黄金の少年、エメラルドの少女

  • 河出書房新社
3.73
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感想 : 35
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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309205991

作品紹介・あらすじ

代理母問題を扱った衝撃の話題作「獄」、心を閉ざした40代の独身女性の追憶「優しさ」、愛と孤独を静かに描く表題作など珠玉の9篇。O・ヘンリー賞受賞作2篇収録。

感想・レビュー・書評

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  • 結局は人間なのだろう、どんな面白い小説を読んだとしても、読後に残る充たされたという感じをあたえてくれるのは。イーユン・リーの小説が他の作家のそれと特別に変わっているわけではない。強い影響を受けたとされるウィリアム・トレヴァーの作品や、エリザベス・ボウエンのそれと比べても、共通する世界がそこにあるのを感じる。ひとつ異なるとすれば、作家の実年齢がある。人生経験を積んだ先輩作家に比べれば、リーはきわめて若い。その短い人生のどこを探ったら、こんなに深い陰影をもった人間が描けるのだろうか。

    「優しさ」は、収録作の中で最も長く、ほとんど中篇といっていい作品だが、中篇という概念のないアメリカでは、優れた短篇に贈られるO・ヘンリー賞を受賞(2012年)している。しっかりとした輪郭のある一人の人間の人生を描こうとするには短編という形式は不向きである。限られた長さの中で強い印象をあたえようと思えば、思い出に残る人物より、よく練られたストーリーや完璧なプロットに頼りたくなる。O・ヘンリーの短篇がその見本である。

    「優しさ」の主人公は末言(モーヤン)という四十一歳の独身女性。北京の外れにあるワンルームのアパートに住んでいる中学の数学教師。一人称視点で語られるモノローグめいた自己紹介で分かるのは、人と関わりを持たないで生きることに慣れた孤独な姿だ。よく誤解されるが、孤独というあり方自体には他人が思うほどさびしさも心細さもない。もちろん、孤独に生きる人の中にそう感じる人もいるにはちがいないだろうが、すべての人がそう感じているわけではない。人と余計な関わりを持たないでいることは、けっこう心安らかなものである。末言も、彼女に英語、英文学を教えてくれた杉(シャン)教授もそういう人であった。

    「優しさ」は、末言の少女時代、十八歳で入隊した軍隊時代を中心に、他者に心を開かない彼女が、他者からもらった優しさについて回想する話である。五歳の時、やっと買ってもらえたひよこが死んだ。台所から盗んだ卵を割って中身を棄て、殻の中にひよこを入れようとしたが、ひよこは元には戻らなかった。「以来、人生はそういうものだと私は悟った。一日一日が、最後には殻に戻ろうとしないひよこみたいになるのだ」。五歳でこんなことを知ってしまう子は大きくなったどんな人になるのだろう。

    末言の両親は年が離れていた。母は病気で寝ていて、父は用務員をしており、家は貧しかった。十二歳の時、牛乳の配給所に行く途中、杉教授に呼び止められ、部屋までいった。杉教授は、末言が両親の実子ではないことを教え、自身も孤児であったことを明かし、教育の支援者となった。毎日学校が終わると杉教授の部屋で教授の朗読するディケンズを聴き、ハーディーを聴き、D・H・ロレンスを聴いた。そのうち、教授が翻訳をやめても聞いていられるようになった。

    軍隊では魏(ウェイ)少佐と出会う。不幸そうに見える末言に対し、何かと声をかけてくれるのだが、末言は頑なに心を閉ざし、魏少佐に他人行儀に接する。少佐は二十四歳で、入隊した頃、恋人と別れた経験があり、末言を同類だと思ったのだ。杉教授と出会ってなかったら、魏少佐と友人になれたかもしれない、と今の末言は思う。

    十六歳の時、杉教授はこう言った。「心の中に誰かが入るのを許したとたん、人は愚かになってしまう。でも何も望まなければ何にも負けないの。わかった、末言?」。教授と同じアパートの住人で、時々話相手をしていた男の人が、離婚してこの土地を離れると聞かされた日だった。人は何故、自分を基準にしてしか、他人のことを慮れないのだろう。確かな出自を持たない者が生きていくには、そうするしかない、と杉教授は身をもって知っていたのだろう。善意からの言葉であるにしても、この言葉は人を縛りつける。

    同じ年頃の女の子たちの軍隊での経験を語るところは、この作家にはめずらしく、華やいだ色あいに溢れ、寒さや雨といった悲惨な状況下にあっても、隠すことのできないユーモアが感じられる。杉教授とはちがった角度から末言の人生に触れ、その未来をより明るいものに向かせたいと考えた魏少佐。誰からも愛され、苦しみとは無縁の人生を送ってきたはずなのに、歌を歌わせると人の心をつかんでしまうほどの悲しみを歌うことのできる南(ナン)。英語版『チャタレー夫人の恋人』の中にある、あの部分にだけ印をつけて、とちゃっかり頼む潔(ジェ)等々、おそらく作家自身の入隊経験から拝借したのであろういくつかのエピソードは、この作品の中で唯一若さのもつあまやかさを感じさせてくれる部分だろう。

