一九八四年〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)

制作 : トマス ピンチョン 
  • 早川書房
4.09
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  • Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151200533

感想・レビュー・書評

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  • 不朽の名作。
    いままで読んでなかったのを後悔したくらい。

    <ビック・ブラザー>が支配する全体主義国オセアニア。
    主人公のウィンストン・スミスは真理省で働く党員。歴史の改竄が主な仕事だが、体制に不満を抱いている。気持ちや感情を表わすことは重罪であるが秘密裏に日記をつけ始める。それほどに世の中に疑問をもっている。
    ある日、同じ省で働く黒髪で美貌のジュリアと知り合い、ってところから怒涛の展開。

    読んでみて実感することは小説として面白いということ。体制に監視されながら二人が密会する展開はスリルがあってドラマ性がある。一緒に働く同僚たちの人物造形もうまい。それぞれの細かい個性や性格、家族構成がその後の生死を分けてしまう理不尽さ。各家に設置されたテレスクリーンが常時国民を監視している息苦しさとそこから逃れようと創意工夫する主人公の姿は面白い。

    ウィンストンの日々の仕事に厭きる描写もいい。歴史改竄に対する疑問や、何の意義や意味があるのかさえ分からない日々の業務。それに追われる虚しさと倦怠感。多くの人の莫大なエネルギーと徒労の積み重ねのなかで支えられる体制。働くウィンストンを通して巨大システムの歯車として動かざるを得ない無数の人の悲しさを表しているようだ。

    書かれた時代とタイミングのせいか、ジョージ・オーウェルの「1984年」は共産主義国家ソ連を批判した「反共の書」の象徴として評価され読み継がれてきた。だから小難しい内容かと長らく敬遠してきた。だが、そうした時代や政治性を割り引いて読むと、この作品が豊かで多様な読みができる優れた普遍的なテーマを扱った小説であることがわかる。

    歴史の改竄作業は歴史認識論争で騒がしい国々を思い浮かべる。過去を改変できるとは現在を正当化すること。すなわち未来をも支配できる。まさにいま世界中の国家が欲していることだ。
    ニュースピークはあらゆる国で社会の至るところにある。意味の分からない略語や職場で使われる隠語などは最たる例だろう。語彙が少ないほどものを考えなくて済む。小説では人民支配のためだが、現代では効率とスピードのためと言い換えることができる。
    「自由は隷従なり」。「戦争は平和である」。矛盾を乗り越えようとする弊害と魅力を孕んだ二重思考も今日的である。国だけでなく個々人もこんな考え方は生活のなかで誰もが日々行っている。ブラック企業の求人募集などもいい例である。本音と建て前を使い分けることが大人の嗜みと言っているうちに、僕らは何が本音か分からなくなり、いつしか自由すら忘れている。


    こんな台詞が出てくる。「自由とは二足す二が四であると言える自由である」。一番いろんなことを考えた。胸に響いた。
    2+2は本当に4か。含まれる意味や比喩は深く重い。多用な読みが可能だ。
    式を政治的言説に置き換えて考えてみるといい。
    答えを知っていても言わないときがある。時と場合によっては2+2は5にも9にもなる。そもそも普段から声高に答えているのか。実は2+2が4と言えないほどの状況で暮らしているのに自分は自由だと勘違いしているだけかもしれない。

    と、つらつらとレビューを書きたくなるが、こんな素人のレビューより、読み終わったら巻末のトマス・ピンチョンの素晴らしい解説を読んでほしい。これだけで充分です。

  • ニュースピークの描写に危機感を抱いた。

    ニュースピークというものがこの本の中にでてくる。
    それは作中の主人公が属する帝国における新しい国語のことだ。
    抽象的な多義語がメインで、ある言葉の反対の意味を表現する時には「非~」という接頭語を使う。
    つまり「ヤバい」「かわいい」「わかんない」といった多義的な言葉で常に会話する言語なのだ。
    そのような言語がもたらす弊害は帝国にとって福音となる。
    国家の基本理念は存続と暴力だ。
    しかし、反体制的な行動を国民にとられ、それが多数派になるとソ連の崩壊のように文明が崩壊してしまう。
    そこで思考を制限するために国家がニュースピークを動員して国民の思考を制御しようとしてくる。

