一九八四年〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)

制作 : トマス ピンチョン 
  • 早川書房
4.09
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  • Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151200533

感想・レビュー・書評

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  • いつか読まなくてはと思いつつ積読が続き、トランプ政権に移った直後、本書が米国で飛ぶように売れたという奇怪なニュースをきっかけに読むことに。そして読後もなかなかレビューが書けなかった本の一つです。

    <ビック・ブラザー>率いる党が国民を24時間支配・監視している世界。反対派にあたる危険分子をもとから断ち(蒸発=非存在)、完璧な「全体主義」を強いる言論統制社会の果てを描き出したディストピア作品です。綿密に練られた世界観と、オーウェルによって造られた造語の数々がとても印象的です。多少の明るい未来を最後に見出せるかと思えば、ささやかな光すら葬り去り幕を下ろします。その衝撃たるや。

    1949年に刊行された本書は約70年経っても色褪せることがありません。刊行以降、映画や文学作品をはじめ社会に幅広い影響を与えてきましたが、2017年に再び大きくクローズアップされたことを考えると、『一九八四年』の世界は国内外ともにまさに現在進行形とも言えそうです。
    読んでいる先から“統制される側”となり後半に至っては逃げ場のない閉塞感で息が詰まりそうになりますが、読んでおいて良かったと素直に感じた作品です。新訳版の読みやすさに助けられました。

    ================
    ・党のスローガン:「戦争は平和である」「自由は屈従である」「無知は力である」
    ・「2足す2は5である」

  • 著者、ジョージ・オーウェルさん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。

    ジョージ・オーウェル(英: George Orwell、1903年6月25日 - 1950年1月21日)ことエリック・アーサー・ブレア(英: Eric Arthur Blair)は、イギリス植民地時代のインド生まれのイギリスの作家、ジャーナリスト。ミドルネームを排してエリック・ブレアとも表記される。全体主義的ディストピアの世界を描いた『1984年』の作者である。『1984年』で描かれたような監視管理社会を「オーウェリアン」(Orwellian)と呼ぶ。

    著者は、46歳にて亡くなられています。
    結核に罹患された状態で、『1984年』を書きあげたようで、ある程度死期を予感していたのかもしれません。
    結果として、著者の人生の集大成的な作品に出来上がっているように思います。

    この作品は、ディストピア小説の代表作になるようです。
    私は、この作品に出合うまで、ディストピア小説なるものを知らなかったのですが、ディストピア小説は何かというと、

    ユートピアの対義語として語られる「ディストピア」。平和を掲げた理想的な社会のように見えつつ、実は格差が激しくて生活のすべてが管理されている社会です。近未来を舞台にしたSF作品で描かれることが多いのが特徴。

    とのこと。

    『1984年』の内容は、次のとおり。(コピペです)

    "ビッグ・ブラザー"率いる党が支配する全体主義的近未来。ウィンストン・スミスは真理省記録局に勤務する党員で、歴史の改竄が仕事だった。彼は、完璧な屈従を強いる体制に以前より不満を抱いていた。ある時、奔放な美女ジュリアと恋に落ちたことを契機に、彼は伝説的な裏切り者が組織したと噂される反政府地下活動に惹かれるようになるが…。二十世紀世界文学の最高傑作が新訳版で登場。

  • ビッグ・ブラザー、思考警察、101号室、そして二重思考。物語の枠を超えて、社会的な意味を持つようになったこれらの用語は本書から生まれた。そのせいか、読んでいないのに読んだような気さえしてしまい、気になりつつも中々手が出ないでいた。
    帯の惹句にもあるように、本書で描かれる極端な監視社会を今の時代になぞらえて読む人がほとんどだと思う。アメリカではトランプのオルタナティブファクト報道を機に本書が再注目されているというし、安倍政権の公文書破棄やら記録の改竄やらを見ると、思わず唸らずを得ない。とはいえ、本書は1949年に1984年という「未来」を描いたものだ。今はその「未来」もすでに遠い過去になっている。似ている似ていないはあまり意味のあることではないように思う。それよりも、オーウェルが描写した人間の思考過程の方が不気味なほどにリアルで恐ろしい。

  • この世界が今とどれほど違うと言えるだろう。
    民主主義であるから違うと言えるだろうか?

