- Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163733500
感想・レビュー・書評
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会社の上司に借りた本。アメリカのスーパーって、なんであんなに商品が多いんだろう?という雑談をしていたら、「この本を読んでみるといいよ」と貸していただいた。
実はこの本を読む前に、著者のTEDを観たことがある。
TED: シーナ・アイエンガー「選択をしやすくするには」
https://www.ted.com/talks/sheena_iyengar_choosing_what_to_choose?language=ja
この本にも、TEDで話されていた事柄の多くが取り上げられているが、彼女の問題意識は、「選択」がもたらす人生への影響とその疑問を解消していくことにある。彼女の多様な半生(厳格な風習によって育った両親をもち、インド人の移民としてカナダで生まれ、アメリカで教育を受け、高校生の時に失明、、、などなど)があるからこそ生まれた独自の視点で謎解きが進んでいく。
そういったことから、私がこの本を面白いと思ったのは「選択」という行動をさまざまな文化的・政治的背景から多面的に考察されているところだ。
単に一つの実験結果をもとに「人間はこのように選択する」と杓子定規に捉えるのではなく、欧米型とアジア型、または共産主義型と資本主義型など、生まれ育った環境による「選択」に対する考え方の違いと、そういった違いがなぜ生まれるのか、かなり丁寧に紐解かれていく。
また一方で、ダニエル・カーネマンの「ファスト・アンド・スロー」と同じ熟考システムと自動システムの話や、選択肢が豊富にあればあるほど良い”わけではない”という有名なジャムの実験結果などなど、人間の普遍的な選択行動の傾向についても幅広く考察されいる。
特に人間には自分の都合のいいように自己認識を作り変えていくプロセスが備わっている、ということについては、日々自分にも思い当たる節があり、時に自己嫌悪に陥ることもあるが、この本のおかげで「それが人間の自然な行動なのだ」「少々のことは気にすることはない」と妙に自己肯定感が高まったのは想定外の収穫だった。
もう一つ、全く知らなかったこととして興味深かったのは、ファッション業界の色予測の専門家の話。
ファッション業界では、色予測の専門家が2年後の流行色を予測し、専門家と契約しているアパレルブランドが予測に基づいて商品作りを行う、ということが慣習として存在しているらしい。
つまり、ファッション業界における流行色というのは、もはや予測ではなく、専門家が流行を創り出しているのだという。
ということは、(創り出された流行を消費する)消費者は、自分の意思で選択しているつもりでも、実はそれは創り出された選択なのでは?と考えることもできる。
しかしながら、彼女はそれでも「選択は人生を切り開く力になる」と述べている。選択自身がわたしたちを形作るのだ、と。
そして選択という行為そのものは「芸術」なのだという。不確実性や矛盾を受け入れることこそが、「選択」の力を最大限に発揮できるポイントらしい。
これも私にとって非常に心強い示唆だった。
そんなわけで、マクロ(世の中)・ミクロ(自分自身)について多くの気づきが得られ、自分を見つめ直すことができる素晴らしい本だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
とにかく難しい。読み終わるのに1ヶ月かかった。
それでも、選択の強さ素晴らしさを理解できた。選択は「今日の自分を明日なりたい自分に変える唯一の手段」というメッセージは、とても印象深い。
7±2の原則もおもしろい。たしかに一度でそれくらいの選択肢しか処理できないような気がする。例えば今日は何曜日かはちょっと考えたら思い出せたりするけど、何日かは分からないことが多い。他にも7不思議とか7つの大罪とか7にまつわる数字が世の中多いことに驚いた。 -
今更読んだ。これ、面白いね。
選ぶ行為をめぐる複雑で豊饒な世界。確認バイアスやフレーミング、関連性、双曲割引など行動経済学や心理学の知見や実証研究を参考にしつつ、選択をめぐる複雑で豊穣な世界を考察しまとめた良い本。
些細なことでも選ぶという行為が日々の充足感や健康に良い影響を及ぼすという選択の力を証明する研究結果を紹介しつつ、後半で過剰な選択肢が人に賢明な判断を必ずしも促すわけでなく、むしろ後々まで続く後悔や心の傷につながる選択の代償が伴うことがあるという調査結果も紹介している。
ここに‘選択礼賛’に安易に陥ることなく実証研究を参照しつつ「選択」という行為をめぐる複雑さを浮き彫りにしているところがこの本の醍醐味。
なにより面白いと思ったのが第6講の多すぎる選択肢について。
有名なジャム実験。24種類のジャムと6種類のジャムを並べたときどちらがよく売れるか?選択肢が多いほうがより良いものを選べる、と思うが実際は違う。売り上げは品揃えが少ない方が多かった。多すぎる選択肢は必ずしも利益にならない。これは行動経済学の本なんか読むと紹介されてるお話。
