読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫 ハ 46-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480097576

感想・レビュー・書評

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  • 読んでいる本についてボソボソ呟く

  • いつだったか某SNSで見かけ、
    タイトルをずっと覚えていた。
    先日の帰省から帰る電車待ちの本屋で偶然見つけたので購入。

    このパラドックス感がなんとも面白い。
    なんなら読まずに感想を書こうかと思ったんだけど、正しき書物への向き合い方が骨の髄まで染み込んでいる学校教育の賜物か、ところどころ退屈に感じながらも通読するまで差し控えていた。

    退屈に感じたのは、一貫して引っ提げてある「本は読まなくてもコメントできる、いやむしろ読まなくてOK」というテーゼが繰り返されるから。
    何度もこの主張に沿ったエピソード、文学作品などが多彩に登場するのだが、こちとら本当に読んでないから「…へぇ」「…ふーん」と、なる。

    わたしの共有図書館、貧弱。

    ところが半分ぐらいのところで「グラウンドホッグ・デイ」が出てきたときに、
    「観てない!けどコレ、Podcastで内山昂輝さんが面白いって言ってたやつ!」
    さらには「交換教授」が出てきたときに、
    「読んでない!けどコレ、北村薫さんの小説に出てきたやつ!」
    と、ちょっと興奮した。
    わたしの共有図書館も捨てたもんじゃないじゃん、観てないし読んでないけど。
    思いがけず、読んでいない本についてのイメージが補完されて楽しかった。

    あと、超相対性理論でどなたかが話していた「名作は読者が作る」的な話も思い出して、この「読者」には読んでいない人も含まれるのだなぁと思った。
    ハムレットは読んでないし、グラウンドホッグ・デイは観てないし、交換教授も読んでないけど、多分どれも名作なんだろうなと思っている。

    どちらかと言えば、本を積んでおくことが苦手なので、積読に扉が開かれるかもしれない…と思いながら手に取った本でもあったけど、通読した現状、ドアノブを意識したぐらいの感じ。
    これからも本は読まずにコメントしようとか、読んでない本について知ったかしようとは全然思わない。おそらく主題であろうそっちの方にはあまり眼は開かれなかったけど、この本を読んでいる最初から、途中もずっとわたしが考えてたのが
    真の教養とは?と言った問いで、
    …まああれですね、
    教養ってのは、他人に誇示して自分を飾るものではなくて、世界の解像度をあげてより自分ごとに引き寄せるスキルなんだろうなって今の時点では既存の答えのまま着地しました。

    最後の文庫版訳者あとがきに、この本にはさらにおもしろい仕掛けがあることが書かれていて、そこまで読んで、読みながら少し引っかかっていたモヤモヤしていた事が、凄く腑に落ちた。

    ちゃんと読めてないと思うけど、なんだかんだいろいろ語りたくなるくらい面白かったです。





  • 取り上げられている作品は興味深いし、刺激的な議論が展開されるが、結論は明らかにおかしいので、これは詭弁の書であると言わざるを得ない。しかし、反面教師として批判的に扱えば、読書について深く考えるきっかけとなるよい本だとも言えるかもしれない。

    【本書の長所】
    ・よくこんなのを見つけてきたと思うような、興味深いさまざまな作品を使って概念・論点を紹介しており、読みやすい。
    ・「本を読む」ことに関わるさまざまな先入観に気づかせてくれる。筋の通った、説得力のある指摘もあり、刺激的で目からウロコが落ちる思いがする。

    【本書の問題点】
    ・著者は、常識的な「読書」概念の破壊に酔っており、結局はニヒリズムで終わっている。著者の結論は過剰な一般化と単なる開き直りに基づいたものであり、論理的にも倫理的にも破綻している。著者の述べるような読書・批評が正当化された世界に、いったいだれが本気で住みたいと思うだろうか。
    ・本人はウィットのつもりかもしれないが、衒学的で冷笑的な文章が鼻につく。その最たるものは、わざと引用を間違えてそれをドヤ顔であとから指摘した箇所。単なる悪趣味としか思えない。
    ・翻訳者も本書に心酔してしまっており、この本との適度な「距離感」が失われている(本書を称揚する長いあとがきの中で、上記の箇所について翻訳者はすっかり感心してしまっている)。
    ・最後まで読んだ感想として、要するに著者は「俺って頭いい!」と言いたかっただけなんじゃないか。そんな与太話に付き合わされたこちらは、すっかり時間を損した気分である。

