華氏451度〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫 SF フ 16-7)

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  • Amazon.co.jp ・本 (299ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150119553

感想・レビュー・書評

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  • ユートピア作品「タイタン」読後、30年も前、大学生時分、映画鑑賞したディストピア作品「華氏451」の原作を読みたくなり手に取りました。映画は?奇妙?で、原作も?奇妙?でしたが、ジョジョの奇妙な冒険だと思ったら、すいすい流れはじめました。
    内容は著者レイ・ブラッドベリと同年代の社会学者フェスティンガーが提唱した『認知的不協和』を体現したような感じですね。

    二つの矛盾すること、ここでいう「本を読みたい」vs「本を読むことは良くない」から生じるストレス、この認知的不協和を解消するために、自分にとって都合が良いように行為を正当化してしまうお話と思いました。
    怖いですね…

  • 本が禁止された世界、焚書をテーマにしたディストピア小説。読んでいて、本の存在意義、本が持つ価値を改めて認識しました。フェーバーの台詞に「人は自発的に本を読まなくなった」という趣旨の言葉がありましたが、今現在そうなりつつあるように思えました。たかが本、されど本。本1冊の重みは人命と等しい。『……もしふたたび“暗黒時代”がやってきたら、またおなじことを最初からくりかえさねばならんだろう。しかし、そこが人間のすばらしいところだ。重要で、やる価値があると心底納得していれば、いくら勇気をくじかれようと、うんざりしようと、あきらめずに、もう一度最初からくりかえせるんだ。』この言葉がとても胸に響きました。本好きさんにも、そうでない人にもぜひ手に取って欲しい1冊。

  • 焚書がテーマで読書好きとして読んでいて辛くなるシーンがいくつかあった。知を奪うことで支配する世界。知る自由を奪われるのは耐えられない。ただ、それに反発する勇気は私にあるだろうか?とも思う。
    登場人物たちと現代人とを重ね合わせた。日々を忙しく過ごし、考える時間を失い視覚刺激の強い映像にのめり込む。時代を超えて共通している点は多く、危ういライン上にいるような気持ちになった。
    引用の詩や旧約聖書の一文などを読むと、やはり必要だ、という思いを強くする。この物語の中でも、上層部の人間は知識を得ているのだろう。誰しも平等に謙虚に、学べる機会は失われてはならない。
    「頭の中の図書館」という表現や、人を指してまるで本そのものが生きているように言うのも良かった。語り継がれる本という、書物の歴史の原点に戻ってしまったようではあるが、最後モンターグの心に希望が見えて私も救われた。

  • 本を読むことはもちろん、所持することも罪になった世界をえがくディストピア小説。最近NHKの「あの番組」を見て、もう一回読み直し、改めて、なんて詩的なSFなんだろうとため息をついた。
    ベイティー隊長が唾棄する「すこし前の時代」を、今僕たちは生きているような気がする。電車の中で誰もがスマホに向き合い、紙の本が売れなくなり、YouTubeやtiktokのまとめ動画で本を読んだつもりになっている。人々の耳には「巻貝」みたいな謎のイヤホンが取り付けられ、目的地に最も早く辿り着く方法をつねに検索し、歴史上一番自由なはずの僕たちは、結局どこかで満たされずに、タッチパネルのディスプレイに向かいながら、いつも何かのアルゴリズムに踊らされている。今も。
    「火を燃やすのは楽しかった」。本を所持する家々を焼くことを仕事にする主人公(それにしても『昇火士(ファイヤマン)』は神訳……)は、規律や時間に縛られず、自然や人と向き合うことを純粋に楽しむ少女クラリスと出会い、変わっていく。
    盲目的に何かを信じている人が、それを疑い始め、あるべき自分を模索する物語はとても戦後的だが、それを媒介するのが「本」というのが、いつの時代にも新しい。
    僕は今回読み直して、火が持つ二つの側面、「炎」と「灯」について考えることになった。
    次々に燃え移り、化学物質で力を増して全てを燃やし尽くす「炎」としての火と、ロウソクにともされて明かりを照らす「灯」としての火。徐々に変わっていく主人公の内面のように、もともと人間にはこの二つの面というのがあるように思われる。
    強制的で暴力的で支配的な炎、啓蒙的で伝統的で友愛的な灯。
    小説の中の登場人物やさまざまなモチーフも、この二項対立で見ると興味ぶかく映る。
    炎的な力を増していくマスメディアと、それを受動的に享受する大衆に対して、ただ先人の知恵を蓄積していく器としての本と、それを自らに落とし込んで消化し、語り継いでいく知識人。
    個人の灯を多くの個人に直接伝えられる、新しいメディアとしてスタートしたはずなのに、何かとすぐに「炎上」しちゃうようなソーシャルメディア(とそれをめぐるデバイスたち)との距離の置き方を、70年前から現代に静かに示してくれる、100分ぐらいで読んじゃいけない名著でした。

