これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

  • 早川書房
3.84
  • (746)
  • (1070)
  • (737)
  • (160)
  • (44)
本棚登録 : 13471
感想 : 1042
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152091314

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 「正義」の判断材料は、福祉の最大化(経済的繁栄・幸福感の増大)、自由の尊重(個人の権利の尊重)、美徳の涵養(善き生の概念の肯定)。暴走列車が5人の作業員に突っ込んでいく。この列車を待機線に向ければ1人の作業員のみの犠牲で済む。どうするべきか?もし自分の隣にいる太った人間を橋から突き落としたら電車は止まる。突き落としていいか?もし作業員5人がテロリストだったらどうするか?死ぬ人数5vs1でいいのか?無関係な1人を殺していのか?「正義」は社会経済的破綻、アフガン戦争、災害時、難しい判断をしてきたんだなぁ。⑤

  • 私の中にある
    どうも、正義という概念が、マンガチックなのだ。
    悪役がいて、それをやっつけるのが、正義の味方というような
    勧善懲悪スタイルのイメージで、そこから出ない貧困な正義だ。
    悪役がいないと正義が生まれないのだ。

    また私は『小さな正義を振り回して』という揶揄するような言葉が好きだ。

    マイケルサンデルは、『正義』の品評会を行う。
    功利主義者の正義。
    自由至上主義の正義。
    アリストテレスだったら、カントだったら。
    と考えることは、正しいという規範が、時代と共に変化し、
    価値観によって、変化する。

    マイケルサンデルは、そのような手法を用いることで、
    正義というものの深淵さをかみくだこうとしているのだろう。

    アメリカが、アフガニスタンまで、戦争に行くということが
    正義から外れている。あくまでも、アメリカの正義だ。
    つまり、皆殺し的な考えしか成り立たなくなってくる。
    そして、アフガニスタンの村人に、命を助けられたことは、
    感謝の言葉もない。
    この村人の人も皆殺しにしてしまおうと思わなかった
    だけ、良かったと言える。

    正義の根拠を、幸福、自由、そして、美徳におく。
    そこから、価値がぶつかって行く。
    美徳、道徳というところに、視点を据えることで、
    ニンゲンの本質に迫ることができるとマイケルサンデルはいう。
    なぜかわからぬが、二宮金次郎を思い出した。

    正しいことをしよう。
    という呼びかけは、様々な価値のぶつかりの中で、
    民主主義を形成し、自分で考えることが、できるようになる。
    自分で考えねばならないのである。

    格差という問題について、マイケルサンデルは、取り組んでいる。
    マイケルジョーダンの収入が多いことを、どう公平にするのか?
    ということについて、テーマとする。結局他人事なので、話題にしやすい。
    誰もが、マイケルジョーダンになれないのだから。
    確かに、格差 ということを、明らかにしている。
    格差社会というテーマは、その設定が正しいのだろうか。
    問題の設定が、どうも正しいと思えないのだが。
    多くの収入を得ている人の資産を分配するという方法で、
    解決するのだろうか。
    マイケルサンデルのエンターテイメントらしい話題というべきか。

    何もすることができない としたら、私のものは、私のものだ。
    たとえば、腎臓を売ったり、自殺をしたり、
    自分を売って、食べられてしまうというようなことを、どう見るのか?
    自分の体と命は自分のものだから、自分の好きなように使って構わない。
    という考え方は、自殺して何が悪いという意見に耳を傾ける。

    南北戦争の時に、徴兵制だったが、
    お金で、身代わりを立てても良かった。
    そのことから、300ドル払えば、徴兵制を免除することが、
    できることになったらしい。
    アメリカは、やはり、発想が違うなぁ。
    日本だったら、非国民である。

    それで、兵隊は、
    徴兵制、お金で代替え徴兵制、志願兵の
    3つの方法がある。
    一番公平に見えるのが 志願兵である。しかし、給与などが高くなる。
    問題は、国民の義務ということに抵触する。