    世界で戦争は無くならないし
    政治家を選ぶ選挙はしても、官僚や法律を決める権利は
    私たちにはない

    なんで税金が増えたり、減ったように見えたり
    公共料金が上がったり
    給料上がらないのに
    それでも、景気が上がってきてると言われたり
    NISAの枠緩和も、ほんとに私たちのためなのか?

    それを、一様にいい、悪いとメディアも煽る

    もし、それがすべて誰かの
    今のこの国の上層の思惑ならば
    本当に怖い。
    少なくとも、私には疑うことはできても
    それを壊せる頭がない。

    事実、考えることもあきらめ
    仕方ない、なるほど、それがいいのか、悪いのかと
    判断を煽られてる。

    この本の内容が、もっと広く知れ渡り
    民主主義とか社会主義とか
    そんなくくりのいい悪いじゃなくて、
    本当の平等や、自由
    本当に戦争をなくす方法を考えたい。みんなで。

    逆に、テクノロジーの進化した後のSFのディストピアのように、地球であーだこーだ言えなくなる未来になる前に。

    とても哲学的で、SFと思って読み始めたけど
    人類学的でもあり、社会学的でもあり
    歴史学的でもあり、文学的でもあり
    ホラーで、SFでもあるとかんじた。

    ちなみに、
    第1章では、これでもかと、時代背景、世界観を描く。
    しつこいと思いつつ読むけど、そこまで憂慮していたのではないだろうか。当時のオーウェルが。
    第2章は、物語的に光。
    そして、第3章。光からどん底に落とされる。

    だからこそ、この物語が真実味をおび、
    恐怖を感じ、心に残るのだと思う。
    万々歳で終わらないから、小説としては成功だろう
    けど、
    私的には、ひどくしんどかった。

    もう開かないかもしれない。
    動物農場の方が、優しく問うてくれる。
    でも、読んでよかったと間違いなく感じてます。

    SFの部類に入ってるのですが
    思ったのと違って、今でも十分通用する
    小説です。

  • ■この本の評価
    4.5/5(マイベストブック)

    ■この本の感想
    言わずとしれたディストピアSFのベストセラー。
    冷戦という歴史的バックボーンを持ち、行き過ぎた全体主義の危うさを描いた教科書的な作品です。

    本書は3部に分かれていますが、抑圧、解放、そして洗脳と非常に起承転結のはっきりしている展開で読みやすいです。
    また「全体主義」を、本書特有の「二重思考」「イングソック」などといった造語をもって、その本質を具体化している点で、とても難解ながらも、それが分かった時のスッキリ感と徐々に感じる後味の悪さが評価ポイントだと思います。

    本書の本来の意図するところからは離れますが、
    発想を発展させて。。。
    例えば現代のソーシャルネットワークの発展というのが、個人の自由を解放するものなのか、あるいはアイデンティティを広げるものなのか、それとも「バズっている」という全大主義の波に取り込むのかという点で考えてみると面白いですね。

    さらにサイエンスフィクションという観点でみると、ヒトの判断を超える人工知能や、膨大な情報を処理できる量子コンピュータの進歩は、本書内の監視社会を実現しうることから、「これら技術をどう使うか」という倫理面が浮き彫りになってくるのも面白いですね。

  • 村上春樹著の「1Q84」の土台となった本なので、読んでみました。
    悪をやっつけてハッピーエンドだと勝手に思ってしましたが、、、。
    「過去を自由に変えられるということは、事実がなくなるということであり、怖いことだと思いました。」
    ぜひぜひ読んでみてください

  • ハクスリー『すばらしい新世界』と並ぶディストピア小説の名著。この2冊が私の中でずーっと課題図書として存在し続けていたのですが(笑、この度やっとこさ読了しました。
    ※コロナ禍でガラガラの電車での通勤時にも一応持って行っていたんですが、深夜の中央線で本著を取り出して読むというのがどうにも笑えない振る舞いに思え、読了までエラい時間がかかってしまいました。。