    曖昧な多義語では具体的な思考ができない。
    文脈や空気によってその曖昧な意味はなんとなく理解できるが、具体的ではない。
    真理は具体的なのだ。
    具体的でない行為には意味がない。

    現状の日本では、曖昧な多義語が跋扈しているので「ああ、これはニュースピークだな」と少し焦燥感を抱いている。

  • う~~~ん…………。
     
    面白味はない。皆無。
    一言でいえば政治的SF小説。
     
    一九四九年にこの小説が発表されたことから、作者は、「未来はこんな悲惨なことになるぞ」という警告をこめていたのだろうと思われる。
     
    未来のある国家、おそらく元はイギリスでしょうが、その国が、恐ろしい監視社会になった様を描いています。
    まるで北朝鮮のよう。
     
    テクノロジーによる全国民への監視、党への絶対的な忠誠を求め、親子間の密告もあり、歴史の改ざん、配給制の貧しさ、やはり北朝鮮のよう。
     
    ストーリーは淡々と暗く、展開もあまりありません。
    前半は説明が多かったな。
     
    なにかのフェアで書店で見つけて購入。
    印象的なタイトルに表紙。
    裏表紙のあらましには「二十世紀世界文学の最高傑作が新訳版で登場!」と、ありました。
     
    少なくとも娯楽作品ではない。
    正直、読んでる間中苦痛だった。

  • イギリス、ロンドン。共産主義的な体制の社会で、個人の自由は厳しく制限されている。街のいたるところ、そして自宅の中にまでも監視カメラのような装置、テレスクリーンが設置されていて、行動だけでなく顔のちょっとした表情の変化さえも監視されている。その上密告が奨励されていて、信用できる人は誰もいない。

    文書の整合性を管理する「真理省」に勤めるウィンストン・スミスは禁止されている日記をつけようと思い立ち、これまた禁止されている異なる階級の街に出向いてノートを買い求める。禁止とはいえ、どちらも微罪で問題はないはずだ… 仕事や日常の憂さ晴らしに自宅でこっそり日記をつけながら日々を送る彼を待ち受けるものとは。他人が他人を監視し、極限まで自由が制限された世の中を描く。

    ジョージ・オーエル(英)1929年の作品。書かれた時代を考えると、ソビエト連邦、共産主義社会が成立した後、ナチスドイツ誕生前夜、アメリカを震源とした世界大恐慌が数年後に迫る時期、ということになる。ヨーロッパ人にとっておそらく、まだ身に迫る危機までは感じないけれども、社会がなにかおかしな方向に向かっているという漠然とした不安の中にあった時期なのではないかと思うと、この小説の本気な感じが伝わってくる。

    でも、刊行からすでに90年近く経っているにもかかわらず、色あせず、おもしろく読めるのがこの本のすごいところで、ぜんぜん古典のような古くささがない(新訳がいいというのもたぶんある)。わたしは映画「未来世紀ブラジル」のような、レトロ・フューチャーな情景を想像しながら読んだ。

  • 全体主義のおかしな世界、恋愛、心の破壊。創作と分かっているのだが、どうしても現実を描いている感じがして仕方ない。記録を常に書き換える、言葉を消していく、そうすると、記憶がよって立つことができなくなって、いろいろなことがぼんやりとしてしまう。「ぼくたちはもう死んでいる」というけれど、そもそも生きたこともなかったのでは。人格破壊は意外と簡単なのかもしれない。

  • 名前と概要は超有名だけど読んだことがない本の筆頭格、ということで、記念すべき登録1000冊目に相応しそう、理由で読んでみた。

    1949年(英国は労働党政権)時点で、共産主義のグロテスクさをここまで精緻に予見し書き込んでいることにまず驚く。そして時の政権をこき下ろせる自由が存在していることに安堵を覚える。

    同時に、なんでもネット上でトレースされていて、フィルターバブルの中で飼われている状態と本質的には差はないのか?とも思ったり。

    オーウェルの『動物農場』の方も読んでみよう。

  • つい最近まで大企業の工場派遣で働いた。
    きっちり2時間ごとに10分の休憩を告げる音楽、呼び出しのメロディ、絶えず社訓を訴えかけるアナウンスとやたら陽気な社歌。
    従業員はみな休み時間にはソシャゲにうちこみ、休みだけを楽しみに今日の仕事が定時であることを祈る。

