目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書)

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  • 光文社
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感想 : 401
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334038540

感想・レビュー・書評

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  • これは面白い!
    (と言うことが失礼には当たらないという自信にもなる)
    筆者も同じ思いでこの本を執筆したのだろう。
    障害者差別になるのではないか?
    という不安はあったと思うが、それよりも生物学的な探求心が、そこは並列に淡々と説明を繰り広げる。
    確かに目が見えないが、周囲の状況を認知するには「立体的に感じる」しかないわ。
    これは目が見える見えないの話ではない。
    あくまで「人の感じ方」の話。
    さすが生物学者という筆者の言葉で興味深いのは、「手」だから「モノをつかむ」「投げる」ではない。
    ということ。鳥は進化して「手」という機能が「飛ぶ」という動作の結果になった。
    我々は「目」が「見る」と思っている(勘違いしている)が、実は「見ている」のは目だけではないのだ。
    「目の見える人」はそこに気が付かない。
    実は目が見えていようと見えてなくとも、「手触り」でモノを見ているし、周囲の音を聞いて、実は状況を把握している。
    (モノを見ている)目の見えない人は、足の裏の感覚ですら、モノを見ているのだ。
    これには恐れ入った!
    前の読んだ本が「数学的にモノの見方を変える」という内容だったので、ついその延長に感じてしまった。
    目の見える人こそ、「見えたまま」がその形と思ってしまう。
    見えない人は、形全体をとらえて、全体が立体的に頭の中で再構築されていく。
    もちろん、そこには足りない情報も多いと思うが、そこは案外想像力でカバーしたり、他の感覚(聞く、触れる)で補ったりしているのだ。
    やっぱり普段生活していると感じることは難しいが、改めて「イメージで考えてみる」というのはものすごく大事な気がする。
    自分自身が「イメージで考えることが出来ない人だった」と気が付いて、一瞬落ち込んだが、切替ていくしかない。
    ここは見えた世界以外をどうやって手に入れるか?
    訓練をしていくしかなさそうだ。
    もうちょっと努力をしてみたいと思う。
    (2019/12/10)

  • 「見えない人」がどう見ているのか、ということだけでなく、「見えている人」は一体何を見ているのか、そもそも「見る」とはどういうことか、ということをあらためて考えさせられる良著。
    健常者が障害者に対して手を差し伸べて、健常者の方に寄せてくるような考え方ではなく、フラットな関係でお互いの見え方を面白がることで、世界の捉え方が広がっていく感じが面白い。

  • 三本脚の椅子の例えは凄くわかりやすく、納得した!
    世の中をもっと柔軟に見て生きていくためのヒントを、目の見えない人の「見かた」から得ようとする内容。
    いわゆる「障害」があろうが無かろうが、想像力を働かせて一つの方向から決めつけずに物事を見ると世界が広がる。
    目の見えない人は、見える人よりも世界が限られていると思い込んでいたけど、それこそ決めつけだった。

    美術に対しても、自分の中で鑑賞の仕方が広がりそうで楽しみ。

  • 2019.11月。
    目の見える人には見える人なりの世界があって、目の見えない人には見えない人なりのその世界があって。その世界はどんなものなのか、ちょっと教えてもらった感じ。そういう感覚かあと。おもしろい。同じ世界で生きていても少し違う感じ。そういうことなんだと知ってるだけで違うな。見えすぎている、目に頼りすぎていることのマイナスもあるわけで。視覚以外の感覚も、五感を大切にしたいなあと。声。

  • 他人のことはわからない。自分とは違う体、自分があたりまえに「持っている」ものを持っていない人のことならなおのこと。
    障害を「個性」と言い換える、という言説には賛否両論があるかと思いますが、ここで筆者が開いた視点は「身体的特徴により、自身とは違う特性を持った上で世界を捉えるまなざしを持っている」ということ。
    わたしたちは彼らと同じにはなれなくとも、彼らを知ることで、彼らの見る世界を「想像」することが出来る。

