蹴りたい背中

著者 :
  • 河出書房新社
3.07
  • (302)
  • (704)
  • (2610)
  • (612)
  • (200)
本棚登録 : 8000
感想 : 1319
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (140ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309015705

作品紹介・あらすじ

愛しいよりも、いじめたいよりももっと乱暴な、この気持ち。高校に入ったばかりの"にな川"と"ハツ"はクラスの余り者同士。臆病ゆえに孤独な二人の関係のゆくえは…。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • あー間違いない!私も
    蹴りたくなりましたよ。

    なんとまあアホらしい
    背中。

    耳元で囁かれてる気が
    するからと

    片耳だけのイヤホンで
    うずくまる背中。

    アイドルオタクの何が
    悪いのか?と、

    当人からすれば放って
    おいてくれよ!という
    ことなんでしょうけど、

    目の前のそのモッサリ
    した無防備な背中を、

    アイドルと二人だけの
    世界に旅立ってるその
    背中を、

    足蹴にしたくなるこの
    衝動は、

    学生時代から変わらぬ
    感覚と言いますか、

    実際じゃれあいのなか
    友だちの背中を蹴った
    記憶がうっすらと(汗

    あ、学生時代と言えば、
    好きな人を知らず目で
    追って、

    その人が少しでも動く
    とあわてて目を逸らす
    片思いのあるある。

    端から見ればバレバレ
    でした(笑

    そう、ご多分に違わず
    恋ゴコロに気を取られ、

    他人から見えてる自分
    の背中に不注意極まり
    なかった私を思い出し、

    あ、どちらかといえば
    私も蹴られる側だった
    じゃないか、と。

    まあ、もはやすべてが
    時効ということで・・・

  • 読みながらずっとモゾモゾ感が止まらなかった。
    高校一年生の1学期。クラスのどのグループにも属していない長谷川と、にな川。
    二人は似ているようで違う。
    人に無理して合わせるくらいなら一人でいた方がいいと思っている長谷川に対し、推しに夢中になるあまり、周りはどうでもいい、にな川。
    にな川に比べたら自分の方がマシだと思いつつも、一人でいる時間に自分なりの言い訳めいた理由を心の中でつぶやいている長谷川がイタイ。

    自分の内側ばかり見ている‥‥存在を消す努力をしているくせに完全には消えたくない‥‥縄跳びの八の字でうまく縄に入れないようにうまく会話に入れない‥‥

    これは高校生の話だけど、イタイ長谷川に共感できてしまう大人の私がいる。
    大人になった私は場数を踏むことで要領が良くなっただけだし、目の前の世界が全てではないから思い詰める必要はない、と自分を納得させることができているだけ。

    「認めてほしい、許してほしい」
    「人にしてほしいことばっかりなんだ。やってあげたいことなんか何一つ思い浮かばないくせに」

    高校生のお話、それも若い人が書いたお話。共感できるかなぁ?なんて思いながら読み始めたこの物語に、大人の私がこんなに共感している。それに対してモゾモゾしてしまいます。

  • 中学生の娘が読了。
    普段なかなか読書が進まない娘ですが、この作品はとても読みやすかったようで、1日で読み終わっていました。

  • 2004年第130回芥川賞受賞作

    初版は2003年、丁度20年前。
    芥川賞受賞19歳という最年少記録はいまだに破られていない。

    冒頭の「さびしさは鳴る。」という一文は有名だが、時期を逃して未読のまま時は過ぎ…。

    いやー、語彙力なくて申し訳ないが、すごい。
    19歳かよ、本当かよ。

    まだスクールカーストなどという言葉もなかった頃に書かれたこの『蹴りたい背中』。
    入学したばかりの高校で、クラスの序列から外れ、どのグループにも属さない少女の葛藤…脳内でずーっと独り言を呟き続ける気持ちや、たまに口を開くととんでもなく鋭い言葉が出てしまうところなど、もう場面が目に浮かんでくる。
    にな川と絹代との関係などからも、主人公ハツの自尊心の揺らぎや苛立ちなどが痛いほど伝わる。