    何より怖いのは大部分の従業員が、ここは楽園だとでも言うように外の世界への関心が全くないことだ。安定した給料と保証された未来に思考を奪われてしまったのか。

    耐えきれずに逃げたが、従業員のにこやかなのに虚ろな眼と、時間の解らない独房のような雰囲気は忘れられない。

    外の世界は外の世界で随分と絶望的だ。
    流行り病関わることに関しては、もはや本当の情報は誰も持ち合わせていない。
    断片的な情報を繋ぎ合わせるしかなく、解釈は人の数だけある。

    1984年のディストピアは、確実に身近にある。
    2021年の現在、そんな風に思う。

    2+2が4と言える(言っていい)世界であることだけが救い。出来ることならば自分を殺さないで生きたいと思う。頑張って生き抜こう。

  • ようやく読み終えた!
    全体主義体制と圧倒的指導者、パノプティコンを思わせる徹底した監視社会、それに言語支配による記憶の改造と歴史修正主義、内側の統制のための最低限の戦争状態、それによる人々の興奮状態の持続など、設定の奥深さと完全な世界観に圧倒された。
    4時間映画の超大作を見た気分。

    政治学的に重要な要素がこれでもかと盛り込まれていて
    近代から冷戦崩壊までの世界と照らし合わせてもだいぶ勉強になりそうな本。

    恋愛感情や性的欲求など一見政治統制と関連付かない部分まで事細かに描いているが、それが結果として自分で自己の感情や記憶をコントロールしてしまう際の材料となるところなど、
    人間の本来の恐怖心がどのように作られどのように自己を苦しめるのか、またそのコントロールの仕方などを熟知していて作者は真理を全て知っているかのよう。

    ハンセン病やユダヤ人についての記述もあり知識量に脱帽した。

  • なんだこれ!めちゃ面白かった、まさに、何となく思っていたことが体系だって書かれている。時代遅れな議論だと思う人もいるのだろうか、そんなわけはない、あらゆることには二面性があるし、国家レベルでなくても権力を握ることを目的とした目に見えないものというのは私たちを常に掌握しようとしている。それが何か、前の時代ほどはっきりと悪者が見えなくなったために、より私たちはあえいでいる。

    幸福とは国家の作り出した概念であり、思考停止そのものであると思っていた。幸福の対極が自由であること、まさにそうだなあと思う。多くの人が、自由ではなく幸福を求める。権力はそこにつけこむ。

    理解力が進むほど、現実から解離していき、迷妄が深まるというのも、ああまさにそうだと思った。直視できなくなるのだ、現実を、だからこそ、無意味だと思うものに対しても積極的に(ほっておくと消極的になってしまうから)関わらないといけない。正気が保てなくなる。正気とは、現実に隷従することに他ならない、だからこそ私たちには二重思考が求められる。現実からは逃れられないけれども、そこにないものを求めたいときには。

    おもしろかったなー。ハラハラした、心の裏切りの大きさというのは、その人の心にあるいちばん大事なものを壊してしまうほどであるというのも、面白かった。そこらへん、うまく現実との二重思考を身につけてやってかなければいけないな、と思う。狂人にも、廃人にもなりたくないのだから。

    多くの人が、死にたくないと思いながらも後ろからある日突然撃ち抜かれたいとも思っている。突然死んでしまうかもしれないことは恐怖であるが、同時に希望でもある。これだけの内容を、最後まで書ききってくれた著者に感謝です。とてもおもしろかった。確かに受け取りました。

  • 海外文学っぽい読みづらさはあるけど、設定は現代にも通ずる監視社会。

    そういう終わり方するのね〜ってなりました。

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著者プロフィール

1903-50 インド・ベンガル生まれ。インド高等文官である父は、アヘンの栽培と販売に従事していた。1歳のときにイギリスに帰国。18歳で今度はビルマに渡る。37年、スペイン内戦に義勇兵として参加。その体験を基に『カタロニア讃歌』を記す。45年『動物農場』を発表。その後、全体主義的ディストピアの世界を描いた『1984年』の執筆に取り掛かる。50年、ロンドンにて死去。

「2018年 『アニマル・ファーム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ジョージ・オーウェルの作品

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