    大多数の「見える人」たちを前提とした世界の中で「見えない人」はどんな風に生きているのか。
    視覚障害者へのインタビューを通して、自分とは違う身体的特徴を持った他者がどんな風に世界を捉え、どうやって生きているのか、『想像力を働かせ、他者を知る』ことをやわらかくて優しい手触りと温度のある言葉で降りていく語りかけがとても素敵。
    「わかり合えなくとも寄り添い合うことは出来る」という優しさと、世界を捉えるまなざしを持ち、この社会で他者と生きていくことへの問いかけがやわらかく響く一冊でした。

  • ヨシタケシンスケさんの絵本はこの本から生まれた,ということで,特別にヨシタケさんの表紙カバーがついているのに惹かれて購入。それだけでなく,以前から「目の見えない人はどんな夢を見てるんだろう?」とか自分では想像つかない世界に興味があったので,「これは!」と思ったのでありました。
    目の見えない人といっても,程度の差があってこの本に書いてあることがその全てではない,というように,全編「断定」してしまわない姿勢にまずは好感が持てました。優劣をつけたり,正否をつけたりしない。そこに,想像力の働く余地があり,他者を受け入れる余地があり,共存できる余地があるなあ,と。見えない人の,私たちにはできない認知方法の良さを述べますが,見える人が劣っている,という話ではない。見えない人に配慮して世の中を作りかえろ,とかそういう話でもない。おたがいの認知方法なり,過ごし方を知り,足し合わせていくことで,両方の世界が広がるのではないかという提案。見えない人と美術鑑賞をする「ソーシャル・ビュー」などはその典型で,すごく興味深いと思いました。体験してみたい。ソーシャル・ビューは,読書に似てるな,とも思えて,自分の中に鑑賞物を再構築する作業であり,豊かな世界を一つ,自分の中に作る作業なんだろうな。
    というように,キーワードは「面白い」だと言います。「障害」(本書にならってあえてこの字を使います)をアンタッチャブルにしてしまわず,「そういうこともあるのか,面白い」と受け止められることで,ぐっと世の中生きやすくなるのではないか。そしてそれは,障害者と健常者の間だけでなく,一般的に言えることなのではないか,とも思えて「深いなあ」としみじみしたのでした。
    と,もっぱら個人レベルの話を書いているけれど,この本ではもっと社会的なことも書いてあり,そういう意味でもよく配慮された本だな,と感じました。

  • タイトルの表現から自分が期待した内容とは違ったようで、ちょっと肩透かしなところもありましたが、「読み物」としては面白かったと思いました。

    志村真介『暗闇から世界変わる』で描かれていた「暗闇」という環境についての語りは、それはそれで深みがあってよかったが、この本にはそう言った重苦しさはなく、どちらかというと軽い内容になっていて、スラスラと読める。この点が良いのか悪いのか感じる人によって異なるのだろうけど、自分は違和感があった方でした。「こういった話を聞いた、なのでこうなのだ」と受け取れる箇所も多い。

    またきちんとデータがあったり、何かの理論に沿って結論づけているのか、ただの想像なのか読んでいてよくわからない。
    例えば、フロイトを引いて「マゾヒズムはマイナスの状況をプラスに転化する価値転倒の力」と書いてあるが、自分の知る限りではフロイトはそういった意味合いでマゾヒズムを解釈していない気がするし、そもそもポジティブなものとして捉えていた記憶もない。なので、これはあまり一般的ではないフロイトの説を引いているか著者の解釈なのではないかと思うのだけど、そこが不明瞭なので読んでいるとどうしても不信感が出てきてしまう。

    あと「見えない人の見た富士山」というのがあるが、実際に富士山に登った経験のある人と、そうでない人とでイメージは異なるだろうし、そのイメージの違いは「見える人」についても言えるのではないか。これはすでにその前の「大岡山のイメージ」で説明済みの内容なのではないか。

    こうした「見える見えないにかかわらず存在する各個人のイメージ」を、次々と「見えない人一般のイメージ」と「見える人一般のイメージ」にまとめて二分してしまう書き方はちょっと気になった。