    主人公の気持ちがちっとも分からない、という人は、順風満帆な高校生活を送った(送っている)人なんだろうなぁ…ある意味羨ましい。
    2023.8

  • 朝井リョウさんのエッセイに「ちいかわおじさん」なる人物が出てくるのだが、そのおじさんに対し抱く感情はまさに『蹴りたい背中』であるという。
    『蹴りたい背中』を読んでない私は、まだこの感情を知らない。知るべき時がきたということか。

    主人公の女子高生、ハツは孤独な高校生活に絶望を感じている。似た者同士と思っていた“にな川”と出会うのだが、彼は全く違う世界線を生きていた。見下していたはずの“にな川”の社会や家族に切り離されても平気で過ごせる無敵さに気味の悪さを感じる一方、憧れにも執着にも似た感情を覚える。
    しかし“にな川”の世界にハツは存在していなかった。
    それはハツにとって惨めなことではあるが、同時にサディズムを目覚めさせることでもあった。
    「傷つく顔が見たい」そして“にな川”の生きる世界に自分もインパクトを与えたいという思いが
    『蹴りたい背中』という衝動に繋がったのではないかなぁ、と想像する。

    自覚のない虚栄心や地に落ちそうな自己肯定感。視野も心も狭くて息苦しい黒歴史をむき出しにした作品だった。
    尖った時代を象徴するような比喩表現もふんだんに使われ、10代にしか描けないであろう勢いがあった。
    青春って、キラキラした時代じゃないよ。未熟でしょーもなくて恥ずかしい言動ばかりしてたわ!(あ、今もだけど)と思い出した読後感だった。

  • ※2012年に書いたレビューです.<(_ _)>

    凄まじいタイトルです。
    これが八年前に芥川賞をとったとき、どんな小説? と、まず思いました。しかも作者は当時早稲田大学在学中で19歳の最年少受賞。そのうえ、かわいい。女子高生にしか見えない。(受賞時の初々しい彼女はYOUTUBEで見られます)これではマスコミがほっときません。
    同時受賞も20歳の金原ひとみさんで、こちらのタイトルも「蛇にピアス」ですからね。

    「蹴りたい背中」と「蛇にピアス」ですよ。
    ひと昔前ならSM小説です。どちらも著者は若い女性なのに……。黒いボンテージファッションを身にまとい、しなやかな鞭を持って「さあ、跪いて足をお舐め!」という光景しか私には頭に浮かびません。いやはや日本の文壇も凄い時代になったものだと。

    文藝春秋なんて普段は買わないのに、八百円程度(作品と選評とインタビューだけ切り取り、あとは捨てちゃったので値段がはっきりしない)でこの二作品が読めるのですから、「持ってけ、泥棒」的なお買い得感。
    書店で思わず手が伸びちゃいました。だから、実際読んだのは単行本ではなく文藝春秋で、です。

    この選評がまた面白い。特に某石原都知事(某じゃないっ!)とカンブリア村上龍のが。
    知事曰く「すべての作品の印象は(中略)軽すぎて読後に滞り残るものがほとんどない。」一刀両断。
    「このミステリーがすごい!」の覆面座談会発言みたい。これ読んで、すでにこのとき選考委員を辞任すべきだったんだと思いましたね。もう時代についていけないんだ、知事は。

    カンブリア村上氏は「これは余談だが(中略)若い女性二人の受賞で出版不況が好転するのでは、というような不毛な新聞記事が目についた。当たり前のことだが現在の出版不況は構造的なもので若い作家二人の登場でどうにかなるものではない。」
    さすがカンブリア龍村上。
    現在の日本経済事情をよく分かってらっしゃる。
    「カンブリア宮殿」の司会は伊達じゃないな、と。
    当時はまだ「カンブリア宮殿」は始まっていませんが。
    レビューなのに全く作品に関係ないことばかり書いています。

