- Amazon.co.jp ・本 (299ページ)
- / ISBN・EAN: 9784150119553
感想・レビュー・書評
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名前は知っていたけれどなかなか読むタイミング訪れなかった本の中の一冊。
書店で見かけるたびに思っていたが、意外とページ数が少ない(本文は260ページ強くらい)。しかし、(漫画以外の)書籍の製造や所持が違法な世界で生きる人々の姿や、詩的な描写の数々によって満足感は高いなと感じた。ただ、その詩的な文体や、突然回想・想像の文章が入り、そして突然現在(現実)戻ってくる流れに、読み慣れるまで少し戸惑った。
読む前は、「本を燃やす立場から、本を守る立場になる人の話」なのかなと思っていた。確かにそれも間違いではなかったが、実際は、自らの力で「知る」「考える」ことの重要性を示した話だったのだなと感じた。重要なのは「本」そのものではなく、そこから自分が何を得るかであり、また、何かを得るには本だけでは不十分なのだとも思う。
個人的には特に終盤、郊外に広がる自然の中を主人公が歩く部分で、序盤のタンポポの花(=自然の一部)の占いが主人公に及ぼす影響との繋がりが感じられ、「本(人の手によるもの)」だけでなく「自然(多くは人の手からは離れているもの)」に触れることで、自分という存在はより厚みを帯びていくのかなと思った。
また、ラジオやテレビで情報を得る中で、考える力を奪われて統制されていく人々を見て、ちょっとハッとしたことがあった。
以前ミヒャエル・エンデの『モモ』を読んだときに、「タイムパフォーマンスを重視するのはいいとして、それによって浮いた時間を自分が幸福を感じるために使うのが重要だ」という考えを持ったのだが、「高速で大量にコンテンツを摂取することそのものが幸福だと感じている場合もあるかも」と、この話を読んで気付いた。個人的にはそこに本当の幸福は無いと思ってしまうが、どうなのだろう……。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ヨルシカ初のn-bunaさんボーカル曲「451」の元ネタになった小説ということで、たまにはそういう本との出会いもいいだろうと思い読んでみた。
タイトル「華氏451度」とは紙の引火する温度。
本が禁止された世界で、本を燃やす昇火士(ファイアマン)の主人公モンターグが、隣に住む少女との出会いを通して、自分の仕事に疑問を持ち、人生が劇的にかわっていくという話。
様々に娯楽があふれ、人々は暴力的になり、特に考えることもなく、日々を幸せに過ごしている、という舞台設定が、ずいぶん昔に書かれた小説なのに、ここ最近の世界を皮肉を込めて書いているかのように見えた。
動画、ソシャゲ、サブスク、手軽な娯楽に満ちて、コメント欄やSNSには人をおとしめて喜ぶ人が目につく。
作中に、昇火士たちが本を所持した人の家を焼くところに野次馬がやってくるシーンがあるが、いわゆる「炎上」騒ぎのシニカルな表現と言われても納得しそうだった。
昔のSFにも、こういうところがあるから小説を読むのも面白いと思う。
本が禁止にされたら、生きていけないな。 -
他者を理解しようとするストレス、自分の考えを変えるストレスを楽しまなければならない
そう言われた気がした
思考を止めることの心地良さに身を委ねられるのは幸せなことかもしれない
けれど、心のどこかでそんな幸せに居心地の悪さを感じてしまうから、人はページを捲るんだろうな
自分はふるいで、他者や本は砂のようなもの
砂をサラサラとふるいにかけて果たして残るものがあるだろうか
我々はふるいの目をできるだけ細かくする努力をしなければならない
少し過激なことを言うと、この本の内容を読解できない読者のためにこの本は存在していると思う
だから、今読解できなくても、歳を重ねてふと思い出したときに読み返してほしい
ひとりの読者としてそう思う -
図書館で借りた本。SFって読み慣れていないけど、すごくおもしろかった。こわいけど、分かる。自分の足で歩いて、ものを見て、息を吸わないと、と思う。
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100分で名著で取り上げられてて気になって読んでみた。