  • 本を読むこと、所持することが
    罪になった世界の話。

    たくさんの読書家さん達に愛されるSFを
    やっと読みました。
    なるほど、すごい本だ!

    誤解と反論を恐れず簡単に書くと、
    「目を開け、耳を傾けろ。学べ、考えろばか者共!」
    という所でしょうか。

    本に焦点を当てた話だけど、
    フェーバー教授が言っていたように
    書物は本質を蓄えるひとつの容器に過ぎない。
    人間が時を超えて知を引き継いでいく、
    強力だけどひとつの手段に過ぎない。
    この作品でも1種記号として使われている所には
    注意しないといけないんじゃないかな。
    ただ本を読めって言ってるんじゃないんだぞ、と。

    とはいえ、本という記号を
    クローズアップしているからこそ
    読書家達の心に強く響いたんだろうとも思う。

    恐ろしいのは、
    強い刺激ともの凄いスピードに麻痺した、
    自分で物を考えない“普通の人々”が、
    自分のくらいを愛し、何の疑問も持たずに
    幸せに過ごしていること。
    “当たり前”による思考停止の怖さを感じた。

    はたして自分は?
    彼女らを笑えるのか?
    自分は違うと言いきれるのか?

    自分は割と刹那主義というか、享楽主義というか、
    幸せ is No.1みたいな所があると自覚していて、
    本を読むことで悩みが生じたり
    苦しいことに目を見開かせるなら
    辛いだけじゃないか、
    幸せを阻害するものとしてしまい込んでしまおう
    という主張は結構痛かった。

    でも、別の世界とか他者の痛みを知ることでしか、
    知ったことを元に想像することでしか
    なしえない優しさみたいなものが
    あると信じているから、追い求めたい。

    幸せな愚か者か、苦悩する賢者か、
    って問題は、個人的にすごい深い。

    モンターグだけじゃなく、
    フェーバー教授や旅団の人達
    (もしかしたらベイティーもなのかな?)みたいな、
    世界に流されるだけじゃない人たちがいて、
    細々と頑張っていて、
    手を差し伸べてくれたことに救いを見た。
    傷を負いながら、人類は続くんだなあ、と。

    まだまだ考えるところは尽きないんだけど、
    たった1冊、しかもそんなに長くない小説1作で、
    こんなに色々考えてしまうんだから
    やっぱり名著だなあ。

    (余談ですが、
    帯にあった「NHK Eテレ 100分de名著」ってのに、
    すごい壮大な皮肉?矛盾?みたいな気持ちを
    感じてしまったりしました。
    それこそ権威に振り回されてて、
    時短を求めてる感じがして……)

    幸いなことに今本は禁制品じゃないし、
    スピードアップする娯楽に溢れた世の中だけど
    考える力はまだギリギリ残されてそうだし、
    本だけじゃなく色々取り入れて
    たくさん考えていきたい。
    すぐ忘れてしまってもったいないので、
    考えたことを書いておいたりすることも
    めげずに細々頑張って続けていきたいなあ、と
    改めて思ったのでした。