選ぶという行為は創造的な活動でそれ自体が芸術だとい著者はいう。原書のタイトルは「The art of Choosing」。Artという単語を使っているのが印象深い。選択という振る舞いがもつ創造的な側面を強調したものだと思いたい。 -
「いろんな勉強をすると、人生の選択の幅が広がるのよ。」 小さいころ、母は私によくそう言っていた。幼い私はただ新しいことを知るのが面白かっただけで、あまり勉強することの意味について深く考えたことはなかったけれど、「選択の幅が広がる」という考えかたは、なんとなく心に刻まれていた。
とはいえ、選択肢というのは増えれば増えるほど迷いは深まるもの。なにを隠そう私はあれこれ迷う性格。それでも不思議なことに、大きな決断をするときは、散々迷った末に、最初の直感に従うほうが失敗が少ない。そんな自分の心の動きをつねづね興味深いなあと思っていたのだけれど、この一冊は、そんな私の多くの疑問に答えてくれた。
筆者シーナ・アイエンガー教授の存在を知ったのは、NHKの「コロンビア白熱教室」。美しく聡明で盲目の彼女。両親は着るものも配偶者も自分で決めることのできないしきたりを持つシーク教徒である。その彼女がアメリカで成長しながら自らも多くの人生の選択を行うなかで「選択の持つ力」を知る。数々の実証実験と研究によって明らかになる、私たちの心の動きと選択の関係には、意外なものもたくさんある。選択肢あふれる現代に生きる私たち。これを読むと自分の人生の選択を振り返っちゃうかも。 -
大学時代の研究論文に引用されていた「ジャムの種類が多ければ多い程、実は売れなくなる」という実験をした人の本。その人は私の予想に反し、女性で、盲目で、しかもインド系の人だった。学問に性別も人種もハンディーも関係ないが、彼女の生い立ちを知ることによって、研究の背景や想いが伝わってきた。
人間の歴史は飢餓の歴史と言える。だから人は物や情報を多く集めたいと思う。何でも調べれば出てくるインターネット、どんなパスタでも揃っているスーパーマーケット、カラーバリエーション豊富な洋服屋…。世の中の選択肢はどんどん増えていく。だけど、それは本当に幸福なのか?選択肢が増えることによって選択する負荷がどんどんかかり、実は疲れていないか。その答えとなるべく研究がたくさん紹介されている。
キリスト教、仏教、神道、そして断捨離まで、人間の真理を求める方向に進むと、選択肢をどんどん減らすように要求される。「生きやすさ」を説くこうした宗教などを見ていると、本当に私たちが求めているのは、色とりどりの選択肢ではなく、迷うことなく決めることができる程度の簡単な選択肢なのかもしれないと思った。 -
選択は本能である。たとえ選択が人を不安にさせようとも、選べないという脅威から人は逃れたがる
豊富な選択は利益にならない
ただ、遥かに大きな自由のためには、選択することは大切なファクター -
人生は選択の連続でできていることは誰もが賛同することだと思う。
この本はその「選択」について様々な実験を通して得られた科学的法則についてまとめられたもの。
後悔のない選択をするには、権威ある第三者の意見を踏まえて選択することとある。
今後AIがあらゆる場面に登場することになるが、そのとき人間の選択はどのように変わるのか。
AIに示された通りの選択をすれば後悔のない選択ができるのか。
その選択に論理的に反対することができるのか。
そもそも、後悔のない選択をすることが本当に正しいのか。
選択方法が変わる時代がすぐそこまできている。 -
「ジャムの理論」で有名な著者。
選択肢は多ければ多いほど良いというものではなく、多すぎて自分の処理能力のキャパを超えるとストレスを感じるようになる。かといって選択肢が少なすぎると、人は欲求不満に陥る。「選択」というのは非常に複雑で厄介なもの。
「私たちはほとんど違わないものから選ばされていることが多い」というのはまさにその通り。リテラシーをもち、比較能力を高めていくことは、選択に伴う精神的負担を軽減することにつなげられるのではないかと思う。 -
難解だが読めば知的興奮を味わえる良書です。
著者は全盲なので点字で書かれたものが原作となるのでしょうか?
そして、内容の方は生きること自体が選択の連続である事実から出発して、選択と自由についての考察など身近な例を使いながら展開していく流れはスリリングですらあります。
例えば、身近な人の延命措置の決定を医者に丸投げした方が、気は楽だが後ろめたさもある、逆の場合にも自分の決断が正しかったのかどうかいつまでも悩んでしまうなど、自由な選択がかえって苦しみを増幅させるケースもありえるなど、こうした深い考察が全編に繰り広げられます。
米国の大学講義のレベルの高さ(この場合はビジネススクールの特別講義ですが)は、こうした講義録が出版されて世界的ベストセラーになってしまうことでもわかります。
対する日本の大学講義のレベルの低さは、毎年同じ講師の本を教材に使うことで印税を稼ぐことが目的かのごとき状況で、そこには一方的な知識の押し売りはあっても、各自の議論を戦わせながら正解に近づくという双方向の交流がなく、したがって自分で考える習慣が身につかない点にあると思う。
もちろん本書の講義内容がそうした喧々諤々の討論が行われた結果できたわけでもなさそうだが、一読すればそれ以上の知的好奇心を満たせる内容満載なのは立派です。
私は基本的に再読をしない主義なのですが、この本は手元に置いて読み返してみたいと思わせた数少ない1冊でした。