    何ゆえにこう脱線するのだろう。
    思い入れが強すぎるんだな、きっと。
    文章書いてるとそれを思い切りぶつけたくなる。
    でも実際の私は、いたって真面目でおとなしいものです。「都知事閣下のためにもらっといてやる」発言の田中慎弥さんみたいに。
    言ってみれば、車に乗った途端、人が変わったのかと思うような言動をする人がいるじゃないですか。
    さっきまでおとなしく無口だったのに、ハンドルを握ると前の車に「こら、てめえ、早く曲がれよ。信号が赤に変わっちまうだろうぐわぁ!!」と叫ぶような。
    あれは車という絶対閉鎖空間で自分が守られている安心感から出るんですね。
    前の車の運転手が恐い顔したお兄さんだとしても、叫んだってその声が聞こえるわけないから。
    で、話を戻します。
    実はこれを買った八年前、私は二作とも読まなかった。いや、読めなかった。
    先の選評があって、次に二人のインタビュー、そして最初の作品「蛇にピアス」が出てきます。
    最初の一行。
    「スプリットタンって知ってる?」
    もうここで脱落でした。
    綿矢りさ風に言えば「知ってますか? 知ってません。」てなものです。
    何故か読む気にならなかったんですね、今でも手元にあるのにまだ読んでませんが……。

    で、はい、次の人。
    「さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、その音がせめて周囲には聞こえないように、私はプリントを千切る。細長く、細長く。」
    今読むと、なんと素晴らしい文章なのだろう。
    さびしさは鳴る。
    この叙情的な響き。これだけで魅きつけられるのに。

    書棚が溢れて泣く泣く本を整理せねばならぬ羽目になり、突然現れたこの文藝春秋。先の芥川賞問題発言などで(そういや、これ読んでないな)と思って手に取り読み始めると、これは響きました。琴線に思い切り差し込んできました。もうそれからは一気。短いのであっという間に読了です。

    感想は、高橋源一郎じゃないけど「完璧!」。この「時代」と「日本語」に選ばれた天才。
    ほとんど読点のない読みにくい文章ながら、その読点のなさ自体が美しい日本語を醸し出しているというか。
    これ実際にこの作品でやってみると難しい。
    どこかに読点を打ちたい。でも、どこに打っても違和感が残る。そして、長い文章の合間に突然現れる口語。
    「てきとうな所に座る子なんて、一人もいないんだ。」
    「どこかな、何が間違ってるのかな。」
    「負けたな。」
    「ちょっと死相出てた。ちょっと死相出てた。」
    これらの言葉に全く違和感を感じないのです。

    さらに巧みな比喩。
    「そうめんのように細長く千切った紙屑」
    「味噌汁の砂が抜けきっていないあさりを噛みしめて、じゃりっときた時と回じ」
    「人間に命の電気が流れていると考えるとして、(中略)にな川の瞳は完全に停電していた。」
    こんな比喩が最初の5Pほど読んだだけでたくさん出てくるのです。もう参りました。というしかないです。

    知事は選評で「主題がそれぞれの青春にあったことは当然(中略)それにしても(中略)なんと閉塞的なものであろうか」と非難していますが、私はそう思わない。
    人間と人間の関りのなかで、普通の人と同じようにうまく接点が取れない、或いは取らない二人。

    でも、普通って何だろう。一般的って何だろう。当たり前って何だろう。
    みんながそうするから私も仲間に───などと簡単に思い切れないハツ、そしてにな川。
    本当は二人ともバーチャルではないリアルな関係を持ちたいんだ。でも安易にそうしていいのかな、と悩むんだ。
    ほんとは、ほんとは、あなたと───。
    「蹴りたい。愛しいよりも、もっと強い気持ちで」
    ここにはそれまでずっと耐えていた仄かな愛が見えます。
    何度も何度も読み返すと、この場面は感動する。
    若さゆえ傷つくのが恐い。それをずっと我慢してたんだ。
    そう思ったら、私の「はく息が震えた。」
    こんなに素晴らしい小説とは思っていなかったので、本当に読了後、はく息が震えました。天才だったんだね、綿矢りさ、と。
    でも、どうして八年前は読めなかったんだろう、不思議です。
    いや、ネタバレしないように、引用しつつレビュー書くのは結構難しい。というか、これレビューじゃないな……。

