いながらもその見栄を張らずにはいられない心理というのは、人間の強慾さをとても上手く滑稽に表していて感心しました。しかし、それと同時に"生きた動物を飼う"というある種あたりまえな事実がどこかとても恐ろしい事のように思えてしまいました。うーん奥が深い。
ディックの世界観にすっかり魅了され、読んでいて続きが気になって仕方ない、素直に楽しいと思える作品でした。