    志願兵がさらに進んで、傭兵制となる。
    2007年7月 イラクで、アメリカ政府が契約している民間人 18万人。
    アメリカ軍駐留部隊が、16万人という。
    契約した民間人は、後方支援業務の担当が多い。5万人は、警備部隊。
    イラクでは、民間人 1200人以上が殺された。
    民間軍事企業のブラックウォーター社は、10億ドル超で、戦争業務を受託した。
    軍隊の作り方も、実にアメリカらしい。
    軍隊の機能は何かを資本主義的にまっしぐらに考えている。
    人殺しも商売なのだ。

    子供が生まれない夫婦が、代理母親と契約を結んだ。
    精子は、夫のもので、卵子は代理母親のもので、
    産んだら、一万ドルの費用を払うとした。
    ところが、代理母親は、子供を産んだら、子供と一緒に逃げてしまった。
    その二人は、見つけられたが、訴訟となった。

    アメリカは、契約と訴訟社会だ。
    日本では、このような事件は起こらないだろう。

    第一審は、契約は神聖なもので、気が変わったといって、
    変えることはできない。といって、代理母親は、全面敗訴。
    代理母親は、最高裁に上告。
    最高裁は、契約そのものを無効とした。
    子供は、夫に親権が確認され、代理母親には訪問権が与えられた。
    文明社会では、金で買えないものがあると判事は言った。

    ところが、科学が進み、卵子も 妻のものが使われるようになり、
    受精卵を 代理母親に、植え付けることで、母親の遺伝的な絆は、
    なくなった。
    精子、卵子、産む母親は、別にすることができた。
    さらに、アメリカでは、コストがかかるというので、
    インドで、アウトソーシングする仕組みができたという。
    4500ドルで、請け負う仕組みで、月25ドルの女性にとって、
    十分な報酬で、その仕事が広がっているという。

    ふーむ。
    何か、とんでもないことになっている。

    わかりやすい事例が、述べられて、それを多面的に考察する。
    そのことによって、功利主義、自由至上主義を説明し、
    カント、ジョンロールズ、アリストテレスに分け入って行く。
    人類の英知はこのように、、奥深いのだ。
    たかが正義、されど正義なのだ。

    正義とは、正しいとは、と常に問いかける。
    ある意味では、アメリカが訴訟社会であるからこそ、
    その腑分け作業が、明確にされるのかもしれない。
    経費削減で汲々とする日本とは、大きな違いだ。

    プロゴルファーのケイシーマーティンの訴訟が、
    ゴルフの本質を、明らかにする。
    障害があることで、カートを使うことは、不公平なのか?
    18ラウンド歩いて、500キロカロリーしか消費しないとは。
    それよりも、精神的にホールにいれるプレッシャーの方が大きいとは。

    アファーマティブ・アクションは、逆差別なのだろうか?
    日本では、考え及ばない アメリカの国の多様性が、
    浮き彫りになっている。
    日本では、同和問題があるが、次は 女子問題となっている。

    ジョンローズが、アメリカ占領下の日本で、ヒロシマの惨状を
    見ることで、深い衝撃を受け、『正義』ということを考えた。
    戦争においても、人間の尊厳と権利は、守られるべきだと
    考えたことが、すごいことだ。
    ヒロシマの原爆投下に対して、正確に批判していることは、
    大切であり、そのようなアメリカ人がいることに、気づかされた。

    少なくとも、日本の戦争は、非人間化していたが、
    その非人間化という問題を、正面据えて考えねばならないだろう。
    アメリカの奴隷制に関して、今の世代が、奴隷を雇ったこともない
    ということから、今でも、そのことを謝罪しなければならないのか?
    というテーマは、日本と中国の関係に深く関わってくる。
    戦争を起こし、中国を占領し、残虐な行為をした日本軍のことを、
    戦争後に生まれた日本人は、どのように謝罪すべきなのか?