    ディケンズ、ハーディー、ロレンスといった作家の本の中に生きる人々の世界のほうが、その中に入っていきやすい、と「私」は言う。それらは私と無縁だから、と。それでも、杉教授や魏少佐、軍で一緒だった女の子たちの声や姿は、いまも「私」の記憶の中に生き続けている。母の死の報せを受け列車に乗る末言を駅まで送ってくれた見知らぬ運転手の敬礼でさえも。なぜなら、「見知らぬ人の優しさはいつも記憶に残る。それは見知らぬ人の優しさが、結局はまさに時のごとく心の傷を癒してくれるからだ」。

    年上の女性への思慕、同性に対して感じるかすかな情愛、あけすけに語られることのない秘められた感情が、さらりとした記述のなかからほのかににおい立つ。「優しさ」という言葉に置き換えられてはいるが、これは愛だろう。人から愛をもらいながらも、それを返すことをしてこなかった。だからこそ、それらの人に「借り」がある。すでに死んでしまっていても、魏少佐の顔や杉教授の朗読する声は、「私」の夢の中に、繰り返し繰り返し、あらわれるにちがいない。人に愛されながら、愛を返すことをしなかった人の物語。他に八篇の短編を含む。

  • 短編集
    9つ
    優しさ
    ラジオで解説をきいて知った。
    とこう先生の短編で読むアメリカ文学。

    人に無関心でらあろうと努める女の子と周りの人々。
    父が話してくれたというフクロウの話がきになる。
    フクロウは毎晩、人の眉毛をかぞえている。夜明けに数え終えたらその人は・・。

    軍隊の女の子の境遇が恵まれてるなぁ。集められてるのかな?

  • 2020.10.17 図書館

  • 舞台がすべて中国の短編集。
    秘密や苦悩を抱えて生きる寂しさがじわじわとにじみ出てくるような感じをうけた。
    タイトルは中国語でお似合いのカップル、の意味なのだという。さわやかな青春小説のようなタイトルだが、作品はやはり物悲しかった。

  • 小説の醍醐味。まるで一篇の映画を観ているように情景が浮かぶ。
    1972年生まれ、ほぼ自分と同世代のアメリカ在住中国人作家イーユン・リーの描く、外から見ているからこそ描ける現代中国のリアルな姿。
    経済発展し巨大化・都市化していく都心の生活と、パール・バックの「大地」に描かれる因習蠢き人買いも横行する農村部の実情が気負いなく描かれる。

    ”私は四十一歳の一人暮らしの女だ”
    で始まる巻頭の「優しさ-Kindness」は中でも秀逸。
    天安門事件後、学生を思想再教育するという名目で軍隊に送られる少女たちのひりつくような厳しい現実の中で漏れ匂う若さ、輝き。
    ”心の中に誰かが入るのを許したとたん、人は愚かになってしまう。でも何も望まなければ何にも負けない”と主張する老教授に従う主人公の孤独。
    41歳になった後、たった1年間の軍隊生活で触れる何かが、彼女のその後の人生を実は生かしている。
    本当に何も望まなければ人は不幸にならないのだろうか。

    主人公たちは皆、不幸なのだ。
    でも本人はその不幸を不幸とも思わない。孤独とはさらさらと手の平からこぼれる一握の砂漠の砂のように、そこにあってどこへ行くべきものでもない。
    誰しもが抱える孤独とは何か。生きる上で人は人と関わらずにはいられない。関係性において秘密と孤独とを内包して生きていくしかない。

    人間を突き放すようでいて愛してやまないのはやはり同じ人間なのだ。
    胸がきゅきゅっと締め付けられる極上の世界がここにはある。

    いつも聴いているラジオ番組で絶賛されていたイーユン・リーの作品。
    この本に出会えて感謝している。

  • 人は所詮ひとりなんだと、たとえ家族や愛する人とともにいても孤独なんだと気づいたのは小学校の高学年のときだった。宮沢賢治が好きだったので、「銀河鉄道の夜」や、「永訣の朝」の影響があったのかもしれない。決して完全に理解しあうことなどできないし、死んでいくときはひとりで死んでいくのだし、残されるものは泣きくれるばかりなのだと。そこにある孤独は避けることのできない現実だ。(おそらく)すべての人に同じようにある孤独。

