- Amazon.co.jp ・本 (299ページ)
- / ISBN・EAN: 9784150119553
感想・レビュー・書評
-
一気読み!
本を読むことも持つことも禁じられた世界で、本を燃やす役目を負わされている主人公が本の価値に目覚めていく話。特に、本を読むのが好き、という人にはぜひ、手に取ってほしい!そして、本なんか読まなくても生きていける、と言っている人や、まとめサイトで十分、と思っている人にも!!
第一部はなかなかストーリーが進まない上に詩的な(のかな?翻訳の問題?)言い回しが多くて読み進むのに苦労したけど、その先は息もつかせぬ展開。
謎の少女、味方と見せかけた敵(しかもボスなので御禁制品の本をたくさん読んでいる)、味方になってくれるおじいさん、森に潜むレジスタンス、と道具立ては割とベタなんだけれど、異様なのは主人公の妻。作品に深みを与えているのは、主人公とこの妻の関係だと私は感じた。「壁(と訳されているけれど、むしろスクリーンでは?)」に写る映像と垂れ流しの音声にのめり込んで、生身の旦那なんかいてもいなくても同じになっている、というあたり、スマホをいじりながら向かい合わせに、あるいは並んで座っているカップルみたいでゾッとする。妻の上に原爆が落ちるまで主人公が彼女の存在感を少しも実感できずにいるところも、災害に遭って急に絆に目覚める人たちのようで、ザワザワする。
そうした不気味な人物や関係をたっぷり描写しておいた上で、「何で本を読むのか?」という素朴な問いに、作者は、例えば次のように答える。
ーーわれわれは記憶しているのだ、と。長い目で見れば、それがけっきょくは勝利につながることになる。そしていつの日か、充分な量を記憶したら、史上最大のとてつもなく巨大な蒸気ショベルを作って史上最大の墓穴を掘り、そこに戦争を放り込んで埋めてしまうんだ。(p.273)
背景にはアメリカ社会に根深く蔓延る「反知性主義」への危機感があるのだと思われる。日本のそれ(アンチフェミとかアンチリベラルとか)とは違って、ただのヘイトクライムじゃなく宗教的な理念があるヤツだから、非常に厄介らしい。だからなのか、英米文学におけるディストピア文学では、必ずと言っていいくらい「本の禁止」が設定として盛り込まれる(『1984年』『すばらしき新世界』『侍女の物語』など)。そうした声に対する、結構直接的な問答がこの作品では章ごとに繰り返される。引用したのは、元大学教授でレジスタンスのリーダー的な人物の言葉で、主人公一行が原爆の爆風に晒された後のセリフ。性懲りも無く戦争が起こるのは、反知性主義的な側面が人間にあるからだ、という主張。
ヒトラーだって読書家の側面は持っていた。けれど、ヒトラーに対抗する知性もまた、読書によって培われなければならない。例えば、ヒトラーの演説における各種の引用が極めて恣意的で、論理が破綻しているということには、引用元の書物を読みこなせるだけの人で無ければ気づけない。
旧ソ連による四年間の抑留生活を送って生還した祖父の口癖は「頭の中にあるものは誰にも盗られない」だった。尋常小学校にしか通わせてもらえなかった祖父は、帰国後、独学で一級ボイラー技師の資格を取って会社を起こした。祖父の遺した書籍は膨大で、ボイラー関係だけでなく、戦争や日中関係などにまつわるものから仏教関係、古典全集と幅広い。決して知に誇る人ではなかった。けれど、本がどれほど価値を持つものかは生き方を見れば分かった。この作品に登場するレジスタンスの老人たちは、その祖父の姿に重なるものがある。
人生には過酷な瞬間や時期がある。その支えに、その先の希望に繋がるのは、本だ。
ーーほら、すごいぞ、遠くを見てみろ。おれの外の世界を、おれの顔より向こうにある世界を。……いつか世界をつかみとってやる。いまはやっと指が一本かかったところ。ここからはじめるんだ。(p.269)
主人公の熱い決意に、その思いを強くした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本が燃え始める233℃
書物の所有は国家によって禁じられた世界、
焚書する昇火士が主人公。
ある日風変わりな少女と出逢い変化が
作者によると独裁国家批判ではなく
テレビの一方的な情報を浴びることにより
自分で思考しなくなる危険な世界を危惧し
作品化したらしいです。
それから約70年後、毎日目的もなくテレビ観る(泣)
-
書籍を所有すること自体が犯罪となっている設定の近未来SF作品。
