読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫 ハ 46-1)
- 筑摩書房 (2016年10月6日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480097576
感想・レビュー・書評
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いろんな人がやたらと薦めていたので。
タイトルからしてグググと惹かれるものがあるが、中身もまた惹かれる……というか、考えさせられるものがあった。そもそも『読んでいない』とは、どういう状況なのか。1ページも開いていない状態なのか、それとも全体を流し読みした状態なのか……うーん、今まで疑問に思ったことすらなかった。
終始、読書論や書評について著者の主張が語られていて非常に面白いし、興味深い。そうか、批評もまた芸術であり創作物だと位置付けて良いのかとハッとさせられる。
が、クセのある仏蘭西文学の所為か(※個人の見解です)、途中「ちょっと何言ってるか分からんな??」と首を傾げてしまった。
にも関わらず星5の評価をする最大の理由は、著者自身が『読んでいない本』から『読めるはずがない本』まで堂々と語っているから。この一文を執筆してる時、きっとドヤ顔してたんじゃないかなーって想像したくなるぐらいの堂々っぷりなので笑えました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本を読んだとはどんな状態なのか。
みんな如何に読んでいるのか(いないのか)。
全ての本が読めるんわけでもないし読む必要もない。
その本が置かれたマッピングや状況を知る。
読むということは熟読することでもない。
(完璧になんて読めないし覚えてられない。)
たとえできたとして、そうなると人の意見に侵される。
大事なのは自分の意見を持つこと。
自分の読書のあり方について考えさせられる内容でした。
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ハウツー本と見せかけて、読書につきまとう規範性からの逸脱を説いた、とてもクレバーな読書論・教養論。語り口が明晰かつユーモアがあり、面白い。
個人やコミュニティの「教養の体系のあり方」を図書館に例えた「共有図書館」「内なる図書館」「バーチャル図書館」という考え方と、その図書館を構成する書物のあり方についての定義「遮蔽幕としての書物」「内なる書物」「幻影としての書物」は、いろいろ応用が利きそう。
終盤、「批評の創造性」を説きながら、創造性の涵養のため書物から距離をとることをアジるくだりなんか、パンキッシュですらあるな。ある種のエビデンス至上主義を相対化する薬にもなる。 -
めちゃくちゃ面白かった。
10代で読むべきだった。思考の全てに影響する良著。 -
挑戦的・挑発的なタイトルで、また、そういうタイトルの本を読む、という矛盾をはらんだ本だが、これがなかなかどうして非常に真面目で非常に面白い本。
どんなに多読であっても世にあるほとんどの本を読むことなく一生を終えるわけで、その意味で読書家とそうでない人の差など全体から見れば誤差にすぎないかもしれない。「読む」という行為も、読んだ/読んでないという0と1の関係ではなくて、名前も聞いたことのない本から、人づてで聞いたことのある本、他の本で言及された本、ざっと流し読んだ本、何度も精読した本、あるいは読んだけど忘れてしまった本まで、極めて微妙なグラデーションの中にある。そのように「読む」を考え直してみると、われわれが本を「読む」と言う時それはいったいいかなる概念・行為なのか、という問いが立ち現れる。とするならば、われわれが「語る」ことができるのは本当に読んだ本だけなのか、読んでいないからといってその本について「語る」ことができないと言えるのか。
と、感想を書いてはみたが、ぼくが本当に本書を読んだのかどうかはわからないわけなんだよな。 -
本の内容は同じでも、本を読んで感じたこと、とは人によって様々である。
ちょうどこの感想欄がいい例である。
本の最大の目的を、「著者の伝えたいことを理解するために完読すること」としてしまうと、読後の感想は、全て同じ内容でなければならない。
ここにこう書いてあるから正しいだの、それは拡大解釈だから間違いだの、いわゆる字面読みでの、まるで内容の答え合わせのような意見交換は、むしろ読書の悪い面である。
そうではなく、内容は忘れてしまっても、だいたいこんなことを言っていた、この本は本棚のここに入りそうだな、と、もっとふわっとした目的を持って読む方が気が楽であるし、感想はもっと多様であって良いと思う。
2018年6月ごろから、再び自分の中での読書ブームが来ている中、転換するという意味で、この本を読んでよかったと感じた。 -
読んでいない本について語ることは悪いことではない、むしろ図書と他の図書との関係や位置関係がわかるならば、内容は知っていなくても語ることはできる。そんな内容の図書。
第一部では「読んでいない」という状態のさまざまな段階を紹介している。内容を忘れた図書、流し読みの図書など「読んだ」と「読んでいない」の境界があいまいということだった。第二部では読んでいない本について語る様々な日常の場面を紹介。第三部が本書の核心部分、良い読者はさまざまな書物を横断することであり、書物に留まるのではなく、自分自身の考察に身を投じ、自分自身について語ることが重要ということだった。
「読む」という行為がかなり自由に感じられて本書を読んでて楽しかった。 -
過去の人気課題本。いい加減なハウツー本のような表題だが、「評論」や「書評」をテーマにした真面目な本である。改めて本を読む意味について考えさせられる内容で、色々と学ぶところも多かった。
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タイトルに惹かれて購入しましたが、おフランスの文学部教授らしく、なかなか理解が難しい一冊でした。
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読んでいない本とはいったい何なのか。どういう状況を指すのか。本を読むということに対しての認識について、盲点を突かれたかのような内容でした。絶対的に完全に読んだということは不可能。よく考えればその通りなのです。そういった意味で本を読み、それを語るということについて新しい視点をいただき目から鱗が落ちるように感じました。そして、本を読むこということに対して、地に足の着いた考え方をすることができるようになりました。それが自信にもつながっていくと思います。