  • 綿矢りささんの作品、ブクログ登録は2冊目。

    綿矢りささん、どのような方か、ウィキペディアで再確認しておきます。

    綿矢 りさ(わたや りさ、1984年(昭和59年)2月1日 - )は、日本の小説家。
    大学在学中の2003年(平成15年)に『蹴りたい背中』で第25回野間文芸新人賞の候補となり、2004年(平成16年)に同作品で第130回芥川龍之介賞受賞(当時19歳)。

    で、今回手にした、『蹴りたい背中』。

    この本、ウィキペディアに次のように書かれており、単行本刊行時、売れ行きが良かったようです。

    単行本は芥川賞受賞作としては1976年(昭和51年)受賞の村上龍『限りなく透明に近いブルー』(131万部)以来、28年ぶりのミリオンセラーとなった。2004年(平成16年)末までの発行部数は127万部。

    で、『蹴りたい背中』の内容は、次のとおり。(コピペです)

    愛しいよりも、いじめたいよりももっと乱暴な、この気持ち。高校に入ったばかりの"にな川"と"ハツ"はクラスの余り者同士。臆病ゆえに孤独な二人の関係のゆくえは…。

  • 一気に読み切ってしまった(苦笑)

    学生時代の痛い思いが蘇る。

    あぁそうだ、自分もこんなだった。
    充実してない青春してない学生時代だった。

    学生時代ってともすれば、思い通りにならない、一番生き苦しい時代だよなー。

  • 「若さ」は大人になるにつれて、良い感情、良いイメージしか抱けないものだ。しかし、真っ只中にその身を置いている人間にとっては、決して明るいものばかりではない。クラスで孤立している少女が、同じ立場の少年と交流を持つことによって生まれた感情を丁寧に綴っているこの物語は、あまりにも刺々しく、痛々しい。決して触れて欲しくない、それでも誰かに分かって欲しいという反発し合う感情を抱える主人公に、自分の過去が重なる部分も多かった。なにより、心に秘めるもやもやを的確に表す描写が素敵。

  • これ高校生の時に読んでたら心臓に突き刺さって死んでたかもしれない

  • 蹴りたい、傷付けたい、傷付く顔が見たい。それってどんな感情なんだろうか。愛しいの先にあるものなのか、まったくの別物なのか。
    なんとなく居心地の悪い、でも綿矢さんぽいお話だった。

  • ハツは高校に入ってクラスメイトとも所属する陸上部の部員たちにもなんとなく馴染めない。クラスにはもう一人、溶け込めていない男子生徒がいた。その男子生徒にな川は、彼が好きなモデルをハツが見かけたことがあると聞き、ハツに話しかけるようになる。

    世間の流行から遅れること10年、やっと読んだ。
    確かにどうしようもなく荒削りな作品だけど、彫刻刀を差し込んだポイントは決して間違っていないと思う。

    Amazonのレビューで「高校生の日記(または交換日記)を読まされた気分」という表現をチラホラ見かけたが、それは少なくとも比喩としては間違っている。こんな、自分は一人で平気という顔をしたいけどしきれない気持ち、どうしようもない男を好きになってしまう自分への苛立ち、その男を壊してしまいたくなる衝動、こんなことは交換日記には少なくとも書けないし、高校生だけでなく大人も自分のこんな感情を認めて客観的に文章に書くことなどできない。

    色んな小説や映画を読み、観る度に、作り手は、何故こんな目を背けたくなるような自分の醜い感情と向き合い、しかもそれを表現できてしまうのだろうといつも不思議になる。そんな勇気ある作業を弱冠19歳が成し遂げたというのは、やはりすごいことだと思う。

