新装版 最後の将軍 徳川慶喜 (文春文庫) (文春文庫 し 1-65)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167105655

感想・レビュー・書評

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  • 学生時代、日本史好きだったのに、歴史小説に手を伸ばさないって損してるよね〜と数年に一回思い出したように手を伸ばしては、今回も読めなかったかと臍を噛んで泣く泣く本を閉じるっていうのが、ここ数年の年の暮れの風物詩です(私の)。
    いや、でも、今回はようやく最後まで読めたからまだマシか………。

    読もうとするたびに、

    「史実をもとにした小説は、結局は作者の想像の産物でしかないのに、いったん読んでしまうとそれが事実であったと思い込んでしまいそうで怖い」

    という母の言葉を思い出すんですよね。
    で、読んでる時に、「あ、これ学校で習ったな」と思う頭の片隅で、「でも、この人物は本当にそう思ってこう行動したのかしら?」っていちいち思考停止しちゃう。それがしんどい。なのであまり読みたくない。でも歴史好きだったんだから本当は楽しく読めるんじゃないのか。っていうジレンマに身悶える年の瀬(悲)。

    これはもう、私の歴史小説に対する読み方が変わるか、そうと割り切って読む図太さを身に付けるしかないんだよな〜きっと。

  • 自分を歴史上の一人物に位置づけながら、驚くほどに客観的に事象を捉えることのできる稀有な人物。
    家康や吉宗といった過去の有能な将軍との決定的な違いは、高い教養を持っていることであり、幼少期は読書が苦手だったエピソードはありつつも、本質は知的好奇心の塊で、安政の大獄期に恐るべき読者量を消化したエピソードも面白い。
    クライマックスはやはり大政奉還になるが、これは、あとがき(向井敏)も面白い。
    『龍馬がいく』では、坂本が大政奉還の知らせを聞いた時非常に感動したエピソードを引き合いに出し、慶喜からすれば、大政奉還は「逃げ道」であり、朝廷に放り投げるくらいの感覚であった。
    静岡で隠遁生活を送る間、過去について語ること、過去の人物と会うことを極力さけたエピソードも、慶喜のストイックな一面を表している。
    慶喜は朝敵になったが、明治政府の立役者の一人であった。
    慶喜という天才が大好きになった。 

  • 前回読んだのが、幕末の長州を描いた「世に棲む日々」であったので、その対立軸でもある幕府側の物語を読んでみたいと思いました。
    また、いま大河ドラマでやってる「晴天を衝け」とも重なるのも動機のひとつです。

    大政奉還や王政復古の裏にはこんな人間ドラマがあったんだと思うと、もう一度、中学の日本史の授業を受けてみたくたくなりますね。
    もし、日本史の先生がこんな話を授業中に放り込んでくれてたら、日本史が好きになってたかも、って思ってしまう。

    「世に棲む日々」と「最後の将軍」で描かれる「攘夷」は当たり前かもしれないけど、真逆な感じで描かれてます。
    前者では、攘夷カッケー
    後者では、攘夷ヤベー


    慶喜は「守ろう」としたのではなく「終わらせよう」としたのが出色の将軍だったのでしょう。
    幕引きってよほどの覚悟がなければできないと思います。しかも、自身の名に傷が付かないように先見性をもって行動したのも、慶喜のストイックさが垣間見れます。

  • 徳川慶喜は、大政奉還をした人。

    以外の知識ゼロで読み始めた。
    当たり前だけど、歴史の登場人物もそれぞれ人なんだよなあ、っていうのを改めて。
    つまらない感想ですが。
    こんなちっぽけな私が毎日あーでもないこーでもないって悩んでるんだから、名を知られた人の毎日はそりゃ色々あるよね。

  • 再読。1冊で完結していることもあり、淡々と慶喜の生涯を追う感じで、劇的な盛り上げエピソードやキャラ説明のための創作エピソードなどもなく、司馬さんのわりには淡泊な作品だった印象。もともと短編の予定が書ききれず追加を重ねてこの量になったとあとがきにあったので、最初から長編連載として企画されていればもっと違った内容になったのかもしれない。とはいえそれでも司馬さんを惹きつけた徳川慶喜の独特な人物像は十分浮かび上がってくる。

    幕末という危機的時代の中で、将軍になる前から周囲に期待され、それが本人の意思を置き去りにしてどんどん膨れ上がっていく状況、ひとり冷静な慶喜の周りで様々な人々がから騒ぎをしていて、彼はそれを呆然と眺めていただけのような印象を受けた。かといってお飾りの将軍だったわけではなく、良く言われるように頭は切れすぎるくらいに切れ、むしろその頭の良さが災いして「バカを承知であえて情に流される」という西郷隆盛のような生き方はできない人だったのだろう。何らかの信念ではなく理性、理知の勝る人間だったから、平気で意見を変え「二心殿」などと呼ばれてしまう。

    水戸藩という、幕府の親戚筋でありながら、勤王思想が強い藩に生まれてしまったことも彼の不幸で、幕閣だけでなく真逆の立場の攘夷浪人たちにも支持され期待されてしまい、期待があるだけどちらからも意に添わないと裏切り者として恨まれてしまう。結果、本人ではなく側近を三度にわたり暗殺されてしまい、幕閣にも勤王派にも味方は誰もいなくなってしまった。

