木になった亜沙

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (155ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163911915

感想・レビュー・書評

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  • 3つの物語からなる短編集であり、すごく読みやすかった。
    やはり、今村夏子さんの作品は独特と言うか、なんだろう。。。
    独自の視点を持っており、不思議な世界観がある。
    でも、どれもとても読みやすい。
    毎回読み終えたあとに、考察をしている。笑笑
    結局、『ある夜の思い出』は、猫だったってこと?
    猫だと思って納得して読んでたら、いや、違う。。。
    となったり。。。そこが今村夏子さんの作品の面白さだ!

  • 自分が手がけたものは誰にも食べてもらえず悩んだ亜沙は、別のものに転生して究極の形で願いを叶えることになる。不穏で想定し得ない世界観が結構好き。今回のは気持ち悪さもなくて良かった。

  • ふぅふぅー!!!!ブッ飛んでるぜー!!!!
    なんか、私の想像を越えてる話ばかりだったよー!!!!

    木になった亜沙(あさ)
     亜沙が作ったものは誰も食べてくれない。だから木になった。
    的になった七未(なみ)
     物が当たらなければ終われない。ナナちゃん、はやく!!
    ある夜の思い出
     這いつくばって生活している男女がある夜、出会う。

    「木になった亜沙」は、亜沙が死んで木になり、
    割り箸になるの。
    「的になった七未」では、何かを投げられる度に、
    周りが「ナナちゃん、はやく!!はやく!!」と言うの。
    「ある夜の思い出」は、ずっと這いつくばってるの。
    てっきりトカゲとかを擬人化した話なのかと思えば
    ガッツリ人間だった…笑

    今村夏子さん、ヤバイねー!!
    中毒性のある話ばかりでしたー!!

  • 表題作と「的になった七未」はちょっと切なく、「ある夜の思い出」はあまりよく分からなかった。

  • 気持ち悪い?かわいい?不思議?奇妙?なんともいいがたいこの装丁の絵。装画は木原美紗紀と言う人が描いたものだった。思わず他の作品もながめてしまう。良い!

    さて、本の方だが、さすがは芥川賞作家。表題作の決して誰にも食べてもらえない亜沙。そんな亜沙が初めて食べてもらった短編。はい、決して私の頭がおかしくなったわけではない。本当にそのまんまの作品なんだから。最後は付喪神的な印象。

    次作は「的になった七未」。誰から狙われても決して当たることのない七未。そんな七未が初めて当てられた中編。これは幼い頃から大人になって子供も出てくるお話だから全貌が掴みやすいかと思いきや、着地点は残酷。

    ラストの「ある夜の思い出」も想像すると凄いのだ。立つのが面倒くさいから腹這いで生活する奴らの短編。道に迷っちゃうんだ…残念。どの作品も中盤からなのか最初からなのか、どこかで世界がグニャっと歪む。

  • 今村夏子さんの短編集。

    「木になった亜沙」と「的になった七未」は似てる。
    だれも自分の手から物を食べてくれないことに悩んで悩んで、ついには果実を与えられるような木になりたいと願いながら死んでしまった亜沙。
    どんぐりもドッヂボールも空き缶も当ててもらえず、一生終わることができない苦しみから、ついには息子に的として当ててもらえた七未。
    こういうのマジックレアリズムっていうのかな?
    理不尽な運命を背負わされた少女2人が、どうか幸せになれますようにという切実な思いで読んだ。
    また、グレーゴル・ザムザについて考えた。グレーゴルも、あるいは虫になりたいと願ったのかもしれない。

    「ある夜の思い出」は、腹這いで街を徘徊している主人公が、同じような恰好のもう一人(一匹?)の男と出会う。
    男に誘われるがまま家についていき、そこの家で(お母さんと息子が住んでいる)、二匹はつがいとして飼われだす。
    男はジャックと呼ばれており、主人公もハッピーちゃんと名付けられる。
    村田沙耶香さんが書くようなストーリーだったが、この一夜の体験を、あくまでも思い出としてタイトルにつけるところに意味を感じた。あの男はまだあの家で飼われ続けているのだろうか?

  • 表題作を含む短編3作。挿絵がすごく可愛い。

    表題作はストーリー的にも物悲しさは否めませんが擬人化がお洒落な物語だと思いました。

    描かれているのは語り手視点の事実のみで、それに対する理由づけもないし、夢なのか現実なのか妄想なのか分からない世界に引き込まれていきます。何もかも明確にされないこのふわっと感がとても魅力があって癖になるのです。

  • 今作も凄かった。何なんだろう。彼女の小説が何ジャンルに入るのか知りたくて検索したら「価値観が根底から覆る現代アートのようだ」というレビューに辿り着いた。これだ!正に現代アートを鑑賞している時の感覚になる。自分の中の何かが手で掴まれ、そのサイズ感でありながら四方八方に振り回されて何が何だか分からなくなる。ただただ不安&不穏&呼応するような感覚が残る。読後感を正確に伝える言葉を私は知らない…もどかしい。彼女以外にこの世界観を繰り出せる作家はいるんだろうか?怯える気持ちもあるが、この世界観が病み付きになっている。