    中国の持つ多様で少数民族がある国は、アメリカと似た部分がある。
    しかし、それは、アメリカと中国の方法論はずいぶんと違う。
    中国には、基本的人権が、確立されていない。

    マイケルサンデルはいう
    『自分を拘束する責務はすべて自分で決める。』
    この言葉は、ずいぶんと重い。
    マイケルサンデルの言いたいことの中心は、そこにあるのだろう。

    大きな正義を振り回すマイケルサンデルが、眩いばかりだ。

  •  自分の価値観の源流を、あなたは説明できますか?
     正義や哲学と聞くと大仰な印象だが、そんなに身構える必要は無い。本書では、私達が育つなかで培ってきた価値観(何が良いのか、悪いのか)について、「何故そう思うのか?」を、トロッコ問題のような例え話や、実際に起きた事件を例に深堀りしていく。
     私達は日々身の回りに起こる事象に対し、良い事なのか悪い事なのか判断したり、印象を持ったり、行動に移したりしている。マスクの転売、性による差別、過去の戦争行為を現代の人は謝罪すべきか?等々…大抵の人は、「どう思うか(良い/悪い)」については即答できても、「何故そう思うのか?」明快に即答できる人は少ないのではないだろうか。
     私達は、それを自分で説明できなければならない。何故なら、私達は相互に(物理的にも、精神的にも)影響を及ぼす社会に属しており、それぞれの価値観は多種多様だからである。また困ったことに、私達は自分の価値観の正当性については、無意識に全肯定しがちである。つまり、隣人に、自分とは全く異なる価値観でナチュラルかつ躊躇なくぶったたかれる事件が頻発する。年収マウント、町内会行事の暗黙の強制参加から、夫の「お~い、お茶」まで…私達は好き/嫌いの水掛け論ではなく、論理的な説得によって、相手や周囲を説得しなければならない。
     また、それぞれの事象から法則性を見つけ出して言語化することは、自分の価値観の整理にも役立つ。私達はそれぞれの事象に遭遇した時に断片的に、それは良い/悪いを判定しているので、類似の事象を検討することで、自分の価値観に一貫性をもたせたり、意識してなかった法則に気付くことができる。例えば、価格自由競争を肯定する人が災害時の便乗値上げに反対する場合、これは別のルールの影響によるものだろうか。または、整合性を維持するために持論を矯正しなければいけないのだろうか。
     学問とは、学び、問うと書く。日常の表層的な忙しさから一歩距離を置いて、自分の価値観を形成する要素を考察する一助として欲しい。

     追伸。本書はハードカバーなので、それなりに読む難易度が高いのも事実である。別書籍の紹介になるが、『ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業』は本書の内容を対談式にまとめたものなので、導入としておすすめしたい。また活字恐怖症の人は(今この文章を読んでいる人が、どれだけ該当するかは分からないが)、youtubeのハーバード大学のアカウントに動画(別途、日本語字幕/英語字幕を表示できる)が投稿されているので、是非視聴して頂きたい。

  • 正義について知りたくて読書。

    日本だとあまり論じられることが少ないように感じる正義とは何か。
    倫理、道徳など、人は何を根拠にして判断しているのかを考えさせてくれる。

    歴史的にアメリカには階級は存在しないといわれる。しかし、人種差別、職業差別、出身差別、宗教差別などは公然と残っている。だからこそ正義、自由などを自己主張して議論する必要があるのだと感じる。日本にも当然ながら各種差別は存在するが、アメリカほどないためにこの手の議論はあまり必要とされていないのだと思う。

    今、話題になっている大阪市職員に対する入れ墨調査も然り、どうして公務員だと入れ墨はだめのか。そもそも入れ墨の有無がどうして社会的な話題となるか。私たちは誰も明確な根拠は持っていない。

    正義とまでいかなくても善悪の判断ができないと、生活すらままならないと思う。だからこそ、自分の中で根拠を持ち、善悪を破断する価値基準を持っている。歴史、文化、両親、接した人たちに影響されつつ価値基準を構築して日々の行動基準としている。

    正義についてしっかりと考えたことはない。もっと勉強剃る必要があると感じる。どうしてこれを正義だと考えるのかという自分の正義を疑ってみる必要がある。そして、一度、自分の中の正義を崩して、本当に正義なのかを考えて見ることも大切だと思う。

