新装版 最後の将軍 徳川慶喜 (文春文庫) (文春文庫 し 1-65)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167105655

感想・レビュー・書評

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  • p.219
    「百策をほどこし百論を論じても、時勢という魔物には勝てぬ」

    大政奉還前後からが面白くなるところなのかなーって思ったら、そのあたりからはあっさり、サクッと描かれ、すーっと終わってしまいました。
    司馬遼太郎らしいといえばらしいですが、おそらく、その時の文献や見聞があまり無いので書けなかったのかなーとも思いました。
    慶喜はなおのこと表舞台から消え去った人(将軍)ですもんね。資料はそんなに残ってはいないでしょう。
    あの激烈な時代にあって、生き続けた慶喜の心情、想いをもっと知りたいと思いました。
    単に趣味が多い、多才だけでは納得できなかったです。

  • 慶喜の半生が特に大政奉還前後の明治維新を中心に描かれている。
    慶喜の気持ちの機微について細かい描写されており、とても満足の一冊であった。

  • 時代に巻き込まれた最後の将軍
    結果的に徳川時代の幕引きに相応しい人材だった

  • 慶喜だからこそ大政奉還は実現したのかも。もし慶喜が薩摩長州と戦っていたら、日本は清国の二の舞になってたかも。そう考えると慶喜は日本の救世主だ。権力に拘らない貴族中の貴族の慶喜だからこそできたことかもしれない。でも、もっと自分の部下を大事にしたら、もっと良かったかも。徳川家康のように。そしたら、歴史は違っていたろう。徳川幕府が薩長を押さえつけ、大改革をして、徳川新政府を作り、新しい日本を作る。太平洋戦争も回避し、独立も守り、今も儒教思想が基礎となり世界から尊敬される立派な日本人がどんどん出てくる。教育崩壊などない。。。
    ところで、薩摩のような大久保利通みたいな、謀略に長ける人間には、気を付けよう、と思った。

  • 歴史もの それだけ

  • 「円四郎までよく申しておく」 と、言いすて、馬主をめぐらせて去った。…その時渋沢はこの貴人のために身命をなげうちたいと思った

    ○大河ドラマ『青天を衝く』でも有名な場面。司馬遼太郎が徳川慶喜から見た幕末から維新をどう描いたか、いくつかの場面で確認するために久方ぶりに再読しました。


    「薩人の奸謀は、天下の知るところ」

    ○中川宮邸にて 幕府への横浜閉港の御沙汰書を取り消す決定を朝廷を出したことで、慶喜が島津久光、松平春嶽、伊達宗城同席の場で

    ○同じ場で

    「いまより、天下の後見職を愚弄なさるな。これに控える三人の大愚物と同様同列であるとおぼしめさせるな。この段、よくよくお心得あってしかるべし」

    ○本人達を目の前にして、この辛辣な言葉が言える慶喜は只者ではない。

    「慶喜がこれにあり、玉体守護し、奉じるかぎりご心配無用とおぼしめせ」

    ○蛤御門の変で長州兵が迫る中、宮中にて


    「この開港に反対することをもって幕府をつぶす」とまで薩の大久保はいっていたし、…

    ○兵庫開港問題での薩摩の方針


    ○兵庫開港の勅許を慶喜がその行動と弁舌で得たあと、(討幕の企画者達は)慶喜を恐れた。


    (この男をほろぼし、殺さぬかぎり幼帝の将来はあぶない)と考えたのは薩摩の西郷吉之助であり、それほどに評価し、この評価を江戸城攻撃計画を推進してゆく最後まですてなかった


    ○長州の桂小五郎も慶喜を恐れ、この時期から「討幕の密勅」工作がすすんだという。


    「異存があるか。」…

    「なければよし。されば政権を返上する」

    ○大政奉還を慶喜が諸臣に自ら説明した時、続けて


    「あすは、諸藩の士をあつめよ」…

    「疑念はあるか。あらば、後刻、格別に謁見する」と、言った



    ※「岩倉・西郷・大久保は、竜馬・後藤の大政奉還コースとは別にひそかに密勅降下の工作をつづけていたが、それがなんと、慶喜が大政奉還の決意を表明したその夜に密勅が降下した。偶然、同日であった」(『竜馬がゆく』)

    ○慶喜の表明が数時間早く、岩倉の手に入った密勅は無効になった。密勅工作と同時に岩倉は「現実にはどこにもない」が南北朝時代に使われたといわれる錦の御旗を制作した。この錦旗が後日、歴史を動かした。


    …薩の流血革命方式は、この一挙によってみごとに往なされたが…好機を待った。


    王政復古の大号令の後、幕府軍が薩軍と衝突することを避けるため(慶喜は一時的に勝利することは可能でも、朝敵となることを避け、最終的には薩摩には勝てないと思っていたというのが司馬遼太郎の見立て)


    「大坂へくだりましょう」と、

    慶喜はにわかに言った。


    …この間、江戸で変事が起こった。薩摩系浪士が幕府挑発のため市中の治安をみだすのに幕閣が堪えかね、庄内兵をして薩摩藩邸を焼き討ちさせた。…将士は興奮し、慶喜の命を待たずに兵を部署し、京坂の間に全軍を配置して即刻にも開戦できる態勢をとった

    (鳥羽・伏見の戦いの前)


    「錦旗が出た」

    と、のみ慶喜はいった。

    ○江戸へ逃げ帰り、慶喜が閉塞していた勝海舟を浜御殿に呼び出して、戦後処理を任せる時に涙を流しながら


    ○蛇足ながら江戸時代には武士階級には尊王の思想は幕府や諸侯を問わず浸透していた。朝敵となることは現代人には想像し難いほどの屈辱だったよう。戦国時代なら慶喜も薩長を蹴散らしていたかも知れない。


    ○慶喜は大河ドラマでも好評ですが、実際にも弁舌は冴えわたり、江戸城で鳥羽・伏見の戦いの顛末を語る慶喜を天璋院は団十郎も及ばずと、いっていたということ。


    ※以上


  • 計画を実行したり、中止したり自分だけできめるところがすごい、先まで考えていた。

  • 大河ドラマ「青天を衝け」に登場する徳川慶喜は凄く興味深い人物であり、その慶喜を司馬遼太郎という作者が描いているということで購入した。

    読み終わってみて結局、慶喜の心境は想像できない。
    どこまで真実なのか定かではないが、
    常人のようにも人間らしさも感じる底知れない人物だった。

    そして、『竜馬がゆく』の竜馬と、
    この『最後の将軍』の慶喜の大政奉還について書かれている解説がすごく気に入った。

  • 草彅剛(青天を衝け)松田翔太(西郷どん)で再生しながら読んだ。snsも発達していない情報に乏しい世の中だったからこそ慶喜の巨大さが一人歩きしていた印象。

  • ※2006年購入
     2006.7.18読書開始
     売却済み、kindle購入

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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