    このような点から、「見えない」ことを文書化することを同じように試みた『暗闇から世界変わる』で描かれている、暗闇という見えない人と同じ環境を体験することで「(一時的に)正常と異常の二項対立を無くしたときに、何が見えるのか」という優れた試みの記録とは本書は大きく方向性は異なるが、読み終えて思うのは「見えようが見えまいが、そもそも所詮は他人の心にしかないイメージの話でしょ、そんなん他人のイメージする富士山なんかわかるわけないじゃん」という気もしないでもないことか。

  • 2018.3.4読了
    ☆3.8
    新書を読みなれていない私でも大変読みやすかった。
    富士山と月の形の捉え方について、見える人の方が一般化されたイメージに囚われて2Dでイメージしていて、見えない人の方が3Dでイメージしているというのがとても興味深かった。

    今まで障害者に対して持っていた固定観念が払拭される良い機会となった。

  • 近くに視覚障害のある友達がいることもあり、自分の学ぶ分野にも近いということがあり、また、NHKの特集もあり読んでみた。視覚障害があっても「視る」ことはできて、視覚以外のいろんな情報から視ているのだと感じた。

  • この本は目の見えない人に対する
    インタビューをもとに著者が考察した
    「世界の見方」に関する本だ。

    著者は目の見えない人が世界をどう見ているのか?
    を知りたいと思う。
    「世界の別の顔」を知りたいと思ったからだ。

    別の顔とは何か?
    それは意味付けによって変わってくる
    世界の多様性に満ちた顔のことだ。
    なぜなら「世界とは情報と意味で出来ている」からだ。

    簡単に言うと人の意味付けによって
    物理的に同じ世界に属していても
    見えている風景は全く違ってくるということだ。

    例えば「明日の降水確率は60%である」という情報は
    受け手次第で、無数の意味を生み出す。
    明日運動会の小学生と、傘屋、農家では全然違う意味付けをする。
    つまり「意味」とは「情報」が
    具体的な文脈に置かれたときに生まれるもの。

    同じ情報という現実で作られている世界は
    それぞれが付ける「意味」によって別の顔を生み出す。

    そして著者は別の顔を感知できる
    スペシャリストこそ目の見えない人たちではないのか?
    と仮定して調査と考察を始める。

    見える人が見えない人にとる態度は、「情報」ベースになりがちだ。
    ここ困ってませんか?あれが不足ではありませんか?

    助けるという事は良い事だろう。
    しかし本当に大事なのは対等にお互いが
    人間同士として面白がれる関係なのだ。

    三本の脚で立っている椅子に
    四本の脚で立っている椅子が
    もう一本つけなきゃあ、だめだよ、
    という必要はないのだ。
    三本の足の椅子にはその独特のバランスがあるのだ。
    そのバランスは尊重するべきだ。

    そう確信する著者は目の見えない人たちに
    真剣にかつ好奇心満タンで話を聞く。
    その結果がこの本に記されいる。

    「回転寿しはロシアンルーレットだ!」
    という言葉は実際に見えない人が語った日常だ。
    ユーモアではあるが特に狙ったギャグではない。

    私はこの本を読んだことにより
    新しいメガネ(視点)を手に入れる事が出来た。
    そのメガネは他者をそして自分を理解するための
    最新のナビゲーションになる可能性を秘めている。

    現実はなかなか手強い情報に満ちているが
    意味付けを変えることによって世界は変わる。
    そんな気にもさせてくれた。
    それほどの情報と考察を含んだ
    パワフルで温かい一冊だ。
    何やら面白そうだ!とピンときた方は一読をおすすめする。

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著者プロフィール

東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長、リベラルアーツ研究教育院教授。マサチューセッツ工科大学(MIT)客員研究員。専門は美学、現代アート。東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了(文学博士)。主な著作に『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』『目の見えない人は世界をどう見ているのか』『どもる体』『記憶する体』『手の倫理』など多数。

「2022年 『ぼけと利他』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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