書籍を焼く事がミッションである昇火士(ファイアマン)のモンターグは、ケロシンの焔で本を焼き尽くす事に喜びを感じていた。そんな彼の前に現れた不思議な少女クラリス。彼女との会話により彼の日常が変わっていく。
タイトルの華氏451度は、本の材料である紙が燃え始める温度(摂氏約233度)を意味する。本好きとしては、本を焼くいわゆる焚書の行為の話は読んでいて心が痛む。しかし何故、書籍が禁制品となってしまったのか、そちらが気になるところ。
そして本のない世界での人々の生活が描かれるのだが、なんかねえ、スマホにどっぷりと浸かった現代人を彷彿させて嫌な気分になってしまう。そんな描写を半世紀以上も前に描いたとはね。名作古典SFだけあります。火消しの消火士と同じ読みで正反対の事をするところも名訳。 -
訴えかけてくるメッセージの圧倒的な強さに
-
本は忌むべき禁制品であり、焚書が正しい行いとされる世界の話。本を読むことがいかに豊かな世界をもたらしてくれるかを教えてくれる読書論でもあるかな。
ブラッドベリの著書はこれが初めてだったんだけど、文体がとても印象的だった。文章に目を通したとき、その映像を想像させるのではなく、見せつけられている感じ。一瞬一瞬がスローモーションのように流れ、主人公の思考を高速で追っていく感覚。 -
これは遠い未来の空想小説なんかではなく、現在進行形の物語である。小説の中で、焚書は必ずしも国家権力の濫用ではなく、人々がもはや書物を必要としなくなった結果であると描写されているが、現代人は既に深く考えることを止め、出版社や書店が次々に潰れていく。今や長々と語り合うことは野暮であり、世界最強国家の大統領ですら280文字で一方的に意見を発信するだけになってしまった。愚民化政策もここまで来たか。
華氏451の世界まであと一歩だ。 -
新訳を読むのをずっと先延ばしにしていたのだけど、ファイアマンに昇火士の字があてられているのにまずびっくり。センスが素晴らしい。
動物園の動物は幸せなのかなって考えてしまう人は面白く読める本。
動物園の動物は楽でいいよなーって思える人は理解できない本。
だとずっと思ってるのだけど、どうでしょう? -
近未来。「書物」が禁じられた社会。
「書物」を持っている人の家には、fireman(昇火士、とこの本では翻訳していました)が派遣されます。
そして、家財ごと紙の本は燃やされてしまいます。
なぜ書物が禁じられるのか?
その方が、支配するほうは、楽だからですね。
#
その社会では、みんなが日々楽しんでいるのは、テレビとラジオです。
そして、事実上政府によってコントロールされている、フラッシュ的なニュースです。
テレビのいちばんは、バラエティであり、ドラマであり、スポーツであり、です。
深く政府を批判するようなテレビは、政府によって、事実上、禁じられています。
そう、政府はスポーツを推奨しています。
スポーツは盛り上がって、チーム競技で、団体行動。スポーツを楽しんで、スポーツを鑑賞して盛り上がるのは、政府にとって都合が良いのです。
全てメディアは、刺激があって、流れるように早く、概要だけを伝えて、その代り洪水のように大量に注がれます。
じっくり腰を据えて考える、というのは、流行りません。
...上に書いたのは、ブラッドベリの小説「華氏451度」の中の、社会の話です。
なんですけど...。
自分で書いてて、
「あ、なーんだ、今の日本と同じだな」
と、思ってしまいました。
テレビは、ほぼ完全に、政府の広報媒体になりましたね。
新聞は、僕たち消費者が見捨てましたね。
もっと刹那的で、もっとシロウト的で、もっと速報性のある、ネットに潰されましたね。
その結果として、顔が見えるジャーナリストが腰を据えた調査報道を行う力が、新聞社から衰退しました。
これは、結局は僕たち消費者が選択してしまったことですね。
ネットと多チャンネル化で、メディアからの情報提供量は爆発的に増えました。
...なんだけど、それでもって、「落ち着いて考える」ことは増えたのでしょうか。
選挙の投票率は上がりましたでしょうか。
さて、それで、結果として、誰がトクをして、誰が笑っているか、ですね。
安倍政権は、間もなく5年目に入ろうとしていますね。
#
レイ・ブラッドベリさん「華氏451度」。1953年発表。
ほどほどの薄さの文庫本。
新訳が出ていたので、読んでみました。
1953年というと、冷戦ですね。
そしてアメリカで、テレビがようやく出てきたころ。まだまだ大衆娯楽の王様はラジオであり、映画だったと思います。