    司馬さんは「慶喜は孤独であった。古来、これほど有能で、これほど多才で、これほど孤独な将軍もいなかったであろう」と書く。そして松平春嶽には「つまるところ、あのひとには百の才智があって、ただ一つの胆力もない。胆力がなければ、智謀も才気もしょせんは猿芝居になるにすぎない」と語らせる。それに尽きるな、と思う。別に悪人ではないし、自己保身にはしっただけというわけでもなく、ただ彼が最善と思ったことをやってきただけ、でもそこに一片の誠意なり信念なりがあれば後世の印象は少し違ったものになっただろうに。

    会津贔屓の私としては薩長より慶喜を恨む気持ちがあるけれど、けして「ずるい人間」だったわけでなく「可哀想な人、寂しい人」だから仕方なかったんだろうなという気持ちもある。彼自身はそれを孤独とも気づかず、維新後も大勢の子供を作り趣味にいそしみ退屈しない人生を淡々と送った。

    最後に、一時期レキシにはまっていたせいで、最後の将軍、と聞くと条件反射で脳内の松たか子が♪もう幕府なんて終わらせていいのよ~と歌いだすので読書中困りました(笑)https://www.youtube.com/watch?v=DzQliZzLjqI

  • 今年の大河ドラマ、『青天を衝け』では、主人公渋沢栄一の旧主ということもあり、割と慶喜がドラマにも登場した。

    が、実はこの人物について、よく知らない。
    「なんだかよくわからない人」というくらいしか、イメージがない。

    この本が今年、リバイバルしたのも、私と同じように思っている人が多いからなのかな、なんて思ったりもする。

    大変能力の高い人だったそうだ。
    そして、何でも自分でやってみないと気が済まない。
    投網、調髪、大工仕事…およそ、藩主の子息としてする必要のないことでも、器用にやってのけたという。

    意外だったのは、彼が雄弁な人だったということ。
    後年、口を閉ざし続けたのは、立場上やむを得ないことだったかもしれないが、その寡黙さは性格的なものかと思っていたのだ。

    本書では、その慶喜が、出自と時代のために、過剰に期待され、将軍の座に据えられていく様を描く。
    そして、慶喜の、自分を歴史上の存在として客観的に、かつ他人事のように見る、独特なキャラクターと相まって、幕臣や諸侯の中で単なる「権謀家」に位置付けられてしまう様を描いていく。

    本書は、歴史書ではなく、あくまでも小説だ。
    にもかかわらず、何かものすごい説得力を感じる。

    司馬遼太郎の作品としては、比較的早い時期のものらしい。
    そして、あとがきによれば、司馬自身がこの人物にかなり魅せられているともある。
    晩年の司馬はどう捉えたのだろうなあ。ということも気になる。

  • 徳川15代将軍の話。
    普通に歴史では、14代の次に慶喜が15代に就任して大政奉還しました、ぐらいしか習わないが、脚色はあるにしろ一橋家を継ぐことになった経緯や類稀なる能力の持ち主だったがゆえに世相を騒がせたり、将軍になるまで先代の死後半年以上かかっていたり、などなど実在した人物とは思えないほど波乱万丈かつ稀有な人だったことを知った。
    倒幕については、倒幕派が正義のように扱われることが多いが、慶喜側からの視点では彼らは敵と言うよりも勝手にケンカを売ってきた面倒な奴らで、元より慶喜は幕府を存続させる意思はないから話し合いだけで戦う必要は無かった(実際に江戸城をすんなり明け渡しているが)のを、薩長は慶喜をこてんぱんに痛めつけていたというのが、なんとも大人気ない感じがした。
    歴史の大きな転換点に立ち会ってしまった、しかも当事者となってしまった人物のしんどさおよび、その時代にうまれてしまったもったいなさも感じつつ、でもやはり大政奉還という偉業は彼にしかできなかったんだろうなとか、心を馳せてしまった。

  • 最後の将軍として歴史の教科書にも必ず名前が載る人。しかし、どのように、あの動乱の中を生きていったのかは知らなかった。この作品で、徳川慶喜という人が、孤独と戦いながら生き抜いたことがわかった。そして先見の明があったと思った。
    この人は生まれてくる家を間違えてしまったようにも感じた。頭の回転が速く、非常に器用な人物だから。徳川慶喜の考えることについていける人が周囲にいなかったことが寂しかったのかもしれない。

  • 徳川慶喜が幕府の全ての汚名を背負って、幕を引いた。そんな印象をもった。
    結局、徳川幕府はペリーが来る前からすでに破綻していたし、世界情勢から見ても260年前と変わらない武家社会の体制、考え方、産業、軍備では遠からず崩壊していたと思うし、慶喜にはそれが見えていたのだろう。体制の崩壊を慶喜のせいであるかの様な言われ方をするが、歴代の将軍や大奥や幕臣が腐らせたのであり、慶喜一人にその責任を負わせるのは酷だと思う。それに、亀之助(家達)が宗家を継いでいたら、豊臣家の様に取り潰され、徳川家は汚名を残したのではないかと思う。
    自分達の無知・無能を棚に上げ、慶喜の悪口・批判をし、気に入らなければ暗殺してしまう。議論だけは活発で、いざ戦争になればあっという間に負けてしまう。そんな足の引っ張り合いしかできない幕府の将軍となり、信頼できる家臣も強い軍隊ももたない慶喜が孤独な中で薩摩と渡り合い、大政奉還へもっていったのは見事。様々な問題もあったのだろうが、能力も覚悟も常人を超えていると思う。

  • 徳川慶喜が才能があり、悪い人ではないけど、よくつかめない人であることは分かりました。
    やはり主役に魅力的がないと読んでいて退屈になりますね。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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