  • 聞いていた評判より、ずっと素晴らしいと思った。

    女子高校生の主人公の、閉じた主観の世界がストーリーの基調となる。これ自体、リアリティのある描写だが、やや疲れる感がある。

    けれど、そんな小さく閉じた世界から、自分でも知らなかった自分、見えているようで見えていなかった広い世界がチラリと覗く瞬間が、なんとも自然で、みずみずしいのだ。

    茶道が、隠すことで美を浮き上がらせるように、自意識や嫌悪感で埋め尽くされた背景の中に、わずかに生じる真心や無意識的なものが、光を帯びて浮き上がる、その感じがとてもいい。

  • 芥川賞の最年少受賞作とということで、かつて話題になった本作。
    綿矢りささんの小説を読むのは、私はこれが初めてです。
    高校で人の輪に入ることができない主人公。
    主人公は、同じように周囲と打ち解けていない男子と、その男子の好きなモデルのことで交流を持つことになる。しかし主人公のその男子に対する感情は、恋愛感情でもなく、優越感情でもなく。
    とても不思議な感情を描いた作品。
    青春小説だと思って、爽やかな青春を期待すると肩透かしになるかもしれませんが、かといって苦々しい青春でもなく。
    よく分からない不思議な感情が描かれていますが、名状しがたい感情が書かれているところが、芥川賞の受賞につながったのかもしれません。最近はどうか分かりませんが、かつては、よく分からないのが純文学だというような風潮もあったかと思います。
    読後感はすっきりとしないかもしれませんが、個人的には、それなりに面白かったです。学校に行っていても、誰とも話をしたくないと思っている人は、確かにいるのだろうと思いました。

  • 愛しいよりも、いじめたいよりも
    もっと乱暴な、この気持ち
     高校に入ったばかりの“にな川”と“ハツ”はクラスの余り者同士。
     臆病ゆえに孤独な二人の関係のゆくえは……(帯より)

    そうかなあ?「孤独な臆病者」ってハツだけじゃない???

    にな川って別に孤独じゃないと云うか、むしろ「孤高」だと思いました。好きなものを思う存分愛でてるだけ。何かを好きになるのに仲間なんて必要ないでしょ。
    クラスの中で浮いてる「異物」みたいな感覚でオタク属性を与えたのかなあとも思ったんですけど、初版が発行されてから15年弱が経過した今、男性のアイドルファン自体珍しい事ではなくなっちゃいましたしね。

    それより何より、ハツのかまってちゃんぶりが辛い!!!
    なんかもう……面倒臭い!!!

    こんなの「お腹がすいて一歩も動けないけど好物しか食べたくないから誰か私の口までスプーンで運んで」って言ってるようなもんですよ。
    その上、友人に向かって「私が餓死しても構わないのか」なんて脅迫してみたり、それが叶わないと悟るやいなやすっくと立ち上がって(実際動けないほどの空腹でもない)誰も積極的には食べたがらないゲテモノをつまみ食い、「マズッ」って言いながら何かそのマズさが癖になる、みたいな話ですよこれは。

    私も私でいい歳こいて何をこんなに熱弁しているかと言うと、ええそうですよ、完全に同族嫌悪ですよ。ハツの幼稚な自尊心には、身に覚えがありまくり。辛い。辛いです。

    薄暗い部室に染みついた汗臭さ、下足箱付近に漂う独特の臭い、家に帰ってから制服を嗅いだ時に感じる学校の残り香みたいな、甘酸っぱさよりも埃っぽさを感じる「負」の青春小説だなあと思いました。

  • 芥川賞にありがちな「大して興味もなさそうな人が、話題になっているし、きっと全方位的に素晴らしい作品に違いない、という先入観を抱きつつ読む」という悲劇に見舞われているが、高校生の心象を描き出す筆力は10代と思えないほど素晴らしい。今読んだほうが作品の面白さを冷静に味わえるのではないか。