    以下の表現なのかな?とか。亜沙:誰にも食べて貰えない=生涯誰とも心からの繋がりを感じられなかった人。七未:気丈だった人が心を壊す過程。読者は自然と七未の傍で(狂気の世界側で)正気でない景色を見ている。ある夜の思い出: いま正気な人が過去もそうとは限らないor奇妙な世界は一時実在するかも。
    あんな人(物)には実はこんな世界があるんじゃないか…という想像力&いつの間にか主人公のすぐ側で、奇妙で狂ったでも嫌いではない世界を鑑賞させる。そういうことが凄く上手なように思う。
    ←正解じゃないだろうが…なにせ現代アート。

  • ☆木になった亜沙
    自分の手からは誰も食べてくれない。どうしたら食べてくれるんだろうという思いは木に生まれ変わっても続き、その願いは…
    ☆的になった七未
    木になった亜沙と少し似た展開で、こちらはドッジボールのボールに絶対に当たらない少女が、いつしか当たることを夢見て囚われてしまう話。切ない。
    ☆ある夜の思い出
    ちょっと変わった子が、自分と同じように変わった相手と出会いプロポーズされるが、事故をきっかけに会えなくなり…一番しっくり読めた作品。
    の3本。

    すごい世界観。引きずり込まれそうだ。
    自分たちが普通としている物事の対極にあるものを内面から生き生きと描く。あたかもその内面から実際に見てきたかのような描写。
    何がその人にとって幸せなことなのか、当然としていたことをひっくり返される。
    見方によってハッピーエンドでもバッドエンドとも固定されない結末。すごい。
    短いお話3本で、読むのはあっという間ですが、深いです。どこかに連れていかれそうになります。

  • 『木になった亜沙』
    誰も彼女から食べ物を受け取ろうとしない。成長するにつれ、不良の仲間入りする亜沙。施設で更生していた亜沙はスキーの最中にコースを外れて遭難する。死ぬ間際に出会ったタヌキですら彼女のチョコレートを食べなかった。
    亜沙は杉の木になっていた。切り倒され、わりばしになった。若者に使われて喜ぶ亜沙。若者は亜沙だったわりばしは洗って使い続ける。
    若者の部屋はいつのまにかゴミ屋敷になっていた。そこには亜沙と同じく、かつて人間だった者たちがたくさんいた。行政がゴミ処理に動く直前、かつて人間だった物たちは部屋を火事にした。若者も亜沙もみんな炎に包まれた。

    『的になった七未』
    誰も彼女に物を当てることができなかった。気の狂った園長も、小学校の上級生も、ぬの太郎もみんな当てられなかった。
    七未は自分のこぶしを自分に当てた。何度も当てた。七未は入院させられた。
    主治医は七未の話を聞き、交際がスタートした。七未は主治医の子を妊娠、出産する。
    七未は主治医の用意したアパートで暮らしたが、主治医が逮捕された。七未は七歳まで七男を育てたが、やってきた大人たちに七男は連れていかれる。
    七未自身も施設に入れられるが、そこを出た後、ホームレスのようになり、七男を探した挙句、縁日の的になっていた。そこで大きく成長した七男と再会するが、誰も彼女を欲しがらない。
    「はやく、はやく」と応援していた人たちは、早く死ねば終わりにできるよ、と教えてくれていた。

    『ある夜の思い出』
    学校を卒業してから家でずっと寝そべっていた女。父親から追い出された女は腹ばいのまま、街を徘徊する。
    夜の街で女が出会った男もまた、腹ばいだった。
    男に連れられてきた家にいたのは「お母さん」とのぼる君。どうやら男はここで飼われているらしい。のぼる君は女も一緒に飼ってつがいにしたいようだ。
    男と一緒に飼われることを受け入れた女だったが、父親に結婚の報告をするため、外へと出た。そして車に轢かれた。
    それから十年が経ち、女には夫と子どもがいる。工場でパートもしている。腹ばいの男はまだのぼる君の家で女を待っているのだろうか。

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    うまく言葉にできないけど、こんなに面白い小説にはなかなか出会えない。最初から最後まで一貫して狂った世界だから、何がおかしいのかわからなくなる。読み終えた後、振り返って気づく。ああ、全部狂っていたんだ、と。

    誰も亜沙から食べ物を受け取らない理由も、
    誰も七未に物を当てられない理由も、
    腹ばいの女が腹ばいの男と一緒に飼われる理由も、何一つ理解できない。

    見てはいけない世界を垣間見てしまったような感覚。
    今村夏子さんは天才、もしくは神様のような存在なんじゃないだろうか。人間を超えてる。

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著者プロフィール

1980年広島県生まれ。2010年『あたらしい娘』で「太宰治賞」を受賞。『こちらあみ子』と改題し、同作と新作中短編「ピクニック」を収めた『こちらあみ子』で、11年に「三島由紀夫賞」受賞する。17年『あひる』で「河合隼雄物語賞」、『星の子』で「野間文芸新人賞」、19年『むらさきのスカートの女』で「芥川賞」を受賞する。

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