- Amazon.co.jp ・本 (503ページ)
- / ISBN・EAN: 9784150109776
感想・レビュー・書評
-
「見張り」が読みたかったんです。
記念すべきオックスフォード大学史学部シリーズ第1作。
短編ですが、いつもの調子。ダンワージー先生は忙しそう。
主人公のジョンバーソロミューって「オールクリア」でロンドン空襲の最中ポリー達が散々探していた人だよね?キブリンはバーソロミューの彼女?既に中世英国から帰ってきている様子。という事は「ドゥームズデイブック」より後の話。
あんな目にあった後なのに元気そう。
他の作品との繋がりを楽しむのも面白い。
これで史学部シリーズは全部読破!次は何読もうかな。
P.S.
一応「見張り」以外も読みました。短編の名手って訳でもないみたいですね。
「見張り」が80頁くらい、「月がとっても青いから」が70頁弱。
ちょっと長めのこの二つがgood!表題作はもひとつ。
短くても起承転結を書く人だからショートショートにはちょっと無理があるかな。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
表題作のインパクトでずっとティプトリー作だと勘違いしてました。さすがティプトリー、えぐい…と勝手に思っていた。約10年後に発表された「女王様でも」(『最後のウィネベーゴ』収録)と比べて読むのも面白いかもしれません。こちらは堂々のウィリス節。
一番好きなのは「見張り」です。相変わらずのダンワージー先生というのもありますが、行間の雰囲気と読後の余韻にじんわりする作品。キヴリンもいるんだぜよ。 -
粒ぞろいの短編集。「見張り」は、困難に立ち向かってその時代を生きのびてきた人が歴史を作ってきたんだなって思わせてくれる。史学部のタイムトラベルのシリーズはどれもすごく好き。「クリアリー家からの手紙」は、読み進めていくと状況が分かってきて心底ぞっとする。主人公の絶望の深さが感じられる。最後の「月がとっても青いから」は、ロマンチック過ぎるかもだけど素敵なラブストーリー。よくこんなヘンテコなこと思い付くなあ。
-
後の「ブラックアウト」や「オールクリア」に繋がる史学部シリーズの短編作品「見張り」を読むのが目的だった。設定はよくできていて、あとに続くシリーズを読みたくなってくる。収録されている作品で、個人的に気に入ったのは、表題作の「わが愛しき娘たちよ」「見張り」「月がとっても青いから」。特に「月がとっても青いから」は青い月の意味が分かってからは、面白さが倍増する。
-
ウィルスは贔屓であるが、読みにくいのもある
表紙 6点村上 光延
展開 6点1968年著作
文章 5点
内容 730点
合計 747点 -
コニー・ウィリスの傑作短篇集は全11篇収録。うち「見張り(後に「空襲警報」と改題)」と「クリアリー家からの手紙」は既読でしたが、十分楽しめる一冊でした。
やはり注目すべきは、超問題作とされる表題「わが愛しき娘たちよ」。解説の山田和子氏の言葉を借りると、「性と権力の構図をストレートにとらえた作品」、「男性読者の多くに大変な反発を引き起こし、同時にフェミニストたちからも批判を受ける」作品のよう。ジェンダーやらフェミニズムやらにてんで興味のない、いち読者ではありますが、この作品は一見するとややこしいところがなく、男に抑圧される女の構図がストレートに描かれているように思えます。が、読後は「どこか捉えどころのない作品」との感想で、なんだかもやもやした気分でいっぱいになりました。このあたりが著者の妙技なのでしょうが、少なくとも単純に「女を虐げる男社会への批判」を描いているのではない気がします。
さて、それ以外の作品でみると、とりわけ面白かったのは「鏡の中のシドン」。個人的にウィリスの作品は、本書に収録される「月がとっても青いから」のようなコミカルな作品を好むのですが、この作品のようにシリアスな作品を描けるのもウィリスの魅力かと。というのも、ウィリスは「つかみどころのない作家」とよく評されるようで、本書だけを読むと、たしかにその感想を抱かずにはいられません。個人的にはこのマルチフェイスな作品群が大好きなのです。 -
『ドゥームズデイ・ブック』に関連する作品で、ヒューゴー賞・ネビュラ賞を受賞した「見張り」が収録されていることもあり読みました。
「見張り」は『ドゥームズ~』の少し後の設定で、ダンワージー先生とキヴリンも出てきます。
解説 / 山田 和子
カバー / 村上 光延
原題 / "FIRE WATCH"(1985) -
どれもこれも素晴らしい。
最後が『月がとっても青いから』でよかった。 -
表題作の後味の悪さ!
これをふ~んで片づけられないのは私が女だからだろうか。
ラブコメのほうが好きなので「月がとっても青いから」を楽しみにしていたのだけど、訳が全体的に古くて読みにくかった。仕掛けはいつものウィリスなんだけど。「若者言葉」て常に変化するから古くなるのは仕方ないんだけど、この訳は若者言葉を使ったことのないおじさんが自分の想像する若者言葉をそれっぽく書いただけの感じがする。生きている(あるいは生きていた)言葉とは言えないと思う。