ルポ 虐待: 大阪二児置き去り死事件 (ちくま新書)

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 117
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  • Amazon.co.jp ・本 (265ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480067357

感想・レビュー・書評

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  • 2014.8.30

    子どもの最善の利益は誰が考える?
    私の大変さ、を理解することだけじゃ子どもは救えない。

  • 虐待死事件の背景を多方面から探っている。
    「母親だけが悪かったのか?」
    考えさせられた。

    大阪二児置き去り死事件ほど重大ではないにしろ、似たような事例はたくさん起きているであろう。そんな環境にいる子どもたちを救うには、「母親だけが子育ての責任を負わなくてもよい」という考えが社会に浸透する必要があるのではないか。

  • 母親一人の異常性ではなく、母親の生育歴をふくめた今回の事件を検証しており、何ともやるせない気分になった。判決に私情挟めないだろうが、ネグレクトもDVも歪んだ負の連鎖であり、断ち切ることの大変さを感じた。

  • 子どもがいない大人や、子育てに積極的に関わっていない大人たちはもちろん、これから子育てを始める若い人たちにも、是非とも読んでもらいたい本。
    なぜこんなひどい事件が起きたのか、なぜこんな小さい子供たちが、たくさんの大人たちが暮らす街の中で誰にもケアしてもらえずに死ななければならなかったのか。読み進めると怒りがわいてくる。子を持つ親であれば、皆が感じる怒りだろうと思う。
    怒りに堪えきれなくなって、最後のページを読んだ。
    「母親だけが子育ての責任を負わなくていいということが当たり前になれば、大勢の子どもたちが幸せになる」
    この言葉に救われた気がして、この本を一気に読み終えた。
    子どもたちは親や家族の所有物ではなく、社会の子。親や家族が子育ての責任を放棄してよいということではないが、その責任を、子を持たない大人たちも含めて周囲が等しく負ってくれたら、どんなに子供を育てやすい世の中になるだろう。
    幼少時にネグレクトを受けた子供が、母親になってその子にネグレクトを繰り返す。そんな最悪なスパイラルも、子どもは社会が育てるもの、という概念さえ浸透していれば、繰り返されずにすむのではないかという気がしてならない。

  • 本書は、未だ強烈なイメージの残る大阪二児置き去り死事件…のルポルタージュ。
    考えさせられるなぁ、というのがズバリの感想ですね。
    子を持つ親としては(そうでなくとも)、どうしてこんなに残酷なことを…と感じるし、この女性は、いや、関係者全員に非があると思ったり。子供の苦しみを考えれば尚更。
    そりゃ、人によって家庭環境に恵まれなかったり、色んな苦しみ、経験があったりして、でも、そこは周囲のサポートなどによってクリアされていくもんだと思う。もちろんこの事件の女性へのサポートがずっとなかったわけではない。ただ、あまりにも特殊でレアなケースだったのか…結果的に、いや必然的に最悪の結末へ。
    行政の対応はベストだったのか、女性の父親は何をしていたのか、元夫や姑は何も感じなかったのか、何故行動に出なかったのか、極刑を求めれる立場なのか…と、誰かを責めたくなる。子供の悲惨な状況を見れば。
    いろいろ感じ、考え、本当の原因は何で、であればどうすればベターなのか…。そんなことを思ってしまうわけです。

  • 2010年の大阪二児置き去り死事件を扱ったルポルタージュ。本名は広く知られていると思うが本書では仮名が用いられている。
    印象に残ったのが、当時の名古屋市中央児童相談所課長の「水商売で単親で、若年出産で住民票がない。子育て環境は最悪です。(略)ただ、同じような生活形態の方は大勢います。それだけで虐待だと断定すれば失礼になる(後略)」という言葉。
    いやいや、もうその環境だけで子供にとっては虐待だろう。この母親やその父親に問題があるとか、いや、これは社会全体の問題なのだとか議論は色々あるだろうが、責任の所在などどうでもいい。
    ママを選んで産まれて来た云々という脳内お花畑の言説も稀に聞くが、子供は母親を選べない。
    とにかく、育てられない奴には子供を産ませるな、この手の事件を耳にする度そう思う。

  • それでも、母親への共感はできなかったな。子育てのしんどさまだ知らないから、仕方ないかな。

  • どうすればこのような事件が防げるのか思いながら読んだ。母親一人の責任とするには余りに酷。実父がもっと包容的なら、実母がもっと便りがいがあれば、元夫家族がもっと寛容なら、児相が母親と会えていれば…など、こうだったらと思うことはきりがないが、母親はどの救済可能性にも引っ掛からなかった。どうすればいいと言うことは一言では言えないが、虐待、精神疾患、育児、家族等々、今後人として生きやすい世の中にしていくための課題が多いということだけは理解できた。

  • この事件はセンセーショナルだった。
    同じく子を持つ親として、なぜこのような行動をとったのか?取らなければならない事情があったのか?気になり手にした。

    14/02/03-10

  • 親から虐待やネグレクトされた子どもが、親になって子どもに虐待、ネグレクトする。この負の連鎖をどこかで断ち切る仕組みが必要と思う。かつては、その役割を大家族制や地域社会が受け持っていたのだろう。しかし、そのような受け皿が無くなった現在では、やはりその役割は行政に頼るしかないと思う。
    この事件が起きた当時は、母親の身勝手さに憤りを感じたように記憶しているが、「誕生日を知らない女の子」や本書を読むと、上記のように違った感想を覚える。

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