  • なんとも不思議な読後感に浸る作品です。

    感想はうまく言えませんね…なんていえばいいんだろう。

    オリチャンのことしか覚えてないな…。

    蹴りたい背中っていうタイトルも独特な感じですよね。
    綿矢りささんの作品には実に不思議な空気が
    流れていますね。

    • miyabijudiceさん
      花丸ありがとうございました~(*⌒∇⌒*)♪
      レビュ~読んでペタっとしていただくのは何とも嬉しいものです。

      確かに綿矢りささんは、独特の世...
      花丸ありがとうございました~(*⌒∇⌒*)♪
      レビュ~読んでペタっとしていただくのは何とも嬉しいものです。

      確かに綿矢りささんは、独特の世界観がありますよね。
      私はまだこの作品しか読んでませんが、
      これから読みたい作家さんの一人です。

      読書を通じて交流出来たらいいな~と思ってますので、どうぞこれからもよろしくお願いします^^
      2013/01/20
  •  本書を初めて読んだときは2004年、8年前のこと。8年目私は読み終えることができなかった。1ページすら読むことができなかった。一段落目の5行目に(苦笑)という表現が使われているのを見て、読まなくてもいいかなって思ってしまった。きっとその先を読んでも当時中学2年生の私は純文学なんてこれっぽっちも理解できなかっただろう。

     大学4年の最後の論文を書き終え、時間があるので本を読みあさる毎日。本棚の奥から見つけた本書をもう一度読みなおそうと思った。芥川賞受賞作品をとった純文学作品を理解できるほど私は成長できたのか確かめるために。一段落目の5行目の先に広がるであろう世界の素晴らしさを信じて。

     ハツは陸上部に所属する高校1年生。気の合う者同士でグループを作りお互い馴染もうとするクラスメートたちにハツは溶け込むことなく独りでいた。そんなハツが、同じクラスの余り者である、にな川と出会う。彼は、自分が読んでいるファッション雑誌のモデルにハツが会ったことがあるという話に強い関心を寄せる。にな川の自宅で、初実は中学校時代に奇妙な出会いをした女性がオリチャンという人気モデルであることを知る。にな川はオリチャンに関する全ての情報を収集する“熱狂的”なオリチャンファンだった。

     吉田修一の芥川賞受賞作「パークライフ」を読んだときと同じ気持ちになった。面白くはないんだけど、深くて味わいのあると感じる作品。悪く言えばお洒落な自分を演出するために苦手なコーヒーを飲むのと一緒。ただ好きになると中毒性があるコーヒーのような小説。

     ハツは気の合うグループでつるむ同級生や周りの人間を上手くとりこもうとする部活などの生活に溢れる民族意識にうんざりしていた。でも本心からうんざりしていて、嫌だったのだろうか。本当はグループに入って、彼女の中学校からの友達である絹代のように友達を作りたかったのではないかと感じた。

     それに比べてにな川はハツとは逆に本心からクラスの人などどうでも良かったのではないか。家族とも半分隔離された部屋で生活している。孤独の生活にオリチャンという存在がどういう意味を持つのか。ただのアイドルが好きという感情を超えた宗教における神の存在がオリチャンだったのだろう。周りのことを気にせずに“そのままの自分”でいることができるにな川にハツは嫉妬し苛立ったのだと私は思う。決してにな川のことが好きという気持ちではない。嫉妬と苛立ちからにな川のことを正面から向き合うことができずに、背中を蹴ることしかできなかったんだろう。これが自分なりの解釈だけれども、解釈なんか自由なんだと思う。有名な書評家の解釈があたかも正しいとされるが、読書という行為は自由でいいし、考えを束縛される必要のない道楽だと思うし、ずっとそうであってほしい。

  • あかん、こら名作や。
    どうも話題性先行だったような、そんな当時の印象がおぼろげにある。しかし、これ本当に凄い作品。
    結構王道なテーマ扱ってるのね。もうびっくり。疎外感と共感とディスコミュニケーションとほんの少しの成長がまた見事に描かれてて、確かになあと思わせる質感。
    内容はまあよくあるので、きっと評価点は感性と描写の瑞々しさでしょう。
    たとえば『さびしさは鳴る』っていう文頭。ぱねえ。もう誰も使えなくなってしまったわけです。それだけのインパクト。このレベルの表現、何を表してるんだか一瞬わからないけれど読者に感覚で無理矢理わからせてしまうような絶妙かつ的確な表現を、しかも連発する。もうね。
    ぱねえ。19歳、ぱねえ。