  • 読了日 2022/2/17

    神保町本屋巡り会の際に買った本。
    最高に面白かった。読みながら「してやられた…」って声に出した本は初めて。

    おろかな僕にとっては訳者あとがきまで読んでようやくほんの全体を見渡した感じ。いやそれすらも僕の中の〈内なる書物〉でしかないのか…

  • コツさえ押さえれば、とっさのコメントも、レポートや小論文も、もう怖くない!

    本書を読めば、大学生の天敵である、とっさのコメントやレポートに怯える必要は無くなります。

    それは、「読む」ことへの認識が変わるからです。

    「読む」ことを楽にするためにも、本書を読んでください。
    本書を読めばその意味がわかります。

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    ピエール・バイヤール(大浦康介)『読んでいない本について堂々と語る方法』(筑摩書房、2008年)
    所在:中央館3F 請求記号:019//B29
    https://opac.lib.niigata-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BA88255848?caller=xc-search】 

  • 本を読んでいるという状態とはなんなのか、考えさせられた。
    本を読んでいるからといってその書物の内容について隅々まで理解しているだろうか。理解していたとして、果たしてそこまで細かく理解することが必ず大事なのだろうか。
    筆者は個々の書物の内容が最重要なのではなく、その書物が書物の属するコミュニティのなかでどのような位置を占めているかをわかることが重要という。確かに書物の内容はその時代の状況や受け取り手によっても異なるし、解釈は如何様にもできるのだから、むしろ自分の中の真実が大事なのだと思った。つまり、書物の内容に傾倒するのではなく、一歩引いたところから見て、どう感じるか、どう理解するか、どう解釈するか、そこに独自の性質が生まれるのであり、そこが読書や書物についての議論において興味深い所なのかもしれないと思った。

    自分でもレビュー書いてて自分が何いってんのか分からん。でもこの言葉にできないともがいた末に面白い解釈が生まれるのかもしれないですはい。

  • 全部の本を読むことはできない。物理的に。自ずと読んでない本に言及する。

  • 軽いエッセイ的な読み物なのかと思ったら、しっかりとした哲学的論考であった。
    それゆえに、全体をしっかり理解したとはとても言えないんだけど、諸処でくすくす笑いながら読了。とくにティヴ族にハムレットを読む話が白眉でした。

    最近では読んだ本の中身なんて片っぱしから忘れるので、わたしにとってはすべての本が(忘)であって、こうしてブクログに記録を残すことでかろうじて自分が感じたことを現世に留めている感じ。本書でもさいしょのほうでモンテーニュが「自己消失をくりかえしている」(読んだものどころか、自分が書いたことも忘れてしまう)と記されていて、少し安心した(笑)

    読んだ本と読んでいない本の境界って、ほんと、どんどん溶けていくのよ。だから、もう、読む行為が楽しくてそのときにいい時間が過ごせていればよしとしようという気持ちになりつつある。自分はザルどころかトンネルのようなものなので、せめて面白かった本については、ブクログやツイッターで「面白かった!」と言っておこうと。そうすれば誰かひとりぐらい奇特な人がその本を手に取ってくれるかもしれないから。

  • わたしのイメージにあるフランスの文学者っぽい、とっても遠回りな眠たくなる文章。皮肉は好きだ。

    本を語る時は、堂々と自分の話をしよう!

  • そういえば私には本を語る場面など無いのであった。

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著者プロフィール

1954年生まれ。パリ第八大学教授(フランス文学)、精神分析家。『アクロイドを殺したのはだれか』、『読んでいない本について堂々と語る方法』等、多くの著作がある。

「2023年 『シャーロック・ホームズの誤謬』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ピエール・バイヤールの作品

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