#
Fireman(昇火士)である主人公は、不思議な少女クラリスと触れ合ったりして、徐々に、「書物が悪である」という考え方に疑問を抱きます。
そんな気持ちを、テレビラジオ中毒の奥さんは、さっぱりわかってくれません。
徐々に主人公は、書物を大事にしてしまう、という地下運動に足を踏み入れます。
Fireman部隊の隊長、というのがいます。
この隊長が、古今の書物に詳しいのです。
そして、多様な引用をしながら、「書物何て悪だ、考えてどうする」みたいな、
悪魔的な思想を弁じます。
この、「隊長の主張」の部分は、物凄く邪悪な魅力に満ちています。
●"1つの問題に2つの側面があるなんてことは、口が裂けても言うな。ひとつだけ教えておけばいい。もっといいのは、何も教えないことだ"
ワイドショー、テレビ、ネットの大きな情報っていうのは、そういうことなのかもですね。
●"記憶力コンテストでもあてがっておけ。ポップスの歌詞だの、州都の名前だの、アイオワのトウモロコシの収穫量だのを、どれだけ憶えているか、競わせておけばいんだ"
僕たちが、「幸せになるために」「立派な大人になるために」必要である、受験勉強っていうのは...。
●"時間は足りない、仕事は重要だ、帰りの道ではいたるところに快楽が待っている。ボタンを押したり、スイッチを入れたり、そのほかにいったい何を学ぶ必要がある?"
そうですね。
書物を読むより、情報をネットで流し見したり、ゲームをしているのですね。
●"民衆により多くのスポーツを。団体精神を育み、面白さを追求しよう。そうすれば人間、ものを考える必要はなくなる"
頭をからっぽにして癒されるのに、確かにスポーツ観戦は素敵ですけれど。
うーん。
オリンピックとか、権力そのものが、税金を湯水のように使って、盛り上げますよねえ。
●"物事がどう起こるかではなく、なぜ起こるかを知りたがるのは、厄介なことだ。なぜ、どうして、と疑問を持っていると、しまいにはひどく不幸なことになる。"
いつの間にか、新聞と言う機能も衰退し。
「なにが起こったか」というニュースは、かつての100倍も1000倍も溢れています。
でも、「なぜ起こったか?」という考察は、あきれるほど浅いものが多くないですか?...
#
主人公はどんどん、気持ちが追い込まれて行きます。
そして、隊長にすべて、ばれます。
犯罪者になってしまい、隊長を殺害、逃亡...逃げ切れるのか...
と、言う、お話です。
文体はいかにもアメリカ小説らしい、ブツブツとした、でも味わい深い、小説らしい魅力に満ちた簡潔さ。
こういう流れの中に、村上春樹さんとか、エルロイさんとかが出現するのは、良く判りますね。
読み始めだけ、ちょっと、オフビートな感じにとまどいますが、
すぐになんとなく「ノリ」が判って、愉しめるようになりました。
#
悪夢のような未来、を描く物語を「ディストピアもの」と言うらしいです。
ディストピアもの、の中では、最後が希望にあふれていて、そういう意味では辛くなく読み終えることができました。
(「1984」はつらかった...)
#
ブラッドベリさんは、1950年代の、アメリカでの「赤狩り旋風」を意識して書いたそうです。
いともかんたんに、みんなが、「そうだよね、共産主義者は悪だよね」と洗脳されてしまった。考えもせずに。共産主義とは何か?など考えもせずに。
そうやって書かれたものが、まったく状況の違う60年後の国でも、すごくピンピンあてはまる。
怖いですねえ。
書物と言うのは、記録であり、すなわち歴史ですね。
そして、権力は必ず歴史物語を風化させたがります。
少なくとも、多様な歴史物語を好みません。
自分たちの都合の良い歴史物語以外を、好みません。
歴史というのは、「ぼくたちは、こんなに愚かなことを過去にしてきた」という大切な記録なんですけどね。
判りやすく言えば、戦争が起こると何が起こるか。
権力者以外は、他の人の都合で拘束され、道具にされ、殺すように命じられ、殺されるリスクに身をさらす。
こんなに簡単なことが分かるのは、過去の記録のおかげです。
それが無いと、分からないなります。
どうしてかというと、
戦争を起こす人は、決して、そうは言わないからですね。
#
書物を守る、地下組織の人が言います。
”われわれは、自分たちが過去1000年のあいだにどんな愚行を重ねて来たか知っているのだから。
それを常に心にとめておけば、いつか新しい愚行をとめることができるはずだ"