    カダフィ大佐を殺害したことは正義か。
    殺人者へ死刑判決を下すことは正義か。
    韓国で発見される人肉カプセルを服用することは正義に反するか。

    人身売買。臓器売買。安楽死。売春。堕胎。不倫。同性愛。性転換。

    難しい・・・・。

    帯で紹介されている「ハーバード白熱教室」の動画を見つけたので、見て理解を深め、インプットを増やしたい。

    読書時間:約1時間5分

    本書はお借りしています。有り難うございます。

    • だいさん
      私は、少し異なった考えです。
      正義の(判断)基準は、自分にある。
      自由の国では、自己主張することが「正義」である。階級や差別は、他人が判...
      私は、少し異なった考えです。
      正義の(判断)基準は、自分にある。
      自由の国では、自己主張することが「正義」である。階級や差別は、他人が判断していることでは?
      2012/07/10
  • 借りたもの。
    ①幸福の最大化、②自由の尊重、③美徳の促進、の三つの観点から成り立つと定義する。
    この手の問題提起をするときに引き合いに出されるたとえ話や実際の事件を通して、その不確定さを示しながら、現実の判断はそんなに容易ではないこと、いくつかの要素が複雑に絡み合っていることを懇切丁寧に説明。
    そこには他者の利益や尊厳を侵害した者への憤りと罰を求める声――その裏返しとしての「正義」――があることが否めない。

    カント、ジョン・ロールズ、アリストテレス…歴代の哲学者が言及した定義とも照らし合わせ、彼らが何を問題視し、現実どのようなケースがあるかも紹介。

    事例としては特に、訴訟大国・アメリカの昨今の起訴案件を挙げて、正義の定義がブレる瞬間が「誰かが甘い汁を吸って自分が不利益を被っている」という感情論から来ていること、そもそもの定義が何故あるのか、何を問題視すべきかを解説してゆく。

    野上武志『まりんこゆみ 6』( https://booklog.jp/item/1/4063695573 )でも言及された、最大多数の幸福(この場合は部隊の安全、任務遂行へのリスク)のために、犠牲を払う(誰かを切り捨てる)選択。
    ‘アフガニスタンのヤギ飼い’の逸話は、タリバンのスパイかどうか解らないヤギ飼いを「‘キリスト教徒の心’が殺すことを許さなかった」ために部隊を全滅させてしまった兵士の後悔……

    そうした極限状態での「正義」だけではく、一般市民の生活に根差した「正義」の事例も追及してゆく。
    この本は2010年に出版されているが、2020年に日本でよく報道されたアメリカの分断の兆候をとらえているように思う。
    大学が多様性を促進するために設けた「アファーマティブ・アクション」が「人種優遇措置であり権利を侵害する」と異議申し立てた事例(p.217)。結局それは「大学側が規定するものであり、個人がみずから定義する能力に基づいて認められるものではない」に着地する。(異議申し立てが認められたら、受験する意味無い)
    「白人に対する差別がある」と言う人のお門違いさ……
    言ってしまえば、求められているのは人種ではなく“能力”であり、そのルールと人数は募集している側によって決まる……

    サンデル氏は、新しい「正義」を定義するものとしての共通善をどのように維持していくかを提言する。
    公正な社会には強いコミュニティ意識、互いを尊重した中立な姿勢……そのためには困難な道徳的問題についての公の討議の必要性を避けてはならないことを提言する。

    flier紹介。( https://www.flierinc.com/summary/15 )

  • 「ハーバード白熱教室」で話題になったサンデル教授の、講義ノートを元に本にまとめたもの、でいいのかな。

    タイトルの和訳はちょっとやり過ぎの気はするのだけど、この人は政治哲学が専門なので、政策決定するに当たって「よりよい社会」を作るために、そもそもどういう社会が「よりよい」か、それを判断するにはどういう基準がよいか、というのがテーマ。

    その扱い方がよく出来てて、実際にある(あった)似通った二つの問題に対して、よくある基準を使うと実際に人々が感じる「正しさ」とはずれる、というのを示していく。これが素人にも分かりやすいので読むのに苦労しない。但し途中カントの話が出てくるところはいきなり読みにくくなるので、そこは読み飛ばしても大きな問題はない。

