一九八四年〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)

制作 : トマス ピンチョン 
  • 早川書房
4.09
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  • Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151200533

感想・レビュー・書評

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  • めちゃくちゃ面白かった…。

    自分たちの世界は民主主義と思い込んでるがここで描かれてる監視社会の社会主義と何が違う?

    ニュースの情報を何も考えずに受け取っていないか?何も疑わずにSNSの情報を受け取っていないか?

    スマートフォンやテレビなどSNSからの映像やニュースの映像を見て他国、他社に憎悪を向けていた人たちとここで描かれてる人との違いはあったか?

    今の世界と重なる部分が多く非常にゾッとした

  • 引き込まれ一気に読んだ。1940年代後半に1984年を想像して描かれた本書であるが、古臭さは一切なく現代にも通じる思想と危機感を覚えた。現代の日本や他多くの資本主義国家では、党と同じやり方での統制はおそらく不可能だと思われるが、インターネットやAI技術の発達した今の時代だからこそ、より巧みに〈思考警察〉や〈二重思考〉といったものに代替する統制が可能になっているのかもしれない。現に、すでにそのような状態に気が付かないうちにすり替わっていっている可能性もある。
    あるべき社会の姿は何なのか、生きていく上で曲げてはならない信念は何なのか、考えさせられた。
    決して明るい気持ちになれる作品ではないが、読んで良かった。

  • 凄いものを読んだ。


    PSYCHO-PASSでも出てきてたし解像度上がるよってことで読んだんですけど、予想以上でした。

    言葉、思考、対話って大事だなと。
    考えることを辞めずに生きていきたい。

  • とても考えさせられる内容だった

    人々が皆平等に裕福で幸せなユートピアが存在し得ない理由

    皆が裕福になろうとも、特権階級だけは残り、それによって資本主義社会や階級社会の構造が歪む為...

    既得権益を手放したくない層や、特権意識を捨てきれないのはもはや人のエゴだと思う

    生産の手を止めずに物資を飽和させないために、余剰分を破壊するのに戦争が不可欠だというのは実際にありそうだし、それが人のエゴやくだらないプライドによって起こるのだとすれば、人類の存在価値とは何だろうか?と考えてしまう

    人々が平等に富と幸福を分かつことによって困ってしまう人のせいで、人類は破滅にむかうのだろうか

  • 初めて読んだのは正に1984年の25歳のとき。残業して蕎麦を食べながら読み終えたと記憶しています。当時の印象は生理的にきつい読書だったこと、最後の1行が衝撃的である反面、理解できなかったこと。その一方で、理解できなくて良かったと思ったことです。

    今回、再読してみて39年前の印象はあまり変わりませんが、次のことが気になりました。
    -本書の舞台であるオセアニアはスターリンが支配していたソ連。現実にはソ連は崩壊してしまうが、本書が描く「ビッグブラザー」、「2分間憎悪」、「歴史改竄」、「常態的戦時状態」は程度や地域の違いはあるが消滅しなかった。監視カメラ、同調圧力、インターネット検閲、サーチエンジンのフィルタリング、SNS中傷と炎上、ゼロコロナ政策、道徳警察、歴史修正、国家安全法という名前で「一九八四年」の世界は権威主義国家だけでなく、民主主義国家にも存在する。
    人間として最後の砦は「二重思考」の拒否だと思うが、今後AIが進化し、AIを国家が権力維持に使用する可能性もある中では、本書が描く世界は究極の権力国家として知っておいたほうが良い。
    -主人公のウィンストンとジュリアの恋物語は残酷だが、ただの絵空事とも考えられない。物語のような状況に陥ったときは、こうなる可能性はある。

    本書は英国での「読んだふり本」第1位だそうです。本書は3部に分けられますが、説明が多い第1部はけっこう骨が折れ、第2部、第3部で読者は絶望を味わうことになります。しかし、物語の展開が気になり、332ページ以降は一気読みでした。やはり、読むべき1冊と思います。

  • 最初は色で言えば灰色な感じが重苦しく、なかなかページが進まなかった。
    自分の気持ち、頭の中の考えは誰にも侵されない聖域だと思っていたが、そこでも自由が得られないとは…恐ろしいと感じる。
    主人公が「私は既に死んでいる」と言うのが、命を捨てる覚悟で党に反抗するというふうにとらえていたが、途中から『生きながら既に死んでいる』状態にあると感じるようになった。

  • 人はどんな時に本当の意味で絶望し屈従するのか。言動だけでなく無意識の表情や思考までも常に監視され、歴史や事実、すべての記録を書き換え、使用言語の制限により個人の思考までも徹底的にコントロールする社会は恐怖そのものだが、ある意味その完璧さは見事である。冒頭から終始絶望的な社会であるが、物語中盤には主人公なりに一種の希望を見出す。しかしその直後、知的で意思を持った一人の人間が身体的精神的に崩壊させられる様が描かれる。特に精神的に徹底的に崩壊させられた後に洗脳されていく様は非常に恐ろしいが、非常にリアルであり実際にそうなるだろうと想像できてしまう。最後の一文で屈従、洗脳が完成するのだが、そこに至るまでのプロセスは気味が悪いほど完璧であり当然その帰結になるように思われ、この社会から逃れることは不可能と感じた。
    最後の付録まで読むと少しの救いがあった。
    現実と照らし合わせて考えることは色々あるが、自由な思考と言動が保証される社会の重要さを思った。