    しかしこの短編集で綴られる人々の孤独は、自分自身であるために、あえてしがみつくような孤独、自ら選び取り、手放さない孤独なのだ。
    だから彼らは孤独であることを嘆き悲しんだりしない。
    甘ったるい感傷などない、ひりつくような孤独のあり方なのだ。そういう生き方もあるのかと、痛々しい思いを抱えながら読みすすめることになる。
    そして表題にもなっている最後の短編の、最後の文章にたどりついたとき、ようやく安堵の溜息をもらすのだ。9編のところどころに、とても控えめにだけれどたしかにあったやさしさが、最後の最後にここで結晶したかのようで。

    ”二人とも半分孤児なのだが、それ以上に彼の母親に愛情を持っていて、それは他の誰とも分かち合うことはできない。彼は、一度は離れたが、戻ってきた息子として。彼女は離れたことがなく、これからも決して離れない娘として。三人とも、孤独で悲しい人間だ。しかも、互いの悲しみを癒せはしないだろう。でも孤独を包み込む世界を、丹精こめて作っていくことはできるのだ。”(「黄金の少年、エメラルドの少女」P.243)

    • ajiねえさん
      nyancomaruさま
      コメントいただきありがとうございます。この本は書評を読んで図書館で借りました。返却に行ったさいに「千年の祈り」を借...
      nyancomaruさま
      コメントいただきありがとうございます。この本は書評を読んで図書館で借りました。返却に行ったさいに「千年の祈り」を借りてきました♪
      2012/11/13
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「「千年の祈り」を借りてきました♪」
      如何でしたでしょうか??
      「「千年の祈り」を借りてきました♪」
      如何でしたでしょうか??
      2013/02/07
    • ajiねえさん
      nyancomaruさま
      レビューは書きませんでしたが、こちらもよかったです。図書館でかりて読んでから買っちゃいましたもの♪
      nyancomaruさま
      レビューは書きませんでしたが、こちらもよかったです。図書館でかりて読んでから買っちゃいましたもの♪
      2013/02/07
  • 個人的には『優しさ』が一番好きです。
    魏中尉は何度も何度も主人公との繋がりを、そして友情を求める。「力になろうか」「教えてよ。どうすれば幸せ。」と声をかける。しかし主人公は「私たちは友達になれない運命なんです」と突き放す。“魏中尉は他人の人生を乗っ取るには好奇心と経緯が強すぎ”と拒絶する。しかし本心では、また話す機会があればいいなと願っている。主人公が人との関係を拒絶しているのは、“愛がなければ人は幸せになれる”という考え方を持っていたからだ。孤独こそが人の幸せだと考えていたからだ。この考え方を、魏中尉は変えようとしていたのだろう。結局、二人の接点は主人公の母親の死を境になくなる。しかし、もし二人の間に友情が芽生えていたら、どうなっていたか、想像せずにはいられなかった。

  • 人間は1人である。家族がいても、恋人がいても。
    哀しみに溢れているが、必ずしも絶望的ではない。

    最後の話。
    お互い相手が好きなのか、まだ判らないが、親が勧めるので多分結婚するであろう二人。
    結構これ、幸せなんだろうと思う。
    ちょっと昭和っぽい。昔は多かったんだ、こういうの。

  • 以前「千年の祈り」を読んで、とっても面白く、
    今回新刊が出たと知って手に取ってみたが…。

    全体的に「不幸」な印象のお話ばかり。
    それもより、さらに幸せじゃなくなる道を
    選んでいるように思えて、
    なんでだろうなと。
    一見ハッピーエンドに思えるお話もあるが、
    やっつけっぽく感じた。

    今までは幸福なお話より、不幸せなお話のほうが
    文学的にも価値があるように感じていたけれど、
    最近特に、そうは思わないようになった。

    お国柄その他、過酷な環境というのも存分にあるとは想像できるが、
    作者と私、根本的な性質が違うという感想。

    人生に朗らかさや明るさ、お茶目やユーモアを求める私には
    しんどかった。

  • 何度読んでもいいイーユン・リー。社会にぎりぎり溶け込んでいるけど、ひそひそ「変わりもの」と呼ばれる男女の、だけど自分の心と志向に正直な生き方、不器用さ、純粋さを丁寧に描く短編集。異端ではない、少しだけ何かの配列が違うだけの人々が生きられる社会であるといい。同調圧力の大きい日本では難しいけどな。
    ドラマチックな表題作もいいけど、「優しさ」がいいな。

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著者プロフィール

1972年北京生まれ。北京大学卒業後渡米、アイオワ大学に学ぶ。2005年『千年の祈り』でフランク・オコナー国際短編賞、PEN/ヘミングウェイ賞などを受賞。プリンストン大学で創作を教えている。

「2022年 『もう行かなくては』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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