    既存の基準の問題点は指摘しつつも「じゃあどうすればいいのよ」という結論は出てないし、論理展開にも同意できないところもあるのだけど、問題提起としては面白いし普通に読みやすい本なので一度読む価値はある。お勧め。

  • 多元的な価値観が混在する現代
    我々は一体何を正義に掲げればよいのか
    対立する価値観を比較・検証することでこれからの正義の方向性を示す

    読み応え満点。
    理解する為に何度も後戻りしながら読んでいた。自由の定義が難しいこともよく分かった。

    政治に道徳と宗教を持ち込む事を嫌悪する現代社会。それはリベラルな公的理性を超える行為だという見方。しかしこの議論は強制と不寛容への道を開く事になる。これからの社会は、道徳と宗教を嫌悪するのではなく、そこから学び取る姿勢が重要だ。



    満足した豚であるより不満足な人間であるほうがよい

    愛国心からの誇りを持つためには、時代を超えたコミュニティへの帰属意識が必要だ

  • NHKで放送されていた番組を一冊の本にしたもの。

    政治学者マイケル・サンデルの「正義」についての考え方が垣間見える。ハーバード大学でホールを満員にする授業というだけあって、サンデル教授のトークの力は強力で、普通の大学生では小手先を捻るようなものだろうと思う。日本の大学ではなかなか「正義」のような大上段に構えた概念の講義はなかったし、ハーバードの学生の思考も僕らとそんなに変わりないので、これがNHKで大変好評だったというのも頷ける。


    表層的なところで「5人を殺すか、1人を犠牲にするか」問題を考えるのも面白いけれども、やはりこの授業はサンデル教授が学生たちの意見を組み上げて的確な議論をすることで、ルールの形成を模擬体験させているところにポイントがあると思う。

    5人殺すか、1人を犠牲にするかという議論に確たる回答はないと分かった上で、それでも合意形成を図ろうとするのが政治だし、サンデルが政治哲学の教授であるというのは、そういうことを考えることが重要だ、という土台があるのだと思う。

    古代から現代までの正義に対する代表的な考え方を踏まえつつ、感情によらない合意形成を求めるというのは、西欧では徹底される理屈で、さらには東洋が徹底的に敗れた理屈でもある。簡単な例を聴いて「こうすればいいんじゃね?」と答えを探すのではなく、右か左かしかないときにどう舵を切るべきかを問うている本だと思う。

    それを知らない政治家が海外に出ても無視されるか蜂の巣にされるだけだよね。

  • 哲学書を読んだのは初めてだけど、ひじょーに面白かった!

    直感的にだけども、今の日本に必要なのは「政治の目的は何か?」ということだと思った。
    アリストテレス曰く、政治の目的とは人びとが人間に特有の能力と美徳を養えるようにすることだ、という部分がすごく引っかかる。

    もうちょっと勉強してから、また読み返したい。

  • 正義に関する、幸福の最大化・自由の尊重・美徳の涵養という
    三つのアプローチの強みと弱みを探り、正義とは何かについて考えていく。

    正義に対する考え方は三つある。
    第一の考え方は、いわゆる功利主義で、正義は功利性や
    福祉を最大限にすること(最大多数の最大幸福)。

    第二の考え方は、自由市場で行う現実の選択であれ(リバリタリアンの見解)、
    平等な原始状態で行うはずの仮説的選択であれ(リベラル平等主義者の見解)、
    正義は選択の自由の尊重を意味すると捉えること。

    第三の考え方は、正義には美徳を涵養することと、共通善について
    判断することが含まれるというもので、著者は第三の考え方を支持している。

    なぜなら、「公正な社会はただ効用を最大化したり、
    選択の自由を保障したりするだけでは達成できず、
    達成するためには善良な生活について我々が共に判断することが
    必要になるから」というのが著者の見解である。


    どんな方向に議論が進むかわからない講義を取り仕切る著者の力量。
    多元的な視点から冷静に議論を進めていく学生の知性。
    アメリカの教育の奥深さを感じた。

著者プロフィール

1953年、アメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリス生まれ。アメリカ合衆国の哲学者、政治学者、倫理学者。ハーバード大学教授。

マイケル・サンデルの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×