  • 素直に解釈すれば、タイトルの「蹴りたい背中」の意味は、にな川に対する初実の歪んだ愛情表現とも思えますが、踏み込めば、初実に対する綿谷りさの激励のようにも感じます。初実は周りと上手く取り繕えず、素直に、にな川にも気持ちを伝えれません。更には、そんな自分を大人だと思い、群れる同級生を見下しています。まさに、若いが故の勘違い。でも、自分にもそんな時期がなかったと言えば、嘘です。今思えば、本当に調子乗ってたと思います。そんな初実の背中を蹴って、いかに馬鹿なのかを気づかせてやりたいという綿谷りさの気持ちがタイトルに込められているのではないかと思います。もしかしたら、綿谷りさ自身も初実のように周りを穿った目で捉えていた時期があり、そんな自分を初実に投影して、過去の自分の背中を蹴ってやりたいと思っているのかもしれません。「蹴りたい背中」は単なる青春時代の痛みだとか屈折した思いにとどまるのではなく、それらをギミックとして、世の中を知った気になった若者が陥る、恥ずかしいほろ苦さを表していると思います。だからこそ、個人的には昔の自分を思い出し、懐かしさもありましたが、初実に共感を覚えるのではなくフラストレーションが溜まりました。

  •  2003年8月に発行され、芥川賞も受賞された綿矢りささんの作品。言わずと知れてますね。

     高校進学後、クラスになじめない、というか人に合わせることの難しさを中学時代に実感し、群れることをやめたハツ。にな川も同じようにクラスで浮いていたが、女性ファッション誌モデルのオリちゃんのファンで、偶然ハツが会ったことがあると言ったことを切っ掛けに、にな川の家に誘われる。
     オリちゃんのことしか考えていないにな川。
     それから中学時代からの友達だけど他のグループに入ってしまった絹代。

     すみません。あらすじがとっても書きにくいです。てか、書けません。(汗)
     ただ、主人公ハツの心の動き、自分を曲げてまでグループに入りたくないというスタンスはもの凄く共感できます。学校の中、普通であることになじめない居心地の悪さを感じる人は多いのではないかと思いますが、それを文章にするというのは難しいのではないでしょうか。ひとりぼっち、孤独感。そういったものを優れた感性で書かれているように思います。

  • 主人公 ハツ 思春期特有の群れない、自分は人と違う
    にな川 純粋なやつ。純粋な根暗

    オリちゃんというモデルを知っているというきっかけで交友が始まった2人。クラスでぼっちという共通点があるが、ハツは純粋で気持ち悪いにな川に良くも悪くもゾクゾクしている。

    ・蹴りたいけど蹴れないというストーリーかと思ったが、思ったそばから蹴っていて面白かった。
    ・思春期に読んでたら胸が痛くなるし、影響受けていたと思う。未だにハツみたいな気持ちが自分にもあるから、ハツを好きにはなれない。
    ・純文学特有のこれでもかという比喩表現。
    しかし読みやすかった。

  • 表現はとても上手だと思った。現代日本語を上手に使って、なんとも言えない心情や情景を美しくもリアルに描かれていた。異性感での「好き」「嫌い」ではない感情。ハツがにな川に対して抱いていそれは、恋でもあり嫉妬でもあり友情でもあり嫌悪でもあり優越感でもあり劣等感でもあり。。ハツ自身無駄に頑張る友人関係には飽き飽きしている一方独りは嫌だというなかなか難しい想いを持っており、にな川に対して非常に複雑な感情を持ってしまったのだろうか。蹴りたい背中、そういうことねー。

