新装版 最後の将軍 徳川慶喜 (文春文庫) (文春文庫 し 1-65)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167105655

感想・レビュー・書評

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  • 1st Japanese book I've ever read! (Sept. 2014)

  • 慶喜、将軍家ではなく、御三家(水戸、紀州、尾張)の水戸の出

    水戸家は黄門光圀以来、尊皇思想を強く持っていると思われ、他の徳川家には疎まれていた。しかしながら、数人の慶喜を建てようとする大名、ペリー訪日などの背景もあり、本人は意図せず、むしろ反対していても世論が盛り上がり将軍になってしまう。

    朝廷は長州に影響され攘夷論、その後薩摩に影響され開国論など良いように使われ、慶喜自身自分の力ではどうにもならないと分かりつつ時代に抗えず時代は動く。

    いつもながらだが、司馬氏にかかると歴史上の人物が生き生きと動いている様が頭に浮かぶ。幕末の流れも確認することができ、歴史への興味が更に深まる一冊。

  • 一橋慶喜が聡明な人物であったことは知っていたが、のみならず保身の天才でもあったわけだな。あの時代、あの立場に置かれれば已む無きことかもしれないが、絶対恭順という(後世から見れば)高度な政治判断の裏で、自身の側近や譜代大名、それに多くの御家人や旗本を捨て石にしていたのね。
    それに、水戸学の革命思想と、それ故に幕内の正当系譜に危険視され、忌避され、孤立無援だったということも初めて知った。最初から四面楚歌の茨の道だったということか。
    逸早く列強の脅威を理解し、開国融和策を唱えるなどイデオロギーに固執せず、プラグマティストの素養を備えているあたり、後世の維新英傑に比して国造りの才に劣後するとは微塵も思えない。あと10年早く生まれ、徳川を掌握できていれば、この国の歴史はまた違った道を辿ったかもしれない(本人の意思は別として)。

    結果として内戦の泥沼は回避され、国力低下を防いで、新政府の近代化がスムーズに推し進められたことは事実。おかげで日清日露を経て、明治の終わりには末席とはいえ列強に座することを許されるに至った。
    それは、敗者という役を見事に演じ切ったという意味で、慶喜にしか成し得ない大事だったのかもしれないが、さっさと表舞台から遁走し、悠々自適に他人の金で遊び暮らしている姿は、民草の仁義に照らせば褒める気にもなれない。彰義隊や五稜郭、萩・秋月・神風連の乱など、士族の末路を見れば特に。

    勝者と敗者の役割は違えど、大久保西郷も同じこと。維新三傑と呼ばれ、今でも偉人として讃えられるが、要は化かし合いに勝利した日本一の狸ということ。いつだったか、坂本竜馬暗殺の黒幕を大久保利通であると説を唱えるテレビ番組があったが、傍証はともかく動機は十分すぎるほどあるな。なにしろ10年で1万人が暗殺された時代、人の命の重みが紙屑のように扱われていたのだから、今更躊躇いも衒いも無いだろう。「土佐が薩摩に負けた」という慶喜の台詞は妙に腑に落ちてしまう。暗殺も含めて権謀術数で世の中を動かした、ということなのだろう。

    とはいえ、正悪呑み込んだ歴史の上に、今の大国日本、ひいては我々の生活があるのも事実。賞賛し、糾弾するのは容易いが、ある意味で安穏と生きている我々も、その善と悪、両方の受益者なわけで…。複雑な気分。

    改めて、歴史は勝者が作り、その時代時代を生きる人間には正義も悪もないということを感じる。
    もう一つ、慶喜は生まれる時代と場所を間違えた。それは本人にとっては不幸だが、歴史を年表で俯瞰すれば、ここで慶喜という指導者を得たことは、望外の僥倖だったとも言えるし、歴史は難しい。

    余談になるが、やっぱり、孝明帝が身罷れたタイミングはあまりにもあまりにも…。

  • 慶喜さんはどんな方だったんでしょうね。

  • 慶喜ってこんな人だったんだという本。
    会津は運がなかった…

  • 徳川家最後の将軍、幕末の動乱の中でたった独り、采配を振るった、徳川慶喜の小説。
    シバリョの小説は久し振りに読んだけど、やっぱいいなー!おもしろい!
    よんで改めて気づかされたけど、ほんっとうに苦労ばかりで、報われたことがほとんどなかった人生ですよね。。世が世なら名将軍だったでしょうに。。
    33歳の若さで静岡に隠居してからは、絵画だの狩りだの刺繍(刺繍www)だのに没頭しまくってめちゃくちゃ優雅な貴族生活おくって楽しそうですが(よかったね!)

    この人は回転の早い頭脳と有能な弁舌と恵まれた容姿、色んな魅力をもってるのに、性格がトンガッテタせいでまわりに敵を作りすぎですわ。自分の支持者だった松平春嶽公ら賢候たち集めて、面罵しまくって(島津涙目www)酔っぱらってぶっ倒れたシーンは笑ったwwしかも確信犯
    それから、短気なのと若干プライド捨てぎみなのは玉に傷ですね。(明治以降も要職につかず遊んでたのとか、大阪城からスタコラサッサと逃げ出したこととか。)

    まぁしかし、水戸出身でありながら、内心開国希望だったところとかさすが開明的で先見の明があるなーと思います。新しいものが好きで洋装や豚肉食を楽しんでいたりと。まさに、王子さまですよね。ちょっと、やんちゃだけど。「幕末一番の貴族」という名が相応しい、でもアダ名は「豚一」だけどw(豚を食べる一橋卿、という意味らしい。ぶたいちw)

  • 初めて読了した司馬遼太郎の作品。

    司馬遼太郎の視点から、徳川慶喜の半生に解説を加えた語り口で展開される。よって小説というよりは、ドキュメンタリのよう。
    慶喜に対しては、力の弱まったため政権を朝廷に返上しただけの人物だと思っていた。しかし、実は知力に長けており策謀家であった。

  • 論理的な弁論に優れ、思考力が非常に高かったと思われる。この人物であっからこそ、大政奉還が実現したのだ。

  • 江戸と明治、2つの時代で全く異なる役を演じた人。自分やそれを取り巻く時勢を遠くから見ることのできた人。
    そういう人が最後の将軍として生きていたことに歴史の面白さを感じる。

  • 徳川慶喜のお話。

    水戸生まれだけに徳川本家からも憎まれていたというお話。

    身内ほど憎しみは酷く、深い・・・

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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