目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書)

著者 :
  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334038540

感想・レビュー・書評

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  • この本は目の見えない人に対する
    インタビューをもとに著者が考察した
    「世界の見方」に関する本だ。

    著者は目の見えない人が世界をどう見ているのか?
    を知りたいと思う。
    「世界の別の顔」を知りたいと思ったからだ。

    別の顔とは何か?
    それは意味付けによって変わってくる
    世界の多様性に満ちた顔のことだ。
    なぜなら「世界とは情報と意味で出来ている」からだ。

    簡単に言うと人の意味付けによって
    物理的に同じ世界に属していても
    見えている風景は全く違ってくるということだ。

    例えば「明日の降水確率は60%である」という情報は
    受け手次第で、無数の意味を生み出す。
    明日運動会の小学生と、傘屋、農家では全然違う意味付けをする。
    つまり「意味」とは「情報」が
    具体的な文脈に置かれたときに生まれるもの。

    同じ情報という現実で作られている世界は
    それぞれが付ける「意味」によって別の顔を生み出す。

    そして著者は別の顔を感知できる
    スペシャリストこそ目の見えない人たちではないのか?
    と仮定して調査と考察を始める。

    見える人が見えない人にとる態度は、「情報」ベースになりがちだ。
    ここ困ってませんか?あれが不足ではありませんか?

    助けるという事は良い事だろう。
    しかし本当に大事なのは対等にお互いが
    人間同士として面白がれる関係なのだ。

    三本の脚で立っている椅子に
    四本の脚で立っている椅子が
    もう一本つけなきゃあ、だめだよ、
    という必要はないのだ。
    三本の足の椅子にはその独特のバランスがあるのだ。
    そのバランスは尊重するべきだ。

    そう確信する著者は目の見えない人たちに
    真剣にかつ好奇心満タンで話を聞く。
    その結果がこの本に記されいる。

    「回転寿しはロシアンルーレットだ!」
    という言葉は実際に見えない人が語った日常だ。
    ユーモアではあるが特に狙ったギャグではない。

    私はこの本を読んだことにより
    新しいメガネ(視点)を手に入れる事が出来た。
    そのメガネは他者をそして自分を理解するための
    最新のナビゲーションになる可能性を秘めている。

    現実はなかなか手強い情報に満ちているが
    意味付けを変えることによって世界は変わる。
    そんな気にもさせてくれた。
    それほどの情報と考察を含んだ
    パワフルで温かい一冊だ。
    何やら面白そうだ!とピンときた方は一読をおすすめする。

  • ブログをこちらに書きましたので、宜しければお読みください。

    http://sommelierofbooks.com/politics/howtoseebyblindpeople/

    『目の見えない人』たちが見る世界は
    『目の見える人』たちの世界とは違うのか?
     
    『目の見えない人』たちはどうやって運動するのか?
     
    そんな疑問に答えてくれる本です。

  • ただのメモ
    ・本より
    ★私見
    ---
    ・福祉ではなく身体論について
    ・4本足の椅子から1本足を取ったら(目が見えなくなったら)倒れるが、元々3本足の椅子もある
    ・生まれつき目の見えない人は、赤いものの集合(トマト、りんご…)から「赤は暖かい色」と理解している
    ・白と赤を混ぜるとピンク、のような混色はイメージできない。机と椅子を混ぜるようなもの
    ・見える人は富士山を平面の三角に、見えない人は立体の円錐にイメージしている。見えることで余計なバイアスがかかってしまうことも多い。
    ★育児をきっかけに他者視点を意識するようになった
    ★この本も他者視点で、他者への理解を促す本
    ★この本より濃かった本で『ぼくには数学が風景に見える』も自分とは違う考えを見れるので面白い

  • タイトルにあるような話題はほとんどなく、あってもどこかで見聞きしたような内容。
    4章が著者の専門分野なので読んでいて楽しかったけど、他の章はそこまで書けていない印象。
    もっと範囲を絞ってもらったほうがよかったと思う。
    もしくは若者向けとして、タイトル、装幀を替えれば現状でもいけるかな。