    同列に並べられがちな2冊を敢えて比較してしまうと、テクノロジー主体の「(一見)ワクワクする未来の世界!」という描写は『すばらしい新世界』が圧倒的にカラフルで、物語としても比較的読みやすいです。
    『一九八四年』が描いているのは最初から「ワクワクしない未来の世界」で、政治が主体。のべっとしたグレーで描かれ、だからこそ、鬱屈した日常とジュリアとの恋とのコントラストがハッキリするというのはあります。
    前者の世界は500年先、後者は40年先、とスコープが違うからこうなる、と言えるのかもしれませんが、オーウェルは「個人の権利の制限を続けると、40年後にこんな世界になってしまうぞ」と、戦時下に私権が一部制限された当時の民主主義世界に対して警鐘を鳴らしたかったのかなぁと思いました。
    ただ、個人的には書かれた時代が15年ほど早い『すばらしい新世界』の方がインパクトは大きかったです。

    さて、本著の『あの本』で言及されているニュースピークの思考様式である「犯罪中止」「黒白」「二重思考」の3つ。
    程度の差こそあれ、私、会社でこの3つ実践してますね。。
    思考停止の結果かと言われるとそうではないつもりなのですが、プラグマティズム的に早く仕事を終わらせたいと思うと、これらも上手く使った方が良いんですよね。
    「この話は〇〇さんにはタブーだから最初からやめとこ」とか、「こういう風に誤解してるみたいだけどそれでも良いからそうだって言っとこうか」とか、本音と建前とか。
    決して誠実ではない振る舞いかもしれませんが、現実と効率に対しては誠実であるとは思うんですよね。ただ、会社でこの振る舞いが許されるんだとして、国家にはこの振る舞いを許さないロジックが思いつかないのです。
    仮に、現実世界で近未来にディストピアが具現化するとして、その主体は国家なのか、巨大企業なのか。と、なんだか唐突感のある妄想をしてしまいました。

    読む前は「ディストピアってダメだね!こうならないよう気をつけようね!」的な感想を持つだろうなぁと思っていたのですが、読了した今は正直どういう感想を持つべきなのか、どうにも纏まりません。本著を甘く見ていたと言うべきか。
    時間をかけて、日々考え続けないといけないことなのかもしれません。

  • 中盤から読むのが辛かったけど、なぜか二重思考の物語に没頭してしまった。

    人類にはこれだけのことを成してしまう可能性が十分にある、逆にそれを律することが出来る可能性もある。

    人類の可能性を試されているかのようでした。

    薄暗い画面の古いSF映画を観ているような感覚でしたが、遠藤周作の『沈黙』を思い出した。

  • 1949年発表の、1984年を舞台とした近未来全体主義世界の物語。文学性と、色の濃い政治性が融合した、近未来ディストピア小説だと言えるでしょう。

    ビッグ・ブラザーをトップとした監視社会。テレスクリーンと呼ばれる、今でいうインタラクティブなテレビ的機械装置や隠しマイク、隠し監視カメラ、密告などのスパイ行為などによって、そのがんじがらめの監視社会が成立させられている。また、歴史はつぶさに修正され、自国や権力を握っている「党」、そしてビッグ・ブラザーはつねに正しい存在だとされる。たとえば配給のチョコレートの量が減っているのに、過去の配給量をごまかして広報してこれだけ増えたと偽の情報にすり替えてしまう。そして、世界は三つの国の戦争状態にあるとされながら、その戦況はコントロールされたニュースによるもので、実際に戦争しているのかどうかすらわからない。町にロケット弾が飛んできて死者が出ても、それは自国・オセアニアによる自演の行為かもしれなかったりする。そうやって事実は隠されていて、権力を握る「党の上層部の人々」以外は知る由もない。

    そんな世界で、党の下層部の人間として真理省で過去の修正や捏造をして働くウィンストン・スミスという中年の男が主人公です。彼が感じる、世界への不信や違和感が乗じてきたときに、ジュリアという若く魅力的な女性と出会うことになり、そこから物語は大きく動き出します。以降は本書を実際に読むことに譲るとしましょう。