  • なんとなく書店に立ち寄った際、「高校の頃、先生がオススメしてたな…」とふと思い出したので購入。そっからのめり込み、4日で読破してしまった。
    思考こそが人間を人間たらしめていることを再認識させてくれる。SNSなどで見受ける「尊い」「エモい」「(語彙力)」などの表現は、まさに「超良い」のような一種のニュースピークだ。思考停止からくる自発的な隷従はすぐそこにある、それを気付かせてくれた。
    また、鬱屈した生活の描写も丁寧だった。特にお気に入りは「将来がなく、現在を引き伸ばしている」というフレーズ。
    長らく忘れていた、読書の楽しさ・豊かさを思い出してくれた一冊でした。この本を読んだ後、一気に5冊くらい購入した。たのしみ。

  • 究極のディストピア小説と聞いて興味を惹いてた。

    最後読み終えて驚いたのが、これが社会風刺を含んでいた事。全く考えてなくて、SF小説だと考えて読んでたから、そう思い至らなかった自分の平和ボケにゾッとする。書かれた時代に思い至らなかったという理由もあるけれど、それでも平和ボケが過ぎる……。大まかな設定は良かったんだけど、実現可能性が低い印象。

    党には「疑わしきは罰せず」という印象を持った。だって、矯正するために逮捕するんだから。思考犯罪なんてよく分からない罪ではあっても、全員が少なくとも何か自覚する罪はあるはず。何かある程度明確な基準があるように思える。そして「疑わしきは罰せず」という印象から、テレスクリーンの監視をどれだけ機械化したとしても、最後は人間の手で最終確認が入ると思う。裁判を人工知能に任せるのは倫理観が許されないだろうって現代の感覚があるのに似てる。それは圧倒的に人手が足りないし、監視者の監視の事も完璧にするって考えたら不可能じゃないかなあ、とか。人口バランスもあるし、逮捕の基準を明確にしなきゃいけないし、その辺がどう考えても不可能だから、この方法で思考を抑制する事は出来ないんじゃないかなあって。

    それと、ニュースピーク。とっても面白い概念だと思う。けれど、例えば新しい言語のエスペラント語とか見てても、もう既に方言や不規則動詞が出来つつある。言語の抑制はどう考えても不可能。この辺で最後に党は崩壊したっぽい記述があった。

    二重思考はよくある話。自己欺瞞は誰だってしてる。けれど、ここまで細かく掘り下げられる事ってあんまりないから良かった。読んでると自分まで二重思考のコツが分かってきて、読む前と後で頭の再配線を必要とする量子物理学の教科書読んでる気分。

    全体的に、頭の隅にチラッと考えた事のある概念を深く掘り下げ、さらに日常生活に結び付けて分かりやすく描いてるのが本当に良かった。ただ、実現可能性的にSF止まりだったのが残念。圧政には戦争が必要、など共感する部分もかなり多かったけれど、やっぱりそれでもSF。現代人としての感覚とズレているっていうのもあるかもしれない。

  • これぞデストピア。テレスクリーンと呼ばれるデバイスによる常時監視、情報の統制、戦時の維持、生産の制限等を通じて、公権力が国民を管理する。救いのない結末で、「考えることすら危うい」と言いながら、主人公本人も自覚していたリスクを背負って行動に出た結果、そのリスクがその通りに降りかかる。スカッとするような、読者に少しでも安堵を与えるような逆転劇もなく終わるので、話の筋についてはモヤモヤ感が若干残った。ただ、それを差し引いても、この世界観が1948年に描かれたということと、その世界観の根底には、現在進行形で起きている事象に通じる部分があることには衝撃を覚える。

    フェイスブックやツイッター等で拡散される、誰がどういった意図でどのように確認したかも分からない内容を多くの人が事実として受け止めてしまう今の状況は、テレスクリーンを通じて伝えられる政府放送を鵜呑みにする社会と変わらない気がしてくるし、現代科学の力を最大限駆使すれば、拷問やテレスクリーン等の分かりやすい方法を取らずに、ひそかに巧妙に人々の思考を操ることができるように思えてくる。

    様々な表現と思想を享受できる中で、将来「2+2は5」だと言うような事態にならないよう、正しく良質な情報に触れ、自分で物を考え行動できる存在でありたいと強く思った。

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著者プロフィール

1903-50 インド・ベンガル生まれ。インド高等文官である父は、アヘンの栽培と販売に従事していた。1歳のときにイギリスに帰国。18歳で今度はビルマに渡る。37年、スペイン内戦に義勇兵として参加。その体験を基に『カタロニア讃歌』を記す。45年『動物農場』を発表。その後、全体主義的ディストピアの世界を描いた『1984年』の執筆に取り掛かる。50年、ロンドンにて死去。

「2018年 『アニマル・ファーム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ジョージ・オーウェルの作品

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