笑い三年、泣き三月。

著者 :
  • 文藝春秋
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感想 : 75
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  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163808505

感想・レビュー・書評

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  • 終戦直後の浅草の小さなストリップ劇場に集まったメンバーを中心に淡々とストーリーが展開する。終戦直後の人々の暮らしや価値観、その変化がわかって面白い。NHKの連続テレビ小説の「梅ちゃん先生」と同時代で、当時の人々が力強く生き抜いていく様子が共通している。

  •  戦後の焼け跡でたくましく生きた庶民を描いた話はほかにもあるだろう。しかし、本作では著者の筆は気負うことなく、かと言って卑屈にもならず、浅草のストリップ小屋に引き寄せられるように集まった4人の珍妙な生活を軽妙に紡ぎだす。
     冴えない中年芸人の善造、ひねくれた復員兵の光秀、ませた戦災孤児の武雄、元財閥令嬢のふりをする踊り子のふう子。世の中が明るいムードで復興していく中でも、各人がそれぞれ特別な悩みを抱えているのだが、皆が寄ってたかって他人の悩みを何とかしてあげようと算段するところが泣ける。こういう一見おせっかいな関係のなかで、昔の人は生きていたんだなあと心が温かくなる。大きなドラマはないが、後半になればなるほど良い気分にひたって読めた。
     戦後の混沌を知らないはずの、自分とほぼ同年代の女性が著者と知って驚いた。

  • 意外と、ゆるかっです。

  • 前半なかなか進まず時間がかかったが、グイグイ引き込まれていった。
    いい人間の周りには集まってくるのかなぁ
    なんとなくだがいい言葉がいっぱいあった。ほのぼのする本でした。

  • 戦後の話で冒頭、乗りにくかったが、すぐにグイグイと引き込まれた。
    善造と、ふう子がとてもよかった。
    笑うこと、生きること。
    愚かなまでにまっすぐな善造にすっかりノックアウトされた。
    すごくよかった。

  • 読んでいて戦後の復興とこのたびの震災を
    ところどころ重ね合わせてしまう
    特に武雄のなぜ自分だけ生き残ってしまったのかと
    葛藤を繰り返す様が切ない。
    長くて多少中だるみもあったが
    善造、ふう子のどこまでも真っ直ぐであったかい人柄に
    終始癒されながら読めた。

    ぐっと来たのはあの穏やかな善造が
    農家に啖呵を切ったとこ、泣けたわ~。

  • 舞台は終戦直後の浅草。
    善造、武雄、光秀、ふう子が様々な事情を抱えながら生きていく。
    嘘が優しく思えてくる。
    良かったです。

  • 読み始めた時は「評判が良いの割には普通」と思っていたが、読み進めるごとにボディーブローのようにジワリと心に響いてくる。
    武雄が「お互いがそれぞれ一生懸命生きて、一生懸命が一緒ならば離れていても同じところにいる」と善造に言った言葉が良い

  • 木内昇の文章は、思ってもみなかった世界を立ち上げる。思ってもみなかったと言うのは、そこに描かれた世界を、自分はともすると浮世絵やセピア色の写真のような平面的なものと見做しがちで、木内昇の文章によって急に奥行きが見えてくるから、なのである。茗荷谷の猫、や、漂砂のうたう、で起きたことはまさにそんなことだった。この「笑い三年、泣き三月」でも基本的な印象は変わらない。それはそうなのであるけれど、何かが違う。それはなんだろうと思い悩む。

    この本の舞台となる戦後直ぐの上野や浅草を自分は知る訳ではない。やはりセピア色の写真の中にしか存在しないものとして認識しがちな世界ではある。その意味するところの本質は、現実との隔たり、ということなのだ、と思い至る。地続きの現実として認識し得ないものが急に自分の立つ地平線上に現れてくる驚き。それが心地よくもある。概して読後感は清涼である。そう呟いてみて、はっとする。知りえない、ということがある種の安全装置として働くのか、と気付く。

    そういう意味では、やはり本当のところは知りえない世界のことが、この本の中でも描かれている。しかし上野は余りに身近なのである。公園口に傷痍軍人が居た風景も記憶に残っている。現実とそのセピア色の写真の中の世界の隔たりは、それ程大きなものではないのかも知れない。そのことが読んだ印象を異なったものとするのかも知れない。

    丹念に資料を読み込み虚構を立ち上げる。木内昇の文章を支えているそのやり方に違和感はないのだけれど、自分の固定したイメージが何か邪魔をする。立ち上がりそうになる世界を矮小化させる、あるいは、文章の表面に意識を縛り付ける。資料を読んでいるような気分から抜け出せない。

    何か抗いようのない流れに押し流されつつも、人はどこかに自分自身で棹を挿す。その結果はどうであれ、その棹挿す姿に物語の本質はあると思う。そのことを木内昇はしっかりと描いているし、巧みであると思う。しかし自分の小さなイメージが物語が膨らむことを拒絶する。それは自分の中のイメージを手放すことを拒む反応か。そんなものは横に置いておいて本を読めばいいのに、とつくづく思う。結局、読書とは自分自身と向き合うことに他ならないのだ、と改めて思い知らされる。

  • 旅まわりの万歳芸人「善造」と戦災孤児「武雄」の関係が時に良かった。飄々と、生きているようでしっかり地に足を付け生き抜いている。踊り子「ふう子」の言葉。「自分のためにすることって、たいしたことはできないの。でも、人のためにすることって、まず間違いがないのよ」

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著者プロフィール

1967年生まれ。出版社勤務を経て、2004年『新選組 幕末の青嵐』で小説家デビュー。08年『茗荷谷の猫』が話題となり、09年回早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞、11年『漂砂のうたう』で直木賞、14年『櫛挽道守』で中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞、親鸞賞を受賞。他の小説作品に『浮世女房洒落日記』『笑い三年、泣き三月。』『ある男』『よこまち余話』、エッセイに『みちくさ道中』などがある。

「2019年 『光炎の人 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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