  • 伊藤さんはもと生物学者を目指し、のち美学に転じた人だけに、発想が斬新だ。このタイトルにしても、ぼくなんかは新聞の広告を見てすぐ読みたくなった。中身も予想に外れぬ刺激的なものでいろいろ考えさせられた。人はそもそも目に頼りすぎているのではないか。視覚を筆頭に聴覚、嗅覚、味覚、触覚があるが、人はこれらの働きを固定したものと考えてはいないだろうか。たとえば、盲人というと点字を連想するが、実際に点字のできる人はそれほど多くないし、減りつつあるそうだ。目の見えない人は目が見えない分触覚に頼ることが多いと思われがちだが、点字にしても本質的には「読む」という行為を点字を通じてしているに過ぎない。生理学の研究によれば、目の見えない人が点字を読むときには、脳の視覚を司る部分が発火しているのだそうだ。さらには、ある機械を使えば、目の見えない人でも「見える」に類似した感覚を経験できるのだそうだ。見えるということは本質的に脳の機能とかかわるが、要するに人は目によってのみ「見ている」のではないと伊藤さんは言うのである。器官も「目で物の質感を捉えたり、耳で聞いた音からイメージを連想したり、甘い匂いを嗅いだり」(p111)といったふうにそんなにはっきりと分けられるものではない。以上は主に本書第2章の「感覚」の部分。第1章の「空間」では、晴眼者は外界を二次元として捉えがちであるのに対し、目の見えない人は三次元でとらえるとか、「運動」では「見えなくなってからの方が転ばなくなった」、電車が急停車してもよろつかない、ブラインドサーフィンなどの例が報告されている。見えていない分だけ平衡感覚が発達するのだろうか。第3章「言葉」では目の見えない人との美術鑑賞を紹介している。目が見えても自分の顔を人に尋ねるときがあるが、あの要領で目が見える人たちが言葉で絵の印象を伝えるのである。また、「ユーモア」では、障害そのものを笑いのネタにするということが紹介されている。障害者というと腫れ物を触るようになってしまうが、それが二つの世界を分けてしまうのかもしれない。わたしたちは目が見えない人がいろんなことができると「すごいね」と言ってしまうが、「すごい」というのはやはり上から目線で、本当は「面白いね」と言うのがいいのではないか。伊藤さんはそう言う。

  • 視覚は情報量が多く、空間的に広がりを持って捉えられる。

    しかし、視覚を知覚の主役に据えることで、他の感覚からの情報を切り捨てたり、知覚情報もパターン化して捉えたり、多くを切り捨てたりしている。

    視覚障害の人は健常者が切り捨てている情報で空間認識をしなくてはいけないので、健常者とは違う空間認識感覚を持っているとのこと。

    2つの感覚を等価に扱う共感覚的な記述であれば、3本足の椅子の座り心地も、4本足の椅子にしか座ったことのない人に、感覚的に理解しやすいのでは?と思うと同時に、環境の違いから出る言葉(エスキモーの雪を表す言葉や地域による色を示す言葉など)の種類や量の違いなどを考えると、最初に述べられていた”身体論”としては少し弱い感じがする。

    美術館での集団鑑賞の話も視覚障害者の言語と想像力の話であり、見える=”言語から惹起される世界認識”になってしまっていて、それはその時に感覚を通して誤認があろうとも直に得られたものではなくて、経験や知識から作られたものであり、ボクの思うところとはちょっとズレてると感じる。

    少しのズレなのだけれど、美学としては大きなズレではないのかと思う。

  • 盲目の人と接することがあり、何か得られないかなと読んでみたが、易し過ぎて特に新しい発見はなかったかな。これが初見ならばいい入門書なるのかもしれない。
    読むのならば、目の見えない白鳥さんと~でいいと思う。追加でコテンラジオの障害の歴史やヘラルボニーの活動を知ると、より理解が深まると思う。

  • 間違いなく良書。視覚に障がいのある方のイメージがひっくり返ると思いますし、いかに薄っぺらいイメージで理解した気になっていたかと、読了後猛省しました。

  • 「障害を面白がる」という様々に誤解を生みそうなスタンスの重要性を、具体的な事例を多数挙げつつ説いている。「見る」という認識作用は、必ずしも「眼」という器官で「見る」ことに限られない、ということを実例をもって示していて、目から鱗である。

  • 視覚障害者との関わりへのきっかけを生物学的な興味とし、中学のときに読んでいた本川達雄先生の「ゾウの時間ネズミの時間」を紹介している。自分もこの本を手に取ったきっかけが最近読んだ「動物たちのナビゲーションの謎を解く」の中で視覚障害者が杖を叩いて反響音で周りに何があるのか把握するというエピソードに興味を持った同じく生物学的興味からだった。
    視覚障害者が世界をどう見ているかが書かれており、美術品の鑑賞をプロセスで楽しむなど目新しい内容もあり面白い。

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著者プロフィール

東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長、リベラルアーツ研究教育院教授。マサチューセッツ工科大学(MIT)客員研究員。専門は美学、現代アート。東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了(文学博士)。主な著作に『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』『目の見えない人は世界をどう見ているのか』『どもる体』『記憶する体』『手の倫理』など多数。

「2022年 『ぼけと利他』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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