  • 世界の秩序を保つため、人間が自由に思考できないよう、書物をこの世から排除しようとする物語。
    自らの思想を持ってはならず、漫然と生きていくことが是とされる世界観であり、ともすると今の我々がまさにこうなってしまっているのではないかと思わされる箇所があった。
    書物が失われた世界で、「私が〇〇(書籍名、著者名)だ」と名乗り合うシーンは面白かった。

  • この本が主張するコトを、もう少し自分で考えようと思う。

  • 100分de名著で紹介されて、読んでみた。面白かった。恐ろしくなる程、今のメディアの状態を言い当てていた。私たちはものを考えないようになっている。考えることから自ら遠ざかっている。本を読もう。本を読んで世界を広げていこうと今更ながら思った。

  • 100分de名著に刺激されて、再読?再々読? 本を燃やす、焚書、という印象のみが肥大して残っていたが、今回読んでみたら、それよりも、人々が自ら本を読まなくなる、むしろ昇火士はいてもいなくても同じかも…というあたりに、今に通ずる恐ろしさを感じる。便利と引き換えに、多くの個人データを差出している現在。さらにまた感染症対策のために自らの行動記録などを差し出すことにも抵抗感が薄れ、むしろ進んで差出し、進んで縛られていくのだろうか。本を読む、読んで考えるという面倒くさい行為を厭い、考えないことに慣れていくのか。

  • 2年ほど前に、イギリス映画「マイブックショップ」をみて以来、絶対に「火星年代記」を読みたいと思っていたのだけど、100分で名著で取り上げられると知り、こちらを先に読んでみた。

    すごい本だった。
    今流行りのディストピアものであり、
    焚書が物語の中心にある。

    本が、焼かれてしまうのだ。
    昇火士たちの手によって。
    本を隠し持つものは、政府によって管理され、家ごと焼かれてしまう。その、昇火士のモンダーグが主役。

    家は完全防火処理がされ、本や家具は燃えても家は残るようだ。
    しかしその家の壁は、ほとんどがコーティングされ、映像が映し出されるようになっている。モンダーグの妻、ミルドレッドは、この壁の中で行われる家族ドラマに入り込んでいて、眠る事すら忘れている。
    その様子は、今の自分を含め、若い世代のインターネット、SNSスマートフォンを肌身離さず持つ、私たちのこの時代のことを言っているようで寒気がする。。

    そんな中、仕事帰りに家の前でクラリスという不思議な少女に出会う。本を焼くことを正当化して生きてきたモンダーグにとって、彼女の存在はおどろくべき美しいものに写った。
    「私?歳は17で、頭がイカれてるの。」そう言って、クラリスは自然を愛で、壁ではなく、花や草の香と共にあるのだ。
    家には廃人と化した妻がベットの中から壁に見入っている…妻も自分も二人が出会った日のことももう忘れているのだ。

    クラリスの次には、昇火に出かけた家の老女が彼を揺るがせた。老女は、本と共に自らも燃やされることを選択し、自らマッチをする。。

    そんなモンダーグだが、実は彼の周りにはいつも猟犬により監視される対象だったようだ。彼は実は、読みもしない本をつい、手にしてしまう盗癖があった。

    モンダーグにとって、ろうそくの火のような優しい光だったクラリスが、ある日いなくなってしまう。
    そして、彼の周りはどんどん変わってしまうのだ。

    長いこと、彼の記憶にあった老人フェーバーに助けを見いだし、モンダーグはこの世界から逃げ出すのだ。

    しかし、戦争が始まり、世界はまた…

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著者プロフィール

1920年、アメリカ、イリノイ州生まれ。少年時代から魔術や芝居、コミックの世界に夢中になる。のちに、SFや幻想的手法をつかった短篇を次々に発表し、世界中の読者を魅了する。米国ナショナルブックアウォード(2000年)ほか多くの栄誉ある文芸賞を受賞。2012年他界。主な作品に『火星年代記』『華氏451度』『たんぽぽのお酒』『何かが道をやってくる』など。

「2015年 『たんぽぽのお酒 戯曲版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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