おもしろかった。
ところどころ難しい表現というか、何を表してるのか分からないところはあったけど。海外SFあるある。
自分で考えず、疑問も持たず、単純な刺激だけを楽しんで生きているのは楽だし幸せかもしれないけど、本当にそれでいいのかと問いかけてくるような内容だった。
最近、映画や名作本の要約本や簡単なまとめ動画が出てたり、まとめサイトがよく見られてたり(ちょっと古い?)、何事においてもコスパが重視される風潮があったり、面倒くさい過程はどんどん端折りたい、簡単に理解したい、無駄なことはしたくない、みたいな流れが強くなってる気がするけど、ブラッドベリはそれを見たのか??と思うくらい、現代の風潮ど真ん中を批判しているように思えた。
物語の世界で禁止されてる本も、権力を使って上から禁止していったわけではなくて、市井の人が進んでそういう方向に向かっていった、というのも現代と重なる。怖い。
50年以上前の作品とは思えない。
分かりやすく説明できないような難しいことはこの世にたくさんある、考えるのを放棄しちゃいけない、分かりやすいものだけを信じてちゃいけない、と思った。
本の存在意義、なぜわたしは本を読むのかを改めて考えるきっかけになる一冊だった。 -
反知性主義が跋扈する世界。そんな世界で生きる主人公モンターグの仕事は昇火士。本を持っている人を見つけては家ごと本を焼き払う。
家に帰れば妻がディスプレイ(=壁)に囲まれて番組を見たり"家族"と中身のない会話を続けたりしている...。
最初は自分の仕事の意味もわからずただ燃やすことを楽しむモンターグであったが次第に違和感を感じるようになり燃やすはずの本をこっそり持ち帰ってしまう。本は本当に価値のないものなのか?人間の思想を狂わす危険なものなのか?
そして段々と世界と噛み合わなっていくモンターグ。自分が捕まり、家を燃やされるリスクを犯しながらも真実の扉を開かんと奮闘する。
なかなかのディストピア感溢れる作品で面白かった。知性を発現させようとする異分子は監視、排除。戦争状態でありながらもどこか市民は他人事。考えるということを放棄する世界はこういうものなのか...という恐ろしさが滲み出る。
ちなみに華氏451度は紙が引火する温度らしい。タイトルのセンスも好き。 -
「本」というものの見方が変わりました。
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焚書をテーマにしたディストピア小説の古典。本書についてまず驚いたのはレビューの数が圧倒的に多いこと。このブクログでも、読書メーターでも、Amazonのレビューでも、多くの人が感想を書いていて、読書好きにとって避けられない作品なのだなぁと。実際読んでみて、「本」という当たり前にある(と思っている)ものに対する気持ちが変わっていくのを実感した。メディアやネット社会に踊らされる現在のわたしたちに警鐘を鳴らす意味合いも大きく、薄ら寒い不気味さを感じつつ考えさせられる事柄が多い。と同時に、シンプルな筋運びながら詩的で美しい文章に酔わされる不思議な雰囲気もある。すでに相当古い作品だが、これからも読みつがれるべき不朽の名作だろう。
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いろんなところで何度も話題にされて、映画にもなって、映画の中でも引用されて、久しぶりに読み直して驚いた。SFだったはずの内容が、リアリズム小説に変貌していた。世の中の移り変わりもすごいが、作家の想像力がすごい。
ブログに書きました。読んでみてください。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202005120000/ -
焚書が跋扈するディストピア世界を中心とした小説。ストーリーは至ってシンプルで、本を火が焼くという情景と街を戦争が焼くというのを対比させ、焼け焦げた灰の中から知識によって本当の人間らしい思想の復活を描いている。本を読んで知識を持つことによって、自己を他者より優れた存在だと思うべきではないという部分が刺さった。作中ではラジオやテレビのような近代テクノロジーによるメディアを完全な悪と位置付けているが、その部分は現実のテクノロジーの力で変えうる未来ではないのかと思った。