大衆の反逆 (ちくま学芸文庫 オ 10-1)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480082091

感想・レビュー・書評

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  • この本は20世紀初頭の欧州について書かれているがその多くが今の日本にあてはまるのがびっくり。大衆の一人である自分には 慢心しきったお坊ちゃんの時代の章をはじめ耳の痛い話ばかりであった。また、日本の衰退はオルテガが定義する「真の貴族」がこの国からいなくなってきたからなのだろうか…いろいろ考えさせられた。著者の欧州統合等、先見性にも感嘆である!

  • 権力を持った大衆を警告する。色々と突っ込みたい点は多いが、主題としては、かなり頷ける点も多い。
    現代にも当てはまるどころか、現代はさらに先鋭化していると思う。

  • 大衆社会の怖さ。あるべき社会。

    大衆の反逆は、社会的秩序を乱す原因となる。
    大衆とは、身分や階級に関係なく存在する。

  • スペインの生の哲学者、ジャーナリストのオルテガ・イ・ガゼットの有名な著作。

    「大衆の反逆」

    1926年から公表され始め、いち早く、ナチスの全体主義とスターリンの共産主義の本質が同じであることを見抜き、EU設立も予言した本書であるが民主主義が何たるかが問われている今の日本にこそ強烈なインパクトをもって迫ってくる本。


    「近代」は人々の生の可能性を著しく拡大したが、それは生が豊かになったわけではなかった。人々は野蛮化し、凡庸であることが権利として求められ、ただ反応だけに生きる大衆人となってしまった。

    本書は「高貴な生」と「凡俗な生」を区別し、「大衆人は慢心しきったお坊ちゃんである。ばかは死んでも治らない」などオルテガ独特の言い方で大衆人を強烈に非難しているが、ここでは大衆人(非エリート)とエリートの区別を社会階層ではなく、自らに対する内面的・精神的態度において区別している。

    事実、オルテガは新たなエリート層として台頭してきた「科学者や医師」などの専門家集団を専門知に閉じこもり、専門外の分野もあたかも知者のごとく傲慢に振舞う大衆人の最高の実例として批判を浴びせている。

    今日でも色あせない本書はスペインの哲学界が事実上オルテガ右派とオルテガ左派から形成されている(らしい)ということからも分かるとおり大きな影響力をもっており、それだけ現代社会の本質を突いているとも言える。現代の大衆社会を議論する上で必読の書

  • 199夜

  • 一度では読解出来なくて何度か読み直した。時代によって闘う理由や闘い方に差異はあるから、一つの引き出しとして拠り所にしたくて買った本。

  • 100年近く前の本だが、今でもあてはまる指摘が数多くある。日本も「絶頂の時代」を終えて、この時期のヨーロッパと同じような道を進んでいるのではないかと思えた。貴族的に生きたい。

  •  昨日の授業でOxbridgeが今やラテン語を選択科目にしているという事を聞いた。英国で教養ある人物の古典的モデルというのは、3R(Reading, wRiting, aRithmetric)の後に、Lingua Latina, The Bible, Shakespeareであったと言う。これは、学問のあまり専門化によって、やってる暇がなくなった、ということらしい。実際、純粋数学や理論物理では、一般的に、博士課程修了で始めて研究者としての基礎教育が終了すると言われる。
     現代において、このような誰もが知っている(知るべき)普遍的な知識・教養といったものが存在するだろうか。いや、存在しないだろう。

     オルテガが分析したヨーロッパ社会はまさにそれらの始まりの時代だった。帝国主義、そして自由(民主主義)というものを手に入れたことで、ヨーロッパ人は自分たちが今までの歴史の中で、もっとも成功した時代だと思った。我々は歴史の中で絶頂の位置にいる。しかし、それが問題であった。オルテガが「大衆」と呼ぶ人間(≠社会的階層の低い人)は、言ってみれば、喫茶店で友人と雑談して得るようなしょうもない話を政治に強要するのだ。例えば、新聞に書いてあったから、とか、近所の偉い人がそう言うから、この政党はダメ、とかとか。すなわち、政治的な物事を決めるだけの判断材料を持たない(持とうともしない)人たちによって、良識ある政治的判断ができなくなるということだ。
     そもそも現実は絶頂ではない。絶頂か否か、特に没落しているのか否か、という問いは、すでに過去と現在というものを比較可能であり、また高低を決定付けることが可能なものだと言う前提を内包している。しかし、過去と分離した、離散的な状態なのだ。したがって、過去の規範をそのまま利用することはできない。すなわち、この時代に過ごすヨーロッパ人は、自身が絶頂の時代に生きていると感じているが、今までの規範が失われ、戸惑っているのであると、彼はまとめる。さらに科学の進歩も専門化に向かっており、科学者達も大衆化に向かいつつある。つまり、大衆が、文明と比較した場合原始人になってしまった。そして、今やモラルも消えてしまった。

     読んでいて、読みやすかった。各章で要約をちょくちょくしてくれるし。だが、内容としては決して簡単ではない。後半が良く分からなかったので、また読みなおそう。

  • 誰しも唐突な知的好奇心の背伸びがたまにあるもので、この本を新刊で買った当時の自分が滑稽に思えるまで放置したすえにいよいよ決心して読む。思いのほか読みやすい。

    オルテガは「大衆」を「野蛮人」としている。凡庸な人間が凡庸たることを理由に騒ぐからである。基本的人権という強力な武器を与えられ、本来的な意味での貴族的特権を享受し始めた凡人の集合。
    また、長い歴史の中で生み出され進化してきた文明の利器が手元に用意されていて、今当然ある「便利」を省みることのない大衆は歴史の経過によって文明と同様に発展した(する)わけではないのであって、20世紀の大衆は複雑な文明社会との対比から「垂直的侵略者」とも書かれる。このギャップはつまり埋まることがない。

    1930年刊行の本書は今現在の世相を切っているように思え、「身につまされる」というわけにはいかない。今まさに現在を生きる大衆たるものがオルテガの憤慨する大衆の枠組みにぴったり当てはめられる。

    そこで自分のような無学の人間がこれをどう読むかというと自分がここで書かれる「大衆」に属するのかどうかをひたすら気にかけながら読むのである。
    超然たる立場から「大衆」を鳥瞰する書き方にこちらが読み方を合わせることに躊躇いを禁じ得なくなる。
    「大衆」を他山の石のように読もうとしてしまう自分がどれだけ程度が低い読者なのか。ただ読みながらオルテガにしたらこういう凡人にこういう読まれ方をすることが一番痛快なのかもしれないと思った。
    オルテガさん相当いらいらしてらっしゃったし。

  • 目次

    第1部 大衆の反逆
    1 充満の事実
    2 歴史的水準の向上
    3 時代の高さ
    4 生の増大
    5 一つの統計的事実
    6 大衆人解剖の第一段階
    7 高貴な生と凡俗な生ーあるいは、努力と怠惰
    8 大衆はなぜすべてのことに干渉するのか
        しかも彼らはなぜ暴力的にのみ干渉するのか
    9 原始性と技術
    10 原始性と歴史
    11「慢心しきったお坊ちゃん」の時代
    12「専門主義」の野蛮性
    13 最大の危険物=国家

    第2部 世界を支配しているのは誰か
    14 世界を支配しているのは誰か
    15 真の問題は何か

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