    とはいっても、以下ネタバレを含みます。

    中盤でウィンストンが、愛がどういうものかを知るシーケンスにぐっときました。愛の解釈の仕方に共鳴するんですよね、僕もそういうとらえ方をしていましたから。おもしろいながらもまどろっこしさを感じる作品ですけど、この部分の味わいが格別。心の内奥に愛はあるもので、そんな心の内奥などたとえ全体主義の「党」であっても攻め落とすことはできない、という考えがそれに続くのです。

    しかしながら、この小説の怖さは、その先を行くものでした。全体主義の完成したような社会は、どこまでも人間個人を粉砕しにくるのです。どれだけの労力をかけてでも、心の奥の奥まで改変しに来る。様々な種類の暴力や恐怖を用いてです。まったく、容赦がない。

    これは、警告でありながら、「全体主義というほんとうに手ごわい敵をよく知っておくべきだ」とする作者の意図があるでしょう。だから、いろいろ考えて行動しなさい、との著者の政治的働きかけを色濃く感じさせられるのです。いわゆる小説や文学といって思い浮かぶようなものだったら、いっときでも現実のつらさから離れていられますように、と著者がつくりあげた世界や展開に読者を現実から遠くへと飛び立たたせたり、物語自体に共感や寄り添いをさせたりといった副次的な効果があると思うのです(主要な効果は物語を味わい楽しむものだとしての、「副次的」効果です)。ですが、本作品は、読者を現実に立ち戻らせる物語。読者に、現実と格闘し自由や平和を守らせるための動機を与える物語という性質がありそうです。読後にただただ悲観して忘れていく人も多いでしょうが、何%かでもこの物語をあしがかりにする人たちがいることを、著者は願ったかもしれない。

    そんな作品ですから、著者にたいして、きびしい鍛錬を日々こなしストイックに過ごしながら磨かれた鋼の肉体をメタファーとした知性といったイメージが眼下にうかんでくる。勝手な印象なのだけれど、そういった凄みと真剣みを隠すことなく執筆に注いだのだなぁと思えてくる出来映なのでした。

    というところでちょっと脱線して、今の日本の社会に照らして考えてみると、下記のようになります。あーだこーだとあら探しをしたり揚げ足を取ったり、そうしてまで人を責めて人格を改変、支配しようとするというのは、『一九八四年』のような全体主義の世界だけではなく、たとえば会社の中、つまり職場上においてもあるものなのを忘れてはいけない(会社って、全体主義ぽいですよね、そう思うことってありませんか?)。責めを受け続けるなら、それは拷問のようなもので、果ては他人や会社などの都合の良いひとに作りかえられ、自分を失いうつろになってしまう。ある種の卑劣さをしょうがなく容認してしたたかさを身につけ、ある程度の他による攻撃からの回避ができるようになる術はあれど、それだって人格への影響でありちょっとした人格改変なのでした。変わること、変わらせられること。自分というものが変化する直前の選択に自分の意志があるのかないのか、そこに自律性があるときとないときで、心の裡に抱えるうつろさの多寡は違うのではないかなあ。

    最後に、これは名言、とひざを打った一文を。

    <一般に、理解力が深くなればなるほど、迷妄も深まるものだ。つまり、知的になればなるほど正気を失っていくのだ。> p330

    ちょっとまどろっこしさはあれど、真剣勝負をすることになる読書体験になる作品です。

  • 独裁的な社会主義への警告それ以上にむしろ人々が自由を奪われ自分で考えることをやめること、それこそを幸せと取り違えてしまう事態を表してるという見方の方がしっくりくるような

    取り違えるというかぼくらもいくらか社会に縛られて生きてるわけで、その中でどれだけ自分で生き方を選択できて、生きる意味自体を自分で考えるか、その苦労が人生、一種の幸せでもあるみたいな考えもあると思ってて、

    政治的な見方よりもこういう哲学よりなことを考えさせられた

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著者プロフィール

1903-50 インド・ベンガル生まれ。インド高等文官である父は、アヘンの栽培と販売に従事していた。1歳のときにイギリスに帰国。18歳で今度はビルマに渡る。37年、スペイン内戦に義勇兵として参加。その体験を基に『カタロニア讃歌』を記す。45年『動物農場』を発表。その後、全体主義的ディストピアの世界を描いた『1984年』の執筆に取り掛かる。50年、ロンドンにて死去。

「2018年 『アニマル・ファーム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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