  • 図書館借り出し

    そうそう。30年前くらいにこの感じあったわ。
    どうにもこうにも言葉や文章にできない心持。

  • 思春期ならではの心の有り様が伝わってきた。
    周りはレベル低いからと、あえて群れていないと自分では思い混んでいるけど、実際は周囲に対して嫉妬していたり劣等感を感じてたりする。自分もこんな感じの感情持ってた時あったよなとちょっと恥ずかしくなりました。
    にな川に対して抱いていた感情(蹴りたい背中)はどういうものなのか、よく理解出来なかったけど単純に見下してるだけでなく、本当に周りに流されてないにな川への嫉妬とかも含まれてたのかな?

  • 長谷川の孤独ではなく自ら孤立を選んでると線引きして強がる感じ、にな川のアイドルに没頭する感じ、お互いあぶれたもの同士の関係性から分かる思春期の独特の雰囲気や友達作り、、、
    中高に戻った気持ちになれる(大半がズレたり苦い思い出の気持ち)

  • 描写の美しさよ……

    ストーリーとしてハツはにな川に「背中を蹴りたい」という不思議な気持ちを抱き不思議な関係のままで、「ん??」となってしまったけど、解説を読んでこの作品の中での「蹴る」というのはこれまでの青春小説、恋愛小説の常識を「蹴る」ということだったのかなと思った。

  • 1行目からわかる表現力の深さと感受性の豊かさ。
    なんて素敵な描写をする人だろうって、引き込まれます。
    尊敬する人から勧められた私にとってとても大事な思い出の1冊です。

  • 大学生がこれを書いたのかと思うと、その描写力と鋭敏な比喩表現に非凡さを感じざるを得ない。簡潔な文体にして的確。

    僕も高校時代はハツと似たような面があったから、共感できる要素が多かった。ハイティーンに差し掛かる年齢の、クラスのアウトサイダーになりつある少年少女のメンタリティ。自己とその他を区別し、グループ化していくその他を冷めた視線で捉え、嫌悪感すら抱いていく。個性と没個性を強烈に意識するがゆえの不器用さを抱えながら膨らむ自我が揺れ動く。10代の頃に自意識過剰が振り切れる、あの体験に近いかなと。

    そして、にな川というアウトサイダーでありながら全くハツとは異質な思考を持つ異性。思考は違うけれども、どこかでハツと情緒が繋がってしまうのだと思う。ステレオタイプな恋愛感情を飛び越した嗜虐心なのか、彼の背中を蹴りたい衝動が生まれるけれども、その正体はやはり単純な理性では掴めない、ハツの内側から呼び覚まされるプリミティブな暴性とイビツな愛おしさ、その他微細な感情の複合物なのだろうと思う。気になったのは、ハツのにな川への感情の中に性的衝動が微妙にあるのか無いのか分からないない点だ。有無のどちらともとれる表現はあったように思うけれど、明確には示さないという意図なのか、僕の感性では読み取れないだけなのか……。

    アイドル的な人気モデルに入れ込むにな川の生態は、キモオタそのもので笑えた。ハツはそのキモオタ性を気持ち悪いと思っているだろうし、馬鹿にもしているけれど、一方でそこに、にな川のパーソナリティと結合した強烈な個性として愛おしさを感じてしまっているという点で、没個性側(クラスの仲良しグループ)とやはり峻別できてしまう。

    大人びたシニカルな目線と対比的に感情を持て余すハツの未成熟さが顕れるところや、経験の無さゆえに外出時の服や履き物のチョイスに失敗するところなどに10代のリアリティを感じたし、そこはこの作品の情緒的な味わい深さだと思う。

    純文学に重厚さを求める向きには軽い作品かもしれないけれど、年齢性、時代性、感性、情緒性、など、いずれにおいても鋭く過不足なく描き抜く筆力は非凡だと思う。

  • 面白かった。

全1319件中 1 - 30件を表示

著者プロフィール

小説家

「2023年 『ベスト・エッセイ2023』 で使われていた紹介文から引用しています。」

綿矢りさの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×